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糸を紡ぐと願いになるのかもしれない  作者: 色彩和


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第一章 突拍子のない頼みごと

 Ⅰ


 穂希は男と対峙したまま、じっと動かずにいた。

 この男、読めない。そう思ったのである。

 隙がないというか、得体のしれないというか。とにかく、よく分からないのである。

 そんな男が、自分の部屋に無断で侵入し、どこからともなく現れたわけで。一応、女性の部屋であるわけだから、無断侵入は嬉しくはない。

 穂希の口から零れ出てきた言葉は。

「……え、不法侵入、だよな」

 心の中にあった本音であった。

 それを聞いても、男は動じることなく。

「冷静なようで何より」

 どうもこの男、悪びれる様子がまったくないようである。にこりと数多の女性を落としてきたようなにこやかな笑顔で、穂希の言葉を素直に受け止めている。慌てる様子もなく、弁明するつもりもないようで。

 ただ、にっこりと微笑んで、穂希の様子を楽しんでいるように見えた。

 それにしても、と穂希は思う。

「……とりあえず、その後光はどうにかして欲しいんだが」

 穂希が言えば、男ははたと気が付いたようで。「ああ」と短く言葉を零しながら、また慣れたように微笑んだ。

「失礼いたしました。威光を出しておかなくてはいけないかと思いまして」

 何の、というのは穂希の感想だ。だが、わざわざ言葉にすることはなく、怪訝そうな表情をするだけに留めた。

 穂希はようやくしまわれた後光に一つ安堵の息をつく。目元が変な感じだ。陽の光を浴びて本を読んだ後のように、視界がおかしい。ずっと変な光を見ていたからなのだろう。

 感覚が違い過ぎる……。

 すでに疲労感を覚えていたが、話が進まないまま終わるのは困る。とにかく、とばかりに目の前の男に静かに問いかけることにした。

「……で。私がまだ生きているということだが、あなたは一体何者なんだ。さすがに説明が欲しいところなんだが」

 穂希が尋ねれば、男はふわりと笑う。そして、優雅にお辞儀をした。その姿は様になっていたが、今はそれどころではない。

 何と言っても、穂希の中で納得がいっていないのだ。納得どころか、説明のつかない状況である。仮に、目の前の男に説明されたとしても、納得がいかない可能性のほうが高い。

 それでも、多少なりとも説明はして欲しい、そう思うのだ。

 その後で通報するなり何なりを考えれば良い。今のところ、こちらに危害を加える様子はなさそうだし。

 穂希はちらりと視線を男に戻す。

 男はゆっくりと頭を上げて、慣れたように微笑んでいた。幾人の女性を落としてきたことやら、そう思われても仕方のないほどに綺麗な笑顔だった。

「申し遅れました、私、神様です」

「あ、やばい人だった」

 男が淡々と名乗った瞬間、穂希の顔からは血の気がさあっと引いていた。ドン引きである。近寄りたくない、むしろ家にいて欲しくないと思うほどであった。

 というか、そもそも家に入れている理由は……?

 今になってすごく恐ろしい事実だと思った。

 穂希は家に出ないと決めて、本日はありとあらゆる扉や窓を施錠している。一度も本日は開けていないし、鍵にすら触れていない。基本的に仕事以外の外出をしない穂希は防犯対策だけはしっかりしていると自負していた。

 だというのに、この目の前の男はなぜか穂希の家の中にいる。しかも、インターホンを押されてもおらず、扉が開いた音すらしていない。ましてや、鍵を開けた音すらもなく、本当に突然、どこからともなく姿を現した。そして、後光を背負っていたのである。

 そこまで考えておかしいことは分かる。穂希自身、内心は恐怖で包まれ始めていた。

 しかしである。

 ……霊感も何もない私が、神様を簡単に見ることができるわけがない。ただ、神様とするなら、という前提があるけど……。

 大前提として、神様とすれば可能なことも多いのかもしれない。だが、本当にこの男が神様である証拠ははっきり言ってないに等しかった。

 つまり、穂希に知る術はないというわけで。当人の話を穂希が信用するかしないか、すべては穂希に判断が委ねられている、それを理解してしまった。

 理解したくなかった、そう思っていれば、穂希が何か考えていることを悟ったらしい男が人の良さそうな笑みを浮かべて答える。

「私は怪しいものではないですよ。私にもれっきとした名前がありますので」

「はあ……」

 穂希の口からは間の抜けたような返事しか出てこなかった。本当だろうか、その思いが籠った疑いの目でしか、目の前の男を見ることができない。

 とりあえず、素直に名前を聞くことにすれば、男は嬉しそうに。

「はい、申し遅れました。私、月読命(ツクヨミ)と申します」

「聞いたことある名前だー」

 穂希は感情なく呟いた。棒読みだったのは仕方がないことだと思う。

 ただ、男が名乗った名前に聞いたことがあったのは本当のことであった。創作物などでも使われている神様の名前だ。聞き覚えがあるのはおかしくない話だろう。

 だが、目の前の男は淡々と、動じることも嘘をつく素振りもなくその名を告げた。

 穂希は男をじっと見つめる。そして、ぽつりと問いかけた。

「……そんな有名なお方が、どうして私の家に?」

 穂希の言葉は疑いが半分、探る思いが半分。だからこそだろう、低い声が出ていた。

 だが、男はそんな声で問いかけられたというのに、ぱあっと分かりやすく顔を輝かせる。話を聞いてもらえる、そう思ったのかもしれない。瞳に希望を宿して、そして嬉々として告げたのである。

「あたなに、お願いがありまして」

 その言葉に、穂希は目を丸くするのであった。




 Ⅱ


 沈黙が部屋を支配した。どちらもが口を開こうとはしない。

 しかし、先に動いたのは穂希だった。恐る恐る震える手を掲げながら、男へ疑いの目を向けて呟くように告げる。

「……あ、の、人違い、では?」

 穂希の言葉に、月読命と名乗った男はきょとんとして。それから、横へと控えめに首を振った。その姿は優雅であったものの、力強く否定していた。

「いいえ、間違いなくあなた様でございますよ、綴穂希様」

「いや、様付けとか滅相もないです……」

 穂希は視線を逸らしながら弱弱しく否定する。何を言っているんだろう、この人。それぐらいに思っていた。

 そもそもである。

 神様が、人間を様付けしないでくれ……。

 穂希の内心の主張に気が付くこともなく、男は淡々と話を続けようとした。

「それで、お願いというのは――」

「お断りいたします。お帰りください」

 穂希はきっぱりとお断りした。内容を聞く前に断っておく必要がある、そんな確信に近い何かを感じ取っていた。

 対して、男はポカンと口を開けて何を言われたのか理解できていなさそうであった。どうやら、断られるとは思っていなかったらしい。先ほどまでの笑顔もどこへやら、時が止まったかのように動かなかった。

 穂希はその間にぺこりと頭を下げる。小さく「ごめんなさい」と告げて。

 すると、ようやく男に動きがあった。目の前で何が起こったのか、何を言われたのかを理解したらしい。先ほどまでの優雅な姿はどこへやら、変な奇声を上げて必死に穂希に待ったをかけていた。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「お引き取りください」

「いえ、ですから話を――」

「お引き取りください」

 穂希は頑として姿勢を崩さなかった。壊れたロボットのように、同じ言葉を繰り返し、拒否の姿勢を貫こうとする。

 面倒ごとをこのまま男の思い通りに流れて押し付けられることだけは勘弁願いたい。ましてや、誰とも分からない人と関わりたくない。

 本来ならこのままスマートフォンを手にして警察に連絡したいところだ。だが、相手が相手だ。意味の分からないことを告げている相手、しかもそれが自分を「神様だ」と名乗るような相手だ。警察に通報したところで相手にされない可能性が高いし、最悪の場合自分が変な奴だと認定される可能性もある。

 つまりである。

 ことわざにあるように、「触らぬ神に祟りなし」とはまさにこのことなのだろう。意味合いは違うものの、これ以上に合うことわざは今ないはずだ。

 穂希はとにかく断って男を家から出そう、もしくは自分から帰っていただこうと考えていた。とことん「帰ってください」や「お引き取りください」を告げる所存である。

 自分が負けの姿勢を取らなければ何とかできるはず、そう信じて実行してようと思っていれば、目の前の男が慌てて。

「本当に話を聞いてください! 私はあなたを見初めてここに参ったのです!」

「……は?」

 穂希は何を言われたのかまったく理解できなかった。男の言葉を耳にして、思わず動きが止まる。ゆっくりと言われた言葉を反芻して、ゆっくりと頭の中で処理が進められて。ようやく理解した時には。

 背中に寒気が走っていた。

「……え、怖」

「怖い⁉ ですか⁉」

「いや、怖いでしょ。ましてや、何を根拠に……」

 これは無理かもしれない。もはや時間と精神の問題だった。

 穂希の中で考えがまとまらない。しまいには、思考が変な方向へとずれ始めていた。

 逃げる、もしくははっ倒す……?

 一番良いのは前者だろう。だが、ただ逃げるだけではすぐに追いつかれる可能性が高い。

 それに、である。

 どうやって家に入ったかもわからない男から、逃げる方法なんてあるのか……?

 こういうのはどうしたら良いのだろうか。SNSで「急募」とでもつけて投稿すれば、誰かしらは意見をくれるのだろうか。からかわれて終わるのがオチな気もする。まともに相手をしてくれる人がどれだけいるのだろうか。むしろ、この状況、誰か変わって欲しい。闇バイトに手を出すのではなく、この状況に手を出して欲しい。そうしたら、謝礼はいくらでも出したいところだ。

 そんな収集のつかなくなった穂希の頭は冷静ではなかった。だが、頭の中では警鐘のように「逃げろ」の言葉が何度も過る。

 穂希は結論を出した。「どうにかこうにか逃げるしかない」、それだけは決めた。だが、逃げる手段に関しては何も当てがなかった。

 ……はっ倒すのは現実的じゃない。別に武道なんて習ったこともないし、喧嘩とかなんてもってのほかだ。となれば、やはり「逃げる」一択……。

 幸い、穂希が借りている部屋は一階だ。アパートの一室なため、窓さえスムーズに開けることができれば玄関に行かなくとも逃げられるはず。そんなドラマや物語のように上手くいくかは定かではないが、それでもやらないまま終わるよりはやって後悔したほうが何倍もマシに思えた。

 そこまで考えをまとめた穂希は足に力を入れて行動を起こそうとしたが、次の男の言葉にまた動きを止めることしかできなかった。

「っ、私は、あなたの手まりに、惹かれたんですっ!」

 男が半ば叫ぶようにして告げた言葉は、穂希にとっても予想外だった。思わず耳を疑い、男へ疑惑の視線を向けてしまう。

 な、んで……。

「……何で、それを知っているんだ」

 今の今までその言葉は出てこなかった。穂希自身、その言葉の頭文字ですら口から出していない。

 思わず口から問い詰める言葉が出てしまってもおかしくはなかった。

 先ほどまで逃げることしか頭の中にはなかったというのに、そんなことすらすっかり抜けてしまっている。

 誰にも話したことはなかった。

 誰にも見せたこともなかった。匿名で載せられるSNSにこっそり載せているぐらいだった。友人や家族にすら話したことはない。

 個人的な趣味、しかも独学で学んだものだった。ただ作るのが楽しくて仕方がなかった。

 それだけだった。

 販売することだとか、SNSを意識して作ったことはなかった。

 自分自身が自信を持てる唯一の物で、瞬間でもあった。

 だが、それは自分だけが知っていれば良いこと。

 だから、誰にも話したことはなかったのである。


 だというのに――。


「何で、初対面のあなたがそれを知っているんだ……」

 穂希の言葉には戸惑いが乗っていた。疑い、不信、戸惑い……いろんな感情がごちゃ混ぜになって、それ以外の言葉が出てこようとしない。

 すると、男は力なく笑った。穂希が信じていないことを察しているのだろう、見ていて痛々しかった。

「だから、先ほどから神様だと名乗っているではありませんか」

 その表情には、ありありと「信用されていないことが寂しい」と物語っていて。さすがにその表情には穂希の良心も痛んだ。

 そして、はたと気が付く。

 そうだ、誰だって話を聞いて貰えないというのは、寂しい――。

 いくら怪しいからと言って、そのまま追い返そうとするのはあまりに酷な話ではなかっただろうか。

 穂希はそれに気が付くと、一つ息をついた。深く深く、今までのことを追い出すかのように、ゆっくりと深呼吸する。気持ちを一旦切り替えようと思ったのだ。

 目の前の男がおろおろとしている。なんだかその姿が行き場を失った小動物のようで、余計に穂希の良心が痛んでいく。

 穂希は頭を抱えた。もうこれは話を聞くしかない、それは自分の気持ちの面であり、諦めの感情でもあった。

「……分かった、話だけは聞こう。それで良いだろう」

 穂希が告げれば、男は分かりやすく表情を明るくし、何度もこくこくと頷く。

 最初に対峙した時とはめっきり違う姿に、穂希は思わず小さく噴き出した。

 ……なんだそれ。

 男の態度がまったく違っていて、それが何だかおかしく思えてしまって。穂希はつい小さく笑みを零してしまったのであった。




 Ⅲ


「……で、本当に神様なんですか」

「ようやく信じてくださいますか!」

「いや、とりあえず大前提だけは揃えておかないと、と思って。この後の話で矛盾が起きたら面倒だからさ」

 穂希は顔を輝かせた男の言葉をズバッと斬り捨てる。

 男は目に見えてしゅんと肩を落とした。

 穂希はそれを見ながら、それにしても、と思う。

 第一印象とかなり印象が違う、よなあ……。

 穂希は男を見ながらぼんやりと思う。第一印象は見え麗しい男、知的で妙に品のあるタイプだと思った。

 断じて、穂希の好みではない。

 だが、こうして話をしてみれば、表情はころころと変わるし、弱気なタイプだと思う。神様だと言うからごり押しでもしてくるかと思えば、そういう素振りは一切なく。偉そうにふんぞり返っているわけでもなく、命令してくるわけでもない。

 男が本気で神様だと言うのであれば、穂希に偉そうに命令をしてきてもおかしくないはずだ。

 それこそ、人間と神様じゃ上下関係は確実にできているようなものだ。

 だが、この男――月読命は初対面で顔を合わせた時から「お願い」としてここに現れて話をしようとしてきたし、無理やりに話を進めようとはしなかった。むしろ、穂希が断ろうとするのに対して、「話を聞いてくれ」と懇願してくるほどだった。

 って、これだけ聞くと、私のほうが悪者じゃないか……。

 穂希はやれやれと自身の行動を振り返って首を振る。乾いた笑いを出しそうになって、さすがにそれは飲み込んだ。

 かと言って、月読命は無断で穂希の家に勝手に入ってきているわけで。穂希がどこにも誰にも話していなかった内容を知っている。

 内心、独断でおあいこだろうと思うことにして、表情には出さずに話を進めることにした。

「まあ、信じない……と言いたいところではあるが、いろいろと人間では不可能なことが目の前で起こっているわけだし。暫定的には信用するしかないだろうな」

「そんな消去法で……」

 月読命はがっくしと肩を落とすが、穂希は「あのなあ、」と呆れたまま告げる。

「人間のルールじゃそうなるんだよ。不法侵入、無断訪問、個人情報の無断取得、プライバシーの侵害……。スリーアウトなんて可愛いもんじゃないぞ。むしろ、私が相手で良かったなってところだ。すでに逃げられていてもおかしくない状況だし、悲鳴を上げたり、警察に通報されたりが一般的だろうよ」

「……すみません」

 穂希が説明すれば、月読命はまたしゅんと小さくなった。

 ……くそ、捨てられた子犬のようになりやがって。

 これじゃあ怒るに怒れないじゃないか、と穂希は頭を掻く。調子が狂わされる一方だ。この男と話していると、調子が狂うのである。やりにくい相手だ、穂希は再認識した。話を続けることがこんなに難しく思えたことなど、過去に一度でもあっただろうか。

 いや、ここまでやりにくかったことはなかっただろう。

 穂希は気を取り直して男へと向き直る。そして、「それで?」と先を促すことにした。

 月読命はきょとりと目を瞬く。何を促されたのかが理解できなかったようだ。

 穂希は一つ息をついて。

「私にお願い、とやらがあるのだろう」

「き、聞いてくださるんですね!」

「先にも言った通り、とりあえず話だけな。その後で頼みを聞くか聞かないかは決める。それで良いだろう」

 穂希が告げれば、男はわざとらしく咳ばらいをした。本題に入れるようである。

 と思ったら、男はにこりと笑って。

「では、一から順に説明を――」

「前置きは良い」

 説明が長くなりそうな雰囲気を醸し出されたため、穂希はバッサリと斬り捨てた。先に釘だけは刺しておいたほうが良いと判断したのもあった。それに、神様だという男がわざわざ穂希に頼みごとをしに来た真相が気になる。さっさと解明したい一心であった。

 神様――月読命は一瞬しゅんとしたものの、すぐに気を取り直して話し始めた。

「……綴さんは、お守りをご存じでしょうか?」

「? お守りって、あれだよな、神社でよく売っている……」

 穂希は急に問いかけられて疑問が浮上するものの、思い出しながら男の問いかけに答えるように考えを述べる。

 何故お守りのことを問われたのか、その真相は分からないが、穂希の頭の中を過ったのは神社で販売されている赤や青を始めとした色とりどりのものたち。ありとあらゆるお守りが並べて販売されていて、「合格祈願」や「安全祈願」など、用途に合わせて作られている。最近では、おしゃれなSNS向けのお守りもあって、人気なものはこぞって買いに行く人がいるという。

 ただ、穂希は年に一度、初詣の時に参拝するだけで、お守りをここ最近は購入した覚えがなかった。昔、高校受験やら大学受験の時に購入したことが最後のはずだ。もしかしたら、就職活動前にも購入したかもしれないが、定かではなかった。

 だが、基本お守りを購入しない穂希にとっては縁のない話であった。

 穂希が答えていれば、月読命は強く頷く。その表情は今まで見たことがない、真剣な表情であった。

「その通りです。そのお守り一つ一つには確かに力が込められています。ですが……」

 月読命は急に表情を曇らせた。続きの言葉がなかなか出てこない。

 穂希は首を傾げる。やけに歯切れが悪い、そう思ったのだ。今の話だけでは、穂希の中で予測することも、展開を読むこともできなかった。

 ただ、男の言葉を待つことしかできなかったのである。

 何も言わずにじっと待つ穂希に、月読命は言いにくそうに告げる。

「……お守りの効力は、必ずとは言い切れません。効果が発揮するものもあれば、発揮しないものもあります」

「……まあ、それはそうかもな」

 穂希はその言葉に頷くしかなかった。

 ようは星占いと一緒だろう。星占いだって目安だ、その日の運勢が必ずしも当たるとは言い切れない。

 見た星占いが当たる人もいれば、当たらない人もいる。

 お守りもその話に通ずるものがあるのだろう。そのお守りを持って守られる人もいれば、守られなかった人もいる。

 星占いを知っていれば安心できるように、お守りを持っていれば安心できる。そんな感覚の話だろう、そう穂希は思ったのだ。

 ……しかし、その話がこの後にどう続くんだろうか。

 穂希が不思議に思いつつ、話の続きを待っていれば、月読命は懐をごそごそと探し始めた。そして、何かを取り出して、それを穂希に見せる。

 月読命の手のひらに置かれているものは、何か光っている球体だった。小さくてビー玉のようなそれを、穂希が不思議そうに見ていれば、月読命の言葉が落ちてくる。

「これは、人の願いの一つとなります」

「いや、何を普通に持ち出しているんだ」

 穂希はつい鋭いツッコミを入れていた。さらっと告げられた内容は、聞き捨てならない話のはずだ。穂希は勢いよく立ち上がって、外を指差す。

「いくら神様だろうとやって良いことと悪いこととあんだろうが! 早く元の場所に戻してこい!」

 しかし、月読命は頑なだった。首を横に振る。

「いいえ、戻してはいけません」

 穂希は耳を疑った。

「何でだ、それは人の願いなんだろう! 神社で誰かがお願いしたことのはずだ、人の願いを神社が受け止めているはずだろう⁉ 奉納して来い!」

「それでは、駄目なんですっ!」

 穂希が強く説得する中、月読命が初めて声を荒げた。穂希は目を見開く。

 月読命は悲痛な表情をしていた。

 これはかなりの事情がある、穂希はそう考えた。座り直して深くため息をついた。

「……何か、かなりの理由がある、そういうことだな」

 穂希が告げれば月読命は頷いた。そして、重たい口を開く。

「この願いは、どれだけ時間が経過しようとも叶うことはないでしょう」

「なっ……!」

 穂希は言葉を失った。思わず、立ち上がりそうになって、ぐっと堪えた。

 月読命は話を続ける。

「願いには叶えられる順番や込められた思いの強さがあります。ですが、この願いに込められているのは『諦め』の感情なんです」

「……その話、矛盾していないか? 願いなのに諦めているなんて」

 穂希は月読命の話に疑問を覚えた。尋ねてみれば、月読命は頷く。

 ほとんど神社ののことすら知らない穂希ですら、疑問が生じた。

 願いは人が思う叶えたいことや夢や強い思い。欲が大きな元かもしれないが、それでも願いは自分たちが心の中で何かしら強く思ってできるものなはずだ。

 それなのに、願いに「諦め」が混じるなんて……。

 穂希が思考の海に潜っていれば、月読命は静かに寂しそうに呟く。

「心の中で、願ったことに無意識に混じっているようなのです。人によってその量は違うようですが、それでも混じっているのは確かです。例えば、どうしても叶えたいことを強く願ったところで、必ずしも叶うわけではありません。それでも、時間はかかったとしても、人生で願いが叶う場面は存在しています……。けれど、この願いは強く自身の願いを思うことよりも、『叶うはずがない』と諦めている思いのほうが強く込められてしまっているのです。これでは、願いとして成り立たないのです」

「……いろいろとあるんだな」

 他人事のように告げてしまったが、無理もないだろう。穂希にはその違いが分からないのだ。

 この世界で生きている大半の人間が知らないことだろう。皆、願いは願いだと思って、願掛けをしているに違いない。

 だが、それは人間の世界の話。神様の世界の話とは違うのだろう。

 月読命が憂いの表情を浮かべる。

「私たちの世界では、今これが問題となりつつあるのです。諦め、恨み、喪失感、悲壮……。願いに込められる陰の思いが強すぎるのです。願いとして、成り立たない場合も数多くある状況で……」

「逆に、叶えば『叶わないと思っていたのに叶った』って話題になるんじゃないか? そうすれば、その神社も有名になるだろうし」

 穂希は純粋に思ったことを口にした。

 だが、返ってきたのは男の冷たい口調だった。

「いいえ」

 その短い言葉、たった一言の否定の言葉によって、穂希は何も言えなくなってしまった。これ以上、何か言ってはいけないような、踏み込んではいけないような空気を察したのである。

 月読命は続ける。

「……確かに、人間の感覚からしたらそういうこともあるのかもしれません。ですが、私たちの世界では話が違ってきます。私たちは信じて貰えなくては本領を発揮することはできないのです」

 その言葉に穂希は気がつく。

「……っ! そうか、信仰の力……!」

 何かで見たことがあった。

 神様は信じてくれるものたち、つまり信仰者がいなくなれば力を失ってしまう、と。

 つまり、月読命が言っている願いはすでに信仰の力を失っているようなものだということ。「諦め」ということは、神様を信じていないということに通じてくるのだろう。そうすれば、神様がいかに叶えようとしたところで、力が弱まって叶えること自体が叶わなくなってしまうのだ。

 穂希はそれを理解して、同時に次の疑問が浮上した。先ほどのこともあるが、疑問は解消しておきたいために口を開くことにする。

「なら、なぜ恨みや悲しみまでもが跳ね返されてしまう。それはどちらかと言えば神頼みの分類に入るはずだ」

「だからこそ、ですよ」

 月読命は目を伏せてそう告げた。何かに耐えるような表情であった。

「私たちは人間の醜く脆い思いを肩代わりするためにいるのではありません。ましてや、私たちが犯罪に加担するなどもってのほかです。根本的な話から違ってきます。先ほどの信仰の話とは違って、受け付けて良い話ではないのです」

「……それも、そうか」

 穂希は納得した。男の言葉には説得力がある、そう思った。

 人間はなんと醜く、欲にまみれているのだろう。

 男の話を聞いていれば、そう強く思ってしまう。

 だが、それは自分もそうだ。その一人に該当するのだ。

 人間としての自分。罪を犯そうとは思わないが、自分の中にも確かに汚い感情はある。

 欲もあるし、怒りや悲しみに囚われることもある。

 醜い感情が表に出そうになることもある。

 聖人君子など、到底なれるものではない。

 だが、ここまで話を聞いても、この月読命と名乗る神様が穂希に頼みたいことの話は見えてこなかった。

 話の規模が大きすぎる。自分には何もできることがないように思えるのだ。

 なぜ、この男は自分の元へとわざわざ来たのだろう。

 それに――。

 穂希が一番気になっていることは、月読命が穂希の趣味に触れたことだった。

 穂希が唯一自分に自信が持てる趣味――それが「手まり」だった。

 出会ったのは本屋の手芸コーナーで通りかかった際にたまたま視界に捉えただけ。作り方を見て、知らぬ間にその沼にハマっていた。

 暇さえあれば作るようになっていた。

 だが、それと今の話に何が関係があるというのだろうか。

 そこまで考えて、穂希はある話を思い出す。

 そういえば、お守りの話も出ていたっけか……。

 お守りの話、小さくビー玉のような願いごとの話、そして穂希の作る手まりの話……。

 穂希はそこである一つの推測に辿り着いた。それを考えてサッと血の気が引く。

 この推測が当たっているなんて確信はない。

 穂希の取り越し苦労かもしれない。

 それでも、その考えが頭から抜けなかった。

「ま、さか……」

 思わず口から言葉が出てくる。

 嫌な予感がする。

 自分の想像したことが嘘であって欲しいと強く願っていた。

 まさか、そんなはずないだろう……、そんな現実離れした話……。この考えだって外れているはずだ、そうに違いない。むしろ、外れていて欲しい。

 穂希が身体を震わせながらそう考えていれば、穂希をじっと見据えて月読命が告げる。

「そこで、綴さんの力を借りたいのです。あなたが作る手まりの力を。その手まりを、彼らの願いの依代として、そして『お守り』として彼らの手元へ届けたいと考えたのです。彼らの背中を押すために」

 ……お、終わった。

 穂希は心中でそう呟く。

 これが穂希の嫌な予感が的中した瞬間であった。




 IV


「引き受けて、くださいますか……?」

 月読命は眉を下げて懇願するように穂希を見つめる。

 穂希はスッと右手を前に出して、キッパリと断った。

「お断りします」

「な、なぜ……!?」

「そんな荷が重い話、易々と引き受けられるかっ!」

 穂希は驚く男にグワッと勢いをつけて言い返す。

 月読命は慌てていた。

「そんなっ! そこをなんとか――」

「何言っているんだ! 私は素人だぞっ! プロじゃない、職人じゃないんだっ! この世界にどれだけの職人がいると思っている。そんな話なら独学の私はお呼びじゃないはずだ。頼む人間を間違えている」

 穂希が強く言い返せば、月読命は一瞬怯んだ。だが、すぐに口を開いて。

「……あなたが良いって、強く思ったんです」

「……は」

 穂希は口をぽかんと開けた。また何を言い出す気だ、そう思ったが、そんなことは他所に月読命は淡々と目の前で告げていく。

「平凡な願いごとをして、一心に手まりを作るあなたがっ……、穂希さんが良いと、本気で思ったんですっ! そんなに欲とかなさそうですし、関心もなさそうな気がするし!」

「褒めてんのか、貶してんのか、喧嘩売ってんのか、どれなんだ?」

 穂希は月読命の言葉に一瞬怒りを露にしたが、すぐにやれやれと息をつく。困った、そう思いながら頭を搔いていた。

 確かに手まりを作ること自体は好きだ。唯一の癒しで、作る時間が楽しくて、自分に自信の持てる瞬間だった。

 だが、それはあくまでも趣味として、自分で楽しむだけの範疇だった。

 他人に渡すものとなればそれ相応の覚悟や責任が伴ってくる。今まで作ってきた感覚とは大きく変わってくるのだ。

 穂希はチラリと男を盗み見る。しょんぼりとして、捨てられた子犬のように身体を小さくして。肩をがっくしと落としているのが、良心に痛んだ。

 男は穂希が見ていることに気がついたのか、何かを言おうとして口を開き、だが何も発さずにギュッと口を引き結ぶ。しばらくしてまた口を開いて、また閉じての繰り返しだ。

 焦れったい、穂希はそう思えてきてしまった。

 やがて、ハッキリとしない態度に完全に折れた穂希は。

「……分かった、分かった! 引き受けてやる! だが、後で絶対文句言うなよっ!」

 結局、不本意ながら引き受けることにしたのである。

 すると、月読命の顔が目に見えてパアッと輝いたのであった。


 ――こうして、穂希は根負けする形で月読命と名乗る神様の頼みごとを引き受けることとなったのであった。

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