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こころ  作者: 橋本洋一
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主人公 伏見こころのこと

 桜ノ宮市の北の方角には河川の氾濫に備えて高台がある。自然とできたものではない。戦国時代に遡るが、その時代の領主が敵の接近をいち早く察知できるように人工的に土や石を積み上げて小高い丘を築きあげ見張り台としたのが起源とされる。


 そのときの領主が優秀なのか実際に作り上げた現場の人間が有能だったのか、定かではないが、およそ四百年前から現在まで残るほどに頑丈に造られていて、人々に利用されている。


 利用と言っても洪水から避難するといった本来の使い方をされていない。これはいつ植樹されたかはっきり分からないが、高台の周りには桜が何本かあって、季節が春のときは花見に来る者が後を絶たない。家族連れから会社員の新年会と年齢層は広くなっている。


 もっとも桜の開花の時期が過ぎ、花が散り葉桜へ変わろうとする今の時節、それも深夜に来る人間などいない。


 だから――ぼくはここに居た。


 あれから、一週間が過ぎた。

 あれとはぼくが黒川を殺したあの日のことで、今日は日曜日ってことだ。

 いや、曜日は関係ないか。


 これからぼくは死ぬ。

 死ぬと言っても肉体が死ぬというわけではないけど。


 高台から桜ノ宮市を見下ろす。

 電気を点けている家は少ない。当然だ。現在の時刻は四時半。もうすぐ日の出だ。


 この一週間はいろんなことがあった。通り魔の正体が黒川だと分かったときは周りが騒ぎワイドショーが取材に来るほどだった。


 世間では黒川が現代の切り裂きジャックだと報道されているが、じきに熱は収まるだろう。七色さんが言っていたように正体が知れた通り魔なんて誰も謎を追わないのだから。


 どうやったか知らないけど、黒川は自殺という形で発見されたようだ。具体的に描写すれば自宅で首を吊っていたのを無断欠勤の同僚を気遣った先生方がマンションの管理人立会いのもとで見つけたらしい。死因は窒息死だ。その身体に刺し傷はなく、警察は自殺と断定した。死体のそばに遺書もあったらしいが、それはACAが用意したものだと思う。


 死体をどうやってそのような状態に工作したのか興味が湧くが、まあ実際に加入したら分かるだろう。

 ちなみに遺書の内容は漆原さんが考えたらしい。文才があるように思えないなあと感じたけど黙っておいた。


 ワイドショーで一部が公開されたけど当然ながら『シック』のことは書かれていない。だからどうやって殺していったか、専門の学者は首を捻るだけで分からずじまいだ。


 それとぼくにとって後味の悪いことがあった。黒川の両親が自殺したのだ。黒川が死んで――本当は時期が違うけど――三日のことだった。

 息子の死だけでは遺族の方々に申し訳立たないと、そう言い残して死んだようだ。


 この死の責任はぼくにあるんだろうなあと思った。何故なら黒川を通り魔として死なせるように要請したのはぼくだからだ。

 漆原さんたちACAは黒川を心臓麻痺か何かにして無関係に死なせて、通り魔は自然といなくなったというシナリオを描いていた。


 それに納得できるほどぼくは人間ができていない。

 抗議したら漆原さんは苦い顔をした。


「そんなことしたら処理が大変になります」


 なんて言うものだから二時間かけて説教もとい説得したら漆原さんは「分かりました」と納得してくれた。

 流石ぼくの上司になる人だ。

 なので、黒川の両親の死の責任はぼくにある。これでぼくが殺した人間は三人となる。


 悪いことをしたなあと思ったけど、思っただけで反省はしなかった。

 それは黒川のような通り魔を産んだあの人たちが悪いから。

 百点満点の解答だろう?


 まあ、そんなこんなでここ一週間ほど学校は休みになった。だからといって遊ぶ気にならなかった。専らモモと一緒に過ごしたり、ゆめ姉と過ごしたりした。

 モモは黒川が犯人だと知ってかなりショックだったみたいだ。まあクロセンとかあだ名つけてたしな。

 だからモモの心のケアをぼくはした。七色さんの思い出を語ったり必要以上に過剰なまでに甘やかした。

 それでモモの心のモヤモヤを無くすことができたら良いのだけれど。


 ゆめ姉もショックを受けていたので、慰めた。なんでも黒川が伊吹女子高に居たころに授業を受け持っていた生徒だったらしい。


 知り合いが通り魔って結構きついよな。

 ぼくはこの一週間二人となるべく一緒にいるようにした。


 なぜならこれから二度と会えなくなるからだ。

 もっと言えばぼくが死ぬからだ。

 漆原さんから聞いたときはふざけんなと思ったが、仕方ないなあと感じるようにもなった。

 だからぼくは――


「――もう平気ですか?」


 後ろから声がした。ぼくは振り向かず「はい」と返事をした。


「ふうん。ここなら街を一望できますね。最後の思い出にはうってつけでしたね」

「漆原さん、ぼく、この街あんまり好きではないんです」


 ぼくは闇夜に投げかけるように語りだす。


「田舎だしかといって自然も多くないし。良い所なんて一つもない嫌なところです。でも――」


 それでも。


「それでも、やっぱり故郷を離れるっていうのは、心に来るものがありますね。これが悲しみってヤツですかね」

「それは判断しかねますね。でも別れはつらいものだと思いますよ」


 考えてみれば別れを体験したのは七色さんの葬式が始めだったなあ。


「それでは、こころさん。こちらの準備は整いましたよ」


 その言葉にぼくは振り向く。


「ゆめ姉の様子はどうですか? ちゃんと寝てました?」

「ええ。ぐっすりと。こころさんがACA特製の睡眠薬をゆめさんの食事に混ぜたおかげです」

「飲み物に入れたんですけどね。まあどうでもいいです。準備は整ったんですね」

「くふふ。はい、全て整いました」


 漆原さんは笑いながら言う。


「こころさんの死体はベッドの上に置きました。心臓麻痺で死んだと医師は判断されるでしょう」

「まさか死体を造れる『キャリア』がいるなんて驚きですね」

「わたくしの部隊の秘蔵っ子ですよ。ちなみに黒川の死体も彼女がやりました」


 なんだ。黒川の死体を弄くったんじゃなかったんだ。


「それにしても、その服似合いますね」


 ぼくの服を一着でも持っていけば万が一、生きているとバレてしまう。だから漆原さんの服を借りたんだけど……


「……迷彩服しかなかったんですか?」

「良いではありませんか。いずれは着るようになるんですから」


 にやにやと意地悪く笑う漆原さんを無視して、また高台から街を見下ろす。


 ゆめ姉とモモには本当に可哀想なことをしたと思う。罪悪感で一杯だ。しかし、死んだことにしないと、死んだフリをしなければ、いつまでも悲しみを背負うことになるだろうと漆原さんは言った。


 死んだ人間は誰も探さない。

 行方不明になれば、いつまでも希望を捨てきれず、悲しみを引きずることになるのだ。

 だから――

 ぼくは死ぬことを決めたのだ。


「持ってくるものはその日記だけでいいんですか?」

「そうです。安心してください。これは今まで書いた日記の写しです。原本はちゃんと家に置いてあります」

「それならいいのですが」


 漆原さんが隣に並んだ。そして一緒になって街を見る。


「漆原さんに故郷ってありますか?」

「ありますが、二度と戻れないですね」

「……こうして去っていくことに慣れますかね?」

「慣れることはありませんよ。悲しみと寂しさがいつも心に楔を打ちます」

「寂しいですね……」


 そこで漆原さんはくふふと笑った。

 憂いを込めた、笑い方だった


「寂しいなんてものではありませんよ……」


 朝日が昇る。あまりの眩しさに眼が眩ぶ。


「さあ、行きましょうか!」


 何かを振り払うように漆原さんは大きな声で言う。ぼくはそれに元気良く「はい!」と答える。

 お互い、空元気だった。


 ぼくは街に背を向けた。

 さようなら、ゆめ姉、モモ。

 名残惜しくなるので振り返りはしない。

 振り返りは、しなかった。


 こうしてぼくは、ぼくの人生を踏み外すことを自分で決めた。

 それでもぼくは悲しいとは思わなかった。

 ぼくの心は、欠けていたからだ。

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