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え?ここからでも入れる保険があるんですか?

Ⅳ え? ここからでも入れる保険があるんですか?



 夜の冷たい風がほほを撫でる。同時に、凄まじい熱が額を焦がしていた。


 俺は、茫然としながらその光景を眺めていた。いったいどれほどの時間そうしていたのだろう。

何が起きているのか、わからなかった。


 いや、違う。何が起きているのかはわかっている。組長のベンツが燃えているのだろう?そんなことは誰が見てもわかる。

――問題は、それがどうして起きているのか、どうしてそんな、バカな事態になっているのか、ということだ。


……煙草の火、オイル漏れ…真っ白になった頭で、あらゆる原因を列挙していく。だが、どれもありえそうにはない。俺は今日煙草を持ってきていないし、車体だって発進の前にちゃんと確認している。その点俺は用心深かった。もし走行中に何か異常が、例えばエンジンの不調などが発生したとしても、そのときは音や駆動の様子で気づくはずだ。コンビニに入る前に振り返ったときにも、特に異常はなかったと思う。


……そもそも、車とはここまで早く火が回るものなのだろうか?……炎は今、全体を覆い尽くすほどの勢いとなって燃え盛っている。フレームはひしゃげ、メキメキと音を立てながら融解しつつある。……俺が車から離れたのは、せいぜい十分程度。数分、長くても十分の間に、たとえ事故だったとしても、自然発火からここまで見事に車が燃えるということはありえるのか。……俺は別に車に詳しいわけでも、火事災害の知識があるわけでもない。だが、直観的には何か変だ。普通ではありえない。意図的に工作を加えるなど、何か人為的な要因がない限り……


 そこで俺はハッとなった。――思い出すのは、数時間前の記憶。組長と別れ、事務所で兄貴と話していたときのことだ。

 スーツを着なおしながら、兄貴は神妙な口調で告げる。


「銀次、お前は変なところで鈍感だから自覚ねえかもしれねえが、内心でお前の地位を羨んでるやつは結構いるはずだ。二十そこそこっつったら、俺んときよりも早えからな。……年から考えれば、お前じゃなくて大津とか霧島あたりが順当だったはずなんだ。あいつらに限って滅多なこたあねえと思うが、お前もそのあたりの気遣い、敬意ってのを忘れちゃいけねえ」


 さらに、野次馬に来た主婦たちの声が聞こえる。


「やっぱり放火かしら」「最近テレビでよくやってるアレ?」「家の窓から見てたけど、人がこそこそ何かやってるのが見えたわ」「じゃあやっぱり」「黒いスーツの人が数人集まってきて、すぐいなくなったと思ったら火がバーッて」「変だわ。テレビでは十代の不良グループだって聞いたけど」



……頭の中で、情報が一本の線となって繋がっていく。しかしそれが指し示すのは、あまりに残酷な事実だった。


(俺が…俺がいったい、何をしたと言うんだ……)


 状況を理解するにつれ、様々な感情が一気にあふれ出してくる。身体は熱くなり、怒っているのか、絶望しているのか、自分でもわからない。

 無意識に握りしめた拳の中、爪が手の平に食い込んでいく。ある瞬間、力がふっと緩み、俺は息を深く吐いた。


 そして次の瞬間、俺は驚くほど自然にこう思い始めていた。


(…実家、帰るか…)


……唐突だが、俺の実家は三代続く寿司職人の家だ。家業を継ぐのが嫌で実家を飛び出してきたが、考えてみれば、田舎でのんびり寿司を握っているのも悪くない。……あの頃は、老後まで既に決められたような人生を送るのが怖かった。そこには何の刺激もドラマもないと、そう思っていたのだ。あの時、俺はたしかに若かった。しかし考えてみれば、人生にそこまでの期待をするのは贅沢というものかもしれない。刺激のある人生など、しょせんは不安定でリスクまみれな人生の裏返しでしかないのだ。こういう世界に生きていると、否応なしに痛感させられる。



 いつの間にか落としていたペットボトルを拾い上げる。飲み口に砂が付いてしまっているのを、指で適当に取り払う。唇に付けてにつけて豪快に飲むと、めちゃめちゃに美味かった。やはり乾いた喉には真水が一番効くな、と。そのまま、喉を鳴らしてぐびぐびと流し込んでいく。


 そうしているうち、野次馬たちの話し声の様子が徐々に変わってきているのを感じていた。「ちょっと、何すんのよ!」「なんだあ、あんたら……」「ちょっと、あれヤバイんじゃない……?そっち系の……」――俺はもう、とっくにその意味を知っている。


 後方からの声が徐々に小さくなり、散り散りになるようにして消えていく。先程から、どこかで聞いたことがあるようなエンジン音が近づいてきては、後ろの方で次々止まる。近づいてくる固い足音。少なくとも、数名。


 飲み干したペットボトルをくしゃくしゃに潰して、そこらへんに放り投げた。


 やがて、屈強な黒服が俺を取り囲んだ。黒服たちは目線で俺に合図し、路地裏へと連れていく。背中に突き付けられた固く冷たい物体の感触を感じながら、俺は歩いた。

 視線を左右に向ければ、苦虫を噛み潰したような表情の兄貴と、無表情の薮下。


 大津と霧島の姿も、そこにはあった。


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