【25】 六さんの涙
六郎はさっきから、お立ち台には上らず
片付けの準備を始めていた。
客F「六さん、帰っちゃうのかい?」
六郎「ああ。悪いな」
客G「ははははは」
客H「かみさんに、ウナギ買って帰るわ。ごっそさん!」
そう言って、千円を六郎のポケットに入れた。
客I(俺も、初めてご祝儀してみようっと)
払戻金の端数400円を黙って六郎のポケットに入れた。
客Iは800円買っていた。
六郎「ありがとね」
客J「帰るなんて、どうしたんだい? 顔色が悪いようだけれど、まさか病気じゃねえよな」
六郎「病気なわけねえよ。ボクサーだって、チャンピオンのまま引退したいって気持ちがあるように、俺も今日は勝ったまま帰りたいんだよ。後の3レースは自信がねえのよ」
客J「なら、いいんだけど。また、頼むよ!」
六郎「ああ」
客J「ほんとだよ。『六さんだけが頼りなんだから』」
六郎「ああ」
六郎は、涙を流した。
客J「泣いてんのかい?」
六郎「泣くわけねえだろ」
その声が涙声だった。
客J「だって、涙が、」
六郎「予想が忙しくてトイレにも行けず、おしっこ、し忘れたんだよぉ」
客J「そうかい。目からおしっこか。ならいいんだよ」
六郎「……」
客J「いい予想だったよ」
客Jがしみじみと言った。
六郎は、泣きながら店を閉め、助手と一緒に、
最後上がらなかったお立ち台を後にした。
それから1週間後、穴吹六郎は息を引き取った。
恐らく、最後のお立ち台で見た光景と、
客Jの「いい予想だったよ」という言葉を思い浮かべながら……
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