■玖章『河津桜が託した迷い断ちの刃』
直後、激しい地鳴りと岩の雨が訪れる。見ると頭上の岩石―――月であろうか―――は今にも、泉のいる窪地へと穿たれ落ちようとしていた。唯一、重力に逆らって柱となっていた鎖は、錆びてミシミシと音を立てていた。
と同時に、僧がその重たい足を上げた。タカの指示に従って、泉を決して窪地外へ上らせまいと、杖を振り上げ襲い掛かってきたのだ。
泉は杖に向かって刀を垂直に構え、正確無比に受け止める。カンッ、と武器同士の打ち付ける音。僧は続けて何度も、何度も杖を振り下ろす。打ち付け合いは互いに譲る気などはない―――そこに割って入ったのは、妖魔タカの操る鎖の一閃。僧は擦れ擦れで同士討ちを避けたが、敵が一体でないと気が付いたばかりの泉には、地をえぐり貫かんとする鎖は避けきれない。一撃目こそ体制を崩すだけで済んだのだが、立て直しを待たずして襲い来る二撃目の鎖を、あろうことか腕で受けてしまったのだ。
泉は亡霊の身体であるからか、攻撃でえぐれた腕には血が流れない代わりに、硝子が砕けたような穴が開いてしまっている。
「くっ……ッ‼」
月は震え、未だ岩石の雨は止まない。にも拘らず、一切も欠けていることはなくそこに存在するばかりであった。月を固定する鎖を守護する妖魔タカ。命で御方の下に辿り着かせんと阻む鼈僧。
泉は傷ついた腕を抑え、キッと先を睨んだ。タカも睨み返し、容赦なく狂言を吐き捨てた。
「……誰だろうと我の下に近づかせるものか。そのまま愚かな理想を抱いて死ね、泉ぃ‼‼」
進言を皮切りに、鼈僧が再び泉へと進撃に迫る。負傷しまともに刀を振るえない泉は、愚直で安直な攻めでさえ突破することができないでいた。鍔迫り合いが精一杯、一転攻勢は至難の業。剣戟の音は月を振動させ続け、一辺が崩れた途端に再生していくのが見えた。確認の最中も、とうとう動き出した二人目の僧が一騎打ちを破って、傍観から攻めに転じた。一方の相手で既に手一杯の泉は、足搔きを見せ競り合っていた僧の杖を弾き飛ばした。……だが杞憂に過ぎず、二人目から繰り出された次の攻撃の対処の隙に、飛ばした杖が元に戻ってしまう。
泉は必死に頭の中で状況を俯瞰しながら、丁寧に、一つ一つの攻撃を返し続けた。時折邪魔立てする鎖に魂を削られながらも、僧の足を引っ掛け転ばせるだの、再び杖を手放させるだの、趣向を凝らしつつ戦いを進めていった。
……それも無駄だと言うように、僧は何度も体制を取り戻す。妖魔タカの援護攻撃も相俟って、泉はじわじわと、限界へと追い込まれていく。息を懸命に吸い込んで、妖魔タカに威勢良く吠える程度しか、既に抵抗できなくなっていたのだ。
「これが……ッ、これが貴様の言う理想か……ッ‼ タカ‼」
妖魔タカは立派な吠え面だと感心し、不気味に首を傾げて見せる。
「問われれば、否だな。理想たるは泉、お前であり―――我は貴殿が諦め潰え、初めて理想を成就したとみなせるだろう」
「希望論か……ッ、随分と余裕そうに……‼」
「余裕だとも。何時だって我は、余裕を持ってお前を扱っていたさ―――‼」
不意に泉を、電流のように一瞬で入り込んだ映像が襲った。脳裏を占拠するよその思考―――持ち主はタカである―――に、泉は不快感を覚えた。
タカは初めて泉と出会った時、既に自らの結界が影響していたのだと気が付いていた。それが迷惑極まりない行為だと知って、その力を封印すると律していたのだ。……しかし既に、泉との縁は繋がった。タカは単なる優しさを持って、泉に付き合うと決意していた。
―――やったもんはしょうがない。腹括って、コイツと仲良くしたるか。
泉はハッとする。背後から迫る僧は、既に首をぎっしりと掴んで捉えていた。ほどこうと身をよじるも、締め付けは強くなる。泉は精一杯の抵抗とばかりに、僧の腹を蹴りつけて、ようやく拘束から抜け出した。未だ息を荒くする泉を、躊躇いない鎖が狙う。黙って喰らうわけにはいかず、泉は次々と突き立てられる鎖を走って抜けていく。
鎖が頬をかすめたとき、再びタカの記憶が瞬いた。泉が仕留めそこなった夜のこと―――泉は何故手加減したのか。タカが泉を人殺しになどさせぬと、力をよそに引き寄せ分散させていたのだ。
ちらついた記憶が泉に頭痛を呼び起こす。その刹那を捉えられ、背後から振るわれた鎖の鞭は泉の背骨を砕いて、とうとう逃げることすら困難となった。
僧はここぞとばかりに近づいて、殴る蹴る、叩き付けると一方的な攻撃を繰り返す。
泉は薄れゆく意識の中で、タカの顔を見た。―――なんだこの程度か。そう舐められているようで、不快感と無力感が立ち上ったのだ―――。
『―――河津桜』
その時、ここにいる誰のものでもない囁きが窪地に反響する。発生源は―――泉が持っていた、古き刀だったのだ。一同は困惑を隠せぬうちに、刀から桜吹雪が巻き起こる。花弁は泉を取り込んで、そのまま刀の方へと踵を返していく。
やがて吹雪も木霊する声も止んだ時、そこに泉の姿は無かった。代わりに、触れることを許さない木の根が突き刺さった刀を囲むように伸びていき、妖魔タカの地獄は一時の静寂を迎えたのさ。
気が付くと、泉の傷は消え失せていた。腕に空いた穴も、折られた背の酷い痛みも、まるでハナから無かったように。辺りを見渡すと、円形で中央の隆起した丘に立ち尽くしていたのが分かる。地という地を桜の花びらが覆いつくし、壺のような壁面から割れて覗く星空と、ちらつく桜の静かな雨。―――そして、泉にとって最たる目的であった人物が、丘の頂点の桜の袂に、背を向けて立っていたのだ。
その人物というのは、泉と同じ墨色の髪をしていて、振り返る顔は何処か優し気で、朗らかな笑顔を泉へと向けた。正体は―――泉が第二地獄で探そうとしていた、愛すべき弟「霧波雫」であった。
「―――兄上様。お怪我はありませんか?」
「蒼雫―――」
「もう、兄上様。その呼び方はお止めくださいと云ったでしょう。子供ではないのですよ?」
くすっ、とほくそ笑む雫。何百年も追い求め、艱難辛苦の度思い出していた笑顔が今、確かに眼前にあるのだ。泉は居ても立っても居られず、花弁の山を駆けて雫の元へ向かった。
手を伸ばし、しきりに名前を呼ぶ。―――雫、雫……と。だが触れようと雫の身体に触れたとき、幽霊かのように透けて、腕が空を切る。雫は申し訳なさそうに、目を伏せるだけであった。
「……ッ」
「兄上様……」
「いや、良いんだ。……それよりも、此処はいったい―――」
「兄上様が使っていた刀―――閻魔霊刀の中、と言いましょうか」
星空とこの広場を隔てる壁―――その隙間から溢れる風が、積もった花弁を舞い立たせる。
「ここからずっと、兄上様を見守っていました。こうやって手を伸ばせば、兄上様の力となるのです」
「雫……まさか今迄、某は雫に助けられていたのか……?」
「そうなると思います。あの刀は本来、何物も切れはしないでしょうから」
さて、と雫は改まる。背後の桜は風になびいて、まるで一つの失言も許さないと威圧しているように、ざわざわと騒ぎ立てていた。
「兄上様、彼を―――タカなる者を、どう思っているのですか?」
「どう……だと?」
「吾が思うには……兄上様が彼を嫌っている訳でなく、むしろ助けたいと行動しているのではないですか?」
「……」
―――今になって、ようやく理解することができた。
泉はタカと接するうちに生じた感情、その不自然さに王手をかけることができた。「助けたい」……というのは図星である。あの、如何にも救いを求め行動する弱き男は、算段だとしても根底には「優しさ」が確かにあったのだ。……そうでもなければ、辻斬りに同情するなど不可能だろう、と。
タカの結界が泉を引き寄せたように、泉をよそに引き寄せることも、とうに出来たのだろうから。
「……そうだ。某は、タカを助けたいと思っていた。某のことなど考える必要などない、手配された悪人と、そうでないタカとの縁を、断ち切ってしまいたかったのだ」
「その心は―――偽りないようですね」
桜の木へと歩み寄り、手を添えながら雫は言った。桜の根は生き物のように地を滑っていき、壁を這い登り、ゆっくりと滑空するが如く下降し、その先端を泉へと向けてみせた。
―――恐らく、次の決断次第では、生きて帰さないつもりなのだ。
「では問います。兄上様が欲している―――断ち切りたいと心から望むモノは、なんですか?」
「―――某は」
……全ての音が止まり、泉の息を吸う音だけが聞こえた。
「―――『誰かの迷い』。某は、迷いを断ち切り、この地獄を生きていて欲しいと望んだ。……その迷いは、タカだろうと、某だろうと、断ち切り次へと進む『力』としたいのだ……‼」
―――雫が見せたのは、驚きと喜びの入り混じった顔であった。不意に桜は大きな風に煽られて、その花弁で再び泉を包み込んだ。優しく、そっと、元の場所へと戻すように。
泉の身体は浮かんで、天蓋の外へと流されていく。そして―――当分聞けないであろう、雫の最後の声が、響き渡ったのだ。
「―――兄上様がそう望むなら、迷いなく吾の力を振るってくださいね」
桜の花弁は、泉を妖魔が司る地獄へと誘った。桜吹雪は一丸となって刀を渦に包み込む。晴れて現れたのは、泉の姿と―――妖魔が求めていた、刀そのものであった。
「なっ―――閻魔刀……⁈」
「―――さて」
泉の瞳は、先程の弱々しさを捨てきって、凛と輝き前を向いていた。
「タカ―――たった今から、『決断』させてやろうぞ―――‼」
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




