■捌章『月は亀を高望みだと嘲笑う』
この時点でタカの意識は朦朧としていたが、自身の行動の意味を振り返ることくらいは既に出来ていた。自らの結界が狙いすまして泉を引き寄せ、無理矢理にも縁を作り上げ、その上で半ば自棄したように優しく振舞おうとしていた―――それらは赤の女王がタカに吹き込んだことであっても、的を得ているのは確かだったのだ。
ただ、不安定になった心に入り込んだ赤の女王の呪術によって、泉から見れば酷く冷静に、虚ろな目をしているということは、意識の外故に触れられず認識することもできないでいた。
「……ッ、何時からそこに……‼」
「関係ないやろ。答えてくれっか」
焼きが回ったと動揺する軽い言葉を、タカはぴしゃりと問い質し潰した。今迄目にしてきたどのタカと比べても異質さは滲み出て、泉は一層緊張感を逆撫でされているようだった。
―――しかし今こそ、目的を果たす引っ掛けにもなり得るだろう。ツグとの会話で決意した「黒幕たるタカと決別する」……泉はそれこそがこのタイミングだと悟り、呼吸を整えてタカを見やった。
「『関係ない』とは此方の台詞だ。……何故お前がそのような事を気にする」
「いいや関係ある。……アイツに何言われたか分からんけど、下手なことせん方がええで」
既に赤の女王からの言伝で、泉とツグが接触し行動を起こそうとしていると知っている。その行動が何であれ、タカは裏切った友人の影響を受けて、泉が心変わりを起こしたと信じてやまなかった。
泉も泉で、イアが一枚嚙んでいるのではと勘ぐっていた。互いに沈黙が流れ、口火を切ったのは泉だった。
「―――考えた上での行動だとも、お前は『信用に値しない』と、見切っただけだ‼」
「は―――⁈」
泉は酷く狼狽するタカを差し置いて、「もう二度と合うこともないだろうな」と残し扉を開け放った。……分かっていた、想定していた状況だというのに、遭遇した時の金縛りはなんなのだろう。泉は迷いなく縁を断ち切ろうとしていて、タカは次に何をすべきか、判断がつかなくなっていた。結果、零れた言葉とその行動というのは―――。
「……何が」
「何が気に食わないんや、何が、誰が、アンタを傷つけたんか、答えろや―――‼」
―――指輪が光り、泉の身体は壁へと引き寄せられた。泉が不安定であったあの夜は立場を変え、今はタカが泉を圧倒している。不安定であるのも、泉でなくタカの方だというのに、本人は構いなしと憤慨し、動けない彼に詰め寄っていく。
「……ッ、やはり……最初から狙って……図ったのか……ッ‼」
「さっきから一人で話すな‼ 正直に言えよ‼」
「五月蠅い‼ 陥れようとした貴様が真実を問い詰めるな‼」
―――もう互いに要領を得ない。それは第二地獄で好ましくない、拷問行為のような惨状であった。元々玄関先に立てかけてあった絵画も、水を差したばかりの花瓶も、騒動に巻き込まれ滅茶苦茶にされている。
「あのなぁ‼ 何が気に食わないかって聞いてるんだ‼」
タカは鬱陶しくなって、しかりつけるかの如く威圧的に泉への結界の出力を高めていった。しかし泉は何処までも往生際悪く、切羽詰まった状況で下した決断が不正確だと気が付けなかった。
次の一言で、泉は結界から解放を果たす。最も簡単で、愚かで無警戒な、たった一言であった。
「―――敢えて言おう、『他者に優しくあれば意のままになる』という馬鹿らしい妄想が決め手だったと‼」
「んなっ……そんなこと、考えてすら―――」
「一度でも信じようとした某が愚かだった……‼ 貴様は某を信じようとなどしていない、寧ろ裏切るような真似をしているのだぞ‼‼」
タカの暗いだけの表情が、一変して悟ったように張り詰めた。結界は泉を手放し、その手は今度頭を押さえつけるばかりだった。そうでもしなければ、「裏切った」などということを受け止めも出来なかったろう。
「うら―――そんな、そんな訳が、ある、ない……」
……言い切れない。タカの脳裏には、既に幾つかの証拠が並び揃っていたからだ。
幽鬼神道町、基い第二地獄で手配されていた、『辻斬りの泉』。最初に優しくしてやろうと思ったのは、今迄『優しくすれば改心してくれるだろう』という淡い期待の上だったと認識していた。しかし言い換えてしまえば、泉の言う通り『優しくすれば意のままに泉を変えてしまえる』と心底にあったのだろう。
そのような、タカにとって汚らしい野望が身の錆となって顕れていた。今にも恥じらいで壊れようとしていた理性に、ぽつりと誰かの声が反響した。
『御釈迦様は地獄の様子を御覧に入れた。汝の行いは報われるべきだ。なればこそ、その【糸】を掴むが善い』
「あぁ……ぅあああああああああああアアアッ‼‼」
突如、タカは正気を失ったように叫んだ。泉を玄関から引き剝がし、事務所の外へと飛び出していったのだ。……泉には、駆け出していくタカを誘い出していただろう幻聴じみた声が、徐々に遠ざかっていくのを認識できていた。
【糸】がなんなのか、タカはどうなるのか。その得体の知れない現実が、泉に強い危機感を叩き付けた。きっとこのまま逃げるなど、万年後悔するだろう―――。
「―――くそっ……‼」
泉も同様、事務所の玄関を尻目に、灯りの消えた幽鬼神道町へと駆けていった。空に似た天蓋には、狂ったように揺れる星々がふらついている。タカを中心として力場が乱れているのが肌で感じられた。最早気配は人ならざるモノにしか思えなくなり、事態はみるみるうちに最悪へと向かっていることがぼんやりと分かってしまう。
幽鬼神道町をはみ出して広がり、影響を強めた結界の中では、深夜の静寂から一転して騒々しくなっている。再会したくなかった人同士がいがみ合い、万遍なく不運を引き寄せ散らし、知りたくない本音ばかりが秩序を亡き者としてた。泉はそれらの罵詈雑言を、不平不満の霰を突っ切って、タカの後を我武者羅に追いかけ続けた。
距離は徐々に詰まっていく。―――もう少しだ。もう少しで、今迄の勘違いを伝えることができる。泉はタカを追いかける中で、最後に残った謎の答えを見つけていた。その僅かな力だけが燃料となって、足を永遠と動かせるようだった。
……だが、泉のその希望は間もなく飛散することとなる。閻魔庁の大門の上―――輝き垂らされた一筋の、曰く【糸】の下に辿り着いたタカは、息を整える最中にイアと―――赤の女王と再び相まみえることとなった。
「……呼んだんは、アンタか」
赤の女王は頷いて、それから【糸】―――『蜘蛛の糸』を握るよう、黙って促している。遠くではしきりに泉がタカの名を呼んでいた。一瞥こそしたが、憔悴しきった今のままでは、蜘蛛の糸の魅了には抗うことなどできない。
「タカ―――‼」
泉の制止虚しく、タカは蜘蛛の糸に触れてしまったのだ。
タカの意識はぐるりと歪んで、その身体も魂も、蜘蛛の糸が繭のように吞み込んでいく。
……生々しい欲望が、その気味悪さが、一帯を包む。周囲の景色は泉の周りからも変わっていく。カルデラ状の窪地、その頭上に吊し上げられた、科学的に証明された凸凹の月。それが生む影から這い出たのは、決して高く飛べるハズなく彷徨う、鼈の部位を有した高宗二人。
そしてこの新たな小地獄―――《高望地獄》の主が、蜘蛛の繭から解き放たれた。白く蝕まれた長髪。結い上げるは頑丈な鎖。瞳は怪しく赤らんで、にぃっとかつての笑顔らしく笑って見せた。
ここに、地獄を統治するに相応しい、「高望の妖魔」が降臨したのだ。
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




