合否
試験の合否発表当日。
「紬ー!紙届いたよ!」
扉が勢いよく開く。
「今日の早江は、些か騒々しいね」
科学番組を見ていた紬が、ゆっくり振り返る。
早江は手紙を差し出した。
机の上に置かれた封筒。
一瞬、部屋が静まり返る。
「開けないのか?」
「あぁ、そうだよね……見ないと分かんないよね……」
早江の手がわずかに震える。
ゆっくりと封を切り、中身を取り出す。
視線が紙に落ちる。
その瞬間――
「つ……紬……おめでとうー!」
勢いよく抱き上げる。
まるで人形のように、強く抱きしめる。
「何故早江が嬉しいのだ?」
紬は少しだけ首を傾げた。
「えぇ?だって、何かに合格したら嬉しいじゃん!」
満面の笑みで言う。
紬は少し考え込む。
「……これは、私の結果だろう?」
「そうだけど……一緒に頑張った気がするし」
早江は少し照れくさそうに笑う。
「それに……紬がやりたいって言ったこと、叶ったし」
その言葉に、紬は一瞬だけ黙った。
「……そうか」
小さく呟く。
そして――
「ならば、この感情は共有されるべきものなのだな」
「そうそう、そういうこと!」
早江はさらに強く抱きしめた。
紬は抵抗せず、そのまま身を任せる。
「……悪くないな」
ほんのわずかに、口元が緩んだ。
その後、二人はどこの高校に入るか悩んだ。
テーブルの上には、いくつものパンフレットが広げられている。
「紬はどこに入りたい?」
「学校にも種類があるのか?」
「高校が一個しかなかったら、通学とか人数でえげつないことになるよ……」
「それもそうだな。複数あるのは合理的だ」
紬はパンフレットを一つ一つ手に取り、静かに目を通していく。
しばらくして――
一枚を指差した。
「私は、ここに通ってみたい」
「紬が意見出すなんて珍しい……何でここなの?」
早江が少し驚いたように聞く。
「“化学部”という名前に惹かれた」
「凄い部活名……なんで許可通ったの……」
思わず苦笑する。
「だが、私の興味と一致している」
紬は淡々と続けた。
早江はパンフレットを覗き込む。
「市立九蔵家高等学校、か……」
少しだけ考える。
「……いいじゃん、紬っぽい」
「そうか?」
「うん、めっちゃそれっぽい」
早江は笑った。
その後、紬が学校に連絡を取り、編入試験を受けることになった。
一週間後――
紬と早江は学校へ向かっていた。
校門の前に立つ。
「ここが……」
紬は静かに見上げる。
「市立九蔵家高等学校、だね」
早江は少しだけ緊張した面持ちでいた。
「また早江の方が緊張しているぞ」
紬が横目で言う。
「あはは……やっぱ慣れないかも……」
早江は苦笑する。
「試験を受けるのは私だが?」
「分かってるけどさぁ……」
そう言いながらも、視線はどこか落ち着かない。
紬はそんな早江を少しだけ見つめる。
「問題ない。私は落ちる要素が見当たらない」
「それ前も言ってたね……」
「事実だ」
即答だった。
早江は一瞬ぽかんとしたあと、小さく笑う。
「……うん、信じてる」
その言葉に、紬はわずかに頷いた。
「雨宮さんですね?お待ちしておりました。では、案内させていただきます。」
学校の入り口付近で、試験官が静かに声をかけた。
「あぁ……はい……」
早江は少しだけ背筋を伸ばして返事をする。
二人はそのまま案内されるまま、校内を歩いていく。
廊下には足音と、かすかな生活音が響いていた。
「学校は独特な匂いがするのだな」
紬がぽつりと言う。
「あはは……何となく分かるかも」
早江は少しだけ肩の力を抜いた。
紬はそれを横目で確認する。
「安心しろ、問題はない」
さりげなく言う。
「うん……分かってる」
短く答えるが、表情は少し柔らいでいた。
やがて、教室の前に着く。
試験官が扉を開ける。
「こちらになります」
一瞬の静寂。
「では、行ってくる」
紬は振り返り、そう言った。
「うん。頑張って」
早江は小さく頷く。
紬はそのまま教室の中へ入っていった。
扉が静かに閉まる。
廊下に残された早江は、少しだけその扉を見つめていた。
「……大丈夫、大丈夫……」
自分に言い聞かせるように、呟いた。
「では、編入試験を始めます。机の上に消しゴムとシャーペンを用意したので、そちらを使用してください。」
教室の中は、試験官の声だけが静かに響いていた。
「開始5秒前――3、2、1。」
タイマーが押される。
その瞬間。
紬は迷いなくペンを持ち、問題用紙に目を落とした。
そして、すぐに手を動かし始める。
カリカリと、小さな筆記音だけが教室に響く。
(やはり、既にやったことがある所だ。)
一問ごとに、考える間もなく答えが浮かぶ。
誰に急かされるでもなく、誰と競うでもない。
ただ、淡々と。
紙の上に答えを積み重ねていく。
やがて――
紬は手を止めた。
問題用紙を一通り見直す。
(問題ないな)
ペンを置く。
教室には再び、静けさが戻った。
紬は手を上げた。
試験官がそれに気付き、静かに近づく。
「どうかされましたか?」
「解き終えたのだが、何をしたら良いんだ?」
淡々とした口調だった。
試験官は一瞬、言葉に詰まる。
(まだ始まって10分なんだけど……)
思わず問題用紙に目を落とす。
ページはすべて埋まっている。
「……一度、見直しをしていただいて、その後は席でお待ちください」
少しだけ慎重な言い方になる。
「既に二度確認した」
「……では、そのままお待ちください」
「了解した」
紬は素直に頷き、椅子に深く腰掛ける。
それ以上動くことはなかった。
教室には、再び静かな時間が流れ始める。
試験官はちらりと紬を見る。
(……早すぎるだろ)
小さく息をついた。
その後、タイマーが鳴り響いた。
「試験はここまでです。解答用紙を回収します。回収後、隣の教室へ移動してください」
紬は指示通りに解答用紙を渡し、静かに立ち上がる。
そのまま隣の教室――面接会場へ向かった。
扉を三回叩く。
「どうぞ」
中から声が返る。
「失礼する」
紬は中へ入り、扉を閉めた。
「ご着席ください」
「あぁ」
椅子に腰を下ろす。
「それでは、面接を担当する横田です」
「雨宮紬だ」
軽く名乗る。
面接は淡々と進んでいく。
「あなたの長所は何ですか?」
「理解と習得が早いことだ」
「では短所は?」
「特に自覚はないが、人間社会の常識に疎い点だろう」
一瞬、空気が止まる。
「……なるほど」
面接官は軽く頷いた。
「なぜ本校を志望したのですか?」
「化学部に興味がある。知識の探求に適していると判断した」
簡潔で、迷いのない答え。
「そこかぁ……」
面接官はメモを取りながら、小さくため息をついた。
やがて――
「以上で面接を終了します」
「感謝する」
紬は立ち上がり、教室を後にした。
「早江、終わったぞ」
外で待っていた早江に声をかける。
「あれ、早くない?」
「特に問題はなかった」
「合否の発表は後日、メールでお送りいたします」
「あ……はい、よろしくお願いします」
早江は少し緊張したまま頭を下げた。
そのまま二人は校門を出る。
帰り道。
「面接はどうだったの?」
「質問に答えただけだ」
「それが一番難しいんだよ……」
早江は苦笑する。
紬は少しだけ空を見上げた。
「……学校と言う場所は、興味深いな」
「でしょ?」
早江は嬉しそうに笑った。
二人は並んで、家へと帰っていった。
後日、合格発表のメールが届いた。
「紬!合格だって!」
勢いよく声を上げる早江。
「また騒々しいね。合格するのは当たり前だろう?」
落ち着いた声で返す紬。
それでも、早江は構わず紬を強く抱きしめる。
「やったね……ほんとによかった……!」
「……だから、何故早江がそこまで喜ぶのだ」
されるがままの紬は、少しだけ呆れたように言った。
そして――
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
「雨宮さん、お届け物です」
配達員が、二つの段ボールを手渡した。
中を開けると、教科書と制服が綺麗に収められている。
「準備いいな……合格した瞬間に送られてくるもんなんだ……」
早江が感心したように呟く。
紬は制服を手に取り、しばらく眺める。
「この衣装はなんだ?以前パーティーで着たものとはまた違うが……」
「それは制服。学校行くときに着るやつだよ」
「生徒かどうかの判別か……合理的だな」
紬は小さく頷いた。
少しだけ布を触る。
「……機能性も悪くない」
「そこ見るの?」
早江が笑う。
紬は制服を持ったまま、ふと立ち止まる。
「これを着れば、私は“生徒”になるのだな」
「うん、そうだよ」
「……興味深い」
ほんのわずかに、楽しみそうな声だった。
「早江、私はいつ学校に行けば良いのだ?」
「うーんとね、12月10日だよ」
「もうすぐだな」
紬はカレンダーに視線を移す。
日付を確認して、小さく頷いた。
「あと……数日か」
「待ち遠しい?」
「待つという行為自体は非効率だが……」
少しだけ間を置く。
「今回は例外だな」
ほんのわずかに、口元が緩んだ。
「ふふ、珍しいこと言うね」
早江はその様子を見て笑う。
「学校では何をするのだ?」
「授業受けたり、友達作ったりかな」
「友達……」
紬はその言葉を繰り返す。
「それもまた、理解してみる価値がありそうだ」
「うん、きっと楽しいよ」
早江はそう言いながら、どこか安心したような表情を浮かべた。
紬は再びカレンダーを見る。
12月10日。
その日を、静かに待つことにした。




