校長室にて
校長室の前で、篠宮少年と目を合わせる。
無言で頷き合い、ノックする。
「どうぞ」
中から、山校長の声が響いた。
校長室の扉を開けた二人を待っていたのは、意外にも山校長だけではなかった。そこには馬場教頭も立っていたのだ。
鋭い目付きで二人を品定めするように見詰めてくる。
「ふぅ。
溝口先生は、予想してましたが、生徒も一緒だとは聞いてませんよ?」
馬場教頭が、山校長に話し掛ける。
「あれ?言ってませんでしたか?」
「校長は、『今日試練を受ける者がいる』とおっしゃっただけです」
「まぁ、いいじゃありませんか。
篠宮さんは、大ナメクジにも気に入られているんですから」
「…三尸ですか…。だいたい、三尸は試練を受ける者を選定するには、少しいい加減過ぎます。
特に、生者には甘過ぎですよ。
溝口先生といい、須山先生といい。
どうせ、生者というだけで、のこのこと姿を見せたのでしょう!」
馬場教頭が、一気にまくし立てる。
その中に聞き捨てならない言葉が紛れていた。
「須山先生?
真琴は、生者として紛れ込んだんですか?
じゃあ、真琴が死んだと思っていたのは、私の勘違いって事ですか?」
それは、希望だった。
そして、期待だった。
真琴が生きている。
それが、どれだけ素晴らしい事か。
もし、そうならわざわざ試練を受けなくても、自分の意識が戻るのを待てばいいのではないか?妖になるリスクを負う必要など、どこにもないのだ。
「溝口先生!他者の試練の話はできないルールなのです!」
馬場教頭が、ピシャリと言い放つ。
「まぁまぁ、馬場教頭。
今の馬場教頭の言葉で、溝口先生の心は揺れてしまいました。その状態で、試練を受けさせるのは、フェアじゃないでしょう?」
「しかし、校長…」
「馬場教頭…、ルールとは秩序を保つため、物事を円滑に進めるための基準です。その基準に従うことで、逆に秩序が乱れる結果になるならば、敢えてそのルールを破る事もまた必要なのです。
…今回、そのルールが原因で、溝口先生が万全の状態で試練を受けられなくなるならば、須山先生についてしっかりと伝えるべきなのです。
…しかも、それは馬場教頭が、うっかり須山先生の名前を出したのが原因なのですから、なおさらですね」
「…ふぅ、溝口先生、須山先生は、元々、生者として、この学校に迷い込んできました」
馬場教頭が、力なくため息を吐いた後に語り始めた。
「…そして、試練を受け、見事、乗り越えました。
その結果として、元々、即死だったはずの貴方が生き残り、生き残ってたはずの須山先生が即死する形に過去を変更し、あの世へ旅立ちました」
…。
「…な!?」
なんで!?
どうして!?
「つまり、貴方がここに存在しているのは、須山先生が試練を越えた結果という事です」
「…須山先生も、生者だったんだ…」
馬場教頭の言葉に、篠宮少年が呟く。
「…待ってください。
試練を越えても、過去をどう変えるかは選べないと、猿の手が書いていました。それは、どういうことですか?」
なぜ、二人が生き残る未来を選ぶ事はできなかったのだろうか?
猿の手の書いていたように、選びたくても選べなかったのだろうか?
馬場教頭が、山校長を見る。
山校長は、それを見て頷いた。
「…その言葉には、少し語弊がありますね。
過去を変えると言っても、任意の場面での選択肢を選び直すことが出来るという程度の事です。
その結果、どんな未来になるかは選べない、とそういう事です」
…では、限りなく理想に近い未来にするためには、任意の場面と選択肢をしっかりと考えなければいけないという事だ。
逆に言えば、それさえ出来れば、二人で生き残る未来も可能なはず…。
そのために、まずは試練を越える。
私は、静かに決意した。
山校長は、それを見て満足そうに頷いた。
「決意は、固まったようですね?」
「すいません。僕も聞いていいですか?」
さっきまで空気のようだった篠宮少年が口を開く。
「溝口先生だけ、サービスするのは確かにフェアじゃないですね。なんですか?」
「…僕、コップを割らなかった事にしたいんだけど…、そういう風に変える事もできる…んですか?」
それを聞いて、山校長と馬場教頭の表情が変わる。困ったような、それでいて慈しむような、優しい表情だった。
「…直接、コップを割らなかった形に変更する事は、不可能です。
…ただ、その時のコップを掴む手を右手から左手に、左手から右手に変える事は可能ですし、コップを割る直前に行ってしまった行為を『行わない』という選択肢に変える事も可能です。
その結果、もしかしたら、コップは割れないかもしれないし、割れるかもしれない…。
そういう事です。
ただ、私なら、任意の場面設定の段階で…」
「馬場教頭…、それ以上は流石に…」
話し始めた馬場教頭を山校長が遮る。
「…要は、任意の場面と選択肢をしっかりと考える事で、過去を君の理想の形に変える事は可能だと言う事です。
…しっかりと、考えなさい。
そう、しっかりと…」
結局、馬場教頭は言葉を変えて、篠宮少年に言い聞かせるように話を締めた。
「さて、他に聞きたい事はありますか?
試練は、大禍時になったら始めます。
制限時間は、彼は誰時までです。
約12時間の制限時間内に試練を抜けられれば、合格です」
大禍時…いわゆる誰そ彼時…。要は、日が沈みかける時間、17時から19時の事だ。
そして彼は誰時は、その逆。夜明け前の日が昇りかける時間だ。
山校長の話では、試練の開始は大禍時なら、いつでも行えるらしい。ただし、彼は誰時を越えると妖化が始まるので、少しでも制限時間を長くするために、大禍時になったら、すぐに試練を開始するのがいいそうだ。そのため、早めの16時に集合して、準備をして待機というのが、慣例となっているのだと。
相変わらず、試練の内容は言えないという事だった。
そうこうしているうちに、馬場教頭が校長室のクローゼットから、巨大な鏡を取り出して、校長の机の前に設置し始めた。
立派な装飾が施された、その鏡の前に篠宮少年と並んで立たされる。
「それでは、そろそろ時間です。
健闘を祈ります」
山校長が静かに声を出す。
すると、急に世界が歪み出し、鏡に吸い込まれるような錯覚を覚える。
…そして、そのまま意識が沈んでいった。
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二人が消えた校長室には、山校長と馬場教頭だけが残っていた。
「…大丈夫でしょうか?」
心配そうな声を出す馬場教頭に山校長が答える。
「わかりません。我々に出来る事は、彼らを信じる事だけです」
再び、訪れる沈黙。
その沈黙を破ったのは山校長だった。
「そうそう、須山先生の名前を出したのは、わざとですよね?
わざわざ、うっかり口を滑らせたように見せかけて…。
教頭も溝口先生の事を気に掛けてたんですね?」
「…なんの事ですか?」
「ふふ、閻魔相手に嘘を吐くなんて、脱衣婆くらいのものですな」
それを聞いた馬場教頭が微笑みながら呟く。
「長い付き合いですからね。これくらいは大目に見てもらいますよ」
そして、二人は微笑みながら、再び鏡を見詰めた。




