■捌節『休息の弱みを握り流され』
時はしばらくして、鴉がアホウ、アホウなどと鳴く日没となった。日没と言っても第二地獄の太陽が位置を移動し、その灯りを徐々に薄めていくだけに過ぎない。しかし夕暮れ空はきちんと見えるし、住人もそれに合わせて帰路に就いたりしているのだ。大通りを行く泉の視界には、鬼の子供達が「バイバーイ」とそれぞれ言い合って、「明日も遊ぼー!」と口約束を交わしたりしているのが映った。
新米との戦いは、その後も何戦と続いた。いくら打ち合ってもめげることなく、本人がとうとう限界を迎えて再び倒れるまで、一心不乱に向かって来ていた。故に流石の泉もほとほと疲れて、歩きもどこかぎこちなくなっていた。疲れにぼぉっとしつつ、鬼の子らを見て「……そうか、明日は休日か」と不意に安心してしまう程、今日はたいした一日―――もとい「仮称の休日」であったのだ。
些か面倒に鍵を取り出し回してみると、何時ものようにカチャリなどと解錠の音が出ない。偶々タカ外出の際にかけ忘れたのだろうか。しかし咲を置いて外出する程間抜けでもないし、一体何処へ連れていったのだろう? 泉は疑問に思いつつ、体重を乗せてドアを開ける。
「鍵、開いていたぞ―――む?」
ふと、眼前をもふりとした何が覆った。思わず掴んで見てみれば、それは咲が先程預かったぬいぐるみの付喪神であった。ぬいぐるみは付いた羽根を動かさずにふわりと浮かんで、それから泉に首を傾げてみせた。
当然咲達の事情を泉が知る由もない。泉は不審がって、咄嗟に刀へ手をかける。するとぬいぐるみは危機を察知し、慌てて持ち主である咲の腕の中へと避難したのだった。震えるぬいぐるみを見やりつつ、「……まさか、外で拾ったのか?」と泉は訝しげに、咲に問いかける。
「ええっと……外って言うか、上……ですかね……?」
「上?」
素直に真上を見上げた泉と困惑する咲とに、タカは口を挟んだ。
「あーすまんなぁ。また付喪神を預かってくれって頼まれたんでな」
流石にここまで言われれば、アリスとルイスの一件なのだろう、と泉は「ふむ」と納得した。しかしそれ以上にまあまあ気になっている部分は否めない。
「しかし……随分となついているようだな」
「珍しいやろ? しかもワイやなくて、咲ちゃんにやぞ」
付喪神は本来、信頼できる持ち主を魂から、記憶から選別し、仕えてもいいかなどと判断する奴らである。亀の甲より年の劫と言うように、生きている年数が長ければ、魂も成熟し信頼関係が良くなるだろう、と共通認識はあるようなのだ。だが今回は例外も例外、たった十年とそこいらの年齢である咲に対し、ぬいぐるみは非常に安心しきった笑みを浮かべて、膝の上に乗っかっている。
咲も嬉しいことなのだろう。嬉々として泉の疑問に食いついた。
「可愛いし、危険も感じないですし……多分そうだと思います。そして、もう名前も考えたんですよ!」
自身満々な咲を見て、泉はタカに鋭い視線を送った。視線に気が付いたタカも「……対処は任しとき。今は様子見でもええ」と真剣な小声で応を返す。
咲はぬいぐるみを抱き上げると、ビーズの瞳に目を合わせた。
「あなたは『エナちゃん』! シマエナガのぬいぐるみ、エナちゃんってどう?」
「エナちゃん」とはっきり呼ばれたぬいぐるみは、爛々と瞳を輝かせたように見えた。それから咲の胸に飛び込んで、ご機嫌な鳴き声で擦り寄ったのだった。
傍からタカは「やれやれ……」と溜息をこぼす。
「『エナちゃん』か。……あんな性格から、随分とまぁ可愛い名前やなぁ……」
「む……違いますって。エナちゃんは人見知りなんですよきっと。ね~?」
エナちゃんも勢い良く、短い首を縦に振った。それでも疑いが晴れないタカに、泉は何があったのか大抵察しはついていた。ここの付喪神が道具類ばかりなのも、偏にタカがこういった生物を模った付喪神の機嫌を損ねることしかしていないためだ。その様子だと、きっとエナちゃんにもつつかれるようなことをしたのだろう。
「……なんや泉。笑いこらえてんのは分かってんねん」
「いやいや、周防咲がそういう人間だったという可能性もあるだろう?」
「それで優先順位が変わるんやったら、ハッキリそうって言ってみぃ‼」
とうとうこらえきれず笑う泉と、一向に悔しくて仕方ないタカ。二人をよそに、咲は楽しげにエナちゃんをブラッシングしていた。タカがやった時とは大違いで、エナちゃんは今にも眠ってしまいそうな程、満足そうであった。
「はは……ふぁ……っ」
一頻り笑った泉に、疲れがどっと襲い掛かる。瞼は安心から重くなり、今にも眠ってしまいそうなほど。その欠伸を一瞥したタカは次ににへらと笑って、視線をまた霊符散らかる机の上へと戻した。
「泉はんも休んどき。後はワイがなんとかすっから」
確か、今日の掃除当番は泉だったハズだ。しかしタカは何でもないふうに「全てやっておく」と言ってみせた。その言葉に隠された本音を、泉はわりと直ぐに思い当たることができてしまう。
「いいが、タカはいつ休むんだ?」
図星を指され、うげっと苦い顔をしたタカ。咲も同調するように、「あ、それわたしも思いました。昼頃から作業してて、疲れないのかなって」と援護射撃を食らわせた。
「さ、咲ちゃん。人間は確かに疲れるし、元人間の泉はんも疲れる。けどな―――」
と、その先は泉も聞き飽きていた。
「「ワイは訓練されているから疲れない」」
「だろう?」
そう呆れたように笑う泉に「ぬぐぐ……」とタカは歯ぎしりをする。
「お前のことだ、『人間は今のうちに休むべきだ』……などと説いたのだろうな」
咲は共感を強め、エナちゃんと共に大きく頷いてみせる。
「うぅ……咲ちゃんはちゃうけど……ちゃうけどなぁ……‼」
俯き加減のタカは次に、小声で「……ワイは休むん苦手やねん……」とぼやいた。そこに「知っている」と被せた泉は、聞く耳持たずに机の上の札を纏め始めた。
「待った待った‼ まだ途中やってぇ‼」
「言い訳する位であれば、少しは言ったように手本になっておけ」
「せやけどぉ……‼」
ワーキャーと騒がしくなった事務所だったが、その喧しさの中でも咲の携帯からの着信音は明瞭に聞こえた。「天国と地獄」のサウンドであれば、相手は恐らく樋口巴だろう。もしもし、と咲が電話に出ると、だるそうに『すおうさぁん……』と縋る巴の声が聞き取れる。
「樋口さんどうしたの? こんな時間に……」
『聞いてよぉ……‼ あたし今日ずっと寝込んでるんだけどぉ……。何時まで寝てるんだって、女将がカンカンでさぁ……‼』
乾いた笑いしか出てこない咲を差し置いて、巴は事情を説明し続けた。
『それでさぁ、周防さんならさ、シフト代わってくれたりしないかなってぇ……』
「……んー……」
『お願い‼ 死んでるけど一生のお願いだし、今日だけだからさぁ……‼』
そこで咲が目を付けたのは、騒がしい便利屋二人であった。タカは未だ休むことを受け入れていないようで、今にも泉が布団に縛りつけでもするようにしか見えなかった。これを咲はグッドタイミング―――僥倖だと捉えた。
「いいよ、こっちはあの二人連れていくから、その分を樋口さんが払うってことで」
『うぇ……んでも、泉さんの分払うんだったら……別にいっかぁ』
「じゃあそういうことで」と通話が切れて、咲は直ぐに事の次第を泉に耳打ちする。泉にとっても僥倖だったのか、片笑みを浮かべた。
「今日は某も疲れた。だから合掌亭にでも行き、英気を養ったらどうだ」
「えー⁈ んなこと言ったってなぁ!」
「ふふん、泉さんに賛成です! わたしも今ちょうど、合掌亭のお手伝い請け負ったので!」
「はぁ?! なに勝手に―――」
完全に外食ムードとなって困惑するタカを、「好都合だったな」と嘲る泉。そこまでしてタカは観念しきったのか、ようやく肩を落としたのだった。
「ぐぎぎ……わぁったってぇ……‼」
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




