第43話 黒き王が初めて憎しみを知った日
第43話 黒き王が初めて憎しみを知った日
黒い扉の向こう側。
そこには、音がなかった。
風もない。
鳥の声もない。
魔法の光すらない。
ただ、果てしなく暗い空間が続いていた。
「……ここは?」
ミアが辺りを見回す。
グレゴリーも慎重に足を踏み出した。
「何もないな」
「いや」
レオンが首を振る。
「何もないんじゃない」
レオンは遠くを指差した。
「あそこに、何かある」
暗闇の奥。
小さな青い光が浮かんでいた。
ソフィアが目を細める。
「守護者さん?」
『違う』
守護者が答えた。
『あれは――』
一瞬、守護者の声が震えた。
『私が、まだ守護者と呼ばれる前の記憶だ』
「……え?」
全員が顔を見合わせる。
やがて青い光が大きくなり、周囲の景色が変わっていった。
そこは、今からはるか昔の山だった。
まだ一つの村しか存在しない。
山の心臓も、今よりずっと小さい。
そして、その近くには――。
一匹の小さな獣がいた。
白い毛。
青い瞳。
今の守護者と同じ姿だった。
だが、まだ幼い。
「守護者さん……?」
ソフィアが呟く。
幼い守護者は、山の心臓の前で眠っていた。
そこへ、一人の村人がやってきた。
『またここにいたのか』
村人は笑って、幼い守護者の頭を撫でる。
『山を守るのがお前の役目だもんな』
幼い守護者は嬉しそうに目を細めた。
『うん』
そこには、まだ黒いものは何もなかった。
怒りも。
憎しみも。
恐怖も。
ただ、穏やかな時間が流れていた。
村人たちは守護者を大切にしていた。
食べ物を分け。
傷つけば手当てをし。
子どもたちは守護者と一緒に遊んでいた。
「……こんな時代があったんだ」
アリスが優しく呟く。
「今の黒き王からは想像できないな」
エラも驚いていた。
すると、記憶の中の村人たちが集まり始めた。
『守護者様、お願いがあります』
『何?』
『もっと山の力を使わせてください』
守護者は少し考えた。
『山の力は、使いすぎると山が弱ってしまう』
『でも、村をもっと豊かにできます』
『……必要な分だけなら』
守護者は許可した。
最初は、本当に少しだけだった。
畑を守る。
病気を治す。
家を直す。
冬を越す。
山の力は、人々の暮らしを助けていた。
しかし――。
人々は、もっと欲しくなった。
『もう少しだけ』
『あと少し』
『もっと使えば、もっと便利になる』
山の心臓から流れる魔力が増えていく。
守護者は何度も止めた。
『これ以上は危険です』
だが、村人たちは聞かなかった。
『守護者は臆病だ』
『山の力は、私たちのためにある』
『なぜ使ってはいけない?』
幼い守護者は困っていた。
それでも、人々を嫌いにはなれなかった。
『きっと分かってくれる』
そう信じていた。
そして――。
ある夜。
山に大きな地震が起きた。
ドォォォン!
「きゃっ!」
ミアが驚いて飛び上がる。
「びっくりした!」
「記憶だから大丈夫だ」
レオンが言う。
「でも心臓には悪い……」
ミアが胸を押さえる。
地震によって山の一部が崩れた。
村人たちは恐怖に包まれた。
『山が怒っている!』
『守護者は何をしている!』
守護者は必死に山を支えた。
『違う!』
『山は怒っていない!』
『力を使いすぎたんだ!』
しかし――。
誰も聞かなかった。
恐怖は、誰かを責める理由を探していた。
『守護者のせいだ!』
『あいつが山を守れなかったからだ!』
『こいつを追い出せ!』
幼い守護者は目を見開いた。
『……え?』
昨日まで優しかった人々が。
今は、自分を睨んでいる。
『私は……守っていた』
誰も答えない。
『ずっと、守っていたのに……』
その時。
一人の子どもが守護者の前に立った。
『やめて!』
小さな身体で、守護者をかばう。
『守護者様は悪くない!』
しかし、その子どもも大人に連れていかれてしまった。
守護者は一人になった。
「……これは、つらい」
アリスが目を伏せる。
ソフィアも胸元に手を当てていた。
幼い守護者は、山の心臓の前で震えていた。
『どうして……』
『どうして、みんな……』
そして初めて。
その胸に、小さな感情が生まれた。
悲しみ。
寂しさ。
そして――。
怒り。
その怒りは、まだ黒くなかった。
ただ、
『分かってほしい』
という願いだった。
だが、その願いは叶わなかった。
村人たちは山の力をさらに求めた。
ついには、山の心臓そのものを直接操作しようとした。
『これを使えば、もっと大きな力を得られる!』
『やめて!』
守護者が叫ぶ。
『山が壊れてしまう!』
『邪魔をするな!』
村人の魔法が守護者へ飛んだ。
ドン!
「守護者さん!」
ソフィアが叫ぶ。
幼い守護者の身体が吹き飛ぶ。
地面に倒れる。
青い魔石に、ひびが入った。
『……どうして』
守護者は立ち上がろうとする。
『私は……みんなを守りたいだけなのに』
村人の一人が叫んだ。
『お前なんかいらない!』
その言葉が――。
守護者の心を貫いた。
静寂。
守護者は動かなかった。
そして。
胸の青い光から、一滴の黒い光が落ちた。
ポタッ。
「……黒い光」
レオンが呟く。
それは地面に落ちると、ゆっくりと広がっていった。
黒い光は、守護者の感情を吸い込んでいく。
悲しみ。
怒り。
孤独。
絶望。
そして――。
憎しみ。
守護者が震える。
『……嫌だ』
『こんな気持ちは、嫌だ』
だが黒い光は止まらない。
『私は、みんなを守りたい』
黒い光が増える。
『なのに、どうして……』
その時。
黒い光から、初めて声が聞こえた。
『どうして守る?』
守護者が顔を上げる。
『……誰?』
『お前を傷つけた者たちを、なぜ守る?』
黒い光は、まだ小さな存在だった。
『憎めばいい』
『怒ればいい』
『復讐すればいい』
守護者は首を振った。
『そんなことはしない』
『なぜ?』
『私は守護者だから』
黒い光が笑った。
『ならば、お前の心を貸せ』
『私が代わりに憎んでやる』
守護者は拒絶した。
『駄目だ』
『私は……』
守護者は自分の胸に手を当てる。
『誰かを憎みたくない』
黒い光は消えなかった。
むしろ、守護者の周りを漂い続けた。
それは、守護者が抱えた悲しみから生まれたものだった。
そして――。
さらに悲しい出来事が起こる。
村人たちが山の心臓を無理に動かしたことで、山が大きく崩れ始めた。
村が危ない。
守護者は迷わず走った。
『みんなを助ける!』
自分を傷つけた村人たちを。
それでも守ろうとした。
山を支え。
村を守り。
崩れる岩を止めた。
だが、限界だった。
『もう……無理……』
守護者が膝をつく。
黒い感情が身体へ流れ込んでくる。
その時。
黒い光が巨大になった。
『ならば、私が力を貸そう』
『嫌だ……』
『お前一人では守れない』
『……』
『私なら守れる』
守護者は苦しそうに目を閉じた。
『……少しだけ』
「守護者さん!」
ソフィアが叫ぶ。
「駄目!」
だが、記憶は止まらない。
黒い光が守護者の身体を包み込んだ。
それが――。
黒き王の始まりだった。
『力をよこせ』
黒い声が響く。
『もっとだ』
村人たちの恐怖が流れ込む。
怒り。
憎しみ。
欲望。
嫉妬。
そして守護者自身の苦しみ。
すべてが混ざり合っていく。
黒き王の姿が生まれる。
だが、その胸の中心には――。
青い光が残っていた。
守護者の心。
「……そういうことだったのか」
セドリックが呟く。
黒き王は、最初から完全な悪ではなかった。
守護者を守ろうとした感情。
傷ついた心。
村人たちの負の感情。
それらが混ざり合って生まれた存在だった。
黒き王が叫ぶ。
『私は、守護者を救う!』
しかし、その力は次第に暴走していった。
『私を傷つけた者を、全部消せばいい!』
守護者が叫ぶ。
『やめろ!』
『なぜ止める!』
『それでは、守ることにならない!』
黒き王は聞かなかった。
やがて、守護者は決断する。
『……ならば』
青い光が輝く。
『私が、お前を封じる』
黒き王が叫んだ。
『裏切るのか!』
『違う』
守護者は悲しそうに微笑む。
『いつか、お前が自分の怒りを手放せる日を待つ』
そして――。
守護者は自らの心を黒き王の中へ残したまま、封印した。
記憶が終わる。
静かな暗闇。
誰も言葉を発しなかった。
やがて黒き王が現れる。
だが、その姿はいつものような威圧感を失っていた。
『……見ただろう』
黒き王が呟く。
『私は……あの時、守護者を守ろうとした』
ソフィアが答える。
「うん」
『なのに……』
黒き王の声が震える。
『私は、あいつを苦しめた』
「……うん」
『私は……』
黒き王は自分の胸を見る。
そこには、まだ青い光がある。
『何だったんだ?』
初めて。
黒き王が、自分自身に問いかけた。
『私は敵なのか』
『守護者なのか』
『それとも……』
言葉が続かない。
守護者が静かに歩み寄った。
『お前は、お前だ』
『……』
『生まれた理由がどうであれ、これから何を選ぶかは、お前自身が決められる』
黒き王が顔を上げる。
『私にも……選べるのか?』
『もちろんだ』
ソフィアが笑う。
「私たちだって、ずっと選んできたよ」
アリスが頷く。
「疑ったこともあった」
ヴァルターが続ける。
「怒ったこともある」
アルベルトも言った。
「後悔したこともある」
レオンが静かに言う。
「それでも、今ここにいる」
黒き王は黙っていた。
その胸の青い光が、少しずつ大きくなる。
だが――。
突然。
時計塔の鐘が鳴った。
ゴォォォォン――!
暗闇に、新しい文字が浮かぶ。
――最終判定。
――黒き王の選択を開始。
「……選択?」
エラが警戒する。
すると黒き王の周囲に、二つの道が現れた。
一つは黒い道。
もう一つは白い道。
黒き王が二つの道を見つめる。
『……どちらを選べばいい?』
守護者は答えなかった。
ソフィアも答えなかった。
誰も答えを教えなかった。
なぜなら――。
それだけは、黒き王自身が決めなければならないからだ。
黒き王が一歩進む。
黒い道へ。
全員が息をのむ。
だが――。
黒き王は立ち止まった。
『……私は』
ゆっくりと振り返る。
そして、白い道を見る。
『まだ……怖い』
ソフィアが微笑んだ。
「うん」
『怒りも消えない』
「うん」
『憎しみも、完全には消えない』
「それでもいいよ」
黒き王の目から、一筋の紫色の光が落ちた。
涙のようだった。
『……ならば』
黒き王は――。
白い道へ向かって、一歩を踏み出した。
その瞬間。
山の心臓が、これまでにないほど強く輝いた。
ドクン――!
ドクン――!
ドクン――!
しかし、時計塔の文字はまだ消えない。
――最終判定、継続。
――最後の選択、未完了。
レオンが息をのむ。
「まだ……終わってない?」
守護者が山の心臓を見つめた。
『黒き王が白い道を選んだだけでは、封印は完成しない』
「じゃあ、何が必要なの?」
ソフィアが尋ねる。
守護者は静かに答えた。
『黒き王自身が――』
『自分を許すことだ』
黒き王は立ち止まった。
白い道の先には、鏡のような巨大な光が浮かんでいた。
そこに映っているのは――。
かつての自分。
守護者を傷つけた自分。
村を壊した自分。
そして、孤独に泣いていた自分。
黒き王は、その姿を見つめた。
『……私には』
声が震える。
『それができるのか?』
ソフィアは静かに答えた。
「できるかどうかじゃないよ」
「やってみるんだよ」
黒き王は鏡の前へ進んだ。
そして、自分自身へ手を伸ばした。
だが、その瞬間――。
鏡の中から、巨大な黒い手が飛び出した。
黒き王の身体をつかむ。
『まだ終わっていない』
別の声が響いた。
守護者の表情が凍りつく。
『……そんな』
レオンが叫ぶ。
「誰だ!?」
鏡の奥。
そこに、黒き王とは別の巨大な影が浮かび上がった。
黒き王が驚く。
『お前は……誰だ?』
影は答えた。
『私は――』
その声が山全体を揺らした。
『お前が生まれるよりも、さらに前から、この山に存在していたもの』
全員が息をのむ。
時計塔の文字が激しく明滅する。
――最終記憶、異常発生。
――未確認存在を検出。
そして最後に――。
――黒き王より古きもの、目覚める。
山の心臓が、激しく鼓動した。
ドクン!
ドクン!
ドクン!
守護者が震える。
『……まさか』
ソフィアが聞く。
「知っているの?」
守護者は答えた。
『……知っている』
『あれこそが――』
その瞬間、暗闇の奥から巨大な瞳が開いた。
『この山に眠る、本当の災厄だ』




