■序章『寝坊したなら銅鑼の音を』
皆様、聞こえておりますでしょうか。
時に人間と云う存在は、手を止めて休息をする必要があるのだと聞きました。何かをする原動力の確保―――とでも言いましょうか。延々と苦しんで、もがいて、努力を重ねるのも一興、しかしその苦しみを乗り越える余力が無ければ、人に限らず力尽きてしまうようです。
……そこで雪分は確認しました。「その時間があれば、難問は解ける。でも力尽きてしまえば、難問は解けないのですね」と。「そうそう、そういうこと。明日詳しく聞かせてやろうか?」調律者さんは確かに、そう言ったのです。
広義的に「口約束」の範疇ではありましたが、調律者さんのお話は役に立つかもしれないし、無駄かもしれない。けれど役に立つかもしれない……と考え、答えが出ないまま。今日調律者さんの住む本殿に足を踏み入れたのです。
この時間であれば、調律者さんは目覚めて然るべき……と本人が言っておりました。でも調律者さんは目の前で、布団にくるまって未だ眠っているようなのです。本殿に祀られたお稲荷様は、それを呆れた様に眺めているのに対し、雪分は本当に眠っているのか……なる疑問を覚えてしまうのです。
試しに少し、人差し指でつついてみることにしました。狸寝入りならここで目覚めるでしょう。結果として、一切微動だにせずに寝息をたてるばかりでした。
続いてやや大袈裟に、全身をゆすってみることにします。浅い眠りならここで目覚めるでしょう。結果として、鬱陶しそうに手を払い、頭まで布団を被ってしまいました。これは本格的に眠っている……と云う事が証明されたのです。
そこで―――雪分に電流が走ります。
本殿にある大きな銅鑼を―――重たく引き摺って―――調律者さんの近くまで持っていきます。記憶界の外では何やら「寝起きドッキリ」と云う概念があるようで、こうして大きな音を用いて叩き起こし、その反応を見る……少し悪趣味だとは思いますが、起こす事に至っては最適解かもしれない、と思い立ったのです。
そして雪分は、引き摺る音でも目が覚めない調律者さんを見やり、バチを振りかぶりました。
「―――ぅわぁぁッ⁈⁈」
銅鑼の衝撃的な音は、鳥居でくつろいでいたカラスでさえ、足を滑らせ転げ落ちる程の衝撃だった。私は思わず頓狂な声を挙げて、布団から飛び起きた時に腕を軽く捻ってしまった。目の前の雪分には、ぼさぼさの髪で目を丸くした、無作為な「調律者さん」が映ってしまっているだろうねぇ……。
でも雪分は雪分で、きょとんとした顔を見せたと思えば、バチを持ったまま丁寧に挨拶をしてくれた。
「……調律者さん、おはよう、ございます……?」
「……」
二度も不意を食らって、私もそこで意識がハッキリとした。
「あっ、お……おはよう、せっちゃん……うん」
「……ん」
しかしどうにも可笑しな話だ。雪分は何か用事でも無い限り、本殿まで顔を見せる事はない。今日はれっきとした休日だし、特に誰かが暴れている気配もしない。そもそも私は朝目が覚めて「休日なのだから」と二度寝を満喫したかった……というのにね。
「そのぉ……なんで起こしちゃ……くれたのかなぁ……?」
すると雪分は首を傾げて、心底不思議そうに見つめた。
「……約束?」
「あっ」
あー……。申し訳ない、撤回するよ。今日はれっきとした休日ではない。うん。しっかりと思い出したさ。いやぁ、失敬、失敬……。
「そう、そう……そうだったそうだよねー! ええっと、じゃぁ準備し、しようかねぇ……」
「……?」
私が必死に取り繕っているのが分かるのか―――いや分からないで欲しかったが―――雪分の瞳には疑いの文字が浮かんでいた。
「ぅ……忘れてないよ、ダイジョーブー……着替えて来るね、うん!」
……これ以上印象を悪くしてはいけない。本能がそう囁いた直後に、私は何食わぬ顔でいそいそと本殿を抜け出した。後ろ手で襖を閉めると、漸く溜め込んでいた息が吐き出され冷や汗が伝った。正直に言うと、今日の雪分との約束を完っ全に忘れていたのだ。だから二度寝も酷く動揺もしたし、それを彼女に気取られないかと怯えていたのさ。
遠くではカラスが「アホー、アホー」と鳴いている。くっそぉ、見下してくれちゃって。眠る阿呆に見る阿呆、起こさないアンタも阿呆だっての‼
さて、改めまして。
よってらっしゃい、見てらっしゃい。お代は要らない、ただ聞いてくれるだけでいい。
一見退屈な日常の一幕、物語に隠された、『休息』の戒めと手引き―――聞いてやってはくれないかい。何時か伝え聞いたと語りでもすりゃ、ソイツの肩の力が抜けるだろうさ。
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




