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戦いは、終わりかけていた。
王立学院の中庭には、黒い血の匂いと焦げた石の熱気がまだ濃く残っている。
崩れた花壇、抉れた石畳、折れた木々。さっきまで生徒たちの笑い声が響いていた場所とは思えない有様だった。
その中心に、レオはいた。
返り血を浴びた制服姿のまま、けれど当人はまるで気にした様子もなく、靴先で転がってきた魔物の角をつついている。
金の髪に午後の光が差し込んで、ひどくきらきらして見えた。
「んー……もう終わり? つまんないなぁ」
残党狩りに出ていた部隊員が、その声にぴくりと肩を揺らす。
味方が聞いても怖いのだから、敵からすればたまったものではないだろう。
実際、まだ息のある魔族たちは、レオからできるだけ距離を取るようにしていた。
逃げ遅れ、半ば包囲された格好の高位魔族が一体。腕を一本失い、角は折れ、衣は血に濡れている。どうにか立っているだけでも大したものだが、その目にはもう勝算の色はなかった。
あるのは、困惑と嫌悪と、心底からの理解不能だけだ。
「……貴様」
低く、掠れた声が落ちる。
レオは顔を上げた。
「あ、まだ喋れるんだ。丈夫だねえ」
にこり、と笑う。
魔族のこめかみに青筋が立った。
「貴様、なぜそちら側にいられる」
空気が、わずかに止まった。
近くで負傷者の確認をしていた部隊員たちが、そっと視線を向ける。
隊長も、副隊長も、他の生徒たちも。
魔族はレオを睨みつけたまま、絞り出すように続けた。
「いや、それ以前の話だ。……よく置いたな、隊長とやら。そんなものを」
隊長の眉間に、深々と皺が寄る。
「そんなもの、とは随分な言い方だな」 「違うとでも?」 「…………」
否定しきれないのが嫌だった。
隊長が黙ったせいで、周囲の部隊員たちもなんとも言えない顔になる。
副隊長などは眼鏡を押し上げながら、ものすごく遠い目をしていた。
(本当にな)
口には出さない。出さないが、全員の顔に書いてある。
本当にな。
どうして置いた。
どうして国王陛下も許可した。
どうしてこんなものが今、自分たちの同僚面をして学園に立っているんだ。
レオだけがきょとんとしていた。
「え、なに。僕、そんなに変?」 「変で済むか!!」
魔族が思わず叫んだ。
その迫力に近くの生徒がびくっとする。レオはしれっと首を傾げた。
「えー。でも敵は君たちでしょ? 僕は王国側。何もおかしくないじゃん」 「おかしいに決まっているだろうが! 貴様、あの笑顔のまま仲間の喉を裂き、骨を砕き、悲鳴を聞いて喜んでいたではないか!」 「うん」 「肯定するな!!」
レオは本気で不思議そうに瞬いた。
それから、まるで“何をそんなに怒ってるの?”とでも言いたげに、ほんの少しだけ口を尖らせる。
「だって、楽しかったし」 「そういうところだ!!」
魔族が吠える。
部隊員が一斉に目を逸らした。敵に全面同意したくなるのがつらい。
「隊長」 若い隊員が小声で囁く。 「すみません、今だけちょっと敵を応援しそうです」 「気持ちは分かるが黙ってろ」 「はい……」
魔族は荒く息を吐いた。片腕のない身体を震わせながら、それでもレオから目を離さない。
敵意というより、もはや恐怖と嫌悪と疑問がごちゃ混ぜになった視線だ。
「貴様のようなものは、我らの側にこそいるべきだろう」 「やだよ」 「即答するな!」
レオはけろりと言う。
「だって君たち、弱いじゃん」 「……は?」 「それに、趣味悪いし」
場が静まる。
レオは困ったように笑った。
だがその内容は、少しも困っていなかった。
「人間を襲うのってさ、面白くないんだよね。弱い子どもとか、守る力のない人とか、そういうのを虐めても手応えないじゃん。すぐ壊れるし、反応も似たり寄ったりだし」 「…………」 「どうせ壊すなら、ちゃんと強いのがいい。牙を剥いてくるやつとか、最後まで足掻くやつとか、そういう方が楽しいよ」
にこにこと、あまりにも明るい声で語る。
内容は最悪だった。
生徒たちの顔が引きつる。
隊長は片手で顔を覆った。
副隊長は「やっぱり今ここで口を塞ぐべきでは?」という目をしている。
魔族は絶句していた。
レオは続ける。
「あと、君たちってすぐ民間人に手を出すでしょ。あれ嫌なんだよね。玩具は選びたいし、壊す場所も選びたいんだ。ぐちゃぐちゃに散らかされると後処理が面倒だし」 「……貴様、本当に何を言っている?」 「え? だから、君たちのやり方は雑でつまんないって話」
隊長が低く呻いた。
「レオ、てめぇな……」 「なに?」 「お前それ、フォロー不可能だからな」 「フォローしてほしいなんて言ってないよ」
それはそうである。
余計にタチが悪い。
魔族はしばらく何も言えなかった。
目の前の男が何を言っているのか、理解はできる。だが理解したくない。
悪意があるならまだいい。憎悪でも信念でも、まだ“理由”として分かる。
だがこいつにはそれがない。
あるのはただ、純粋な嗜好だけだ。
強い相手を壊したい。
面白いから戦いたい。
自分の気に入らない壊し方をする連中は嫌い。
だから王国側にいる。
理屈としては通っている。
通っているのが、最悪だった。
「……貴様、正気か」 「うん?」 「自分が何を言っているか分かっているのかと聞いている!」 「分かってるよ。僕、王国の人間だし。隊長に拾ってもらったし。国に害をなす敵を潰すのが仕事。ちゃんと働いてるでしょ?」
その言い方は、あまりにも素直だった。
嘘ではない。
建前でもない。
本当に、彼はそう思っているだけだ。
隊長がどすんと大剣の柄を地面に突き立てた。
「……まあ、そうだな。働きぶりだけ見りゃ文句はねぇ」 「隊長!?」 副隊長が即座に振り向く。 「いや文句は山ほどありますが!?」 「ある。めちゃくちゃある。だが仕事してんのも事実だろうが」 「それはそうですが! そうですが、今そこを認めると敵の言い分まで補強されるんですよ!」 「じゃあどう言えってんだ」 「せめて『働きぶり以外には文句しかない』くらいにしてください」 「それはそう」
レオが口を挟む。
「え、ひどくない?」 「ひどくねえよ」 「隊長、僕のこと好きで拾ったんじゃないの?」 「好きで拾うかこんな危険物!!」 「危険物扱いされた」 「事実だろうが!」
わあ、とレオが笑う。
心底楽しそうだった。叱られているのに全く堪えていない。
その様子を見て、魔族がぽつりと呟いた。
「……本当に、よく飼っているな」 「飼えてねぇよ」 隊長は即答した。 「首輪つけて大人しくなるタマじゃねえ。向ける先を絞ってるだけだ」 「自覚はあるのか……」 「嫌というほどな」
魔族が、じっと隊長を見る。
それから、今度は部隊員たちへ視線を移した。誰も彼も疲れた顔をしていた。頷く者すらいる。
――ああ、こいつらも思っているのだ。
本当に、なんでこいつが味方なんだと。
その事実に、魔族は奇妙な納得を覚えたらしい。
「そうか……貴様らですら、そう思っているのか」 「まあな」 「ええ」 「毎日思ってます」 「正直、今朝も思いました」 「俺は昨日も思った」 「黙れお前ら」
隊長が一喝する。
だが遅い。部隊員たちの本音がぼろぼろ零れている。
レオはさすがに少し不満げだった。
「そんなに?」 「そんなにだよ」 副隊長が真顔で言う。 「むしろご自身で身に覚えがおありでは?」 「ないなあ」 「ないのが問題なんです」
そのやり取りに、魔族がふ、と喉の奥で笑った。
血を吐きそうなほど弱っているのに、その笑いだけは妙に人間くさかった。
「……なるほどな。王国も、随分と業が深い」 「喧嘩売ってんのか?」 「事実だろう。こんな怪物を処分せず、使いこなそうとするなど」
その言葉に、隊長の目が細くなる。
一瞬だけ、場の温度が下がった。
「使いこなせてるとは言わねぇよ」
低い声だった。
怒鳴りもしない。けれど、はっきりと芯のある声。
「だが、こいつがどれだけ危険だろうが、どれだけいかれてようが、王国に刃を向けるお前らを止めるために必要なら使う。それだけだ」 「……必要悪とでも?」 「いいや」
隊長は鼻で笑った。
「悪かどうかは知らん。俺は道徳の先生じゃねぇ。
ただ、民を食う魔族どもを止められて、国を守れて、ガキどもが明日も笑って飯を食えるなら、それで十分だ」
真っ直ぐな物言いだった。
豪胆で、不器用で、だからこそ揺らがない。
レオはそれを聞いて、少しだけ目を丸くした。
それから、ふっと笑う。
「隊長、やっぱりそういうとこ好き」 「気色悪いこと言うな」 「えー」
隊長は無視して、魔族を見下ろした。
「それに、勘違いすんな。こいつを“置いてる”んじゃねぇよ」 「……?」 「俺が拾った。王国が使うと決めた。なら最後まで面倒見るのもこっちの仕事だ」
一拍置いて、隊長はレオの頭をぐしゃりと乱暴に掴んだ。
「たとえ手のかかる問題児でもな」 「痛っ、隊長やめてよ髪崩れる」 「崩れろ」 「ひどい!」
生徒たちの前でやるにはあまりにも気安いやり取りだった。
だがその気安さに、逆に空気が少しだけ緩む。
魔族だけが、理解しがたいものを見る目をしていた。
「……面倒を見る、だと」 「そうだ」 「怪物を?」 「怪物だろうが兵器だろうが部下は部下だ」 「隊長、ちょっと今のかっこいいね」 「黙れ」
レオがけらけら笑う。
その笑顔は本当に嬉しそうで、少しだけ――ほんの少しだけ、年相応の青年にも見えた。
魔族はその光景を見て、ますます訳が分からなくなったらしい。
理解不能だ、と顔に書いてある。
「貴様ら人間は、どうかしている」 「お互い様だろ」 副隊長が冷たく返した。 「少なくともこちらは、学園を襲って生徒を食おうとはしていません」 「…………」
魔族が言葉を失う。
完全に正論だった。
レオが、ふと思い出したように口を開く。
「ねえ、ところで君」 「なんだ」 「さっきの質問、まだ答えてもらってないんだけど。どこから入ったの? 他に伏兵は?」 「答えると思うか」 「思わないよ」 「なら聞くな!」 「でも聞いたら気が変わるかもしれないじゃん」
レオは笑顔のまま一歩近づいた。
魔族の顔が引きつる。隊長が即座にその肩を掴んだ。
「待て待て待て」 「なに?」 「お前に任せると尋問じゃなくて解体になる」 「失礼だなあ。ちゃんと聞くよ?」 「聞いた結果、相手が黙ったら?」 「喋れなくなるまで試す」 「ほら見ろ!!」
隊長の怒声が響く。
生徒の何人かがまたびくっとした。
副隊長がすかさず魔族の拘束を強化し、部下たちに顎で指示を飛ばす。
「捕縛して本部へ。尋問は専門班に回します。レオは近づけないように」 「了解」 「ちぇー」 「舌打ちするな」
魔族は連行されながら、最後にもう一度だけレオを見た。
その目にはもはや敵意より、災害を見るような諦めがあった。
「……王国も大変だな」 「他人事みてぇに言うな」 隊長が吐き捨てる。 「お前らが来なきゃ今日はもう少し平和だったんだよ」
魔族は口の端を歪めた。
「だが、ひとつだけ分かった」 「なんだ」 「その男は、王子ではない」 「そりゃそうだろ。隊員だ」 「そういう意味ではない」
魔族の視線が、レオに突き刺さる。
「太陽だなんだと持て囃されていたようだが……違う。あれは光ではない。
ただ燃えているだけだ。近づくものを区別なく焼く、災厄の火だ」
静かな断言だった。
周囲の生徒たちが息を呑む。
図星だったからだ。
今日、彼らも似たようなことを思い知ったばかりだった。
けれど、その言葉を聞いたレオは、なぜか少し嬉しそうに笑った。
「へえ。君、いいこと言うね」
隊長が額を押さえる。
「褒めるな」 「だって、ちょっと気に入った」 「気に入るな」
魔族は苦々しく顔を歪めたまま、拘束されて連れて行かれる。
その背が見えなくなってからも、しばらく場には妙な沈黙が残った。
やがて、若い部隊員のひとりがぼそりと呟く。
「……いや、ほんとにそうなんですよね」 「何がだ」 隊長が睨む。 「“よく置いたな”ってやつです」 「やめろ、今それ言われると俺に刺さる」 「だって本当にそうじゃないですか。今日だって結果的に助かりましたけど、紙一重でしたよ?」 「分かってる」 「しかも学院に通わせるとか、どう考えても劇薬の社会勉強ですよ」 「分かってるって言ってんだろ」 「隊長、そろそろ胃薬飲みます?」 「持ってるなら寄越せ」 「あります」 「あるのかよ……」
副隊長が無言で小瓶を差し出す。
隊長は礼も言わずに受け取って、中身を煽った。
レオが横から覗き込む。
「隊長、胃痛いの?」 「誰のせいだと思ってる」 「魔族?」 「お前だよ」 「えー」
まるで本気で心外そうな顔をする。
この男、本当に自覚がない。そこがまた恐ろしい。
部隊員たちが一斉にため息をついた、そのとき。
少し離れたところから、おずおずと声がした。
「……あの」
振り返ると、避難していた生徒の一人――まだ年若い少女が立っていた。顔色は悪いが、逃げずにこちらを見ている。視線の先はレオだ。
レオがぱちりと瞬く。
「ん?」 「さっき、助けてくれて……ありがとうございました」
素直な礼だった。
恐怖はある。それでも言わずにいられなかったのだろう。
レオは少しだけ目を丸くして、それから、いつものように笑った。
「どういたしまして」
眩しいほど綺麗な笑顔だった。
返り血さえなければ、どこからどう見ても理想の王子様だったかもしれない。
少女はびくっとしつつも、今度はちゃんと頭を下げた。
そして、小さな声で続ける。
「……でも、ちょっと怖かったです」 「うん、知ってる」 「自覚あるんですね!?」 隊長が即座に突っ込む。
レオはきょとんとした。
「いや、だってみんな顔に出てるし」 「そこじゃねえんだよなあ……」 「でも怖くても、助かったならよかった」
あっさりと言う。
善人ぶるわけでも、気に病むわけでもなく、本当にただ事実として。
「僕は敵を片づけた。君たちは生きてる。それで十分でしょ?」
その割り切り方は、やはりどこか人間離れしていた。
けれど少女は少しだけ考えて、それから小さく頷く。
「……はい」 「うん。ならよし」
レオが満足げに笑う。
隊長はその横顔を見て、深く息を吐いた。
まったく、厄介極まりない。
敵から見ても味方から見ても危険物。
本人は悪びれず、善良に見える顔のまま、平然と災厄を振りまく。
どう考えても社会に出していい代物ではないし、学園に通わせるなど正気の沙汰ではない。
それでも。
それでも今日、学院がこの程度の被害で済んだのは、間違いなくこいつのおかげだった。
「……帰ったら始末書な」 「えっ」 「魔族一体を火球ごと地面に叩き落とした件、校舎前の石畳を陥没させた件、尋問対象の腕を握り潰しかけた件、その他諸々だ」 「多くない?」 「多いんだよ」 「隊長、鬼……」 「お前にだけは言われたくねぇ」
部隊員たちの間に、ようやく苦笑が広がる。
緊張が少し解けたのだろう。
レオは「えー」と文句を言いながらも、結局は楽しそうに笑っていた。
まるで、さっきまで戦場の中心で敵を壊していたのが嘘みたいに。
その姿を見て、隊長はもう一度だけ思う。
――本当にな。よく置いたな、俺。
だが答えは昔から変わらない。
危険だからこそ、目の届く場所に置くしかない。
野放しにしていい男ではない。ならせめて、自分の手の届くところで、国のために噛ませるしかない。
隊長は乱暴にレオの頭を小突いた。
「ほら、ぼさっとしてねぇで片付け手伝え」 「はーい」 「生徒に優しくしろよ」 「いつも優しいよ?」 「“いつも”の基準が信用ならねぇんだよ」 「ひどいなぁ」
文句を言いながら、レオは素直に歩き出す。
日差しの下でその背はひどく明るく、やっぱり太陽みたいだった。
ただし、近づき方を間違えれば焼け死ぬ類の太陽だ。
学院中がそのことを知ってしまった今、もう以前と同じには戻れないだろう。
それでも彼は明日も変わらず笑う。
王子様の顔で、災厄の中身のまま。
そして隊長は、そんな怪物を今日も胃痛とともに管理するのだ。
本当に、なんで置いたのか。
部隊の誰もが思う。隊長本人ですら思う。
――だが、置かなければもっとひどいことになる。
それだけは、全員がよく知っていた。




