第4話 『慢心』
シエルとの生活が始まってから、早二週間。
この家は極めて小さいため、庭が存在しない。
だから、魔術の練習をする時は決まって辺境の平原へ出なければならない。
とはいってもそこまで遠くはないため、大した手間ではないが。
二週間も経つと、段々生活にも慣れてきた。
シエルは母親のような、だがどこか姉のような存在だが、実際は師匠であり俺の初恋の相手だ。
小学生が近所の可愛いお姉さんに一目惚れして、叶わぬ恋を煩うみたいな。
「師匠、僕が大きくなったら結婚してくれますか?」
「そうですね……ベルが私よりもすごい魔術師になってから気持ちが変わらなかったら、その時にまた考えてあげましょう」
探ってみたが、シエルはほとんど流すような口調で俺の気持ちをあしらった。
わかりきっていることだったのでダメージはないし、むしろ将来の目標ができた。
シエルを超えて、結婚するという目標がな。
もっとも、これが一過性のものにすぎない可能性も否定できないが。
「でも、ベルの成長は早いのでありえない話じゃないかもしれませんね」
「本当ですか!?」
「まさか、たったの二週間で水初級魔法を網羅してしまうとは思いませんでしたよ。
あなたを捨てた親御さんはもったいないことをしましたね」
師匠の教えの賜物ですよ、本当に。
「そういえば、ベルの誕生日はいつでしたっけ?」
「十二月の二十四日です」
「おや、私と同じじゃないですか」
「えっ」
これは運命というやつかもしれない。
「やっぱり、今すぐに結婚するべきですね」
「それはちょっと難しいですね」
……なんて軽口が叩けるくらい、俺の心は修復されつつある。
毎日一緒に笑って、時々俺が悪いことをして叱られて。
そんな当たり前の日々が、どれほど恋しかったか。
シエルのおかげで、俺が感じたかった温かさを存分に感じることができている。
「今後、ベルが成長して一緒に旅をすることになったら、一度ケントロン大陸に戻るのも手ですね」
「ケントロン大陸って、確かシエルさんの出身校がある?」
「はい。世界で最大規模の魔法学校があるので、ベルをそこに入学させ、私は教師として学校に入るというのも夢ではありません」
なるほど。
でも、それだと師匠を独り占めできなくなってしまうな。
学校に入学する必要がないくらいに成長しておかなければ。
「まあ、私は教師になれるほどの技量を持ち合わせていないので、その時はまた勉強を始めないとですね」
「ずっと気になっていたんですが、そんなにレベルが違うんですか?
聖級魔術師でも十分すぎるほどすごいのでは?」
「上には上がいる、ってことですよ。
入学時には既に聖級だった人もいましたし、その人に至っては卒業までに覇級になっていました。
親の意向でまだ中級だったのに入学させられて……昔はよく馬鹿にされたものですよ」
なぬ。
師匠を馬鹿にするような輩がいたのか。
俺が魔術でボコボコにしてやりたいと思ったが、無謀もいいところでした。
それにしても、
「師匠も、親関係で色々あったんですか?」
「ええ、まあ。実を言うと、ベルと同じように魔術に厳しい家庭でしてね。
なまじ魔術が扱えてしまったから、変に期待させてしまったのかもしれませんが。
なので、卒業後は家に帰らずに旅に出ると手紙を残してそれっきりです」
そうだったのか。
こんなことを言うのはあれだが、どこか親近感が湧く。
違うのは、本人の才能だけってところか。
「よし、そろそろ仕事に行ってきますね」
シエルはそこで話をバサッと切り、おもむろに立ち上がる。
いくらこんなに小さな小屋に住んでいるとはいえ、生活費はどうしても必要になってくる。
俺に稼ぐ術などあるはずがないので、シエルが単身で冒険者活動をしながらそれを稼ぎ出してくれている。
俺にも手伝わせてほしいと頼んだが、「さすがにまだ早すぎる」と断られてしまった。
だから、日中は大抵一人で留守番だ。
「いい子にしているんですよ、ベル」
「はい。気を付けて」
長い杖を背に、シエルは扉の向こうに消えて行った。
一人でいることには慣れているが、暇なものは暇だ。
いつもは昼寝をしてシエルの帰りを待っているが、今日はあまり眠たくない。
旅人である以上、シエルは必要最低限のものしか持っていなかったため、俺が時間をつぶせるようなものは何もない。
「うーん……」
何気なく立ち上がり、机の前の椅子へよじ登る。
が、
「いでっ!」
バランスを崩し、床に頭を打ちつけてしまった。
そのままお陀仏なんてことになったら、シエルは泣いてしまうかもしれない。
痛みに顔を歪めつつ、今度こそ椅子に登り、机の上に置きっぱなしの分厚い本を手に取る。
何とかそれを抱えたまま椅子から降りて、床に胡坐をかきつつそれを開く。
表紙には、『魔術教本』と書いてある。
シエルは夜になって俺がベッドに入ると、よくこれを読みながらうたた寝をしている。
名前からして、魔術の教科書みたいなものだろう。
「うわぁ、読めねぇ……」
目次を開いてみたが、全然読めなかった。
魔術と一緒に読み書きなんかも教えてもらっているが、まだまだ読めない文字は多い。
こりゃ、読んでても意味なさそうだな。
「……これは?」
そう思いつつ、本の上部に挟んである付箋のページをめくる。
すると、付箋とともに何やら一枚の紙きれが挟まっていた。
「――」
それは、詠唱文だった。
そうわかるように、俺でも理解できる簡単な文字だけで書かれていた。
いうなれば、漢字を一切使わず、ひらがなだけを用いているってイメージだ。
シエル……俺のためにここまでしてくれるなんて。
そう思うと、何だか涙が溢れてきそうになった。
挟まっていたページの挿絵を見た感じ、水魔法だろう。
それなら、掃除用に使っているバケツを使って練習してみようじゃないか。
「ええと……? 中級魔術か、これ」
紙きれには、『中級魔術 アクアスフィア 詠唱』と書かれていた。
Google検索かと思った。
水の基本魔術はアクアボール。
スフィアも球体を指す言葉だし、意味としては似たようなものなのか。
階級が上がったということでアクアボールよりは少し規模が大きいかもしれないが、まあ俺の魔力では大したものはできないだろう。
いや、そもそも成功するかどうかすらわからないしな。
とりあえず、物は試しだ。
俺は紙きれごと魔術教本を抱きかかえ、右手を前へ突き出した。
もちろん、その下にはバケツを準備してある。
「大地の血脈たる青き精霊よ、波濤を成して押し寄せよ」
いつも通り、イメージを忘れるな。
自分に言い聞かせながら、チラチラと詠唱文をカンニングしながらゆっくりと唱える。
「逃れ得ぬ怒濤となり、立ち塞がる万物を無に帰せ!」
熱い魔力の流れが、腹、足、そして腕へと流れる。
手首のあたりが熱を帯びたタイミングで、
「――アクアスフィア」
詠唱を完成させ、バケツに水を落とす。
だけの、つもりだった。
「えっ――?」
その瞬間。
耳をつんざくような轟音とともに、俺を爆心地として爆発が起こった。
そして気づいた時には、
「……ぁぇ?」
小屋は丸ごと吹き飛び、ずぶ濡れの俺と水を吸ってふやけた魔術教本だけが残っていた。




