【12】 答えを聞かずに帰った客
後ろで、
美南「負けちゃったんだ。つまんないの」
千歳「6号艇に何があったのかしら? 脳梗塞? 手の震え? 五十肩?」
美南「『五十肩』はないでしょう?」
千歳「わからないわよ」
美南「アクセルとブレーキを踏み間違えたんじゃない?」
千歳「車じゃないんだから」
結局、その日、六郎は、その話だけをして帰ってしまった。
金塚が事務室の自席に戻ると、
千歳「『特別催告状』と、『差し押さえ』の話をしないまま帰っちゃったわね」
金塚「そうですね」
そこに国民年金課の井手五郎課長(いで・ごろう・52歳)がやって来た。
課長「随分、長いお客さんだったね。金塚さん、お疲れ様」
金塚「ええ、ちょっと訳ありでしたので」
課長「訳ありとは?」
金塚「余命数カ月らしいのですが、国民年金を納めないといけないのか? というご質問でした」
課長「ほぉーっ、それは難しいなぁ。それで金塚さん、なんと答えたんですか?」
金塚「それが……」
課長「……」
金塚「私がお答えする前に、ボートレースの話になりまして、」
課長「ふむふむ、なんか面白そうだね」
金塚は、六郎の結婚を賭けた熱き戦いを要約して井手課長に話した。
課長「うーん。選手が人生を賭けて戦っているときに、予想屋も人生を賭けているとは、知らなかったなぁー」
金塚「はい。とても参考になりました」
美南「私なんか、聞いていて興奮しちゃいました」
千歳「ええ、とってもいい話でしたわ」
課長「それは、良かったじゃないか」
千歳「はい。でも、あのお客様、なにをしに来たのかしら? 結局、国民年金を納めるか、納めないか? 金塚さんの答えを聞かないで帰っちゃったんですよ」
金塚「そうでしたね。ははははは」
課長「うん、それはね、もうどうでも良かったんですよ。お客様にとっては、払ってもいいし、払わなくてもいいし」
美南「えっ、それ、どういうことなんですか?」




