■玖節『便利屋二人を何とも思わぬ敵対者』
とうとう今日も終わりに差し掛かり、天蓋に満月が浮かぶ。その月光の下、仄明るい提灯が灯る居酒屋「合掌亭」には、休日らしく多くの常連客が集って、妖は酒、それ以外は「酒水」に舌鼓を打っていた。その名の通り酒水は、酒を飲んだ気分になれるただの水なのだが、提供された客の誰もは、至って何時もより羽目を外さなかったり、雰囲気に流されて酩酊していたりもしていた。
窓に沿ったテーブルには、古道具屋の一人と一匹の姿があった。ネズミとはいえチーズは好まないようで、先程から食しているのは旨味を重視した漬物とお冷である。アリスがルイスを呼び止めれば、ルイスはアリスの小皿に漬物を取り分ける。それをぱりぱりと食べている姿を、ルイスは愛しいと感じつつ眺めているのであった。
少し奥まったちゃぶ台席では、自警団長が何人かの団員と共に晩酌としゃれこんでいた。上座に座らされたのは団長……ではなく、泉と戦い抜いた新米であった。戦っていた憤怒はどこへやら、緊張と申し訳なさとで震えている背中へ、団長はたいそうご機嫌な手のひらをバシバシと打ち付ける。団長は既に酔っぱらっていて、団員も次々と注文を通す中、新米だけは青ざめた顔から変わることはなかった。
そして便利屋二人はというと、タカの方は嫌々ながらだったのがすっかり気が抜け、それにとどまらず他の客につっかかり始めた。ケタケタ笑い散らし、しょうもないことでツボに入ったりなど、笑い上戸もいいところだ。泉はそんな暴走するタカを止めるでもなく、眠そうに瞼を擦りつつ静かに酒水を煽っていた。
隣の席には珍しくツグが酔い潰れ、すぅすぅと寝息を立てていた。それに気が付いたタカは懐中筆を取り出すと、ツグの顔にまるで羽根つきの後のような落書きを施した。それを見てまたゲラゲラ笑っても、疲れからかツグは起きる気配が無かった。
咲はタカの所業に驚きつつも、次々と飛んでくる注文を受けては厨房に伝えていた。度々厨房から声が掛かっては、洗い物に付き合わされるだとか、破砕音が聞こえれば片付けに追われるだとか……せわしないこれらの業務を巴は意気揚々とこなしていたのだから、意外にも程がある。けれど咲にとっては心地良い働きに思え、どこか充実した時間なのも確かであった。
「だぁかぁらぁ‼ こんなんじゃぁ酔えんのよ‼」
その充実した時間を引き裂いたのは、カウンター席から響いた女の罵声であった。咲が驚いて振り返ると、恐らくは妖ではない女が、長之原啓子と言い争いを繰り広げているようだった。
「これは水だよ小娘ぇ‼ 酒を出せって言ってんだよさっきからぁ‼」
「はぁ⁈ 酒だっていってるじゃないっすかぁ‼ 酔えないとかそっちの都合じゃないっすかねぇ‼」
「無知にも程があんね‼ これだから最近の亡霊は信用なりゃせんねぇ、ええ⁈」
「上等っすよ酒カス女ぁ‼ 迷惑行為は女将に言いつけるっすからね‼‼」
一歩も引く気のない口論に、やけになって握られ飛散するグラス。売り言葉に買い言葉と、次々煽り台詞が飛び出す啓子。周囲の客もなんだなんだと騒然となり、咲は今、一従業員として責任を背負わされた気がしてならなくなり、直ぐにカウンター席へと駆けつける。
「長乃原さん‼ なにがあったんですか⁈」
咲の助け舟に、啓子は縋るような声をひねり出す。
「周防さん、聞いてくださいっすよぉ‼ この女の人がぁ……‼」
指さされた女は着物を着崩していて、顔は酒が飲めないとされる亡霊ならざる赤みを帯びていた。姿を認識している間にも、立ち上がった女はふらふらとまともに直立する気配がない。
咲は迷惑行為を糾弾しようと口を開く。しかし待ったをかけるが如く、女は窘めるような目つきへと変わったのだった。
「……へぇー? こんなことあるんだねぇ……」
「え?」
咲をまじまじと見つめる、卑しい一瞥。だがその卑しさは色恋沙汰などではなく、もっと残忍で狡猾な意味を持っていたのさ。
「―――今日はついてるねぇッ!!」
女はぱっと懐にあった単流星―――モーニングスターのような形状の武器―――を手に取ると、威嚇するように鉄球を叩きつける。脆弱な木の床には穴が空き、ただでさえ騒がしかった店内に悲鳴すら轟き始めていた。
「ひっ……⁈」
「ええっと、奴さん……周防咲、だったかぃ?」
「なんで知って―――」
すると飛び割り込んできたのは、女を睨む啓子であった。立ちふさがった啓子は両手を広げ、咲をかばおうという一心を見せる。だが女はただの亡霊に何ができる、と一切の調子を崩さなかった。
「……邪魔だよ、どきな。それとも痛いのが好きなのかい?」
そう言うあくどい笑みに対し、啓子はそれとは違う、怯えてはいたが強気に頬を吊り上げ対抗する。
「上等っすよ。今まで誰かを痛めつけた分の仕打ちくらい、受けないとっすからね」
―――命運が尽きるなら、恐らくココっすね。
そう覚悟を決めた啓子の背に、腹に、何本もの冷や汗が伝った。例え亡霊と言ってもここでは生身同然。あんなデカブツを真面に食らえば、ただでは済まないだろう。……だがその苦痛が、助けない理由にならないのだと、この地獄では教えられたのだから。
女は―――いいや、朝から咲の動向を伺っていた「慕火」は、苛立ちを隠せなくなる。ぐっと武器を握るのが分かり、啓子は思わず目を瞑った。
「へぇ……じゃあお望み通りに―――ッ‼‼」
鉄球は真っ直ぐに啓子を狙って振り下ろされる。あの時見た、百合子もこの恐怖を味わったハズだ。そう受け入れようと、痛みをこらえ―――。
「っ―――」
……だが、痛みはない。驚いて目を開けると、啓子を狙った鎖は咲より後方―――あの便利屋二人の方へと延びていた。
「―――ま、居ないわきゃないか」
タカの腕に捕らえられた鉄球は、泉の手によって断ち切られた。慕火はつまらなそうに鎖を手繰り寄せる。啓子は酷く安堵して、真っ赤な眼に涙を溜めていた。
「タカさん、泉さん―――‼ 助かったっす‼」
「おう、無事で何より。……で、何モンやアンタ」
同じく問い詰めるように、泉は刀を突きつける。慕火は大きく溜息をついて、下駄の緒を締めなおす。
「言わなきゃダメかい。この元祖焦土流派―――『慕火』の名を聞いたとて、分からないだろうに」
「……元祖焦土流派、か。しぶとく生き残っていたんだな」
「うげっ、知っていやがった……あー……どうするかねぇ……」
鉄球は無く、残りは鎖だけ。慕火が戦うにはこれしかない―――とブツを取り出すのよりも先に、合掌亭内を突風が吹きつけた。確実に慕火と便利屋二人を狙った鋭い風に、一同は外へと吹き飛ばされてしまった。
「―――あんた達、いい加減にしなさい‼‼」
そう。女将がカンカンに怒って、こ奴ら纏めて『締め出した』ってわけだ。女将は続けて、「どっちもどっちだ‼ 今日は入れてやんないからね‼」と吐き捨てて、玄関をぴしゃりと閉じてしまう。起き上がった泉は、やれやれと打った頭を抱えた。
「……仕方ない。ここで一戦、交えるとするか。……慕火、だったか?」
「そうさ、わちきは『元祖焦土流派』が一人―――噴火屋の『慕火』さね‼」
『御釈迦様は地獄の様子を御覧に入れた。汝の行いは報われるべきだ。なればこそ、その【糸】を掴むが善い』
慕火は蜘蛛の糸を取り出し引きちぎる。途端、辺りは小地獄―――《憤懣地獄》が包み込み、その様相を変えていく。吹き出流れる溶岩に、辛うじて立てる程度の岩石。そして吹きすさぶ火山灰―――と、噴火屋の二つ名に恥じない地獄が展開されたのだ。
そうなってようやく、タカは追い出された時の気絶から回復した。
「んあ……? なんや泉はん……って暑っつ⁈」
「さっさと構えろ、呆けている場合ではないぞ」
「へいへい、わぁったわぁった……‼」
二人は指輪を取り出し、中指へと差し込んだ。その途端、周囲の空気が更に複雑な形となる。二人の指輪はキィンと紅の光を放って、個々の結界を作り出していた。
「「結界開門―――散‼‼」」
「はっはぁ‼」と嘲るように笑った慕火は、その身を溶岩へと投じた。すると周囲の溶岩が徐々に盛り上がっていき、辺りに炎を散らしながら、慕火は巨大な溶岩の巨人へと姿を変えたのだ―――‼
『腹ン中の酒に火ぃつけてやる―――かかってきな‼‼』
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




