5
王直属部隊の詰所は、その日も朝から騒がしかった。
学院への臨時駐留が始まってからというもの、詰所の空気は以前にも増して慌ただしい。学院側との連携、王都警備との情報共有、魔族襲撃後の警戒強化、学生たちの安全確保、報告書の山。
どこを見ても仕事、仕事、仕事である。
その地獄みたいな机の上に肘をつき、隊長は盛大に眉間を揉んでいた。
「……多い」 「多いですね」 副隊長が即答する。 「減らねぇ」 「書類は放置しても自己消滅しませんので」 「知ってる」 「知っているだけ偉いです」
褒めていない。まったく褒めていない口調だった。
隊長は机に積み上がった報告書を睨んだ。
学院周辺の巡回報告、襲撃時の被害一覧、再発防止案、王城からの通達、部隊員ごとの行動記録。ついでに、学院側から「生徒たちが部隊員に差し入れを持ってきた際の受け取りルールについて」などという、どうでもいいようでいて地味に無視できない紙まで乗っている。
「俺、王都守る部隊の隊長なんだよな?」 「ええ」 「なんでこんな学級委員みたいな書類まで見てんだ」 「王立学院に臨時駐留している王都守備隊長だからです」 「言い方変えただけで中身一緒じゃねぇか」
げんなりした顔で椅子にもたれたところで、詰所の扉が勢いよく開いた。
「おはよーございまーす!」
太陽みたいに明るい声が響く。
同時に、詰所にいた隊員たちの肩がぴくりと揺れた。
レオだ。
学院の制服を着崩しもせず着こなし、いつものきらきらしい笑顔を浮かべたまま、彼はひらひらと手を振って入ってくる。
見た目だけなら、本当にただの好青年でしかない。実態を知っている部隊員たちですら、一瞬その見た目に騙されかける程度には完成度の高い王子様面だ。
もっとも、騙されるのは一瞬だけである。
「隊長、見て」 「なんだ」 「子どもたちと紙飛行機大会してきた」 「朝から?」 「うん」 「授業は」 「一限前だからセーフ」 「セーフじゃねぇよ」
差し出されたのは、色とりどりの紙飛行機だった。
雑貨屋の包装紙か何かで折られたらしく、花柄やら縞模様やらでやたら華やかだ。
「これ、僕が作ったやつ」 「知らん」 「こっちは七歳のエリオットくんが作った。すごいよ、風の読みが天才だった」 「なんの報告だ」 「でね、これがおばあちゃんにもらった飴」 「なんで紙飛行機と一緒に出すんだ」 「今日の戦利品だから」
当然のように隊長の机に並べていく。
書類の山の隣に、花柄の紙飛行機と琥珀色の飴玉が置かれる光景はなかなかにひどい。
「片付けろ」 「えー」 「えーじゃねぇ」 「じゃあ飴だけあげる」 「いらん」 「この前はもらったのに」 「覚えてんなよ」 「隊長がくれるものも、隊長が受け取ったものも、わりと覚えてる」
さらっと言われて、隊長は一瞬黙った。
その間を逃さず、周囲の隊員たちの視線が一斉に集まる。
隊長は嫌な予感がした。
若い隊員の一人が、にやにやとした顔を隠しもせず口を開く。
「……隊長」 「なんだ」 「完全に懐かれてますよね」 「違う」
即答だった。
だが、その即答が逆に怪しかったのか、詰所の空気がじわりとざわめく。
「いやいやいや」 「違わないでしょう」 「今の流れで否定は無理がありますって」 「何が無理だ。こいつはただ距離感がバグってるだけだ」 「それを“懐いてる”って言うんですよ、一般的には」
副隊長の冷静な追撃が入った。
隊長は顔をしかめる。
レオはきょとんとした顔で隊長と隊員たちを見比べていた。まるで自分が話題の中心だと気づいていないみたいな顔だ。いや、たぶん半分くらいは本当に気づいていない。
「お前らな」 隊長は深く息を吐いた。 「懐いてるんじゃなくて、あれだ。単に俺が拾ったから、比較的勝手が分かる相手として扱われてるだけだ」 「隊長」 「なんだ」 「それを懐いてるって言うんです」 「言わねぇよ」
だが隊員たちの勢いは止まらなかった。
こういうとき、普段怖い上官をいじれる機会はそうそうない。しかも相手はあのレオだ。面白がらない方が無理である。
「だって、レオって隊長のところにばっかり来るじゃないですか」 「そうそう。報告も相談も雑談も、まず隊長」 「この前だって、商店街のおばあちゃんにもらった漬物、最初に隊長へ見せに来てましたよ」 「なんで漬物を見せに来るんだよ……」 「知らないですけど、来てました」 「見ました見ました。“隊長これ好きそう”って言ってました」 「なんで俺の好みを把握してんだ、あいつは……」
思わず本音が漏れる。
しまった、と思ったときには遅かった。
「把握されてるんじゃないですか」 「懐かれてるから」 「餌付けされた大型犬みたいなもんですね」 「誰が犬だよ」 「レオが」 「お前ら本人の前で言うなよ」
本人はというと、隣で紙飛行機を弄りながら首を傾げていた。
「犬?」 「違う」 隊長が即答する。 「えー、ちょっと嬉しいかも」 「嬉しいのかよ」 「隊長に飼われてる犬って響き、なんか面白い」 「その発想がもう危険なんだよ」
隊員たちがどっと笑う。
隊長は額を押さえたくなった。
「ほら見てくださいよ」 若い隊員が勢い込んで言う。 「今の“隊長に飼われてる犬って嬉しい”発言、普通に懐いてるやつのそれじゃないですか」 「違う。あいつの場合は比喩のセンスが終わってるだけだ」 「でも隊長限定ですよね?」 「何が」 「そういう距離感」
そこで、別の隊員が指を折りながら数え始めた。
「まず、背中に飛びつく」 「やめろ」 「隊長の机にだけ勝手に飴とか紙飛行機とか置く」 「やめろ」 「休憩時間に当然のように隣に座る」 「やめろ」 「この前なんか、隊長が仮眠してるとき見張り代わってましたよね」 「……は?」
隊長が顔を上げる。
その話は初耳だった。
「いや、ほら、三日前の夜勤明けです」 隊員が言う。 「隊長、詰所の奥でちょっと寝てたじゃないですか」 「ああ……」 「そのときレオが来て、“起こす?”って聞くから、“いや、今やっと寝たとこだからそっとしとけ”って言ったら、“ん、分かった”って。で、そのまま隊長の机の横に座って、近づいてきた人に“今だめ、寝てるから”って追い返してました」 「……」 「完全に番犬でしたよ」 「犬じゃん」 「犬ですね」
隊長は無言になった。
まったく知らなかった。あの日は本当に限界で、仮眠のつもりがしっかり眠りに落ちていたのだろう。
レオはというと、悪びれもせず頷いた。
「だって隊長、あのとき死んだみたいな顔で寝てたから」 「言い方」 「起こしたらキレそうだったし」 「正しい判断ですね」 副隊長が淡々と言った。 「隊長は睡眠不足だと露骨に機嫌が悪くなりますので」 「フォローになってねぇ」
すると、今度は別の隊員が「あっ」と声を上げた。
「そうだ、俺も見たことあります」 「何を」 「隊長が他の部隊長と話してたとき、レオがめちゃくちゃ近くに立ってたやつ」 「近く?」 「壁みたいに」 「壁?」 「いや、こう……一見ただ立ってるだけなんですけど、微妙に隊長の死角側に回って、変なのが寄ってこないようにしてる感じの」 「は?」 「本人は無意識っぽかったですけど」
隊長はとうとう黙り込んだ。
そんなことまでしていたのか、あいつは。
いや、していそうではある。自分の縄張りに勝手に入られるのが嫌な獣みたいなところがあるし、レオの“好きなものに対する扱い”はたいてい独特だ。
だが、それを他人に具体的に列挙されると、なんとも言えない気分になる。
「隊長」 副隊長が静かに口を開く。 「そろそろ認めたらどうです」 「何を」 「懐かれていることを」 「認めねぇ」 「なぜです」 「……なんか負けた気がする」 「何にですか」 「色々だよ!」
詰所がまた笑いに包まれる。
その真ん中で、レオだけが本気で不思議そうな顔をしていた。
「そんなに変?」 「変だよ」 隊長が即答する。 「お前、なんで俺にだけ距離近ぇんだ」 「え?」 「“え?”じゃねぇ。背中に飛びつくな。机に戦利品置くな。勝手に見張りすんな。人の周りうろつくな」 「うーん……」
レオは少し考えた。
紙飛行機の先端を指でつつきながら、首を傾げる。
「好きだから?」 「疑問形で言うな」 「でも、たぶんそう」 「たぶんって付けるな!」
隊員たちの顔が一斉に輝いた。
完全に面白がっている顔だ。最悪である。
「ほらー!」 「本人が言った!」 「“好きだから”いただきました!」 「記録していいですか!?」 「やめろ!!」
隊長が怒鳴る横で、レオはけろっと続ける。
「だって隊長、面白いし」 「それは知ってる」 「強いし」 「知ってる」 「怒るし」 「そこ褒めてねぇだろ」 「でもちゃんと受け止めてくれる」 「何を」 「僕のこと」
その場が、ふっと静かになった。
隊長も言葉を失う。
さっきまでの軽口と同じ調子で言ったくせに、内容だけが妙に真っ直ぐだったからだ。
レオは気にした様子もなく、指先で紙飛行機をくるくる回しながら続ける。
「危ないのも、気味悪いのも、普通じゃないのも、隊長は分かった上で置いてるでしょ」 「……」 「だったらまあ、近くにいるよね。楽だし」
最後だけ少しだけ軽く言って、肩をすくめる。
だが、その前の言葉はしっかり残った。
受け止めてくれる。
分かった上で置いてる。
隊員たちが一瞬だけ口をつぐんだのは、そこに冗談で済まないものが見えたからだろう。
隊長は頭を掻いた。
こういうとき、なんて返せばいいのか本当に分からない。
「……お前な」 「なに」 「そういうのを人前で言うな」 「なんで?」 「なんか、こう……調子が狂う」 「へえ」
レオはちょっと笑った。
どうやらその反応すら面白いらしい。
空気を読んだのか、若い隊員がわざとらしく咳払いをする。
「えー……では改めて結論を述べます」 「やめろ」 「レオは隊長に完全に懐いています」 「やめろって言ってんだろ」 「しかも本人も隠す気がありません」 「やめろ!!」 「隊長も満更ではなさそうです」 「そこは否定する!!」 「でも受け止めてますよね」 「うるせぇ!!」
詰所が爆笑した。
副隊長ですら口元を押さえて肩を揺らしている。珍しいことだった。
隊長はとうとう机を叩いた。
「仕事しろお前ら!!」 「隊長がいじりやすい顔してるから!」 「知らねぇよ!」 「レオ、もう一回“好きだから”って言ってください!」 「いいよ。好きだよ、隊長」 「言うな!!」
もはや収拾がつかない。
隊長が本気で怒鳴っているのに、空気は完全に祭りだった。普段は隊長を恐れて遠巻きにしている若手まで、今日はやけに強気である。レオという共通の危険物が絡むと、人は妙な連帯感を得るらしい。
その中心にいるレオは、相変わらず楽しそうだった。
隊長の机に肘をつき、隣に立ったままにこにこしている。逃げる気配は一切ない。
「隊長」 「なんだ!」 「怒ってる?」 「怒ってる!」 「でも本当のことだよ」 「何が!」 「懐いてるかは知らないけど、隊長のことは好き」 「お前ほんと……!」
言葉に詰まる。
怒鳴るべきなのに、なんだか馬鹿らしくなってきた。
隊員たちがにやにやとこちらを見ている。
副隊長まで、もはや止める気がない顔だ。完全に面白がっている。裏切り者め。
隊長はしばらく黙ったあと、盛大にため息をついた。
「……もういい」 「認めます?」 若い隊員が身を乗り出す。 「認めねぇ」 「ええー」 「ただし」
隊長はそこで言葉を切り、隣に立つレオをじろりと睨んだ。
本人はにこにこしている。腹立たしい。
「こいつが俺の近くにいるのは、俺が拾ったからだ。管理責任だ。勝手に死なれたり暴れられたりしたら困るから、目の届く範囲に置いてる。それだけだ」 「ふんふん」 「で、こいつはこいつで、その辺を理解して勝手に居座ってる。だから別に、懐いてるとかじゃない」 「なるほど」 「つまり?」 「半分は隊長が甘やかしてるってことですね」 「なんでそうなる!?」
即座に返されて、隊長は机に突っ伏しかけた。
違う、そうじゃない。そうじゃないはずなのに、隊員たちの顔は全員「図星だ」と言っている。
「だって隊長、レオが飛びついてきても降ろさないじゃないですか」 「降ろそうとしてる!」 「最終的におんぶしてるの見ました」 「一回だけだ!」 「いや三回は見ました」 「三回!?」 「あと、レオが机に置いてく飴、なんだかんだで毎回捨てずに引き出し入れてますよね」 「は」 「この前開けたとき見えました」 「勝手に引き出し覗くな!!」 「否定はしないんですね」 「っ……!」
痛恨だった。
隊長は絶句する。
確かに、もらった飴は何だかんだで引き出しに入れていた。今食わないなら後で食うか、くらいの気持ちだったし、捨てる理由もなかったからだ。
だが、第三者に指摘されると途端に意味合いが変わってくる。
「隊長」 副隊長が穏やかな声で言う。 「少なくとも、あなたがレオを特別扱いしているのは事実です」 「してねぇ」 「しています」 「してない」 「しています」 「……副隊長、お前どっちの味方だ」 「面白い方です」 「最悪だな!?」
レオが隣で声を上げて笑った。
本当に楽しそうで、隊長はますます頭が痛くなる。
「隊長、人気者だね」 「うるせぇ」 「よかったじゃん」 「誰のせいだと思ってる」 「僕?」 「そうだよ!」
言い切ると、レオは満足そうに目を細めた。
何がそんなに嬉しいのか分からない。分からないが、たぶん“自分が原因で隊長が振り回されている”という状況そのものを面白がっている。最悪である。
「でもさ」 レオがふと、少しだけ声の調子を落とした。 「隊長、ほんとに嫌なら、もっとちゃんと突き放すでしょ」
隊長が黙る。
レオは紙飛行機を隊長の机にそっと置いた。
花柄の、さっき見せびらかしていたやつだ。
「僕、そういうのは分かるよ」
にこりと笑う。
いつもの、輝くみたいな笑顔。
だけど目だけが、ほんの少し静かだった。
「だから、まあ。勝手に近くにいる」
その言葉に、詰所の空気がまた少しだけ変わった。
隊員たちも、今度は茶化さなかった。さっきまで散々笑っていたくせに、こういうときだけ妙に空気を読む。
隊長は深く息を吐いた。
参った、と思う。
本当に嫌なら、突き放す。
それはその通りだ。
レオが危険で、面倒で、気まぐれで、ろくでもないのは今さら言うまでもない。距離感がおかしいし、発言は物騒だし、たまに人の心臓に悪いことを平然と言う。
だが、それでも。
勝手に背中に飛びついてくるのを、毎回本気で振り落としてはいない。
机に置かれる飴も、なんだかんだ受け取っている。
報告とも言えない報告を聞いてやるし、隣に居座られても追い払わない。
……それはまあ、つまり。
「隊長」 若い隊員が、にやにやを抑えきれない顔で言った。 「もう認めましょうよ」 「何を」 「懐かれてるし、隊長も受け入れてるってことを」 「…………」
隊長はしばらく黙り込んだ。
視線の先では、レオが相変わらず楽しそうに笑っている。人の顔を見て、反応を待つみたいに。完全に犬だ。いや猛獣かもしれないが。
やがて、隊長は盛大にため息をついた。
「……懐かれてるかどうかは知らん」 「おっ」 「だが、まあ」 「おお?」 「こいつが俺の周りうろついてんのを、今さらどうこう言う気はねぇよ」
一拍の沈黙。
それから詰所が爆発した。
「認めたー!!」 「実質認めた!!」 「隊長がデレた!!」 「デレてねぇ!!」 「今のはデレです!」 「違う!!」
がやがやと騒ぐ隊員たちの横で、レオが目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「へえ」
その声が、妙に嬉しそうだった。
「そっか」
何が“そっか”だ、と言い返す前に、レオがすっと身を寄せてくる。嫌な予感がした。
「隊長」 「待て」 「好き」 「言うな!!」
結局、背中に飛びつかれた。
「のわっ!? だからやめろっつってんだろ!!」 「だって今の嬉しかった」 「知るか!! 離れろ!!」 「やだ」 「やだじゃねぇ!!」
詰所は大歓声だった。
若い隊員は机を叩いて笑い、副隊長はもう隠しもせず肩を震わせている。
「見てくださいよ、あれ!」 「完全に懐いた犬!」 「いや大型猫か?」 「どっちでもいいですけど、隊長が受け止めてる時点で負けですよね」 「負けってなんだ!!」
隊長は怒鳴りながらも、結局レオを背負ったまま振り落とせずにいる。
暴れたら机の書類が吹っ飛ぶし、周囲の隊員に被害が出るかもしれない。そういう合理的な理由がある。あるのだが、それを言ったところで誰も信じない顔をしていた。
「隊長」 背中から、上機嫌な声が降ってくる。 「僕、おとなしくするから」 「今現在おとなしくないんだよ」 「今日の飴、あとで半分あげる」 「いらん」 「じゃあ全部あげる」 「賄賂か?」 「好意」 「なお悪い!」
笑い声がまた大きくなる。
隊長は頭痛を覚えながら、とうとう諦めたように長い息を吐いた。
「……お前ら、もういいから仕事戻れ」 「はーい」 「隊長、頑張ってください」 「何をだ」 「飼育」 「誰が飼育員だ!!」
最後まで好き勝手言い散らして、隊員たちはようやく持ち場へ散っていった。
それでも肩を震わせているやつが何人もいる。しばらくはこの話で酒が飲めるのだろう。最悪だ。
詰所に残ったのは、隊長と副隊長と、まだ背中に張りついているレオだけだった。
「……降りろ」 「やだ」 「副隊長」 「私に振らないでください」 「お前こいつ剥がせ」 「嫌です。噛まれたくありません」 「噛まねぇよ」 レオが不満そうに言う。 「たぶん」 「“たぶん”を付けるな」
副隊長は眼鏡の奥で目を細めた。
「ですが、まあ」 「なんだ」 「よかったじゃないですか」 「何が」 「レオに懐かれていること、ではなく」 「おい」 「“まだ生きる方が面白い”と思わせる程度には、気に入られているのでしょう」
隊長は言葉に詰まった。
副隊長はそれ以上何も言わず、書類の束を抱えて別室へ消えていく。
残された隊長は、背中の重みを感じながらしばらく黙っていた。
レオは珍しく静かだった。
さっきまであれだけ騒いでいたくせに、今はただ隊長の肩に顎を乗せて、機嫌よく揺れているだけだ。
「……お前」 「ん?」 「嬉しかったのか、さっきの」 「うん」 「何がそんなに」 「隊長が、“今さらどうこう言う気はない”って言ったの」
レオの声は軽い。
けれど、その軽さの下に、確かに安堵みたいなものが混じっている気がした。
「追い払わないんだなって思った」 「今さらだろ」 「うん。今さら。でも、言葉にしてもらうのは別」
隊長は返事に困った。
そんなことを気にするタイプには見えなかったからだ。レオはもっと、自分の好き勝手に生きる生き物だと思っていた。
実際そうなのだろう。だが、その好き勝手の中に、自分の言葉が思った以上に入り込んでいるらしい。
「……面倒くせぇな」 「そう?」 「そうだよ」 「でも隊長、僕のこと捨てないでしょ」 「断言すんな」 「する。だって捨てるなら、もっと前に捨ててる」
あまりにも確信に満ちた声だった。
隊長はそれを否定できなかった。
「だから、まあ」 レオが笑う気配がする。 「完全に懐いてる、でいいかもね」
隊長は天を仰いだ。
「……お前、自分で言うのかよ」 「だって隊長、認めないし」 「認めるか」 「でも否定もできてない」 「ぐっ……」
痛いところを突かれて、言葉に詰まる。
レオは満足そうにくすくす笑った。
「ねえ隊長」 「なんだ」 「今日、仕事終わったら商店街寄らない?」 「なんで」 「おばあちゃんが新しい焼き菓子試作したから食べに来いって」 「俺も?」 「うん。隊長の分もあるって」 「なんで俺の分まで……」 「この前、漬物褒めたの覚えてたんじゃない?」
隊長は思わず黙る。
どうやら商店街の老人連中にまで、レオ経由で好みを把握されつつあるらしい。地味に怖い。
「行こ?」 「……時間が合えばな」 「やった」
ぱっと声が弾む。
隊長は顔をしかめたが、背中のレオは上機嫌のままだ。
詰所の窓から差し込む午後の光は明るくて、背中にいる男の気配も妙に温かい。
危険物を抱え込んだ自覚はある。こいつが怪物じみていて、気まぐれで、いつ何をしでかすか分からないことも分かっている。
それでも、まあ。
完全に懐かれている、と言われたら、否定しきれないくらいには。
隊長は長い長いため息をついて、背中のレオの腕を軽く叩いた。
「……とりあえず降りろ。仕事の邪魔だ」 「えー」 「商店街行かねぇぞ」 「降りる」 「現金なやつだな」 「知ってる」
ようやく背中から降りたレオは、それでも隊長のすぐ隣に立ったままだった。
机の上の紙飛行機を指で弾き、飴を一個だけ隊長の手元に置く。
「これ、隊長の」 「いらんって言ったろ」 「あとで食べて」 「……」
結局、隊長はそれを突き返さなかった。
それを見たレオが、また満足そうに笑う。
その顔を見て、隊長はもう一度だけため息をついた。
完全に懐かれている。
たぶん、間違いなく。
そしてそれを、今さら本気で振り払う気もない自分がいる。
――ほんと、面倒くせぇ。
そう思いながらも、机の端に置かれた飴を、隊長は結局そのまま引き出しへしまい込んだ。




