先輩たち。
過去。
周囲は大国で囲まれ、力のないロクサンシーム王国は経済的にも周囲から軽んじられるほど、何もない国、と蔑まされてきた。
しかしクレインが王位を継いだここ数年は、特産のロクサン絹が帝国内で重宝されるようになり、かなり裕福な国家へと生まれ変わっていたのだった。
それらがみなレイニーの功績であると知らないクレイン。
国家の経営を面倒な雑務、と、全て彼女に押し付けいいように使ってきた彼。
リリスとの仲が深まり、レイニーと離婚しようと思うと漏らした折、周囲から大反対をされた。
今レイニーがいなくなったら政務が滞る。腹心達からそう諭されたのだ。
まあ、お飾りの王妃として置いておけば役に立つこともあるだろう。
幸いにしてリリスはそうした政務にはまったく興味を示さず、「そんな面倒なことはお姉さまにさせておけば良いではありませんか。わたくしは貴方様の真実の愛があればそれで満足です」とそう言ってくれたから、そのように提案してやったのに。
あいつは!
そう腹を立て。
それでも。
政務はマキナス。軍事はジンライト。貴族の纏めはオールベルにさせておけば良いではないか。
と。
どうせあやつらのいう「レイニーがいなくなったら政務が滞る」などという言葉は大袈裟に言っているだけなのだ、と、思い返し。
ちょうど帝国帝都に於いて聖大祭が行われることになっている来月半ばに帝都に赴くことに決めたのだった。
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「本当に宜しいのですか?」
「ええ。もう決めましたから」
「それにしても、陛下には困ったものです。レイニーマイン様がどれだけ国家のためにと奔走して下さったのか、全くわかっていないだなんて」
「報告はあげていたのですけどね。彼、わたくしのことなんかに興味がなかったんでしょうね」
「今でこそ帝国との通商ラインも開けましたけど、それすらもレイニーマイン様の功績だというのに」
「オールベル・マクレーン公爵。もうそのレイニーマイン様というのをおやめくださいな。王妃でなくなるわたくしは、もうただのレイニーで充分。学生時代のようにそう呼んでくださいませ。オールベル先輩」
「じゃぁ。お言葉に甘えて。レイニー嬢と、あの時のように呼ばせて貰いますね」
「まあ嫌だ。もう嬢と呼ばれるような歳じゃないですわ」
「いえ、まだ貴女は18歳になったばかりではありませんか。まだまだお若いですよ」
「おじょうずね」
自然と笑みが溢れた。
こんなに笑うのはどれだけぶりだろうか。
今まで、クレインの手前こんなふうに男性とお話しする機会も避けていたから。
心配して私室に訪ねてきて下さったオールベル先輩。
クレインが即位したのをきっかけに、筆頭公爵家を継いだ彼。
王位継承権も保持している彼は、その血筋を示すルビーのように赤い瞳でこちらをじっと見つめている。
流石にあんなことが無かったら、彼を私室に招き入れることも躊躇しただろうけど。
もうそんな心配もしなくていい。
先に浮気をしたのはあちらだもの。とやかく言われる筋合いもないわ。
「離婚をして、それからどうされるのです?」
「どう、しましょうか。しばらく帝都で暮らすのも悪くはないかもしれませんね」
「この国から出ていかれる、と?」
「半分とはいえ血のつながった妹に夫を取られた情けない女です。この国でゴシップにまみれ過ごすのは、ね」
「お父上はどうお考えなのでしょう?」
「どうせ、母がもういない今、父は一代公爵ですもの。そう思って暮らしていらしたはずですわ」
「貴女が公爵位を継がれたら?」
「クレインの下で公爵なんか継ぐことに、メリットを感じませんわ」
「なるほど。それもそうですね」
そう言って、ふっと笑う彼。
そのお顔がほんと綺麗で。
彼の父は先代の王の弟君。クレインとは従兄弟になるオールベル先輩。
クレインほどの派手さはないものの、その整った容姿は王家の血筋をよく反映していた。
応接室のソファーに腰掛けるそんななにげない姿も絵になっている。
ああ。わたくし、クレインじゃなくてオールベル先輩を好きになってたらよかったな。
そんなふうに今更ながらに後悔して。
学生の頃からなんだかんだでわたくしのことを気にしてくれた彼。
今にして思えば、わたくしが小さなミスをしてしまった時にも、それをカバーしてくれたのはクレインではなくオールベル先輩だった。
クレインは、あの時も、結局口だけだったじゃない。
恋は盲目、というけれど。
わたくしの目は本当に曇ってしまっていた。
よくよく考えてみれば、彼のそれは優しさなんかじゃなかった。
愛、なんかじゃ、なかった。
ただの、俺様な、子供のようなそんなもの。
わたくしのことだって、自分の所有物程度にしか思ってなかったに違いないのだもの。
「わたくし、先輩を好きになったらよかったな」
涙がほろっと落ちて。
「僕も。もっとちゃんと勇気を出していれば良かった」
優しくこちらを見つめて。そう言ってくれる彼。
もう遅い。きっと、もう遅いけど。
このままこの国で、彼と結婚する未来なんて考えることができない。けれど。
それでも。
そうおっしゃってくれたそんな彼の優しい声が嬉しくって。
そのまま、しばらく時が止まったように、泣いた。
彼の顔は、ずっと優しいままで。
それが嬉しかった。
♢ ♢ ♢
帝都までは一週間ほどの旅程で。
聖大祭に出席するための使節団として、四両の馬車に周囲に騎士団を配置したものものしい旅となっていた。
わたくしはクレインとは別の馬車で。
というか、クレインはリリスを同伴していたから、とても同じ馬車に乗る気にはなれなかった。
彼らとてそれは望まなかっただろうし。
騎士団を率いるのはジンライト・オキニス様。無口だけれど決して人を馬鹿にすることのない、筋の通った方。
学生の頃から、わたくしのこともずっと影で支えてくれた。
そんな優しい騎士様。
銀の髪を短く刈り上げ、その瞳は見るものを凍りつかせると噂されるほどの堅物に見えるけれど、それでもそんなクールなところが良い、って女子からは人気だった。
「レイニー様、何か不便なことが有ればすぐにお知らせください。善処しますから」
馬で馬車に横付けし、そう声をかけてくれたのはマキナス・ルルードル先輩。
貴族院時代は一年しかご一緒できなかったけれど、卒業してからのこの数年、いっぱいいっぱいお世話になった。
お仕事の基礎はこの先輩から教わったと言っても過言じゃない。
黒髪で黒ぶちメガネで、一見真面目なだけに見えるんだけど、それだけじゃない。
メガネを外した時のその切長な瞳に釘付けになる女性ファンは多くって。
国には、まだお父様世代の宰相様や騎士団長様がいらっしゃるからそこまで不安もないけど、クレインが移動するためだけにこれだけの人員を連れてきちゃうのはどうかなって気もしなくはない。
基本、帝国内を走る紅い街道には魔獣を寄せ付けない護符が埋め込まれている。
そのおかげで紅い煉瓦の上を移動する分には小さな魔物や野獣と遭遇することはまずない。
力の強い魔獣であれば、そうした護符など無視して来る場合もあるにはあるけれど、そんな強い魔獣が発見されれば近隣の詰所から帝国の防衛隊が出動してくることとなっている。
うちの騎士団の面々だって、まともに上位魔獣と遭遇したことなんてほぼないはず。
そんな報告は聞いた事が無かったから。
夜は宿場に泊まり、また朝から移動する。
そんなまったりした旅は、そろそろ終わりに近づいて。
目の前には巨大な城壁。奥に見える尖塔。
帝国が誇る帝都、マクギリスが目の前に迫っていた。