表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
糸を紡ぐと願いになるのかもしれない  作者: 色彩和


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/7

第五章 最初の依頼――製作

 Ⅰ


 穂希は手芸綿を取り出し、手のひらに収まるぐらいの綿を手に取った。少し調整して自分の手のひらにきちんと綿が収まることを確認すると、綿を一時的に机に置いてから手芸綿の袋の口を縛った。

 そして、先に出しておいた赤のミシン糸を取り出すと、ミシン糸の先端を綿に巻き始めた。そのまま、黙々とミシン糸を巻いていく。

 それを見ていた月読命がきょとりとしてから。

「……綿の量って、適当なんですか?」

 穂希の手元を感慨深そうに覗き込みながら質問をしてきた。

 穂希は手を止めることなく、ちらりと月読命を見てから質問に答えてやる。

「私の感覚で言うと、大体手のひらぐらいだな。何度か作っていると、綿の量は感覚で分かってくる。私の場合だと手のひらに収まるぐらい、綿がはみ出さないぐらいがベスト、ってところか。サイズが違ったら綿を足すこともあるな。少なめにしておくと、綿を足して調整できるから融通が利くってところかな」

 視線もほとんど外すことなく、穂希は答えた。

 それもそのはず、この糸を巻いていく行為が非常に難しいのである。一瞬でも油断すれば命取りだ。

 それに、今は別の問題もあるしな……。

 穂希は黙々とミシン糸を巻いていった。その間に多少説明を加えることにする。

「ミシン糸を綿の白い部分が見えなくなるまで巻き続けていく。白を赤で塗り潰すような感覚だな。ただ、ここからが油断できない」

「……と、申しますと?」

「まあ、見ていれば分かる」

 穂希はそれから黙り込んだ。集中するためだ。先ほどよりも熱心に、一心に糸を巻き続けた。

 月読命もそれ以上口を挟むことはなかった。興味深そうに穂希の手元を観察するだけであった。

 おそらく、穂希のただならぬ気配を感じ取ったのだろう。じっと穂希の手の動きを見ているものの、質問や感想などはぐっと耐えているようであった。

 その時だった。

 穂希の手から、手まりが転がり落ちたのは。

 床に跳ねてテン、テンとリズムを刻んだ後にコロリと転がってやがて止まった。巻いていたミシン糸は、いまだに本体と繋がっている。手まりが見つからない、ということはないはずだ。

 だが、穂希はため息をつく。

「あーあ、やっちまった……」

 穂希は残念そうに呟きながら手まりの元となる部分を拾い上げる。

 とりあえず確認してみれば、糸は絡まっていないようだった。しかも、転がったわりにはそこまで糸が解けていなかったようで、不幸中の幸いだった。そこまで酷い有様になっていなかったことに、穂希はまず一安心した。

 月読命は一連の行動を眺めてから首を傾げて。

「……何がそんなにいけなかったのですか?」

 不思議そうに問いかけた。

 穂希は手まりの土台を見せつつ告げる。

「転がっただろう」

 すると、月読命はきょとんとしながら不思議そうに頷く。

「? はい」

「これが、良くないんだ」

 穂希は肩を竦めて見せる。

 月読命は訳が分からないとさらに首を傾げた。

 周囲にはてなマークが飛び交っている幻覚が見えたが、穂希はそれに触れることなく説明をする。

「ミシン糸を巻いていくこの作業は、手まりの土台を作っているところだ。だが、転がるとせっかく巻いた糸が解けるし、下手をすれば糸が絡まるんだ。さらには、巻いていた糸がずれて本来解けていなかったところから解けることもあるんだ。そうなると、前に巻いていた部分が分からなくなるし、形も崩れやすくなる。できる限り落とさないようには常日頃気を付けているんだが、何分土台が小さくてな。つい、落としてしまうことが多いんだ」

 穂希の言葉に、月読命は視線を穂希の手の中にある手まりの土台へと注ぐ。じっと顔を近づけて観察すれば、確かに彼女の言う通り巻かれていたはずの糸が解けたのだろう、巻かれていない糸が大幅に余っている。ミシン糸の本体と手まりの間を繋がっている糸が不自然なほどに残っているのだ。これが先ほどまで彼女が集中して巻いていた糸なのだろう。

 だが、これはまだ良いほうだった。巻いていた糸が少し解けたものの、土台に巻かれている糸は崩れていない。糸の崩れが大きければ、それこそ巻きなおしたほうが良い場合もある。加えて、綺麗な手まりに近づけるのであればなおさら必要なことであった。

 すると、ふと思い出したらしい月読命が口を開く。

「……そういえば、結局願いはどうしたのでしたっけ?」

「神様がそれで良いのかよ。……この中に入っているぞ」

 あっさりと答える穂希に、月読命は目を見開いて半ば叫ぶようにして返す。

「いつの間に⁉」

「さっき預かったじゃないか」

 穂希は何を今さらと言わんばかりに告げた。

 少し時間は遡るが、穂希は手まりを作る前に月読命から今回の願いを預かっていた。

 願い自体に触れることはできない。

 針で刺されることもない。

 それを知って、穂希は綿の口を縛りながら考えていた。

 綿の中に入れるとしても、それは自分ではできないってことか……。

 そう思ったらやることは一つしかなくて。

 穂希は自身が用意した綿の塊を少しだけ広げて、そしてその空間を指差しながら小声で告げる。

「この中に入ってもらうことはできないだろうか」

 すると、意外と願いの球体はすんなりと綿の窪みへと収まってくれた。

 穂希はそれに内心安堵しつつ、その球体をゆっくりと優しく綿で包み込む。その上からミシン糸を巻き出していたのであった。

 本来、土台を作る際は糸が解けないようにときつめに巻き付けるようにしているのだが、普段と違って中には願いを込めている。人の願いを締め付けているような感じがして、きつめに巻くことに抵抗を覚えたのだ。

 そんな普段よりも緩く巻いている状態で床に転がったため、穂希は気がかりだったのだ。

 あまり人様の願いが込められているものを転がしたくはなかったんだが……。

 穂希はやれやれと首を横に振る。

 糸が解けること自体もよろしくはない。だが、それよりも人の願いが込められているものを転がすほうが何倍も気になってしまった。

 大事な人の思いだ。できれば傷もつけたくないし、安易に扱いたくもない。手荒なこともしたくないし、雑にもしたくはなかった。

 大事なもの、それを他人に好き勝手にいじられるのは穂希だって嫌なことだ。他人だろうが、何だろうが、傷つけてほしくないと思うし、軽々しく扱って欲しくもなかった。

 相手だって、そう思う人もいるだろうからな……。

 穂希の考えが万人受けするものかはよく分からない。だが、これだけ多くの人間がこの世界で住んでいるのだ。同じ考えを持つ者が何人かいてもおかしくない。

 穂希は目を閉じた。

 すると、月読命が妙に静かであることに気が付いた。穂希は視線を月読命へと移せば、件の神様はポカンとしていて。それから、何か嬉しそうに笑った。

「傷がつかないと、触れることができないとお伝えしましたのに、律儀なお方ですね」

 穂希はその言葉に肩を落とした。

「律儀とかそういう問題じゃないだろう。……誰かの大事な気持ちをぞんざいに扱いたくはない。私だって自分の気持ちが大事だからな。ただ、それだけだ」

 穂希は月読命へと意思のこもった瞳を向ける。

 本心だった。人の気持ちというのは、自分にとっても、相手にとっても大きいものだ。

 変えたくないし、変えられたくない。

 他人に触れられることすら、嫌う人もいることだろう。

 だからこそ、極力ぞんざいに扱うようなことをしたくはないのだ。

 自分の気持ちだって、大事にしたい。

 だが、自分の思いを大事にすることは難しい。人の思いに応えることも難しいと思う。

 それでも、穂希はできることはしたいと思っていた。

 何ができるのか。そんな自問自答を繰り返したって仕方がない。

 大層なことができなくても、自分にできることがどれだけ些細なことだとしても、それを微力だろうと出し惜しみはしたくなかった。

 穂希が迷いなく告げたからか、月読命は満足そうに頷く。

「それでこそ、私が見初めたお方です」

 にこにこと笑ってそう告げるので、穂希は静かに返答した。

「それは誤解を招くからやめろ」




 Ⅱ


 穂希は作業を再開した。解けてしまった糸を丁寧に巻き直し、綿の白い部分が見えなくなるまで、丸くなるように意識しながら続けていった。

 同様の場所ではなく、糸を巻く場所を散らして。

 そうすることで、綺麗な球体に近づいていくのである。

 ようやく巻き終わったところで、球体は綺麗な赤に染まっていた。どこを見ても、赤く熟れたりんごのようである。

 穂希はある程度の糸を残して、糸を切った。ミシン糸本体のほうは糸の端が分からなくならないように、留め具に引っかけて箱へと戻してしまう。

 それから穂希は月読命から預かった針へと手を伸ばした。針山に刺さっている、存在感をこれでもかと放っている針へとゆっくりと。

 少し緊張していた。理由も分からないが、手に震えが走る。

 穂希は一つ息をついた。伸ばしていた手をそのままに、針を掴む前に言葉を紡ぐ。

「……力を、お貸しください」

 針に力添えを頼みながらそれを掴む。そして、針山からスッと引き抜けば、針先が虹色に輝いていることがよく分かった。

 穂希は針を手に取ってはたと気が付く。

 ……力が湧いてくるのも、伝わってくるのもそうだが、妙にしっくりくるな。

 針にそう変化はないはずだ。

 筆記具や道具のように、メーカーによって形が変わってくるもののほうが少ない。針で異なってくるとすれば、太さや長さ、あとは用途ぐらいだろう。

 だが、穂希が普段使用している針とは全然違う。初めて持つ針だというのに、手になじみ過ぎている。

 まるで、穂希が使うために、専用で作られたかのようであった。針の特注品、なんて聞いたことがなかったが、それぐらいしっくりと来たのである。

 穂希は気を取り直して手まりの土台から出ている糸の先端を、針孔へと通した。迷いなく一発で針孔へと入れられるようになったのは、手まりを作るようになってからだった。昔はなかなか針孔へ糸を通すのに苦労していたというのに、今では迷いなく通すことができていた。

 針を持って、手まりの土台と向き直る。

 余談だが、穂希は針孔へと糸を通す際も、針を手にしたときも、手まりの土台から一切手を離していなかった。土台の糸の巻き終わり部分を指で押さえて解けないようにしたまま、一連の動作を行っていたのである。

 これも、手まりを作るようになってから身に着けた術であった。

 そして、理由は簡単である。

「何故、そちらの糸を針へと通すのですか?」

 月読命は疑問を口にする。

 穂希はケロッと答えた。

「糸が留まっていないからな」

「そう、なのですか……?」

「巻き付けただけなんだよ、今の状態は」

 そう、今は本当に綿に糸を巻き付けただけだ。これではいつ解けてもおかしくはない。それを留めるために、針を使うのである。

 穂希は答えてから糸が解ける前にと針を進ませることにした。

 あまり中心部、つまり人の願いの位置には触れないようにと気を付けているものの、どうやら問題はなさそうで。

 なるほど、当たっている感触がないな。

 感触があるのかどうかは定かではないものの、穂希が針を進めていても何か起こるような気配はなかった。だが、時折針が進む位置を変えているらしく、たまに振動が走る。針が微妙に進む位置を調整してくれているようだ。

 願いの本能とやらと合わせて当たらないようだ。普通に針を進めても問題はなさそうだな……。

 穂希は手を進めながら納得する。

 ミシン糸が解けないようにと綿の中にくぐらせながら表の部分も解けないようにと気を付ける。

 手まりの土台の糸は意外とほつれやすい。力が弱いと緩むこともある。

 慎重に、丁寧に。綺麗に、解けないように、傷つけないように意識して。

 今まで当たり前のように行っていたことが、急に難しく感じた。綺麗に作りたい、そう思っていたのは常日頃からであったが、やはりプレッシャーが頭を過っていく。

 焦らずに、急がずに、それが穂希の頭を占め始めていた。

 世の人々はすごいものだ……。

 穂希は内心感心する。いや、尊敬に近かっただろう。

 今やハンドメイドをSNSで写真掲載して、販売している人は多い。スマートフォンが普及して、SNSが普及してからは特にそういう人が目立つようになった。

 自身の作ったものを、売り物として販売し、生計を立てている。下手なものを売ろうものなら、それこそすぐに評判がSNSで流れ、クレームだって入るはずだ。

 自分は「良し」としても、相手は「良し」とはしない。

 自分が「合格」だと思っていても、相手は「不合格」をつけるかもしれない。

「喜んでもらえると良い」そう思っていても、相手は喜んでくれないかもしれない。

 そのプレッシャーの中で覚悟を決めて世のハンドメイド作家たちは世界に販売している。

 それはハンドメイドに限られた話ではない。

 すべての事柄に通ずるものだ。

 穂希はだからこそ慎重になっていた。普段通り作る時よりも、何万倍も気を付けて。少しでも相手に喜んで貰えるようにしたいのである。

 自己満足だろうが、何だろうが、これが私のやり方だ。

 何も持っていないと思うから。

 唯一自信が持てるものだと思うから。

 だからこそ、自信を持ったまま終わりたい。

 自信が不安に変わるのは――。


 ……もう、たくさんだ。


 穂希は瞳を閉じる。雑念が入る、それが分かって思考と手を止めた。

 ……この手まりに込めたいのは、不安でも後悔でも、絶望でもない。

 そう、穂希は作る側の人間。その人間の思いを、負の連鎖にしてはいけない。

 この手まりに込めたいのは、人の願い――。そして、自信、勇気、希望……、それと前へ進むための意思。

 それを込めるのに、今の穂希の気持ちは不要だ。

 深呼吸する。何度か繰り返すと、雑念が取り払われた。

 すると、針が小刻みに揺れる。手元で揺れるそれは、「大丈夫?」と穂希を心配しているようであった。

 穂希はそれを見て、口元を緩める。そして、今度は自信に満ちた表情でしっかりと答える。

「――大丈夫」

 穂希は作業を進めていく。糸を何度か張り巡らせると、ギリギリのところで糸を切った。これで糸の端が土台に隠れて見た目も綺麗になるのだ。

 こうして、土台が完成を迎えた。

 さらにここから模様をかがるための位置づけをしていかなくてはいけない。

 穂希は白のミシン糸を手にしながら、月読命へと説明をする。

「これに鳥かごみたいな糸を張り巡らせていく。これが模様をかがる時に一番重要になってくるんだ。少しでも位置がずれてしまえば、模様が歪になる」

「手間がかかっているんですねー……」

「時間がかかる理由が分かったか?」

 穂希が尋ねれば、月読命が頷く。

 それが分かってもらえれば、穂希としては十分であった。

 ……まあ、私だって最初は知らなかったんだ。何も知らないと言った月読命が知らないのも無理はない。ただ、すぐに作れないことが分かれば、そう無理難題を押し付けられることはないだろう。あとは……、私がどれだけ早く綺麗に作れるかどうか、だな。

 穂希はミシン糸を解き始め、両手を広げる。両手を広げたぐらい、その長さで糸を切った。そして、月読命から預かった針に糸をスッと迷いなく通し、糸の片端に小さな玉止めを作る。

 それから、一度針を針山に戻すと、今度はメジャーを取り出した。そして、手まりを細かく測っていく。横にはまち針がたくさん刺さっている針山が常備されている。すぐにでも手が届きそうな距離であった。

 穂希が今行っていることは、「地割り」と呼ばれていた。手まりを等分に分割することで、かがる模様によって張り巡らされる糸の本数が違ってくる。名称は「赤道」、「北極」、「南極」と地球儀に用いてつけられているため、どちらかと言えば簡易的な地球儀を作成している、というイメージになるだろう。

「赤道」は、球体上下で半分にしている糸。

「北極」は、赤道で分けられた上側の頂点。

「南極」は、赤道で分けられた下側の頂点。

 そう名称付けられていた。ただ、穂希も書籍で覚えただけなので、何故その名称となっているのかは知らなかった。

「名称が変わっていますね」

 月読命が穂希の説明を聞きながら感想を述べる。

 穂希は「そうだな、」と告げつつ、月読命へと説明を続ける。

「鳥かご、というよりは地球儀、のほうがイメージがつきやすいのかもな」

 実際に書籍を読んでいると、地球儀で例えている。北極と南極、その間に赤道が通っていて、経線のみが張り巡らされているように見える。緯線だけがないような状態に近いだろう。

 ……それにしても、誰かに教えるということは本当に難しいものだな。

 穂希はふむと頷きながら製作を続ける。

 作り方は基本的に分かっている。だが、模様をかがる時だけは書籍を横に置いて製作したほうが良いだろう。

「桜の模様をかがる時は、十等分にしておけば良いからな。この球体を均等に十等分。それだけ意識してきちんと計測して行えば難しくはない」

 穂希は計測してまち針を打ち、そしてさっさと糸を張り巡らせる。綺麗に十等分された地球儀もとい手まりの土台が完成した。

「……よし、できた」

「……早い、ですね」

 月読命がキラキラと目を輝かせる。穂希が製作した手まりの土台だけでだいぶ感動してくれているようであった。告げられた感心の言葉自体にも、嘘偽りないようである。

 穂希は多少照れくささを感じたものの、表には出さずに説明を続ける。

「糸をかがるよりも、計測するほうが時間がかかるんだ。しっかり測って、位置づけをしておかないと綺麗な手まりにはならない。それこそ、地割りの時点でガタガタになる可能性が高い。地割りが失敗したら、すでに手まりが綺麗にならないと言っているようなものだ。模様が対比にならずに、歪になるからな。計測を一番重視して行っておかないとな」

 穂希は出来上がった土台をぐるりとすべて確認する。

 ……北極も南極もずれはない。赤道も……多少、歪んでいるように見えるが、十分修正は可能だな。……綺麗に作れる。

 内心安堵した。どうしても歪みができてしまう。北極、南極にはほとんど心配していなかったが、一番気になっていたのはこの赤道だ。赤道はどうしても歪みやすい。きっちり測って位置づけしていてもずれやすいのだ。だが、今回のずれはほとんどなく、多少歪んでいるように見えるそれも、何とか修正はできる。模様をかがる際に十分気を付けていれば問題はなさそうだ。

 理解はしていても、極力綺麗に作れるように最善の策は取っておきたい。

 穂希は安堵して、再度気合を入れなおす。

「さて、いよいよ模様をかがるぞ」




 Ⅲ


 穂希は机にあったミシン糸をすべて片付けると、今度は刺繡糸をずらりと並べた。それから、手まりの土台と見比べながら、じっと刺繍糸を見つめて選別する。

 薄桃、臙脂、赤など、色とりどりの赤系統の色が視界を埋め尽くしていた。その中に白も混ざってはいるが、白はどの手まりでも使いやすい色だ。色が映えやすく、しかもどの色にも合いやすい。使いやすいからこそ、白の刺繍糸はすぐになくなるのだが、今回の桜にも十分使えるだろう。

「全部の色を使うのですか?」

「まさか」

 穂希は月読命の問いに、首を横に振った。それから、一つの刺繍糸に手を伸ばす。白だった。それだけは使うことを決めていたからである。

「とりあえず、白は使いやすいから入れる。桜も見方によっては白にも見えるしな。あとは……、薄桃やピンク、かな。大体手まりに使う刺繍糸は五、六色ぐらいなんだ」

「少ないんですね……」

「大きさにもよると思うが、私が作るのは直径八センチの世界だからな。それに、今回の桜に関しては四色で模様をかがる。あまり色が多いとどこでどの色を使っていたか分かりずらくなるし、色がごちゃごちゃする。せっかくの手まりが綺麗に見えないのは勿体ないだろう」

 赤の土台に、白の地割り糸。地割り糸、というのは先ほど穂希が計測して張り巡らしたかがる位置づけの糸のことだ。赤の土台も、白の地割り糸も、刺繍糸で模様をかがったとしても色が見える。刺繍糸すべてで隠れるわけではない。

 だからこそ、色の選別と相性が重要となってくるのだ。

 赤と白に合い、それに映える色であって、さらに本来の目的である背中を押せるような作品。

 それを作るために、穂希が何をすれば良いのか。

 華やかで、なおかつ前の向ける色、か……。

 穂希は思考の海に潜る。

 桜と言えば、ピンクを思い浮かべる人が多いだろう。だが、実際に桜を見てみると、品種にもよるがとても薄くどちらかと言えば白に近い。多くの人が見るソメイヨシノはほとんど白のように見えていた。

 ただ、それはあくまで穂希の主観。そして、穂希の感じ方に過ぎない。

 イメージは人によって変わる。それは百も承知だ。だが……。

 穂希は思案する。頭の中で手まりのイメージを組み立てた。土台はすでに出来上がっている。あとは模様をかがった時の印象がどうなるかである。

 花の模様を思い浮かべ、そして白からピンクのグラデーションを描く。外側になればなるほど色が薄くなっていくように、刺繍糸を手に取りながら組み合わせていく。あまり細かく薄さを刻んでも分かりにくいだろう。手まりの模様としてかがれるのは四色。それ以上にかがれば幅が足りずに、模様が綺麗に刻まれずに収縮されてしまう可能性が高い。

 穂希は臙脂や濃いピンクを除外した。赤も除外する。

「赤と混ざりそうだから濃い色は基本除外。ピンクまでにして、基本的に薄い系統で模様をかがろう。作品のイメージにもぴったりだろう」

「……あの、一つ聞いても良いでしょうか?」

 月読命がおずおずと口を開く。

 物珍しい言い方に、穂希は手を止めて首を傾げた。

「? 何だ?」

「どうして、土台の色を赤にしたのでしょうか? 桜の色として残るのであれば、土台の色を薄桃などにしても良かったのでは?」

 月読命の言葉は確かだった。刺繍糸でかがったとしても、桜の花の中は赤が目立つだろう。花の形としては薄桃や白が目立つだろうが、花弁の色としては赤の印象が強くなる。

 それは穂希も理解していた。

 だが――。

「ああ、それは、な」

 穂希は刺繡糸を手にしながら告げる。

「単純に桜の花をかたどるのが刺繍糸だから刺繍糸をピンクとか桜に近い色にしたいと思った結果だ。それに――」

「それに?」

 月読命が言葉を繰り返す中、穂希は「あー」と言葉を零しながら自信なさそうに告げる。

「……その、赤って、よくお守りで使用されている色、だろう?」

 穂希に自信がなくても仕方がないだろう。何せ、穂希のお守りに対しての記憶は朧げだ。最近ではお守り自体に触れた覚えもない。

 だからこそ、お守りに関しては自信がなかったし、不安で仕方がなかった。

 月読命はぱちくりと目を瞬いてからゆっくりと頷いた。

 穂希は安堵の息をつく。それから言葉を紡いだ。

「お守りを作るってことだったし、お守りの色のイメージが強かったからさ。それに、赤って祝いの色にも思えたから。どこかに赤は入れたいと思っていたんだよ」

 穂希は眦を和らげる。とても優しい表情であった。

 それが月読命には慈愛の表情のように見えていたのだが、当の本人はまったくこれっぽっちも知ることはなかったのであった。

 穂希は選別した刺繍糸を手元に残し、今回使用しない糸たちは箱へと戻した。間違えて使用しないようにと防止策であることと、作業スペースを確保するためであった。

 一色、たった一色もともと使用しない色が入るだけで、かなりできた時の印象が変わってくる。

 色は大事だ。特に、色が細かく分かれている時は。

 大まかに、赤や青、黄色といった括りならば大抵違いは分かるだろう。だが、今回みたいにグラデーションを作ろうと考えると、一つ色がずれただけでだいぶ予定と狂ってしまうことがある。イメージと違う、予定と違う、使おうとしていた色と違っていて失敗してしまった。そんなことになっては困るのだ。

 自分の趣味の範囲とは違う。金銭が絡んでこないとしても、相手に渡す物なのだ。

 油断大敵、最後まで気を引き締めておく必要があった。少しでもミスを防止できるように、策は打っておくべきだ、穂希はそう考えて特に使わないものは自分の領域から遠ざけるようにしていた。

 色の変更は確かにある。作っていく中で、別の色のほうが良いと考えることがあるのも事実だ。

 だが、それはごくまれなこと。基本的に最初に選んだ色から変えることはない。

 だからこそ、最初に色はしっかりと決めている。

 それに、今回の手まりに関しては特に、後から「こうしておけば良かった」は通用しないのだ。

 穂希は一瞬悩んだ。そして、一応赤の刺繍糸に再度手を伸ばしてみる。

 赤色の話が出て少しだけ迷いが生じたのだ。片付けた赤色の刺繍糸を手にして、再度手まりの土台に照らし合わせた。それから、一度選択した刺繡糸の色と照合してみる。

 だが、どれも違うように思えた。赤色の刺繍糸はこの場では使えない、そう思ったのである。

 やはり、ピンク系で合わせたほうが良さそうだ……。

 ピンクから白へグラデーションになるように、最初の決定を覆すことなく桜をかがることに決める。

 赤色は差し色になるかとも考えたが、やはりバランスが崩れそうな気がした。それもあって、穂希は赤色の刺繡糸を使用することをやめたのであった。

 穂希は選んだ刺繡糸をそのままに、今度はにしきいとへと手を伸ばした。

 にしきいとは刺繍糸で模様をかがった後に、帯の糸として使うものだった。にしきいとは金色や銀色など特に輝きを放っている糸で、着物の帯のように手まりに彩りを与えてくれる存在だ。たまに、色によっては刺繍糸で帯を巻くこともあるが、にしきいとだけでもカラーバリエーションは豊富だ。赤はルビーのように、青はサファイアのように刺繡糸とは違った輝きを放っているため、また違った雰囲気が出る。

 穂希もにしきいとはたくさん所持していた。

 その中でも、今回手にしたのは金色だった。赤に金色は良く映えるし、相性が良い。にしきいとでは特に金色をよく使うが、赤とのセットが多いように思える。ただ、それはあくまで穂希の主観であったが。

 にしきいとの色は金色だと決めていた。だが、そのにしきいとの上にかがる糸の色を決めかねていた。にしきいとは帯のようにぐるぐると赤道の上に巻くだけだなので、その上にさらに刺繡糸などをかがるようにしてある。大抵その二種類の帯を巻いて手まりは完成するのだ。

 最後は帯をかがるが……。赤の土台に、金のにしきいと。白、だと少し締めとしては悪いかもな……。

 金に刺繍糸の白を合わせてみる。悪くはなかった。悪くはなかったが、ピンとこない。何か物足りないように感じた。

 悩んで、合わせて、穂希は試行錯誤する。

 グラデーションを作った中で一番濃いピンクにするか……。いや、それは微妙だな。薄いピンクじゃ白とほぼ変わらない。白……、うーん、納得がいかないんだよなあ。その状態では作りたくない。

 さて、どうするか。答えはない。正解もない。あるのは、穂希の中で決められる答えだけ。それが正解か不正解か、合うのか合わないのかは必ずなんて言えない。

 それでも、穂希が納得がいかない限り、手を付けることはできなかった。

 その中でふと思い出す。それこそ、先ほど自分が出した結論だった。

「ああ、そうか、」

 穂希は言いながら箱に手を伸ばした。月読命が不思議そうにその様子を窺う中、穂希は赤色の刺繍糸を手にする。

「さっき、自分で考えていたじゃないか」

「赤色、ですか……」

「ああ、帯の最後、金の上に赤をかがろう」

 土台の色と帯の締めを一緒にするのは悪くない。むしろ、相性が良いほうだろう。

 それに、金には赤色がよく映える。それは先ほどの土台とにしきいとを合わせていた時にも思っていたこと。

 ならば、帯を金と赤にしよう。

 穂希はそう決める。

 これで、糸の色がすべて決まった。

 楽しくなってきた……。

 穂希は再度メジャーを取り出す。今ではプレッシャーすら楽しく思えてきた。自分の気分が高揚していることがよく分かった。

 震えはない。

 怖れはない。

 自分が背中を押すために相手の手まりを作るのだとするのなら、自分も楽しんで前向きに作ったほうが良い。そう思えてきていた。

 メジャーを手まりの土台、一つの経線――これを「柱」と手まりの書籍では記載されていた――に当てる。赤道から〇.五センチ離れたところにまち針を打つ。柱は全部で十本、一本置きにまち針を打っていけばまち針が合計五本打たれる。

 そこが針を通る位置だ。

 赤道から離れたところに打つのは、帯を巻くためだ。刺繍糸を何度かかがるが、これだけの空間があれば帯が綺麗に巻かれる。

 書籍を発行している人はすごい、よく考えている。穂希はいつも作るたびに感心していた。

 作る時に何故だろうと疑問に思っても、その後で必ず理由が判明する。理由が記載されているときもあるし、理由に触れていないこともある。それでも、自分なりに解釈できるように書籍が記載されていて、穂希の中で納得して製作することができていた。

 私がこの書籍と出会わなければ、自信を持つことすらできなかっただろう……。

 手まりと出会わなければ、今ですら何も自信を持つことができなかったかもしれない。

 私にも、誰かの背中を押すことができるというのなら……。力を貸してください、書籍の方。

 穂希は内心願いながら作業を続けた。上からまち針の位置を確認する。計測していても、たまにずれていることがある。赤道を十分注意して張り巡らせていたとしても、測り方によってずれることがあるのだ。

 そのため、模様をかがるまえに穂希は刺したまち針の位置を確認するようにしていた。

 均等に打たれている、大きなずれはない。穂希はそれをしっかりと確認する。

 地割りと一緒だ。ここでずれると模様が綺麗にかがれなくなる。対比した時に格好が悪くなるし、模様が歪になってしまう。

 それだけは、避けたい……。

 穂希は慎重に進める。まち針の位置に満足すると、今度は刺繡糸に手を伸ばした。

 最初は選んだ中で一番濃いピンク。世間一般でピンクと言われる、薄くもなく濃くもない中間の位置の色。イラストの桜やうさぎによく使われている色だろう。

 刺繍糸をだいたいの長さ――穂希の中では三回解いたぐらいと決めている―で切ると、刺繍糸を解いていく。

 その行動に月読命は慌てた。

「ま、待ってください!」

「は?」

 穂希は手を止めた。怪訝な表情で月読命をじとっと見つめる。だいぶ興が乗ってきたところで止められたのだ、少しぐらい不機嫌になっても仕方がないだろう。

 だが、月読命は両手を激しく動かして、パニック状態で告げた。

「な、なんで刺繍糸を……! 一本そのまま使うんじゃないのですか⁉」

「太いからな」

 穂希はケロッと答えてから月読命を無視して糸を解くことを再開した。

 月読命が「あー」だの「うー」だの言っている中で、穂希は手を動かしがら説明してやる。

「刺繡糸を一本そのまま使うと、この手まりには邪魔なんだよ」

「え……」

「刺繡糸は解くと六本の糸でできている。それを直径八センチの手まりで模様をかがろうとすると、模様が潰れちまうし、何より刺繡糸が太すぎてかがりにくいんだ。特に、何色か色を重ねるからな。一本か二本で十分なんだよ」

「ちなみに、基本的に二本でかがる」と穂希は続けた。

 月読命は説明を聞いてようやく落ち着いてくる。

 穂希はその隙にゆっくりと時間をかけて刺繍糸を解き終わる。時間をかけないと、糸が絡むことが多いのだ。絡まってしまうと解くのは困難だし、貴重な糸を捨てなくてはいけなくなる可能性がある。それよりは時間をかけて解いたほうが良いのである。

 解いた刺繍糸の二本を取り出し、綺麗に並べて一本の糸にする。そして、それも迷いなく針の穴へと通した。スッと通して、糸の先端に小さく玉止めを作る。

 準備は万端だ。

「頼むぞ」

 穂希は再度針山から針を抜いた。そして、一本の柱の右側、まち針の位置から針を入れ、左側から針を出す。そして、右隣の柱の頂点――今回は北極――のぎりぎりのところで柱の右側から針を入れ、左側から針を出す。今度はさらに右隣のまち針の位置で右から左へと針を通していく。

 これをぐるっと一周行った。

 そして、かがり始めた柱まで戻ってくると、最初の糸の下にくぐらせてから右側に針を入れ、その柱の左隣へと針を出す。そこにもすでにまち針が打たれており、同じく〇.五センチの位置を示していた。

 今度は下から〇.五センチを測った柱と上から〇.五センチ測った柱の二種類ができて合計十本のまち針が打たれた。

 下から測ったのは、先ほど〇.五センチ測った柱とは違う柱。

 上から測ったのは、先ほど〇.五センチ測って糸がすでにまち針の位置を通っていった柱だ。

 これから二周目をかがると、桜の花弁が出現してくるのである。

 穂希は二周目をかがり始めた。すると、先ほどとは違ってかがる位置が違うからか、模様が揃わなかった。だが、確かに桜のように見えてきている。

「これが、桜……?」

「まあ、見てろって。二段目をかがったら、桜に見えてくるからさ」

 穂希は今かがっていた糸を何度か返して糸を切る。

 それから、次の糸へと手を伸ばした。今度は先ほどよりも薄くなったピンクだ。果物の桃のように薄く色づいている。

 それも綺麗に解いて二本で一本にしてから針へと通した。そして、二段目をかがり始める。

 手まりは柱を一度回ることを一周、すべての柱をかがり終わった状態を二周目という。

 そして、すべての柱を回った糸の後に次の糸をかがる時のことを、二段目、三段目と言った風に数えていくのだ。色が一緒の場合でも、同じように言う。

 糸がぐるりと回る時は周、糸が重なっている状態は段、と呼ばれているということだ。

 穂希が二段目をかがり始めると、どうだろうか。最初にかがっていた一本目のピンクの糸を、今回の糸が上手くまとめてくれてだんだんと五枚の花弁を持った桜が出現してきたではないか。

 これには月読命も感嘆の声を上げた。

「はえー……! 桜ができましたー……!」

 穂希は思わずクスリと笑ってから、説明する。手は動かしたままだった。

「手まりの模様はかがり方によって、見え方が随分と変わってくる。同じ位置でずっとかがるものもあれば、今回のように柱によってまち針を打つ位置が違うものもある。まあ、今回の手まりはまた一般的なものだが、球体すべてに模様をかがるものもあるからな。雰囲気が全然違うぞ。それは帯をまかないんだけどな」

「ぜ、全然想像がつきません……!」

「ま、今後見る機会も出てくるだろう」

 穂希はさっさと二周目の二段目もかがると、次の糸を解くために手を伸ばした。

 基本的なかがり方自体は一緒だ。だが、今回のように模様によってはまち針の位置を細かくずらすものもある。

 こういう細かな作業も大事だ。このまち針の位置がずれてしまえば、作ろうとしていた模様にもならないし、何より形が歪になって綺麗な手まりにはならなくなってしまう。

 一回、一回、しっかりと計測して作っていくことが必要なものなのである。

 穂希は手を止めることなく、次いでとばかりに口を開いた。

「今回の桜だって、色を変えれば雰囲気がガラリと変わる。手まりはそういうところも面白いんだよ。作ることが楽しいっていうのは私の主観だが、書籍とは違う色で作るとまた違った世界が見える。正解なんて何もなくて、色の世界にも浸れるんだ。それが、私にとっては大事な時間だな」

 穂希は三段目をかがる前に手まりの模様を見て、針の後ろでちょっとずつ模様を調整する。そうするだけでも見た目はさらに綺麗になるのだ。これも大事な一つの手である。

 月読命は感嘆の声を上げながら、穂希の作る手まりの世界に浸っていた。

 穂希の手の中では小さな世界が今にも生み出されようとしている。何か特別な力があるわけでもなく、一つ一つの工程を大事にして、手作業で生み出しているのだ。

 その世界を、月読命は愛しいと思ったものの、それは穂希に伝わることはなく。

「……よし、できた」

 知らぬ間に上半分、完成していた。桜の模様が刻まれており、最初とは違って赤の中に咲き誇る桜が絢爛に見えていた。

「すごいです……!」

「まだ気は抜けないぞ。あと半分あるし、帯もあるからな」

「……慎重ですねえ」

「お前は少し吞気すぎないか」

 月読命が告げる中、穂希は呆れた様子を隠すことなく告げる。

 穂希はくるりと手まりを反転させ、今度は南極のほうをかがっていくことにする。

 同じように計測して、まち針を打ち、糸を用意してかがっていく。糸は先ほどすべてを解いていたため、そこは時間のロスがなかった。先にやっておくと、残り半分は時間を有意義に使えるのである。

 それから、北極側と見比べつつ、南極側をかがっていった。北極側、南極側、ともにどちらから見ても同じように模様が見えるように気を付けてかがらなくてはいけない。これがずれると模様が表と裏で一致しない、なんてことになるのだ。

 それはあまりにも格好が悪すぎる。

 穂希は時間をかけて模様をかがっていった。

 そして、ようやく北極も南極も模様がかがり終わった。

 残すは帯のみ。

「帯はそこまで時間はかからない。基本的に巻くだけだからな、たったか進めるぞ」

 にしきいとを手にして、両手を広げる。それぐらいの長さで糸を切り、穂希は少し時間をかけて針に糸を通した。

 にしきいとも何本かの糸で成り立っている。切った時に糸がばらけることが多いのだ。刺繍糸よりも針の穴に通すことが難しく感じる。

 にしきいとを通した針を手まりに差し込み、赤道の上にぐるぐるとにしきいとを巻いていく。北極側を二回巻いて、次いで南極側を二回巻いてから最後に赤道の上へと帯を巻く。巻き終わると、地割りで引いた白い糸は切って抜いてしまう。こうすることで見た目が綺麗になるのだ。

 にしきいとを巻き終わると、赤の刺繍糸を取り出してにしきいとの上をかがっていく。柱をジグザクと縫っていくかのように交差させていけば、にしきいとの上に赤のバツ印が並ぶ。そして、刺繍糸を返し終わると――。

「完成、か……」

「おお、すごいです! もうできてしまいました!」

「なんとかなったな……、って、あ!」

 穂希は大声を上げる。そして、「忘れていた」と今度は金のミシン糸を取り出した。

 月読命が不思議そうに手元を覗き込む。

「これ以上、どこにかがると言うのですか?」

「ここ」

 穂希は手まりの北極を指差す。そこに、金のミシン糸を当てて「大丈夫だな」と呟いてからある程度のところで糸を切る。今回はたくさん使うわけではないため、多少あれば良いのだ。

 月読命が不思議そうに手元を覗き込んでくるのを、穂希は再度北極を指差しながら告げる。

「松葉かがり、と言ってな。模様によって使うことが多い飾りのようなものだ。模様によっては空間があるから、そこを埋める時に使うものなんだと。実際、松葉かがりがあるとすごく綺麗に見えるしな」

「へー……」

 穂希は金の糸を通した針を通し、針を出したところから対角に当たる空間に針を入れる。そして、隣の空間から今度は針を出して対角に当たる空間へと針を入れた。その繰り返しをしていけば、先ほどまで中心が空いていたところが綺麗な金の糸で埋まっていく。最後に一度かがった糸すべてをまとめて掬ってから最後の対角に通して返し終わると、松葉かがりを終了する。


 これで、ようやく手まりの完成だ――。




 Ⅳ


「よし、綺麗にできたな」

 穂希は満足して頷く。

 そわそわとしている月読命が視界に入り、穂希は自身の手のひらに乗せた手まりを月読命へと見せた。

 月読命は感嘆の声を上げてから、ふふふと笑いを零す。

「すごいですねえ、こんな風にできるなんて……! まるで魔法のようです」

「神様がそれで良いのか」

 穂希は呆れながら返した。

 ふと、気になって目の前の男に問いかけてみる。

「……月読命は、手まりに触れることができないのか?」

 月読命は手まりに触ろうとしなかった。むしろ、穂希の持ち物や家にあるものに触れているようすはなかった。

 神様だと現世のものに触れることはできない、ということなのか……?

 穂希が気にしていれば、月読命は困ったように眉を下げて。

「そう、ですね……。触れることはできないでしょう。ですが……」

「?」

 穂希が言葉の続きを待っていれば、月読命は得意げに笑った。

「こうして、浮かせることができるので、近くで見ることはできますよ!」

「おい、私の心配を返せ」

 穂希は怒りを露わにする。

 月読命は気にすることなく、手まりをふわりと浮きあげていろんな角度から眺めていた。ふわりと浮きあげているその力は、おそらく神様である彼の力なのだろう。特殊な力を持っていると、目の前の男が神様であると信じざるを得ない。

 まったく、なんだかなあ……。

 こういう力を見せられると神様なのだろうと思うが、穂希が手まりを作っているところを見ている時は子どものようで。何も知らない箱入りお坊ちゃんかと思えば、時折すべてを悟っているかのような表情を見せる。

 拍子抜けするな……。

 穂希は肩を回した。手まりを作ること自体は楽しいのだが、どうしても世界が小さいため身体が縮こまる。背中も丸くなるため、姿勢にも難ありだが、やはり止められない。

 さて、ラストスパートだな。

 穂希はいまだに子どものようにはしゃぎながら眺めている月読命に声をかける。

「月読命、そろそろ返せ。このまま完成させちまうぞ」

「え、これで完成ではないのですか……?」

 月読命はさあっと顔を青くした。完成したとぬか喜びした、とでも思ったのだろう。

 穂希は「おいおい、」と呆れてしまう。

「お前が言ったんだろう、お守りにしたいと。手まりとしては完成だが、その状態だとどこにもつけられないだろうが。根付、とかをつけてお守りにするんだろう?」

 穂希がそう聞けば、月読命は「そうでした!」と思い出したかのように告げる。

 こいつ、大丈夫か……?

 まさか自分で言ったことを忘れているとは思わなかった。穂希は内心呆れたものの、冷めた目をするだけで言葉にするのはやめておいた。

 やはり神様であるかは疑わしいかもしれない。

 再度疑念を抱きながらも、穂希は月読命へと手を差し出す。手まりを返却してもらうためだった。

 彼は気が付いてふわりと浮かんでいた手まりをゆっくりと下ろしていく。どういう原理なのかはよく分からないものの、とりあえず月読命が返却してくれた手まりは、穂希の手の上にちょこんと乗った。

 穂希は受け取った手まりを一旦落とさないようにと机の上に置く。ビー玉のように転がっていくわけではないため、机の上に置いておいても安心だ。コロリとはするものの、糸がかがっているためなのだろう、手まりがこの状態で転がり落ちていくところを穂希は見たことがなかった。

 使い終わった糸を片付ける。刺繍糸の束やミシン糸の本体は箱の中に戻し、糸の切れ端や残った糸はゴミ箱へ。以前は勿体ないからと基本的に取っておいたのだが、取っておいたことを忘れたり、取っておいた糸だけがどんどん溜まっていったりしてしまったため、最近は捨てるようにしている。極力、糸が残らないように気を付けながら長さは切っているものの、糸の長さが足りないと困るため少し長めに切っておくとそうなってしまうのである。

 もう少し、使い道があると良いんだがな……。

 全国の作家さんに聞いてみたいものだ。そうは思うものの、その一歩はなかなか踏み出せずにいる。

 気を取り直して、穂希が今度糸が入っていた箱とは別の箱から取り出したのは、金具やビーズ、ペンチなどの道具であった。これらは普段穂希が作った手まりをキーホルダーなどの形に加工するときに使うものである。

 次は手まりをお守りの形にするから、この道具たちが必要だと判断したのだ。

 だが、まだ針は使うため、針山は残してあった。この針は糸を通すために使うのではなく、別の手段で使うために必要であった。

 月読命は新たな道具に目を輝かせる。金具もビーズも多種多様で、目移りしそうなほどに種類があった。

「すごいです、こんなにたくさん……!」

 月読命が嬉しそうに声を上げた。見る物すべてが珍しいのかもしれない。

 本当に、子どものようだな……。

 真新しいおもちゃに目を輝かせて喜ぶ子どものような姿に、穂希は思わず口元を綻ばせた。自分が何かを取り出すたびに、何かをするたびに喜ぶ姿を見るのは、意外と悪くなかった。嬉しい、というよりも照れくささに近かったが、反応が良いと自分自身としても気分が良いように感じたのである。

「さて、まだまだ選別しないとな」

 穂希は再度肩をぐるりと回して気合を入れなおす。

 ラストスパートだが、ここで気を抜くと取り返しがつかなくなる。最後というのは特に気が抜けやすい。

 せっかく手まりが綺麗にできたんだ。絶対に完成させる……。

 手まりよりは簡単な仕事、それでも気を抜いたら終わりだ。

 仕事を一緒である。すべて気を抜いたら終わり。仕事だろうが、趣味だろうが、他のことだろうが結局とのころ大事な場面では絶対に気が抜けない。

「月読命、気を抜くなよ。最後の大仕事だ」

 穂希の言葉に、月読命が重々しく頷く。


 ようやくお守りとして第一号の作品が、完成を迎えようとしているのであった――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ