北階段の鏡
校庭の木から聞こえてくる蝉の鳴き声が、ツクツクボウシの鳴き声に変わる頃、夏休みが終わり新学期が始まった。
体育館で始業式を行い、クラスで連絡事項を伝えた後、私は篠宮少年を迎えに6年のクラスに向かう。
本当は、夏休み中でもよかったのだが、確実に篠宮少年が登校する始業式をターゲットにしたのだ。
もちろん、残りの妖と会うために。
「先生、どうしたの?」
帰り仕度をして、教室を出ようとしていた篠宮少年に声をかける。
危うく、すれ違うところだったようだ。
「残りの妖に会いに行こうと思いまして、誘いに来ました」
「先生の方から、そういう話をしにくるなんて、どうかしたの?」
「別にどうもしてませんよ?それとも、余計なお世話でした?」
「そんな事ないよ。なんか意外だっただけ」
本来、特定の生徒と仲良くするのは、自分の主義に反する行為なのだが、この際、そんな事言っている場合ではない。
真琴の死をなかった事にするためには、篠宮少年の協力が必要なのだから。
「どっちの妖を狙うの?邪?我魔?」
「…カエルのほうです」
「そっか。どうやって探すの?」
「そこは考えてあります。
特別教室棟の北階段の1階と2階の間の踊り場に大きな鏡がありますよね?」
「北階段の方だね?」
「そこの鏡に行きます」
「確信があるの?」
「はい」
「…どうしてそこなの?」
「…実は…」
私は、夏休みの間に、百葉箱の猿の手を使ったのだ。
後藤少年が使用しないように、南京錠がかけたのだが、当然、その鍵を掛けた私は、自由に開ける事が可能なのだ。
「猿の手の回答によれば、そこの鏡がカエルと遭遇する可能性が最も高いそうです」
加えて、カエルはツクエツムリの天敵らしい。
ツクエツムリの住んでいる机を使っている篠宮少年には、その匂いが付いており、囮に使えるようなのだ。
そのために、新学期を待ったのだから。
まぁ、敢えて言うつもりはないが…。
まるで、攻略本を見ながらゲームをするような感じだが、これはゲームではないし、真琴の死を覆すためには、使えるものは全て使おうと思う。
「ねぇ、過去を変えるって、どんな事も変えられるのかな?」
鏡に向かう途中、篠宮少年がボソリと呟く。
「わかりません。
…でも、変えたい過去があって、チャンスがある。
なら、やってみる価値はあります。
そうでしょう?」
きっと、篠宮少年も変えたい過去があるのだろう。
いや…、この学校に存在する者達すべてが過去を変えたいと思うのだろう。
未だに信じられない気持ちもあるが…。
「とにかく、私達はあと少しで試練に挑戦する事が出来るところまで来ています。
あと少しで…」
「…そうだね」
話しているうちに北階段の鏡に到着した。
「これから、どうするの?」
「…待ちます」
しばらく、鏡を観察する。
特に異常はない。
鏡には、右下に黒い文字で、『記念贈呈』と書かれているが、贈呈した団体や個人の情報も、いつ寄贈されたかも書かれていない。
普通に見たら、だいぶ怪しい。
次に鏡に触れてみる。
ひんやりとした感触が指先に伝わる。
触ったり離したりしているうちに、何か違和感を覚える。
…なんだろう?
なんか妙だ。
何が妙なんだろう?
本腰を入れて、鏡をペタペタ触る。
そして気付く。
普通、鏡を触ると自分の指と鏡像の指の間に空間ができるのではなかっただろうか?
にもかかわらず、自分の指と鏡に映った指が触れ合っているように見える。
なんだっけ?
何かそんな現象があったような気がする。
…。
「どうしたの?」
篠宮少年が聞いてくる。
…。
…そうだ!
マジックミラーの話だ!
マジックミラーは普通の鏡と違い、フィルムが貼ってあるので、指同士がくっついて見えると何かで読んだ事がある気がする。
…って事は、この鏡はマジックミラーって事か?
いや、この壁の向こうは、外の壁だったはず…。
実は隠されている空間がある?
なんのために?
いや、普通に考えて、こんなところにマジックミラーがある理由がない気がする。
となると、カエルが絡んだ不思議現象って事か?
それとも、鏡の構造の問題か?
わからない。
「なんか変なの?」
1人悶々と悩んでいると、篠宮少年が後ろから手を伸ばし、鏡を触る。
その瞬間、篠宮少年の手が、鏡にめり込んだように見えた。
「わぁ!」
篠宮少年が、悲鳴を上げながら、鏡に飲み込まれていく。
「篠宮さん!」
私は、咄嗟に篠宮少年の飲まれていない方の手を掴む。
が、ものすごい力で引っ張られ、篠宮少年が完全に鏡の中に飲み込まれてしまった。
必死に手を離さないようにし、引っ張り出そうと反対の手を鏡に触れた瞬間、まるで鏡などなかったように、前につんのめる形になってしまった。
気がつくと、目の前に鏡に飲まれたはずの篠宮少年と階段が見えた。
慌てて、後ろを振り返ると、そこにはさっきまで目の前にあったはずの鏡があり、その左下には鏡文字で『記念贈呈』と書かれていた。




