編入生
2025年 12月10日
雨宮紬 市立九蔵家高等学校 編入
「紬、一人で学校行ける?」
会社に遅刻しそうな早江が慌ただしく言う。
「あぁ、問題ない。道は全て暗記しているよ」
「じゃあ私仕事だから!気をつけるんだよ!」
扉が閉じ、早江は駆け出していった。
「気をつけるのは早江の方だろう」
紬は静かに呟く。
初めて袖を通す制服。
軽く裾を整え、一度だけ鏡を見る。
「……これが“生徒”か」
小さく確認するように言った。
玄関を出る。
冷たい空気が頬に触れる。
紬は一瞬だけ空を見上げた。
(飛行の方が効率的だが……)
少し考える。
(目立つのは得策ではないな)
そう判断し、地面に視線を戻した。
そのまま歩き出す。
一定のリズムで、迷いなく。
やがて学校が見えてくる。
校門の手前で立ち止まり、軽く周囲を確認する。
「……ここだな」
紬はそのまま、校内へ入っていった。
「あぁ、雨宮さんかな?分かりやすくて助かるよ」
教員が紬に気付き、近づいてきた。
「下駄箱とクラスを案内するから、着いてきなさい」
「承知した」
紬は短く返事をし、その後ろを歩く。
校内の構造を目で追いながら、静かに記憶していく。
「ここが下駄箱、そして君のクラスは――1-Aだ」
「私は1-Aというクラスへ向かえば良いのだな」
「そういうこと」
教員は軽く頷いた。
そのまま廊下を進み、クラスの前へと辿り着く。
ちょうどその時――
ガラッ。
扉が開き、中から女性教師が出てきた。
「雨宮さん?」
確認するように声をかける。
「あぁ、私が雨宮紬だ」
紬は迷いなく答えた。
「私は三木咲夢乃。みんなからは“みっちゃん”って呼ばれてるけど……三木咲先生って呼んでね」
少し砕けた口調で笑う。
「承知した、三木咲先生」
「うん、いい返事」
軽く頷いたあと、続ける。
「じゃあ、クラスで編入生の紹介するから、“入ってきて”って言ったら来てね」
「把握した」
淡々とした返答。
三木咲先生は一瞬だけ目を丸くする。
(……ちょっと独特な話し方だなぁ)
そんなことを思いながら、教室へ戻っていった。
紬は扉の前で静かに待つ。
中から聞こえる、生徒たちのざわめき。
「……これが、“教室”か」
小さく呟いた。
教室の中から、少し籠った声が聞こえた。
「入ってきてー」
紬は扉を開ける。
一斉に視線が集まった。
教卓の横へと静かに歩き、立つ。
「自己紹介お願いね」
三木咲先生が軽く促す。
紬は一瞬だけ目を閉じた。
(早江と練習した通りに――)
そして口を開く。
「雨宮紬だ。本日より編入した」
淡々とした声が教室に響く。
「年齢は同学年相当。興味のある分野は主に数学と化学」
そこまで言って、一度だけ周囲を見る。
「人間関係についてはまだ理解が浅い。だが、今後学習していく予定だ」
教室が一瞬、静まり返る。
「以上だ。よろしく頼む」
軽く頭を下げた。
――数秒の沈黙。
「……よろしく、ね?」
三木咲先生がフォローを入れるように笑う。
その瞬間。
ざわっ、と小さなざわめきが広がった。
「なんかすごい子来た……」
「話し方ヤバくない?」
「でも顔めっちゃ綺麗……」
ひそひそとした声。
紬はそれを聞きながらも、特に気にした様子はない。
ただ、静かに立っていた。
「席は真ん中の一番後ろ、猫羽前さんの隣ね」
指された席には、明らかに目立つ雰囲気の少女が座っていた。
ヤンキーとギャルが混ざったような風貌。
周囲の空気も、どこか距離を取っている。
紬はそのまま席へ向かい、静かに着席した。
歩いている途中、ひそひそとした声が耳に入る。
「編入初日で猫羽前さんの隣は可哀想……」
「あの子大丈夫かな……」
紬は特に気にする様子もなく、隣へ視線を向ける。
「雨宮紬だ。よろしく頼む」
「あぁ?」
低く、少し威圧的な声。
紬は一切怯まず続ける。
「雨宮つ――」
「聞こえてるわ」
被せるように返された。
一瞬の間。
(困ったな……話が通じない)
紬は真剣にそう考える。
隣の少女は頬杖をつきながら、じっと紬を見ていた。
「……変な喋り方してんね、あんた」
「そうか?」
「そうだよ」
即答だった。
紬は少しだけ考える。
「改善が必要か?」
「いや別に。どーでもいいけど」
興味なさげに視線を逸らす。
だが、完全に無視するわけでもない。
紬はそれを観察していた。
(拒絶ではないな)
小さく結論づける。
ホームルームが終わると同時に、猫羽前は席を立ち、そのままどこかへ行ってしまった。
それを合図にしたかのように――
クラスの生徒たちが一斉に紬の周りへ集まる。
「紬……ちゃん?髪めっちゃ綺麗だね!外国の人?」
「国内で爆誕したから日本人だ」
「爆誕ってなに!?」
すぐに別の声が重なる。
「目すご……オッドアイとか初めて見たんだけど」
「色が違うだけで、ただの目じゃないか」
「いやただじゃないって!」
さらに後ろから。
「髪染めてる?」
「なんか甘い匂いする!シャンプー何使ってるの?」
「え、身長いくつ?」
「どこから来たの?」
一気に質問が飛ぶ。
紬は一瞬、周囲を見渡した。
(同時に質問されると処理が追いつかないな……)
「順番に――」
言いかけたその時。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴り響く。
「やば、授業!」
「また後でね!」
一斉に人が引いていく。
まるで波が引くように、周囲が静かになる。
紬はその場に一人残された。
「……助かった」
小さく呟く。
全員が席へ戻る中――
猫羽前の席だけが、空いていた。
紬はその空席に視線を向ける。
「……戻らないのか」
特に気にする様子もなく、前へ向き直った。
一限目が終わり、紬は猫羽前を探しに行った。
独特な匂いを追って廊下の窓から飛び降りる。
着地して、体育館裏に辿り着いた。
「見つけた。授業は受けないのかい?」
「あぁ?べつにいいだろ」
猫羽前は壁にもたれながら、気だるそうに答える。
紬はその場に立ったまま続けた。
「授業は知識を得る機会だ。放棄する理由が分からない」
「はぁ?んなもん興味ねぇからに決まってんだろ」
「興味が無いからやらない、というのは非効率だ」
「効率とかどうでもいいんだよ」
猫羽前は少しイラついた様子で言い返す。
紬は少しだけ考えた。
「では、何に興味がある?」
「……は?」
予想外の質問に眉をひそめる。
「君の行動原理を知りたい。それが分かれば理解が進む」
淡々とした口調。
猫羽前はしばらく紬を見つめる。
「……マジで変なやつだなお前」
「よく言われる」
「言われてんのかよ」
小さく鼻で笑う。
少しだけ空気が緩む。
チャイムが鳴った。
校内に響く音。
「私は授業に戻る、また来るよ」
「あぁ?来んなよ」
そっけない返事。
紬はそれ以上何も言わず、踵を返す。
そのまま一気に走り出した。
視界が流れる。
校舎の角を曲がり、階段を駆け上がる。
――速い。
教室の扉を開けた時には、まだ教師は来ていなかった。
何事もなかったかのように席へ戻る。
「……間に合ったな」
小さく呟く。
その様子を見ていたクラスメイトがひそひそと話す。
「今の戻り方ヤバくない?」
「めっちゃ速かったよね……?」
ざわめきが広がる。
紬は気にせず前を向いた。
⸻
その頃、体育館裏。
「足はっや……」
猫羽前は呟く。
少しだけ、さっきの背中を思い出す。
「……なんなんだよ、あいつ」
そう言いながらも、
ほんの少しだけ――
口元が緩んでいた。
二限、三限、四限が終わり、昼休憩となった。
紬は席を立ち、職員室へ向かう。
「失礼する。入部届を希望したいのだが、どこで貰えるのだ?」
その声に反応して近づいてきたのは三木咲先生だった。
「あ、入部届ね!ちょっと待ってて」
軽い足取りで奥へ向かう。
数分後、紙を持って戻ってきた。
「はい、希望する部活名と氏名、学年、保護者の名前を書いてね!」
「感謝する」
紬はそれを受け取り、教室へ戻る。
――扉を開けた瞬間。
空気が違った。
ざわついているのに、どこか張り詰めている。
視線の中心。
そこに、猫羽前がいた。
机に座り、周囲を睨むように見ている。
近くの数人は距離を取っているが、完全に離れきれてはいない。
何かあったのは明らかだった。
紬はそのまま歩み寄る。
「猫羽前、ここに居たのか」
「あぁ?」
少しだけ苛立った声。
だが、紬を見るとトーンがわずかに落ちる。
「呼び捨てかよ……別にいいけど」
「そうか」
紬は気にせず続ける。
「昼食は取らないのか?」
「食う気分じゃねぇ」
短く吐き捨てる。
周囲の空気がさらに張る。
紬は一瞬だけ周囲を見渡した。
(原因は外部ではなく、内部……か)
そして再び猫羽前へ視線を戻す。
「何かあったのか?」
「……別に」
明らかに“別に”ではない声音。
紬は少しだけ考えた。
「ならば、一緒に食べるか」
「は?」
予想外の提案。
「食事は気分の改善に寄与する可能性がある」
淡々とした説明。
数秒の沈黙。
周囲の視線が二人に集まる。
猫羽前は小さく舌打ちする。
「……お前、ほんとズレてんな」
「そうか?」
「そうだよ」
だが――
完全に拒否はしなかった。
猫羽前が隣でパンの袋を開ける。
ビニールの音が小さく響く。
紬は机に入部届を広げ、ペンを走らせていた。
「誘っといて食わねぇのかよ」
猫羽前がパンをかじりながら言う。
「私に食事の必要はないからな」
「は?」
動きが止まる。
「何言ってんだ?」
少しだけ、空気が変わる。
紬は手を止めずに答える。
「栄養摂取の手段が異なるだけだ」
「……意味わかんねぇ」
猫羽前は眉をひそめるが、それ以上は深く突っ込まない。
「なんの部活入んだよ」
話題を変えるように言った。
「化学部だ」
即答。
「げっ……あんな頭おかしい連中の部活入んのかよ……」
露骨に嫌そうな顔。
「知識が得られるのならば、私はどんな環境でも構わないさ」
淡々とした返答。
猫羽前は少しだけ紬を見る。
「……物好きだな」
「そうか?」
「そうだよ」
パンをもう一口かじる。
沈黙。
だが――
さっきまでの張り詰めた空気とは、少し違っていた。




