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第29話【最終日】万策尽きる

 10時30分過ぎに奈緒子達は体育館に到着した。体育館の中は相変わらず蒸し暑い。

 既に準決勝用に3マス×3マスの陣地が2面用意され、2面の境界はパーテーションで仕切られている。

 準決勝開始は11時予定だ。既に観客が集まり始めている。

 奈緒子は蒸し暑さとは別に、空気が熱気を帯び始めている感じがした。


 体育館内を見回すと佐伯さんが1人で立っていた。

 腕組みをして考え事をしている雰囲気だ。

 奈緒子はなんとなく気になって佐伯さんに近付いてみた。

 佐伯さんが奈緒子に気付いて笑顔で挨拶してきた。

「おはようございます。準決勝進出おめでとうございます」

 大勢の参加者がいるはずなのに、奈緒子の事を覚えていたようだ。

「おはようございます。ありがとうございます」

 奈緒子は会釈して応えた。

「調子はどうですか? 昨日の準々決勝の後、体調が優れないようでしたが」

 なるほど、それで奈緒子の事を覚えていたのか。

「はい。一晩寝て、回復したのでもう大丈夫です」

 奈緒子が笑顔で答えたので、佐伯さんは安心したようだ。

 そしてぽつりと言った。

「……藤堂さんとの2戦目の対戦、水無瀬さんは受けるのでしょうか?」

「はい。受けるつもりです。逃げずに立ち向かうことにしました」

 あ……、しまった。おそらく藤堂さん陣営であろう、佐伯さんについ情報を漏らしてしまった……。

 佐伯さんは満足そうにうなずいた。

「良い判断だと思います。3戦目の勝機はおそらく無いでしょう。2戦目までで全力を出して勝ち切るしか道は無いでしょうから」

「え?」

 奈緒子は驚いて佐伯さんを見た。

「藤堂さんはちゃんと保険を掛けていますよ。勝ちたいなら最初から全力を出すべきでしょう」

 佐伯さんは優しそうな笑顔で奈緒子を見た。奈緒子はうなずいた。佐伯さんが更に続けた。

「ここからは独り言です。準決勝の陣地の9マスの確率は均等ではありません。ベイズ推定では中心の確率が高く、角が低くなります。それも加味して戦術を検討すると良いでしょう」

 ここまで話したところで佐伯さんが運営の人に呼ばれたので、佐伯さんは失礼します、と言って去っていった。


 奈緒子は佐伯さんの意図は分からないものの、とりあえず冬真さんに報告しないと、と思った。

 冬真さんは緒方さん、玲央奈ちゃん、蒼大君、悟さんと話をしている。おそらく作戦の確認だろう。

 奈緒子は話の途切れたタイミングでみんなにさっき佐伯さんから聞いたことを話した。

「ベイズ推定って何なん?」

「私は分からないの。ごめんなさい。佐伯さんがそこまで話したところで運営の人に呼ばれていなくなったから」

 奈緒子は申し訳なさそうに言った。

「確か、統計学で出てくる用語だったと思う。AIの機械学習とかで活用されてるって聞いたことがあるよ。確率を補正するための手法だったような気がする」

 冬真さんが自信が無さそうに答えた。

「そう言われてみると、確かに感覚的に中心の確率が高くて角が低くなる気がするわね」

 緒方さんが納得した顔でうなずいた。

「相手がベイズ推定を元に攻撃や移動をしてくるとして、さっき決めた方針を変えるん?」

 玲央奈ちゃんが冬真さんを見た。

「攻撃はベイズ推定を元にしよう。移動はさっき決めた方針から変えないでいこう」

 冬真さんが提案し、みんなでうなずいた。

「3戦目の件が気になるな……」

 悟さんが珍しく心配そうな顔になっていた。

「今、それを気にしても出来ることはありません。我々はベストな布陣を決めました。後は全力を尽くすのみです」

 冬真さんが言うと悟さんが満足そうな顔でうなずいた。

「その通りだ。立派なリーダーで頼もしいよ」

 冬真さん以外のみんなの士気が上がり充実した波動が出ているのが分かる。こちらの準備は万端だ。きっと勝てる、と奈緒子は思った。


 そしてついに11時になった。

 審判が1戦目のプレイヤーとアタッカーを招集した。奈緒子もそばで見守る。

「審判の正木と申します。よろしくお願いします」

 若くて爽やかそうな男性だ。公平にジャッジしてくれそうな雰囲気だと奈緒子は思った。

 正木さんが注意事項等の説明を始めた。

 こちらは、プレイヤーが蒼大君、アタッカーが玲央奈ちゃんだ。

 対戦相手は20代の男女だった。奈緒子がじっと見つめるとお互いが信頼の波動で結ばれている。直感で分かる。とても手強い相手だ。

 奈緒子はスマホで相手のステータスを確認した。

 両名共に国家公務員で、プレイヤーの男性が体力+、アタッカーの女性が知力+、運+だ。

 強力なステータスで迎え撃ってくる意思を感じる。相手も初戦から本気だ。全く手加減する気は無いようだ。

「1戦目の先攻は3日目終了時点でのスコア平均が高い藤堂さんパーティーとします。以降、2戦目、3戦目で交互に先攻を入れ替えます」

 正木さんが説明し、みんながうなずいている。正木さんが続けて説明した。

「なお、事前連絡の通り、マスの位置判定はカメラの画像認識を原則とします。ただし、審判の私が目視でも確認します。更に、ご希望があれば各パーティー同盟から1名ずつ、相手陣地の監視役を出すことができます。どうされますか?」

 奈緒子は冬真さんを見た。冬真さんがうなずいた。

「奥村パーティーからは私、青木が監視役をさせていただきます」

 相手側からも監視役が1名出てきた。これで試合開始の準備が整った。冬真さん達は自陣側に移動した。

 プレイヤーは自陣の任意の位置に、アタッカーはパーテーションから最も離れた自陣の奥中央の端あたりに立った。

 奈緒子は相手陣地の端でプレイヤーとアタッカーを観察することにした。



 1戦目が開始された。開始直後、相手が中心マスを攻撃してきたが、そこに蒼大君はいなかった。

 お互い攻撃をしつつ、候補マスが少なくなる前に移動している。お互い、攻撃が当たらない時間が続いた。

 奈緒子は相手プレイヤーとアタッカーをじっと見た。どちらも安定した波動で落ち着いている。

 相手プレイヤーは中心以外のマスを主に使って攻撃をうまく躱《かわ》していた。

 ……そしてついに両者の均衡が破れる時が来た。

 相手アタッカーの攻撃直後、ピーッと音が鳴った。攻撃成功音だ。

 蒼大君が被弾したらしい。これでこちらの残りHPは2だ。

 そして更に蒼大君が連続で被弾した。早くも追い詰められて残りHPが1となった。

 もしや、こちらが上、右、左、下を重点的に移動してるのがバレたのだろうか?

 単に運が悪かっただけなのか?

 原因は分からないが大ピンチだ。

 またしばらくお互いの攻撃が当たらない時間が続いた。

 そして相手プレイヤーが角にいたとき、今度は玲央奈ちゃんからの攻撃が当たり、ピーッと音が鳴った。

 角はチャンスだ! 確率33%で連続で当てられる! 奈緒子は次ターンの玲央奈ちゃんの攻撃を見守った。

 そして玲央奈ちゃんは見事、次の攻撃も相手プレイヤーに当てた。なんと相手プレイヤーは中心にいたのだ。

 ただ、次は8択になるので流石の玲央奈ちゃんも攻撃を外してしまった。

 これでお互い残りHPは1。次に攻撃を当てた方が勝利だ。

 奈緒子は相手プレイヤーとアタッカーをじっと見た。どちらも安定した波動で落ち着いたままだ。

 すごい、追い詰められても全く動じていない。改めて奈緒子は強敵だと思った。

 またお互いの攻撃が当たらない時間が続いたが、ついに決着の時が来た。

 ……残酷な運命の判定が下された。相手アタッカーの攻撃が蒼大君に当たり、無情にも奈緒子達は初戦を落とすこととなった。

 何が運命を分けたのだろうか? ステータスか? 戦術か? 分からないが奈緒子は漠然と悪い運命の流れを感じた。



 いきなり崖っぷちに追い詰められた奈緒子達。

 2戦目、あちらは予告通り藤堂さんが出てきた。

 こちらは悟さんだ。お互いが審判の前に立った。

「勝負を受けてくれてありがとう。英断に敬意を表するよ」

 藤堂さんがにこやかな顔で言った。

「今回も私が勝たせてもらうよ」

 悟さんがきっぱりと言った。頼もしいなと奈緒子は思った。

「しかし、バトルロイヤルで見せてくれた本気は出さないのかね? 今の君では私には勝てまい」

 藤堂さんが挑発すると悟さんが、

「少し待て」

 と言って胸を押さえて苦しそうな表情をした。

 奈緒子は分かってはいたが心配だった。でも信じて見守るしかない。

「大丈夫ですか?」

 正木さんが心配そうに悟さんを見た。

 一瞬、辺りをひんやりとした空気が覆った気がした。

 そして汗だくの悟さんが真紅に染まった目を開けた。ほとばしる殺意の波動に正木さんが驚いてひるんだ。

「……待たせたな。さあ、死合《しあ》おうか」

 悟さんが残酷な笑みを浮かべて低く響く声で藤堂さんに宣告した。

 藤堂さんは全く動じていない。

「ふふ。本気を出してくれてありがたい。思い切りやろうじゃないか。正木君、始めたまえ」

 正木さんがはっとして我に返った。

「では水無瀬さんが先攻で開始します」

 ついに両雄の戦いの火蓋《ひぶた》が切られた。



 2戦目。

 1戦目と同様、お互いの攻撃が当たらない時間が続いた。

 奈緒子は藤堂さんをじっと見た。全く動じていない。強者に相応しい強力で安定した波動を出している。勝利を確信しているのだと奈緒子は感じた。

 そして、藤堂さんの確信通り、無情にも悟さんに攻撃が当たり、先制されてしまった。悟さんの残りHP2。これは運の差だろうか? 悟さんの運-に奈緒子は不安になった。

 またしばらくお互いの攻撃が当たらない。

 奈緒子にはずいぶん時間が経過したように感じられた。うまく言えないが時間の密度が詰まっている感触がする。濃密な心理戦が両者で展開されているように感じた。

 再び残酷な運命の判定が下された。藤堂さんの攻撃が悟さんに当たった。奈緒子は素早く自陣側に寄って悟さんの位置を確認した。中心で被弾したようだ。悟さんの残りHP1。

 これで候補マスは8。奈緒子は相手側の陣地に戻って藤堂さんをじっと見た。

 ……? 藤堂さんの波動が揺らいでいる。初めて見た。あと1撃で勝利ということで気が逸《はや》っているのかもしれない。

 ここに来て、悟さんは移動せずに藤堂さんに連続攻撃を仕掛けてきた。しかし藤堂さんになかなか当たらない。

 悟さんの候補マスが5、4、3と減っていく。藤堂さんの波動が更に揺らいだ。さながら藤堂さんの勝利への渇望のように奈緒子には感じられた。

 そして悟さんの候補マスが残り2になったところで、ついに悟さんからの攻撃が藤堂さんに当たった! 藤堂さんのHPが2になった。

 藤堂さんは意に介《かい》さず、悟さんに攻撃した。悟さんの候補マスは残り1。次に悟さんが移動しなければ確実に攻撃を当てられ敗北してしまう。

 しかし悟さんは更に藤堂さんを攻撃し藤堂さんのHPが1になった。奈緒子は絶望した。そんな……悟さんがここでミスするなんて……。






 藤堂さんの表情に笑いが浮かんだ。確信を持って最後の候補マスに攻撃した。

 しかし……攻撃成功音がしない! 藤堂さんが驚愕の表情になった。

 悟さんの次の攻撃で藤堂さんのHPが0になった。

 悟さんの勝利だ!

 奈緒子は一瞬、信じられない状況に立ちすくんでしまったが、自陣から歓声が上がったのを聞いて、飛び上がって喜んだ。

 藤堂さんと悟さんが試合後、審判の前に来た。

 藤堂さんが悟さんに確認した。

「2撃目を中心マスで被弾した直後のターン、移動したと見せかけて、わざとターンを無駄にしてそのまま居座っていたわけか」

「その通りだ。目前の勝利を意識した藤堂なら、きっと欺《あざむ》けるだろうと思ってね」

「すっかりやられたよ。完敗だ」

 両者は握手した。

 悟さんの殺意の波動は既に消えている。今にも倒れそうな悟さんを玲央奈ちゃんが慌てて支えた。


 体育館がこれまでの戦いを受けて更に熱気を帯びてきていたが、奈緒子の周囲だけ空気が冷えた感覚がした。

 ふと視線を感じて、奈緒子は相手陣営を見た。

 奈緒子を見ている30歳前後の男性がいる。あの人は確か……。バトルロイヤルの時に藤堂さんと一緒にいた人だ。確か、ハットリって名乗ってたと思うけど。

 スマホで藤堂さんのパーティー情報を確認すると、服部《はっとり》弦《げん》さんの名前があった。ステータスは知力++、体力++。

 奈緒子は服部さんをじっと見た。ステータスの高さだけではない。今は波動を抑えているようだが、常人が相手をできる存在では無いと本能で分かる。奈緒子は戦慄《せんりつ》した。

 緒方さんが奈緒子の隣に来た。

「どうしたの? 怖い顔しちゃって」

 緒方さんが心配そうに顔を覗《のぞ》き込んで、その後、奈緒子の視線の先の服部さんを見た。

 服部さんが奈緒子を見て嗤《わら》った。すると服部さんの胸の辺りに波動の輪ができ、その輪がみるみる間に大きくなり、奈緒子を突き抜けて体育館全体をも駆け抜けていった。

 咄嗟《とっさ》にステドラの魔力感知を思い浮かべた。直感で分かる。服部さんは気配で相手の位置を探る能力がある。

「あの人、何なの?」

 緒方さんが青ざめて両腕で体を抱きかかえて怯えている。波動が見えない緒方さんでも服部さんの異様な雰囲気が分かるようだ。

 奈緒子は冬真さんを見た。元気は無いが、戦意はしっかりとあるようだ。でも、たとえ冬真さんが万全の状態であったとしても太刀打ちできない。

 いや、神崎さんでも難しいのでは無いか?

 服部さんから見れば、奈緒子達はか弱い獲物だ。狩る側と狩られる側。そもそも戦いにならないのだ。

 佐伯さんが言っていた3戦目の勝機が無い理由が嫌というほど理解できた。

 ここで諦めたらダメなのに……。信じないといけないのに……。絶望が迫っている。

 ここまでみんなで必死に努力を積み重ねてきた。悟さんが命を削ってバトンを繋いでくれた。けれども、最後は圧倒的な力に押しつぶされて終わるなんて……。

 こちらの手札は全て出した。もう、打つ手は無い。奈緒子は悔し涙が出た。




 悟は玲央奈が自陣地付近に用意してくれた折りたたみ椅子に座った。

「お父さん、大丈夫?」

 玲央奈が心配そうな顔で悟を見つめている。

 大丈夫だ、と言おうとしたところで悟は異様な気配を感じて戦慄した。

 悟の視線の先に……。服部さんがいた。

 藤堂……、絶対に負けないように保険を掛けていたか。

「玲央奈。急いで室さんを呼んできて欲しい。頼む」

「うん! 分かった」

 玲央奈が立ち去り、悟は目を閉じた。必死に息を整える。

 ほどなくして正面に気配を感じて目を開けると、室さんが悟の前に立って見下ろしている。

「冬真さんには……もう少し時間が必要だ。残る条件はあと2つ。どちらも、あともう一押しだ。……反則なのは分かっている。手を貸して欲しい」

 そう言って悟は目を閉じた。

 横から玲央奈の声がした。

「お父さんの闇が弱まってる今なら問題無いはずやろ? お願いっ!」

 涙声で懇願している。

 室さんの気配が悟の前から消えた。




 奈緒子が絶望していると、いつの間にか室さんが冬真さんの前に立っていた。

 冬真さんが不思議そうに室さんを見ている。

「弱っている者を、ついかばってしまうのが真のナイト」

 室さんの言葉に冬真さんがポカーンとしている。

「代わりに室さんが出るって言ってるッス!!」

 白石君の言葉にみんなが一斉に室さんを見た。

 冬真さんが一瞬驚いていたが、やがて決心した顔になった。

「……分かりました。お願いします」

 冬真さんが頭を下げた瞬間、奈緒子は室さんから悟さんにも匹敵する凄まじい強烈な波動が見えた。

 悟さんを闇とするならば……、室さんは光だ!

 この波動は……勇気だ! みんなの顔が心無しか明るくなった。冬真さんの顔色もみるみる良くなり元気に満ちていく。

 波動と共に室さんの気配がどんどん大きくなり体育館全体を包んだ。これなら服部さんに気配で位置を探られることは無いだろう。

 そして奈緒子は室さんに勝てる人間など存在しないだろうと直感した。

「室君、頼んだわよ」

 涙ぐんだ緒方さんが室さんに後を託した。

 室さんがうなずく。

 玲央奈ちゃんが悟さんを連れて行こうとしている。プレハブ棟の会議室で休ませるとのことだ。

「玲央奈ちゃんは室さんを応援して。私が悟さんを連れて行くから」

 玲央奈ちゃんがうなずいた。

 奈緒子は目を閉じた悟さんの手を引いてプレハブ棟へ向かった。

 この試合を見なくても結果は明らかだ。奈緒子は勝利を確信していた。


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