守り守られ
「サンダルとやらは、やや歩きにくいな」
「それしかなかったからしょうがないよ……」
そんなやり取りをしながら、二人は明かりの多い通りへ入っていく。
人の数が増え、音も増える。
車の走る音、話し声、店から漏れる音楽。
少女は足を止めずに、周囲を見渡していた。
「人間は、思っていたより多いのだな……あの動いている物は何だ?」
「あれは車。移動するための乗り物だよ」
短い説明のあとも、少女の質問は途切れない。
歩きながらのやり取りが、しばらく続いた。
やがて、目的の店に辿り着く。
「ここが、外食……」
扉をくぐる。
「ふむ……柔らかく、横に長い椅子だ」
席に座りながら、周囲を観察する。
「それと、その写真が載っている物は何だ?本とは違うように見えるが」
少女の視線は、テーブルに置かれた冊子に向いていた。
「ああ、これ?メニュー表。店員さんに注文すると、この中の料理が運ばれてくるんだよ」
「なるほど……」
理解したように頷く。
店の中にも、未知は尽きなかった。
「私はこのハンバーグとやらを所望する」
メニューを見ながら、少女が言う。
「じゃあ私はステーキにしよ」
早江は小さく頷き、注文ボタンを押した。
しばらくして店員がやってくる。
「ご注文お伺いします」
その声を聞いた瞬間、早江の体がわずかに強張った。
「あ……えっと……」
視線が泳ぐ。喉が締まるように言葉が出ない。
「このハンバーグとステーキを希望する」
少女が代わりに告げる。
店員は一瞬だけ視線を向け、それから丁寧に頷いた。
「かしこまりました。ハンバーグセットとステーキセットですね。ステーキにはソースが付きますが、いかがなさいますか?」
「あ……その……」
言葉が続かない。
視線を合わせることもできず、呼吸が少しだけ乱れる。
「お任せだそうだ」
少女が淡々と補足する。
「かしこまりました」
店員は一礼し、そのまま厨房へ戻っていった。
早江は小さく息を吐く。
「……ごめん、Xちゃん」
「問題ない。君が対人接触に対して強いストレスを感じる個体であることは理解している」
少女は事実を述べるように言った。
やがて、注文した料理が運ばれてきた。
「おぉ……」
少女の前に置かれたのは、鉄板の上で音を立てるハンバーグだった。肉汁が表面に浮かび光り輝き、熱で揺れている。
「これがハンバーグか……写真以上に良い出来栄えではないか」
素直な感想だった。
「ふふ……」
その様子を見て、早江は小さく笑う。
少女はしばらく観察したあと、手元の食器に視線を落とした。
「この三本の針と……ギザギザの物体は、どのように使用するのだ?」
「ああ、それはね。右手でナイフ…ギザギザを持ってハンバーグを切るの。で、左手のフォークで刺して口に運ぶ」
「なるほど……感謝する」
少女は教えられた通りにナイフを動かし、ハンバーグを切る。断面からさらに肉汁が滲み出た。
そのままフォークで一切れを刺す。
わずかに間を置いて――
大きく口を開け、初めてのハンバーグを口にした。
「これが……ハンバーグの味か。何の肉を使用しているのだ?」
少女は口の中の感覚を確かめるように言う。
「牛と豚が混ざってるらしいよ」
早江はステーキを頬張りながら答えた。
「そうか……」
もう一口、同じように運ぶ。
「美味いな……肉は」
ほんのわずかに、口角が上がる。
その変化を見て、早江は少しだけ安心したように笑った。
「そこのブロッコリーも食べな?」
付け合わせを指さす。
「私は食事を必要としないが?」
ハンバーグのソースを頬につけたまま、少女は淡々と返す。
「いいから食べな?」
「早江が食べてい――」
「食べな?」
少しだけ強めの声。
少女は一瞬止まり、やがて小さく頷いた。
「……分かった」
フォークでブロッコリーを刺し、そのまま口に運ぶ。
食事を終え、会計を済ませて店を出る。
「実に興味深い体験だった」
少女は満足そうに呟いた。
帰り道、再び人通りの多い通りへ入る。周囲を観察していた少女の横で、突然声がかかった。
「お姉さん、暇?俺たちいい店知ってんだけど、行かね?」
三人組の男が、早江に近づいてくる。
「あ……いや……」
その瞬間、早江の体が固まった。視線が泳ぎ、声がうまく出ない。
「まぁまぁ、とりあえず行こうよ」
金髪の男が軽く手を掴む。
その手を、別の手が止めた。
「早江は、お前を好ましく思っていないようだ」
少女が静かに言う。
「……なんだこのガキ?」
「いいじゃん、まとめて連れてこうぜ」
残りの二人が、少女の腕を掴む。
次の瞬間だった。
「っ……!?」
男たちの手が、わずかに跳ねる。
少女の腕から伸びた細い針が、皮膚を掠めていた。
「痛って……なんだこれ……」
戸惑いの声と同時に、二人の男の視線がぶれる。
そのまま、力が抜けるように倒れた。
「おい!どうしたんだお前ら!」
残った一人が叫ぶ。
少女は変わらない声で言った。
「もう一度言う。その手を離せ」
一瞬の沈黙。
「……チッ」
男は舌打ちし、仲間を置いたまま足早に去っていった。
静けさが戻る。
「ありがとぉぉXちゃん!怖かったぁぁぁ」
緊張が解けた早江が、その場で少女に抱き付く。
「ハンバーグの礼だ」
少女は淡々と答えた。
その後は、特に何も起こらなかった。
二人はそのまま家へ戻った。
「はぁ……なんとか帰って来れた……」
早江はカーペットの上に倒れ込み、そのままゴロゴロと転がる。
「もう就寝の時間かい?」
「お風呂入ってから寝るー」
そう言って、そのまま浴室へ入っていった。
残された少女は、部屋を見回す。やがて押し入れを開け、布団を取り出した。
畳まれたそれを見つめながら、わずかに首を傾げる。
そして、そのまま体を預けた。
ボフ、と柔らかい感触が全身を受け止める。
少女は一度だけ瞬きをして、もう一度同じように身を沈めた。
――悪くない。
しばらくその感触を確かめていると、浴室の扉が開いた。
早江が戻ってくる。髪を乾かしながら、少女に視線を向けた。
「Xちゃんもお風呂入らないの?」
「入浴か……私には不要だな」
「入んないと汚いよ?」
そう言って、早江は少女の頭に顔を近づける。
(……なんだろ、この匂い……甘い……)
一瞬だけ、懐かしさのような感覚がよぎる。
「いつまで嗅いでいるのだい?」
「ごめん!でも一応入っといたら?」
少しだけ慌てて離れ、言い直す。
少女は考えるように間を置いた。
「……そこまで言うのなら、入るとしよう」
浴室へ向かう。
しばらくして――
ガラッ、と扉が開く。
「シャンプーとコンディショナーの違いは何だ?」
少女は最初に出会った時の姿で現れた。
「タオル巻いてから出て!?」
簡単な説明を終え、少女は再び浴室へ戻った。
やがて上がってくる。
「入浴という体験も悪くなかった。それに、この匂いは好ましい」
「そう?よかった」
早江は少しだけ笑った。
「さて……寝るか」
相変わらず狭い布団に、二人で潜り込む。
だが早江はすぐには寝ず、スマホをいじっていた。
「眠らないのか?」
「何かに集中してから寝ようかなって……」
そう答えた直後、少女の顔がぐっと近づく。
「私に集中すれば良いのではないか」
カーテン越しの月明かりが、白い髪とオッドアイを淡く照らしていた。
(……改めて見ると、顔整ってるな……)
一瞬だけ見入る。
そのまま、少女が口を開いた。
「早江。キスという行為を試してみないか?」
「急に何言ってんの!?」
思わず声が上がる。
「人間はスキンシップとしてキスを行うと学習したが、誤りか?」
「無駄な知識を取り込むんじゃない!」
慌てて顔を逸らし、そのまま布団に潜り込む。
しばらく沈黙が続いたあと――
「……ほっぺなら、いいよ」
小さな声で呟く。
「そうか」
少女は素直に頷き、早江の頬に軽く唇を当てた。
一瞬だけ触れて、すぐに離れる。
「……よく分からないな」
淡々とした感想だった。
(何がしたいんじゃお前はぁぁ!)
顔を赤くしながら、早江は内心で叫ぶ。
そのまま二人は、同じ布団の中で眠りについた。




