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王立学院は、戦場になるにはあまりにも平和な場所だった。
磨き上げられた白い石畳。季節の花が咲く中庭。若い声が絶えない廊下。
貴族子弟も平民の特待生も同じ制服を着て、未来だの理想だのを語る、王都でも特に“明るい”場所。
その明るさの中心にいる男がいた。
「おはよう!今日もいい天気だね〜。」
朝日みたいな笑顔でそう言って、すれ違った生徒に軽く手を振る。
金の髪が光を受けてきらきらと輝く。よく通る声。真っ直ぐな姿勢。誰にでも分け隔てなく接する気さくさ。剣術の授業では華があり、座学もそこそこ優秀、しかも顔がいい。
臨時で学院に通っている、国王直属部隊所属の青年――レオ・アルバート。
本来なら彼は学生ではない。王命により、ある任務の一環として短期間学院に滞在しているだけだ。だがそんな事情を知らない生徒たちから見れば、彼はただの理想的な先輩だった。
爽やかで、強くて、優しくて、明るい。
まるで太陽みたいな人。
「レオ先輩、お昼一緒にどうですか!」 「もちろん。あ、でもその前に剣術の課題、見てあげようか?」 「えっ、本当ですか!?」 「うん。せっかくなら上手くなってほしいし」
ぱっと笑う。
それだけで、女子は頬を赤くし、男子は「くっそ、顔がいい……」と苦笑しながらも懐く。
レオは人気者だった。
誰にでも優しい。
誰の話でも聞く。
困っている相手がいれば、すぐに手を貸す。
だから皆、信じていた。
彼は“そういう人”なのだと。
――少なくとも、彼を拾った隊長と、その部下たちを除いては。
「……あの笑顔見てると、胃が痛くなるんだが」 「分かります」 「分かるな」 「分かりたくなかったですけどね……」
学院の一角、教員用の控室を間借りした臨時詰所。
窓から中庭で生徒に囲まれているレオを見下ろしながら、王直属部隊の面々は揃って渋い顔をしていた。
隊長は額を押さえた。大柄な男だ。戦場で鍛え上げられた体と、細かいことを考えるのが苦手そうな豪放な顔立ちをしている。
「なんであいつ、あんなに学院に馴染んでんだ……」 「顔と愛想がいいからでしょう」 「あと根本的に、あれ“善良そうな人間の真似”が上手いんですよ」 「真似って言うな。間違ってはいないが」
副隊長格の男が眼鏡を押し上げる。ため息が深い。
「一応申し上げておきますが、彼は善人のふりをしているわけではありません。本人なりに機嫌が良く、楽しく、快活に過ごしているだけです」 「余計タチが悪いんだよなぁ……」 「ええ。悪意で残虐なのではなく、善意でもなく、ただ“面白いから”で踏み抜くので」
それが一番救いがない。
レオはサイコパスだ。
もっと分かりやすく言うなら、致命的に人間の痛みへの共感が薄い。
死ぬのは嫌だろうな、痛いだろうな、怖いだろうな――そういう知識はある。理解もしている。
だが、その感情が自分の中に実感として流れ込んでくることはほとんどない。
代わりに彼の中にあるのは、純粋な好奇心と快楽だ。
壊すのが楽しい。
追い詰めるのが楽しい。
逃げ惑う相手を見るのが楽しい。
どうすれば一番効率よく、一番鮮やかに、一番派手に“終わらせられるか”を考えるのが楽しい。
ただそれだけ。
幼い頃からそれが変わらず、だからこそ危険だった。
人里に放っておけば必ず災厄になる。だが殺すには惜しいほど有能で、戦場に投げ込めば誰より役に立った。
だから国王直属部隊の隊長が拾った。
飼いならしたわけではない。そんなことは誰にもできない。
ただ、“噛みついていい方向”だけを教え込んだのだ。
人ではなく、敵を。
民ではなく、侵略者を。
味方ではなく、国を害するものを。
そうしてレオは国益となった。
眩しい太陽の顔をしたまま、王国のために災厄を振りまく兵器として。
「とはいえ学院内では比較的大人しいだろ」 「比較的、ですね」 「比較対象が戦場のレオでなければ、その評価は出ませんよ隊長」 「うるせぇ」
隊長がぶっきらぼうに返した、そのときだった。
――警鐘が鳴った。
一度。二度。三度。
学院中に響き渡る、耳をつんざくような非常警報。
空気が変わる。
中庭にいた生徒たちが一斉に顔を上げた。
遠くで悲鳴が上がる。校舎の窓ガラスがびりびりと震えた。
「結界班から伝令! 北側外壁が破られました! 魔物の群れ、及び高位魔族数体を確認!」 「は?」 「なんで学院に魔族が来るんだよ!」 「狙いはおそらく王族・貴族子弟、あるいは学院地下の封印庫かと!」
報告が飛ぶ。
部隊の空気が一瞬で切り替わった。
隊長は舌打ちし、窓辺へ歩み寄る。
学院の向こう、結界の一部が黒く染まり、崩れていくのが見えた。空には異形の影。地上では牙を剥いた魔物たちが雪崩れ込んでいる。
まずい。
学院にはまだ避難しきれていない生徒が大勢いる。
「副隊長、お前は避難誘導。結界班と合流しろ」 「了解」 「残りは各所に散れ! 魔族を校舎内に入れるな! ガキども最優先だ!」
怒号とともに部隊員たちが飛び出していく。
隊長も踵を返しかけて、ふと足を止めた。
中庭の中央。
騒然とする生徒たちの中に、レオがいた。
彼は周囲の恐慌をよそに、ただ空を見上げていた。
きらきらした金髪が陽光を弾く。口元には、いつもの人当たりのいい笑み。
けれど、隊長は知っている。
あれは“まずい”笑顔だ。
瞳が、輝いていた。
子どもが面白い玩具を見つけたときみたいに。
好奇心と期待で、どうしようもなく。
ああ、くそ、と隊長は思った。
使えば強い。
いや、強いなんてもんじゃない。圧倒的だ。
この状況をひっくり返す切り札になりうる。
だが同時に、手綱を外したら最後、何がどこまで壊れるか分からない。
「隊長!」
近くで若い部下が叫ぶ。
「西棟にも敵影! このままじゃ押し切られます!」
隊長は一瞬だけ歯を食いしばった。
迷っている暇はない。被害を最小限に抑えるなら、最悪のカードを切るしかなかった。
「だ〜ッ。しゃーねぇ!」
隊長が腹の底から怒鳴る。
「レオ! 向こうのアイツらは任せた、好きにやれ!!」
周囲が凍った。
部隊員がぎょっと目を見開く。
何人かの生徒は意味が分からずきょとんとした。副隊長だけが顔を覆った。
「隊長! それはさすがに短慮というもので――」 「言った、言ったね!」
レオが、ぱっと振り向いた。
その顔に浮かんでいるのは、見慣れた王子様の笑顔。
なのに、その奥で何かが弾けたのが分かった。
「確かに聞いたよ! 分かった、行ってきまーす!!」
軽い。
あまりにも軽い声で、レオは駆け出した。
次の瞬間には、地面が爆ぜていた。
「は?」
生徒の誰かが間抜けな声を漏らす。
レオが踏み込んだ石畳が砕け、金色の残像だけを残して彼の姿が消えたからだ。
そして北側校舎前。
外壁を破って侵入してきた巨大な狼型魔物が、避難の遅れた生徒に飛びかかろうとしていた。
生徒は腰を抜かし、悲鳴すら上げられない。
そこへ。
「やっほー!」
真上から、陽気な声が降ってきた。
レオがいた。
魔物の頭上。空中。ありえない位置。
彼は笑っていた。いつも通り、にこにこと。
そのまま片足を振り下ろす。
ぐしゃり、と。
巨大な魔物の頭部が地面に叩きつけられ、石畳ごと陥没した。
衝撃で周囲にひびが走る。
生徒の頬に土埃がかかった。
「大丈夫? 怪我ない?」 「……え、あ、え……」 「よかった。じゃ、ちょっとそこで伏せててね」
にっこり。
爽やかに言い置いて、レオは魔物の死骸から足を抜く。
その動作すら軽やかだった。
まるで花壇を飛び越えたみたいな気安さで、彼は次の敵へ向かう。
魔物たちが一斉に咆哮を上げた。
十、二十、もっと。校舎へ雪崩れ込もうとする群れ。
レオはそれを見て、嬉しそうに目を細める。
「わあ、いっぱい」
心底楽しそうだった。
腰の剣を抜く。
白銀の刀身が日を反射して眩しい。
「じゃあ、遊ぼっか」
その瞬間、彼の姿が群れの中に消えた。
速い、では済まない。
生徒たちの目には、何が起きているのかほとんど分からなかった。
ただ、魔物が吹き飛ぶ。
切り裂かれる。叩き潰される。壁にめり込む。地面に縫い止められる。
絶叫と土煙と黒い血飛沫が次々に上がり、その中心で金色だけが踊っている。
レオは笑っていた。
「こっち向いてよ!」 剣を振るう。魔物の前脚が飛ぶ。
「お、いい牙だねぇ!」 その顎を掴み、無理やり地面に叩きつける。
「うわ、君は硬いな! 好き!」 硬殻の魔物を見つけて、子どもみたいに目を輝かせる。次の瞬間には関節を正確に砕き、動けなくしてから首だけを落とした。
一切の躊躇がない。
一切の容赦がない。
そして、一切の怒りもない。
彼は憤っていない。恐れてもいない。
ただ楽しいのだ。
目の前の敵を、どう壊すのが一番面白いか試しているだけ。
その無邪気さが、逆に恐ろしかった。
「レオ、先輩……?」
避難誘導されていた女子生徒が、震える声で呟く。
いつも中庭で笑っていた先輩と、目の前のそれが、どうしても結びつかない。
だが現実は残酷だった。
「っ、上だ!」
誰かが叫ぶ。
空から翼を持つ上位魔族が急降下してくる。人間大を超える体躯、鋭い爪、濁った魔力。狙いは校舎二階の窓――逃げ遅れた生徒たちだ。
レオが振り返る。
見上げる。
笑う。
「そっち行くの? だめだよ」
ふわり、と彼の身体が跳ねた。
人間の跳躍ではない。
一息で二階の高さを越え、そのまま魔族の首元へ食らいつくように剣を差し込む。空中で体勢をひねり、勢いのまま相手を地面へ引きずり落とした。
轟音。
土煙。
地面に叩きつけられた魔族が咳き込む間もなく、レオはその胸を踏みつける。
「ねぇ君、喋れる?」 「き、さ――」 「よかった」
レオの笑みが深くなる。
「じゃあ質問。どこから入ったの? 他に何体いるの? 狙いは何?」
魔族が唸る。
答えない。敵意に満ちた目で睨み返す。
レオは少し首を傾げた。
「あれ。答えてくれないんだ」
困ったような口調。
けれどその声音には、ほんの欠片も困惑がない。
ただ、面白い玩具を前にした子どもの興奮だけがあった。
「じゃあ、答えたくなるまで試そっか」
「レオ!!」
隊長の怒声が飛んだ。
レオの動きがぴたりと止まる。
振り返った先、隊長は別の魔族を斬り伏せながら叫んでいた。
「学院だぞ! 生徒の前だ!! 加減しろ!!」 「えー」 「えーじゃねえ! 尋問は後だ! 今は制圧優先!」 「はぁい」
返事だけは素直だった。
けれどその顔は、あからさまに不満そうだ。
頬を膨らませこそしないものの、楽しみを取り上げられた子どもみたいに口を尖らせている。
魔族はその隙を突いて、腕を振り上げた。
鋭い爪がレオの喉元を狙う。
だが。
「うるさいなぁ」
笑顔のまま、レオは空いた手でその腕を掴んだ。
止まった。
魔族の腕が、まるで見えない万力に挟まれたみたいにぴたりと。
「待てって言われたんだから、静かにしててよ」
ぐしゃ、と嫌な音がした。
握力だけで腕が潰れたのだと理解したのは、その腕が不自然な方向へ折れ曲がってからだった。魔族が絶叫する。
レオはその悲鳴に、少しだけ目を細めた。嬉しそうに。
それから、にこっと笑って首を刎ねた。
あまりにも自然で。
あまりにも迷いがなくて。
周囲の生徒たちは、息を呑むことすら忘れていた。
「……隊長」 副隊長が避難班を率いながら、遠い目で呟く。 「やはり『好きにやれ』は失言だったのでは?」 「分かってるよ!」
隊長は吠えながら大剣を振るい、迫る魔物をまとめて薙ぎ払う。
だが正直なところ、戦況はレオが出てから目に見えて改善していた。
というより、北側戦線だけならほぼ崩壊寸前だった敵が、今は逆に蹂躙されている。
レオは強い。
理不尽なくらい強い。
剣も体術も魔力制御も一級。
しかも敵の嫌がることを直感で理解する。どこを壊せば崩れるか、どこを潰せば恐慌が広がるか、どう追い詰めれば最短で心が折れるかを、本能的に知っている。
戦場において、これほど頼もしい資質はない。
同時に、人間社会において、これほど危険な資質もない。
「……っ、まだいる!」
校舎裏から新手の魔族が現れた。
人型。ローブ姿。手には杖。どう見ても指揮官級だ。
そいつは周囲を見て、仲間の壊滅ぶりに顔を歪めた。
次いで、レオを見た。
「貴様か……!」 「うん、僕だよ」 「人間風情が、よくも――」
詠唱が始まる。
空気が重く沈み、巨大な火球が頭上に生まれる。学院ごと焼き払う気だ。
「防御結界!」 「間に合わない!」
隊長が舌打ちする。副隊長が顔色を変える。
生徒たちが悲鳴を上げる。
その中で、レオだけが楽しそうだった。
「へぇ」
彼は火球を見上げる。
その熱量。圧力。破壊規模。
全部を一瞬で見積もって、そして嬉しそうに笑った。
「すごいじゃん」
魔族が勝ち誇る。
「灰になれ、人間ども――」
最後まで言わせなかった。
レオが地面を蹴る。
一直線に魔族へ迫る。火球が放たれるより速く、剣の切っ先が喉元に届く。
魔族は咄嗟に障壁を張った。
だがレオは止まらない。むしろ、にんまり笑った。
「割れるかな」
剣が障壁に触れる。
甲高い音。ひび。
次の瞬間、障壁はガラスみたいに砕け散った。
「――は?」 「割れた」
レオは満足そうに頷く。
そしてそのまま、魔族の腹に拳をめり込ませた。
空気が抜ける音。
魔族の体がくの字に折れる。レオはその襟首を掴んで、火球の真下へ放り投げた。
「自分の魔法、食べなよ」
落ちてきた火球が、術者自身を飲み込む。
轟音。
爆炎。
熱風が学院の庭を薙いだ。
生徒たちが目を覆う。
だが次に目を開けたとき、炎の中心に立っていたのは、レオだった。
彼は片手を上げていた。
風の魔術で爆炎の向きを逸らし、校舎から外へ逃がしている。荒々しいが、最低限の被害で抑え込んでいた。
「わ、ちゃんとできた」
ぱっと振り返る。
炎を背に、彼は笑った。
「隊長、褒めて! 今の結構きれいじゃなかった?」 「褒めるから後で報告書書け!!」 「えー、報告書やだ」 「やれ!!」 「はーい!」
そんなやり取りをしている間にも、残党は逃げ腰になっていた。
当然だろう。
指揮官級は潰され、群れは半壊し、しかも目の前には笑顔で仲間を壊していく怪物がいる。
魔族たちは恐慌を起こした。
逃げる者、闇雲に突っ込む者、統制はもうない。
レオはそれを見て、少しだけつまらなそうな顔をした。
「あーあ。もう終わり?」
その声音に、生徒たちの背筋が冷える。
終わってほしいと皆が願っている戦場で、彼だけが“もう終わり”を残念がっていた。
そこに、決定的な断絶があった。
レオは人間の側に立っている。
この国の味方だ。
学院を守っている。実際、彼がいなければ被害はもっと大きかった。
なのに。
彼が一番恐ろしい。
その事実を、生徒たちはようやく理解し始めていた。
最後の一体を斬り伏せたあと、レオはくるりと剣を払った。
刀身についた血が飛ぶ。彼はそれを見て、うーんと首を傾げる。
「制服、ちょっと汚れちゃったな」 「そこかよ……」
近くまで来ていた隊長が心底疲れた声を出す。
周囲には魔物の死骸と、壊れた石畳と、焼け焦げた地面。生徒たちは怯えと安堵の入り混じった顔でこちらを見ている。
レオはその視線に気づくと、にこっと笑って手を振った。
「もう大丈夫だよー! みんな怪我してない?」 「……」 「……」 「え、なにその顔。怖がられてる?」
隊長は盛大に顔をしかめた。
「当たり前だろ」 「なんで?」 「なんでじゃねえよ」 「僕、ちゃんと守ったのに」 「守り方が最悪なんだわ」
レオは心外そうに目を丸くした。
本当に分かっていない顔だった。
「えぇ……でも敵は敵でしょ?」 「そういう話じゃねえ」 「そうかなあ」
彼はきょとんとして、それから少し考えるように顎に指を当てた。
だが結局よく分からなかったらしく、まあいいやと笑う。
「隊長が許可したから、ちゃんと好きにやったよ」 「それを今めちゃくちゃ後悔してる」 「えー。ひどいなぁ」
ひどいのはどっちだ、と隊長は言いかけてやめた。
言っても無駄だからだ。
代わりに隊長は、生徒たちの方へ向き直る。
「すまねぇ、怖がらせた。こいつは……その……」 「隊長?」
レオが首を傾げる。
まるで“何を説明するの?”とでも言いたげな顔。
隊長は深く息を吐いた。
「こいつは王直属部隊の人間だ。強い。めちゃくちゃ強い。だから今回も助かった。そこは事実だ」 「うんうん」 「だが、まあ……なんだ……」 「なんです?」 「ちょっと加減が下手だ」 「ちょっと?」
副隊長が即座にツッコんだ。
隊長は無視した。
生徒たちは互いに顔を見合わせる。
誰も何と言えばいいか分からない。
その沈黙を破ったのは、一人の男子生徒だった。
剣術の授業でよくレオに教わっていた、気のいい少年だ。顔が引きつってはいたが、それでも前に出る。
「レオ、先輩」 「ん?」 「さっき……助けてくれたのは、ありがとうございました」
レオが瞬いた。
それから、花が咲くみたいに笑う。
「どういたしまして!」
いつもの、眩しい笑顔だった。
それを見て、生徒はほんの少しだけ混乱する。
やっぱり、この人は悪い人ではないのかもしれない。
でも、じゃあ何なんだ。
この得体の知れない恐ろしさは。
そんなふうに揺れる空気の中、レオは無邪気に続けた。
「次からはもうちょっと早く逃げてね。君たちが近いと、思い切りやれないから」
にこにこ。
本当に、ただの助言みたいな口調で。
生徒の顔が引きつる。
隊長が頭を抱える。副隊長が遠い目をする。
「お前なあ……」 「え? だって本当だよ。今日は隊長に“学院だから加減しろ”って言われたし、みんな近くにいたから、あんまり試せなかったんだよね」 「試すな」 「えー」 「えーじゃねえ」
レオはしょんぼりしたふりをした。だが瞳の奥はまだきらきらしている。
あの戦場の興奮が、完全には冷めていないのだ。
副隊長が低い声で言った。
「隊長。今夜は厳重監視を。彼、しばらくテンションが高いままです」 「ああ、分かってる」 「何その言い方。僕、別に暴れないよ?」 「“敵がいなければ”な」 「ひどいなぁ」
ひどくない。事実だ。
レオは口を尖らせたあと、ふと校舎の上を見上げた。
戦いは終わった。空は青い。雲一つない。まるで何事もなかったかのように晴れている。
「いい天気だね」
場違いなほど穏やかな声だった。
その横顔は、本当に太陽みたいに明るい。
誰かを照らし、元気づけ、惹きつける光がある。
ただしその光は、あまりにも強すぎる。
近づきすぎれば焼かれる。
無邪気なまま、悪意なく、容赦なく。
彼は王子様に擬態していたわけではない。
王子様の顔も、悪魔の顔も、どちらも本物だ。
誰にでも笑いかける明るさも本物。人を壊すことに胸を躍らせる残虐さも本物。
その両方が、矛盾なく一人の中に同居している。
誤解していた者が悪いのかもしれない。
太陽は最初から太陽でしかない。
ただ、その熱が人を生かす温もりになることもあれば、すべてを焼き払う災厄になることもあるだけだ。
そしてその日、学院中の生徒が知った。
皆の憧れの“王子様先輩”は、王国が飼っている怪物なのだと。
けれど同時に、こうも思い知らされた。
その怪物が、今は自分たちの味方であることが、どれほど幸運かを。
レオは中庭の中央で、血のついた剣をくるりと回して鞘に収める。
それから何事もなかったみたいに、生徒たちへ笑いかけた。
「さて、と。先生たちも忙しそうだし、怪我人の手当て手伝おっか。包帯くらいなら巻けるよ」 「……レオ先輩、それ」 「ん?」 「その手、さっきまで魔族の首掴んでませんでした?」 「あ、ほんとだ。洗ってくるね!」
軽い。
あまりにも軽い。
だが彼はもう、隠さないだろう。
学院側も、見てしまった以上、以前と同じには扱えない。
それでもレオはきっと、明日も変わらず朝日に笑う。
「おはよう」と手を振って、困っている生徒がいれば手を貸し、昼休みには中庭でパンを食べ、女子に黄色い声を浴び、男子に剣を教える。
そしてひとたび許可が出れば、同じ笑顔のまま敵を壊す。
王子様の皮を被った悪魔ではない。
悪魔の顔をした王子様でもない。
ただ、眩しすぎる太陽そのもの。
王国はそれを知っていて、なお使う。
使わざるを得ないほど、彼は強いから。
隊長はそんなレオの背を見て、盛大にため息をついた。
「……報告書、絶対三十枚超えるな」 「隊長」 「なんだ」 「さっきの“好きにやれ”、もう一回言って」 「二度と言うかバカ野郎」
レオはけらけら笑った。
その笑い声は、どこまでも明るく、よく晴れた空に似合っていた。
ひどく、恐ろしく、綺麗だった。




