■弐章『心労の絶えない便利屋との朝食』
トントン、カンカン、と聞こえる料理の音をさておいて、咲は事務所の二階へと階段を登る。特に口止めとかはされていないものの、咲が二階の様子を目にするのは初めてであった。廊下に沿う形で扉が二つ、それから突き当たりの洗面台には動いている洗濯機。思ったよりも生活感のある雰囲気で、不安だった重要な何某は置かれていないようだ。
「―――二階って、こんな風になってたんだぁ……で、泉さんの部屋は……?」
目を開きつつ言葉をこぼし、咲は扉の前を行ったり来たりと右往左往。「……こっち?」と自信なさげに指をさし、片方のドアノブに手をかけた。キィ、と蝶番が軋み、咲は隙間から顔をひょっこりと覗かせる。
眼前には程々に整理された居室が映る。扉側の手前には布を掛けられた姿見と、奥には綺麗な床と対照的に、ごちゃついた木製の机が置かれている。朝日に輝く埃が閃きながら、ほのかな墨の匂いが心を正すようだった。「泉は寝ている」との情報から察するに、こっちはタカの部屋なのだろう。気付けば咲は興味本位で、タカの部屋を見回っていた。何と無く視線を映すだけでも、本人の真面目さが部屋の手入れ度合いから伺える。
「コレって―――誰だろう?」
机の上に焦点が合った時、ふと気になるモノが見つかった。それは無造作な物々の内で、一番手入れが為されている写真立てであった。顔を近づけると、ふぅっと冷たい風が吹き込んだ。中の写真に映っているのは、タカでも泉でもない、関連性が見いだせない一人の少女が振り返った瞬間。微かに笑みを浮かべて、何処か寂しそうにも読み取れる表情をしていた。
「……。ってか、こっちはタカさんの部屋だったね。わたしは何も見ませんでしたっと……」
―――おっと、抑々は泉さんを起こしに来たんだった。
咲はいそいそとタカの部屋を出て、今度は選ばなかった方の扉を開く。
またもキィと蝶番が軋む。ひょっこり中を覗くと、タカの部屋とは真反対の景色が広がっていた。床にはやたらとモノがあふれているのに、机の上だけはある種専用の領域さながらに整っていた。そんな有象無象の中心で、泉はぐっすりと眠っていた。横顔は美々しく、咲がこっそり覗き込んでいても気付く気配はない。
―――あっちの世界にいたら、きっと人気者だろうなぁ……。
不意に思ってしまう程、泉は顔が良い。寝ている姿を集めて売れば、それこそ収益足りうる程には、はだけた着物もぼんやりと開いた口元すら相俟って、色男の位が高いのだ。
咲はついつい頬が緩んで、呼び起こしもふんわり和らいだ声色になっていた。
「――泉さーん、朝ですよー……!」
しかし。泉は声を掛けられた途端、ものぐさそうに顔ごと布団を被ってしまった。咲の蕩けた顔に亀裂が走り、一変して表情が固くなった。
咲は直ぐに泉の布団を掴んで、勢いよく引っ張った。
「起ーきーてーくーだーさーいーっ‼」
「……っぅ‼」
だが泉も負けじと、纏った布団を掴んで離さない。咲が引っ張れば、泉は図ったタイミングで引き戻す。その度に立った埃がてんてこ舞いに散り飛んだ。
「昨日っ、起きるって、言ったとッ、思ったんですけどぉ……‼」
「……ぐっ……‼」
引き寄せ、引き戻され。引っ張れば、引っ張り返される。どうしても譲れない掛け布団を巡った戦いを数分続けて、咲がバテても泉は一歩も譲ってくれなかった。それどころか、段々と引っ張り方に技巧が凝らされて、そう易々と引き寄せることが難しくなる一方だ。こんなところで戦いの器用さを見せるこったないのにねぇ。
「っ……はぁ、はぁ……っ、抵抗するなら……っ、起きてくださいよぉ……っ‼」
―――こうなったら最終手段をとるしかない。
不確定要素が大きいが、これも修練の一つだと言い聞かせ、咲はタカから借りている指輪をはめてから、もう一度布団を強く引っ張った。その時指輪がちらりと光り、途端に泉の力加減が単純になる。
「―――ここだ‼」
後は少しフェイントを挟むだけで、掛け布団はとうとう引き剝がされたのだ。バサッと掛け布団が宙を舞い、戦いの最中で姿勢を変えたのか、猫背で丸まっていた泉の姿があらわになる。咲は反動からかバランスを崩し、尻餅の勢いで背後のゴミ箱に骨盤をぶつけてしまった。
「―――痛ったぁ⁈⁈」
拍子に中の紙くずが、元々散らかった部屋へと更に散らばっていく。泉はと云うと、物音に振り向く飼い犬のように、姿勢はそのまま首だけを振り返った。眉間はパッと見でも筋張っているのが分かる。
「……何用だ」
そう凄まれても……と、咲は苦笑いを浮かべてしまう。
「……昨日、早起きするって聞いたから……起こしてくれって頼まれて……?」
「……そう、だったな」
泉は未だ不機嫌そうだったが、意外にもスッと立ち上がりスタスタと部屋を出ていった。やれやれと思いながらも、咲は打った部位をさすりながら、ゴミを片付け泉を追いかけた。
「もぉ……。……お尻痛い」
「「いただきます」」
「……あっ、いただきます‼」
思い出したように手を合わせ、やっと朝食の時間がやってきた。先の色々で疲れ切った後の、一汁三菜の温かな湯気と香りは、今の咲にとって地獄ならではの天国に思えた。現世では高騰していた玄米の食感、深い味わいが特徴の変わった漬物も絶品で、味噌汁はどの世界でも大正義と言えるだろう。そして本日の主役である、盆の中心に置かれた……おか、れた……。
「……。あのぉ……コレ、何の魚なんですか……?」
それは魚の切身である事に恐らく間違いはない。しかし太く鋭利に飛び出た肋骨に、何故か真っ赤に染まったこれまた太い背骨。一応赤身は鮭らしい色なのだが、安心感は見た目のインパクトに敗北していた。タカは何かに気が付いたのか、少し身体が跳ねた。その後震える声で、なんとか「誤魔化そう」……と必死であった。
「あっ……ええっとなぁ。じ、地獄で取れる『鮭』……やんなぁ」
「やっぱり……鮭、ですよね?」
「そうそう、鮭や鮭。変なモンやない……」
返答に唸りで返す咲。まじまじと『鮭』を凝視している間にも、泉は件の鮭をバリバリと食べ進めていた。
「……人間が食べてもダイジョブですかね……?」
上げた真顔で今度はタカの目を真っ直ぐに見つめる咲。タカの背に冷や汗が伝う。
「お、おう。問題は無いと思うで、多分……」
「……」
咲は視線を戻し、少々悩んだ後慎重に魚の身をほどいていく。恐る恐る一片を口に運んだ瞬間―――。
「……美味しい」
感じたのは、塩鮭に似ているものの、辛味が確かに存在する独特な味付けの「鮭」であった。そう、紛う事ない「鮭」だ。少し油っぽいと云う部分でさえ、日本人の咲にとっては中々の味との評価に落ち着いた。骨にさえ気を付ければ、ただの美味しい「鮭」だったのだと、咲も様子を見ていたタカも安堵した。そんなところで、平和な朝食の再開―――の、ハズだったのだ。
「だろう。罪人の血液は、天然の香辛料足りうるのだからな」
「「……は?」」
天然の香辛料と例える、天然の爆弾発言が飛び出した。結界は関係無いのに、場の空気がさっと変わった気がしてならない。
「……ええか泉はん、知らん方がええこともな―――」
「知識は多いに越したことはないだろう? わかっていれば怖くない、とも聞いたぞ?」
「……あー。えっとな、そのぉ……」
「……罪人の、血。けつ、えき……?」
最早これまでか。青ざめる咲に申し訳なさもあったが、タカは全てを諦めた。
「そうだ。本地獄で罪人の拷問に使われた、未練ある鮭の切身だな。だが熱することで血液の成分が分解され―――」
「……あ、あはは……」
「周防咲、顔が青くなっているがどうした?」
……咲の脳裏によぎったのは、「人間の血液を食した」と云う事実だけ。しかしそれは名状しがたい恐怖心を奮い立たせ、あっという間に理解不能へと陥らせる。直後、箸がころん、と床に転がった。
「―――い、泉はん、枕‼ なんでもええから、足高くせんと―――‼」
「よくわからんが分かった‼」
「咲ちゃん、咲ちゃーん‼ 戻ってこぉーい―――っ‼‼」
折角の静かな朝だと云うのに、事務所は火が付いたような騒ぎだったのだそう。
さて、火元には彼女が居て然るべき、と云うのが「奴ら」―――以前便利屋と敵対した「慕火」とその一味にとってはの当たり前なのだろう。便利屋二人を見張る様に窓ガラスを覗き込んで、慕火は携帯電話を耳に当てた。そこからはとんがった男の声が漏れて聞こえる。
「―――で、どうだったんだ『ボヤ子』」
「ん? なにが?」
……朝から千鳥足を踏んで、慕火は飄々と首を傾げた。呆れた様子の男は溜息をついて、慕火にツッコミを入れた。
「いや忘れたワケじゃないでしょ。『呼び寄せた人間』は、どうだったって聞いてんの‼」
「あー、ええっと……っとっとっと……」
ガシャン、と男の耳に、慕火が何かしらへぶつかった音が届いた。
「……お前、まぁた朝から酒飲んでんのか。ま、らしいけど」
「へへへっ……ひっく」
慕火は悪びれる様子は無く、男の方も何時もの事で好感が持てる、と咎める風ではなかった。やがてふらふらと慕火は立ち上がり、ヒックとしゃっくりひとつ、それから言葉を続けた。
「そうそう、あの子は今ぶっ倒れたよ~、ひっひっひ……」
「……は?」
「よくわからんけど。まま、計画通りに引き剝がすさ。心配すんなって!」
男は唐突に投げ込まれたよく分からない状況を吞み込めず、不意に慕火へまたツッコミを入れてしまった。
「……あのな。計画はいいけど今心配すんの、人間の方なんだけど」
「ん~?」
「やれやれ……」と呟く声がハッキリと聞き取れた。男にとってここまでに有意義な会話は特になく、引き続き監視を任せる、と云う意味を込めつつ―――。
「……じゃ、引き続きよろしくー」
……と、半ば強制的に通話を切ったのだった。相変わらず酔っているのか、慕火は何度も「お~い」やら「もしも~し」と呼び掛け続けている。通行人の視線は冷ややかなものだった。
「―――んじゃ、時間まで飲んで待つか。よいしょっと……」
やがて頭に理解が及んだのか、慕火はその場にしゃがみ込んで、懐からまたも酒の缶を取り出した。当然、こんな女に便利屋二人―――そして「呼び寄せた人間」が狙われている事は知らぬ存ぜぬ。この休日はただでは終わらないのだと、状況が物語っていたのさ。
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




