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継承

Ⅱ 継承



 ことの始まりは数時間前。大枝組に入って六年目にして、大きな昇進を果たした俺は、組長の屋敷に呼ばれていた。


 入った大学を一年で中退し、俺はこの組に入った。以来、俺は下っ端としてあらゆる仕事をこなしながら、少しずつではあるが組に貢献してきた。特にカリスマがあるわけでもなく、これといって喧嘩が強いわけでもなかった田舎のガキが、闇の世界に憧れてこの業界に入ってから早6年。生半可な決意で入ったことを後悔させられることも多く、実際、ヤクザの世界はそう甘いものではなかった。


 実家を飛び出して上京してきた俺は、後戻りできない状況の中で、必死でこの組で生き残ることを決めた。いつかは自分のシマを持つことを夢見、デカい抗争のときには積極的に最前線に出て鉄砲玉を務め、上からの仕事にはそれがいかなるものであっても全力で取り組んだ。


 そうして、あっという間に数年が過ぎた。人間、いや、ヤクザとは不思議なもので、金と暴力に彩られたこの異常な世界も、ある程度いると小慣れてきて、肌になじんでくる。新米だった頃に比べれば、今では俺もだいぶ実力をつけてきたように思う。もちろん、上の人たちは俺とは比べようもない恐ろしい大物ばかりだ。うぬぼれているわけじゃない。だが、少なくとも、ヤバイ状況でもある程度冷静な判断ができるくらいには度胸も付いたし、組の人間とその中での自分の立ち位置を意識して動くことができるようにもなった。大きなやらかしも今のところ無いし、周りからの評価も段々と上向いてきていると感じていた。


 そんな中、俺にツキが回ってくる。二週間前、経営するカジノの売れ行きが長年好調であることを受けて、長谷川さん……俺の兄貴が幹部会の一員となることが決まった。そして祝賀会の席で、次の経営者を誰にするか、ということが議題に上ったのだが、なんとそこで俺が選ばれたのである。

  

 たしかに、俺は兄貴にとって一位二位を争うくらい近い位置にいた子分だった。だがまさか、20ちょっとのガキに組全体の売り上げの数パーセントを占めるこのカジノの経営が回ってくるとは、夢にも思っていなかった。聞くと、そこには兄貴だけでなく、俺の仕事ぶりを密かに評価してくださっていた組長の意向もあったというのだ。


 突如として開かれた出世ルート。初めはあまり現実味を感じられなかったが、組長へのあいさつの日が近づいてくるにつれて、だんだんと実感がわいてきた。……正直、うれしさと同じくらい、責任の重さも感じている。それでも、組長や兄貴が推してくれている以上、大丈夫だろうという思いも強かった。

 それがまさか、あんな形で裏切られることになろうとは……。



 突然の吉報から数日たち、そして今日、俺は兄貴とともに組長の屋敷に来ていた。昇進の挨拶のためだ。

 中華風装飾のきらびやかな広い部屋の中には、兄貴、俺、組長とそのボディーガードだけ。兄貴の左後方、所在なさげに立っている巨体が俺である。

 兄貴が神妙な口調で組長に挨拶を述べる。

「組長、今回の件、本当にありがとうございました」

「ありがとうございました」俺も続ける。

「おうおう…今回は、よくやったな。今後もよろしくたのむぞ」

「恐縮です。ありがとうございやす」

「して、長谷川。これから何かわからんことあったら、藪下に聞けや。あいつが一応、新しく入ったやつの説明役ってことになっとる。」

「わかりました」


 兄貴と組長の間で、今後の仕事について話が交わされている。俺は見慣れない部屋の光景に目が行き、内容はほとんど聞いていなかった。

 思えば、組長の姿をこんな近くで目にするのは珍しい。式や会に出席するときに、白塗りのベンツから護衛に守られながら出てくるときくらいだ。こんな少人数、かつ近い距離で組長と向き合うのは、初めてのことだろう。俺は無意識に、東京の裏世界の一角を統べるこの男の顔をまじまじと見てしまう。


 大枝権三郎……大枝組初代組長にして、「不死身の大枝」と呼ばれた伝説のヤクザ。一代にして関東最強の組を作り上げた男である。


 数十年前、このあたりの覇権を握っていたのは「龍谷会」という組織だった。当時関東には様々な暴力団組織が存在し、互いに均衡を保っていたが、中でも一番勢力が大きかったのが東京を拠点とするこの龍谷会だったという。

 しかしある年、龍谷会は突然ある組織と全面的な戦争状態に入り、壮絶な抗争の末、ほぼ壊滅させられるにいたる。驚くべきことに、龍谷会を破ったその組織は当時関東地域で敵対関係にあった他の組ではなく、「大枝」というぽっと出の無名ヤクザが率いる弱小組織だったのだ。

 大枝組は残った龍谷会の成員とシマを引き継ぎ、その後も他の大組織を吸収しながら巨大化していった。そして数年で関東のほぼ全域を手中に収め、西の八雲組と並ぶ一大暴力団組織となった。


 ワイドショーや週刊誌をとおし、一時世間にも波紋をもたらしたこの一連の抗争は「大枝の変」と呼ばれ、ヤクザ史に残る伝説的事件として今も語り継がれている。


 そんなヤクザ界の超大物が、俺の目の前にいた。

 季節をはばからない着物姿で、杖を近くにかけたまま、ひじ掛けの椅子に座っている。68歳ともうそれなりの高齢であり、脚を悪くされているとのことだ。深く皺の刻まれた顔面は生白く、高い鼻と彫りの深さが、どこか日本人離れしたような印象を与える。過去の抗争で弾丸を受けたときの傷跡が、両頬から耳にかけて続いており、耳に穿たれた大きな風穴が痛々しかった。だがその壮絶な容貌は、伝説を築いた男としての風格をたしかに携えていた。眼差しの持つ威圧感も相まって、まるで人ならぬ怪物のように感じられるほどである。


「それでお前、銀次、とかいうんだったな」

「、へい…銀次です」

 唐突に話がこっちに回ってきた。一拍遅れ、俺は応える。

「お前のことはよく聞いとる。若いモンの中でも、なかなか頑張ってるってな」

「いえ、恐縮です…」

「わからんこともあるだろうが、そんときは長谷川に教えてもらえ。まあがんばれや。期待しとるから」

「へい、精一杯、やらせていただきます」

 俺は、これ以上ないというくらい深々と頭を下げた。

 組長はふと葉巻を取り出し、側の者が火を用意するより先に素早くライターで火をつけた。口にくわえ、瞳を閉じ、灰色のけむりを吐き出しながら、そしてこう言った。

「で……そうだな。せっかくなんだから、何かとらせねえとな。長谷川にはシマを新しくやるからいいとして……銀次、お前なんか欲しいもんあるか?」

「欲しいもの、ですか……」突然のことに、喜びよりも動揺が勝る。そんなことは何も考えてなかったのだ。

「長谷川の後釜を任せるっつっても、それとは別に褒美はやらねえとな。どうだ、さすがにシマとかでけえもんはやれねえけどよ。なんかないのか?」

「銀次、どうなんだ」と兄貴。

 そういわれても、組長に何かをねだるというのはひどく畏れ多いことに思えた。

 ……答えられずしばらく黙っていると、組長が口を開く。

「……少し、待ってな」

 組長はそう言うと、座っていた椅子からよろよろと立ち上がった。側の者がすぐにその体を支える。机のすぐ横にある黒塗りの長箪笥のところまで行くと、おもむろにその引き出しを開けた。

 中には、立派な日本刀が入っていた。組長は一つ一つの引き出しを確認するように開けていき、一番下の段を開けると、中から中程度の大きさの刀を取り出す。いわゆるドス(脇差)と呼ばれるものだった。

「……こりゃ俺の思い出の品なんだがよ。もう使うこともねえだろうから、とっとけ。ここで腐るより、誰かに使われた方がいい」

 組長は、どこか遠い世界のことを思うかのようにその刀を眺めていた。彼の辿ってきた壮絶な半生の記憶のようなものが、そこには込められているのかもしれなかった。……そんなものを貰っていいのか。改めて、俺は畏れ多い気持ちになる。

「本当に、よろしいんですか?」

「この俺がやるっていってんだ。くどいぞ、取っとけ」

「すいません……それでは、ありがとうございます」

 俺は神妙な面持ちでその脇差を手に取った。

 シンプルなデザインだった。木製の鞘はつやのある妖艶な檜皮色をしているが、所々に細かな傷が見られる。鞘を外すと、白魚のような輝きを持つ美しい刀身が現れた。なるほど、よく手入れされているらしい。木目の浮き出た握りには何かの文字が彫られているようだが、達筆すぎて何とかいてあるのかはわからなかった。

 俺は再度丁重に礼を言い、その脇差を受け取った。



「……お前、きっとでけえやつになるよ」

 去り際、突然組長はそう言った。

 最初は、兄貴に向けられた言葉だと思った。だから俺は黙っていたのだが、兄貴が目線で「お前のことだぞ」と伝えてきて、そこで初めて気づいた。

「!……いえ、恐縮です」と、応えるしかない。

 嬉しいと同時に、畏れ多くもあった。働きぶりは、けっして悪くはないと自分でも思っている。だが、大組織大枝組には、俺を超える者などそれこそゴマンといるのだ。なぜ俺にそんなことを言うのか、わからなかった。

「なんとなく、そんな感じはしてたんだがよ。だが、こうして会ってみてわかった。お前、俺の若い頃とよーく似てやがる」

 組長はそう言って笑った。

 葉巻から紫雲の煙をくゆらせ、中空を眺めながら、やがて懐かしむように呟いた。

「……人生ってのは、どうなるかわからねえもんだ……まあ、特に極道とかだとな。だが、諦めちゃあそこでおしまいよ。どんな状況でも、どうにかしてやるってえ気持ちでやれば、できねえこたあねえ。」

「…………」

「まあ、がんばれや」

 最後に、笑みを浮かべてそう言った。

 俺は気の利いたことの一つも咄嗟に言うことが出来ず、ただ頭を下げて謝辞を述べるだけだった。



「銀次、お前組長に気に入られてるみてえだな」

 と、帰りの車の中、助手席の兄貴。まるで自分が褒められているかのように上機嫌だ。

「みんなに同じようなこと言っている、というわけじゃあないですよね」

「そうそうねえよ。俺だってないんだ」

少しの沈黙を挟む。

「……組長の若い頃って、どんなだったんでしょう?」

「さあなあ……俺が入るよりもっと前のことだし……当時の大枝組長の関係者は、敵も味方もあの抗争でだいたい死んじまってるって話だからなあ」

「…………」

 俺は組長の言葉の意味を頭の中で反芻しながら、ハンドルを握っていた。


 そのまま、車はカジノに併設するある建物に向かった。俺と兄貴の所属する、大枝組直系の組織が有する事務所の一つだ。

 そこで俺たちは、ある仕事の準備の取り掛からなくてはならない。それは、組内で「儀」と呼ばれるある種の慣例的行事。そして、その主役は他でもない俺なのであった。

 俺は気持ちを引き締め、その準備に臨んだ。


急になんの話をしているんだろう。自分でもわからない

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