初めての衝突
夕ご飯を丁度作り終わったころ、タイミングよくチャイムが鳴った。
裕也だ。私がドアを開けておかえりとお疲れ様を言うと裕也は爽やか笑顔でただいまと応えた。
「今日もタイミングぴったりだよ」
「本当?やった」
「お腹空いたでしょ。すぐご飯にしよう」
「うん」
裕也が手を洗うのを待って、テーブルについてから二人でいただきますを言う。
「今日は将兄が来たんだよ」
「そうなんだ。将兄元気だった?」
「うん。でもね、また由美さんほったらかしにしてた」
「あー、また喝入れたんだ、あきちゃん」
「まあね。だって明日は記念日だから」
「将兄、毎年あきちゃんに怒られるね」
「なんで毎年言ってるのに忘れるのかねえ」
「それに対して健兄は覚えてるよね」
「健兄は祝うのが好きだからだよ」
「そっか。俺未だに健兄からプレゼント貰うしね。しかもセンスいいんだよ」
「そうそう。友里恵さんからアドバイスもらってるんだとは思うけどセンスはいいんだよね。このグラスも健兄に貰ったんだ」
「俺の私服なんてほとんど健兄に買ってもらったのだよ」
「そういえば裕也が持ってる服って健兄のお古もあるよね」
「うん。もっていうか買ってもらったの以外は全部健兄が着てた服だよ」
「そうだっけ」
でも確かにそうだ。昔から健兄が着れなくなった服は裕也が貰ってた。将兄と健兄は服の趣味が違うから。健兄と裕也の背丈が同じくらいになってから健兄は新しい服を買ってあげるようになったんだ。
裕也がお茶碗を空にするのを見計らって私は立ち上がる。育ち盛りの裕也は一回の食事で3杯は必ずおかわりをする。裕也にご飯のおかわりをよそってあげて私は座りなおした。
「あ、そういえば隼斗が歩いたんだって」
「そうなの?えー、見たかったなー」
「だよね、だよね。将兄のとこに歩いて来たらしいの」
「将兄ずるいよ」
「そうなの。ずるいよね」
「うん。あー、隼斗に会いたいよ」
「私もだよ。健兄と友里恵さんの二人占めずるいよね」
「そりゃ2人の子供だから。でも連れて来てくれてもいいよね」
「実家だけじゃなくてうちにも来てくれればいいのに」
自分達勝手な話をして笑いながら夕ご飯を食べている。1人暮らしをしていた最初の1ヵ月しか1人きりのご飯をしていないから裕也が家に帰ったらどうなるんだろう。さみしくなるな。
裕也との2人暮らしは思った以上に楽しくて、裕也と裕に早く仲直りしてほしいけど私は少し複雑だ。
中学3年生の裕也はこれから中学校最後の大会があるんだけどサッカーの強い高校からもうたくさん話がきているらしい。もちろん裕也も高校でもサッカーを続けていきたいと言っている。
「あ、そうだ。あきちゃん来週の土曜日って暇?」
「うん。予定はないよ」
「来週この近くの中学校と練習試合があるんだよ。よかったら見に来てくれないかな?」
「え、本当?行く行く。絶対行く」
「よかった」
裕也がサッカーしているのを見るのっていつ振りだろう。高校1年の時には…見たかな。部活の後輩に頼まれて中学校に行った時にグラウンドでサッカーをしているところを見たかもしれない。とにかく久しぶりだ。
裕也に場所を聞き終えてから写真撮ろうかなと私が言うと裕也にやめてと言われてしまった。
「えー、なんでよ」
「小学生じゃないんだから」
「いやいや。中学生でも高校生でもいくつになっても写真は撮るよ」
「じゃあ気をつけてね」
「は?」
「写真撮っていいけど気を付けてね」
「んーと?どういうこと?」
「ちょっとね。まあいろいろ。でも遠くにいてくれればいいかも」
いや、でもな、とぶつぶつ独り言を始めてしまった裕也。私は遠いと綺麗に写真撮れないよと言うとズームすればいいでしょ、と。
「でも近くで見たいよ。久しぶりだもん」
「あーそれは駄目」
「えーなんで?裕也が見に来てって言ったんじゃない」
「そうだけど、ちょっと、あれだから」
「なに?あれ?」
「ちょっと危険かなって」
「危険?ああ、そういうこと?女の子達がいっぱいってこと?」
「まあそんなとこ」
「へぇ。裕也もやるねえ」
「いや、俺だけじゃないよ。他のやつら見に来てる子も多いし」
「いや、大半が裕也目当てだと思うな。そっか。そしたら裕也のファンの子に負けないようにしなくちゃな」
私が中学生の時もサッカー部の男の子は人気があった。野球部でもバスケ部でも運動をしている人はすごく魅力的に見えてた。その中でもなぜかかっこいい人はサッカー部に集中していた気がする。いや、サッカーをしているのがかっこよく見えたのかも。
目の前にいる裕也をじっと見る。かっこいい人がサッカーをしているからもっとかっこよく見えるんだろうな。
「どうしたの、あきちゃん」
「ん?いや、なんでもないよ」
「そうなの?」
なにか言いたげな裕也にもっと食べなとから揚げを一つ裕也のお皿に乗せた。
「ありがとう」
裕也はそれを一口で食べた。私の口では到底一口では食べられないのに、と男の子だなあと呟く。それに裕也は当然だよ、と応える。
早く裕也と裕に仲直りをしてもらいたい。だけど今の生活を壊したくない。それでもずっとこのままがいいと思うのは一人暮らしの寂しさがあるからかな。裕也との二人暮らしの居心地の良さに私は少し浸りすぎていたのかもしれない。
「本当に裕也と一緒にいると安心するよ」
「え、そう?」
「うん。だって昔から一緒にいるもん。裕也がこんなに小さかった時から」
お茶を右手に、初めて会った時の裕也はこのくらいだったと左手と床とで表してみる。
「このくらい?いや、もっと小さかったかな。それが今はこんなにだよ。お姉ちゃんは嬉しいよ」
途端に裕也の表情が変わった。1ヵ月前に見た傷付いた顔をした。
「え、ごめん。なんか私気に障るようなこと言った?」
焦る私にいつもなら笑顔でそんなことないよ、と言ってくれるはずが、今日はそうではなかった。さっきまでの穏やかな空気が一転、張りつめたように凍り付く。長い沈黙が続いた。
「俺さ、あきちゃんの弟じゃないよ」
「え」
裕也の声が小さくて聞こえなかった私は思わず聞き返す。
「だから、俺はあきちゃんの弟じゃないんだって」
「そ、そうだよね。そうだよ。だけど弟みたいって思ってて」
裕也のいつもと違う強い口調に私は少し驚いてしまった。
「俺、昔からあきちゃんに弟扱いされるの嫌いだった」
嫌い。裕也から嫌いと言う言葉が私に向けられた。初めてのことで私は動揺してその拍子に箸を床に落としてしまった。だけどそんなことは気にしないで私は言った。
「ご、ごめん。そんなふうに思ってたなんて知らなかった。でも私初めて弟ができたみたいで本当に嬉しくて」
「俺はあきちゃんをお姉ちゃんだと思ったこと一度もないよ」
裕也は今も昔も健兄と将兄のことはお兄ちゃんと呼んでた。だけど私のことはいつもあきちゃんだった。私が独りよがりでお姉ちゃん面していただけなんだ。裕也が私にばかりなついてくれていると思って調子に乗っていたのかな。
何も言えなくなった私に裕也は続ける。
「あきちゃんってさ、全然俺の気持ちわかってないよね」
そんなことない、と言いたいのに今わかってなかったことを知ったんだと口を噤む。
「あきちゃん言ったよね。大学で俺と同じ学校に通えるって。それなのに短大に行くってどうなの」
「え、それは」
「あきちゃんの進路なんだからあきちゃんの好きにしたらいいよ。だけど俺に一言くらい言ってくれてもよかっただろ。引っ越しする前日に聞かされたんだけど」
受験と部活でまったく会えなかった私と裕也。合格が決まっても部長として毎日遅くまで練習をして疲れている裕也のことを考えたら気軽に遊びに行くのも悪いと思っていた。
だけど引っかかるのは裕也が大学で私と同じ学校に通えることを考えてくれていたこと。中学3年生の時に大学で一緒に通えると言った時、裕也は本当に嬉しそうにしていたのを今思いだす。
「ごめん。忘れてたわけじゃないんだけど…忘れてたかもしれないけど…」
情けないな。あの時裕也はあんなに喜んでいたのに。
「だからそれは良いんだって。ただ一言言ってくれればよかったのにって思っただけだから」
「でも裕也楽しみにしてたでしょ。どうしよう。ごめん」
「だからそんなこと今の俺が気にするわけないでしょ。あきちゃんはずっと俺のこと子ども扱いするよね」
「そんなことないよ」
「そんなことあるんだよ。あきちゃんにとって俺は弟だからね」
「ごめん。弟じゃないよね。私が悪かったよ」
「ほら、そういうとこ。年上だからって自分がすぐ謝るんだ。俺、もう子供じゃないんだよ」
「う、うん。わかってる。けど…」
なにか言うたびに裕也の気を悪くしてる。そう思ったら何を言えば良いのかわからなくて私は黙ってしまった。
すると裕也はため息を一つ吐いた。
「ごめん」
「ううん」
「ごめん。寝るね。ご飯ごちそうさま」
そう言って裕也は食器を片付けて布団を出し始めた。
自分も食器を片付けてテーブルを退かさないと、そう思った時には裕也はもう部屋の隅に布団を敷いて横になっていた。
たった今起きた出来事に私はまだ頭がついていかない。裕也と口喧嘩をしたのは初めてだ。いや、喧嘩ではなかった。なんだ?とにかく私は相当裕也に不満を貯めさせてしまっていた、ということだ。
弟ができたようで嬉しくて裕也の面倒を見るのが当然で、裕也の成長が嬉しくて、考えてみればたかが4歳年上なだけの人間にいつまでも子ども扱いされていたら誰だって気分が悪くなるだろう。
私は早く弟離れをしなければならなかったんだ。いや、最初から裕也を弟として見てはいけなかったんだ。
嬉しいことがあるとすぐに私に報告しにきてくれた。辛いことがあったり怖い思いをした時は私に泣きついてきてくれた。私がなんとかしなきゃ、そんなふうに裕也と接してきたのは間違いだった。裕也はそんなこと望んでなかった。私が独りよがりで裕也の面倒を見たがっていただけで裕也には全部迷惑な行為だったんだ。
自分よりも遥かに大きな背中を見て、私は自分勝手をやめようと誓った。その背中に向かって私はごめんね、と小さく呟いた。




