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第1話 目覚めと出会い その1

語られるは、異形の刃と異形の砲を持つ男の伝説。

歩く屍が埋め尽くす闇なる世界に、人々が見出すは希望か、絶望か。

灰色の空に響け。壊れた世界に灯れ。虚無を彷徨う男の名よ。

祈り、願い、想いを込めて呼ばれる、その名は――

『GUNBLADE』。

      

『GUNBLADE OF RAGNAROK』

 

人間をゾンビへと変える謎のウイルスが世界各地へ広がり、社会がまだ辛うじて形を保っていた頃、政府は極秘のワクチン開発計画を進めていた。

 感染を食い止め、人類を救う。その大義のもとに用意された被験者リストの最下層に、一人の男の名前があった。

 

和憲。三十代後半の、背の低い肥満体の男だった。

 

特技も社会的な地位もなく、恋人はおろか友人と呼べる相手さえいない。休日には布団からほとんど出ないまま、一日を終えることも珍しくなかった。

 消えても、誰も困らない。それが政府によって値踏みされた、和憲という男の価値だった。失敗しても惜しくない実験体として研究施設へ連れてこられた彼には、自分が「生きる価値のない人間」に分類されたことまで知らされていた。

 

そこで受けた処置は、過酷という言葉では到底足りなかった。

 薬剤を投与され、身体を切り開かれ、説明もないまま未知の処置を加えられる。拒絶反応が出れば別の薬剤が注ぎ込まれ、臓器の異常さえ経過として記録された。高熱に浮かされて拘束台に縛られるうち、自分の身体のどこまでが生まれ持ったものなのか、和憲自身にも分からなくなっていった。

 

意識が途切れても、白い照明の眩しさだけは瞼の裏に残った。防護服の研究者たちが拾い上げるのは訴えではなく数値であり、痙攣も吐血も、次の処置を決める材料に変わっていった。

 何度目とも知れない実験の最中、とうとう身体は限界を迎えた。天井の光が滲み、呼吸の感覚さえ遠のいたところへ、女の声が届いた。


『彼は失敗です。廃棄処分の準備を進めておいてください』

 

人間に向けるには随分な言葉だと、ぼんやり思った。けれど、胸に浮かんだのは怒りでも悲しみでもなかった。


(まあ、当然だな)

 

自分が選ばれた理由は最初から分かっている。その評価を覆すものなど持ち合わせておらず、むしろ最後まで役に立てなかったことが、少し申し訳なくさえあった。


(せめて、何か残せてりゃいいんだけどな)

 

薄れる意識に、一人の女性の顔が浮かんだ。もう会えないのだろうと思ったときだけ、胸の奥に小さな引っかかりが生まれた。廃棄されることより、あの人の顔をもう一度見られないことの方が惜しかった。

 この失敗作から得たものが、次の実験へ繋がればいい。いつかワクチンが完成し、あの人が生きていられるのなら。


(まあ、それならいいか)

 

諦めとも祈りともつかない思いを最後に、和憲の意識は暗闇へ沈んだ。

     

目を覚ましたとき、頭上には見覚えのある天井があった。

 ただし照明は消え、部屋の隅で非常灯だけが赤く明滅していた。空調の唸りも機械の電子音もなく、研究者たちの声も聞こえない。光が瞬くたびに実験室の輪郭が浮かび、再び闇へ沈んでいく。


「……?」

 

声を出そうとして、掠れた息が漏れた。腕を動かすと、手首の拘束ベルトが乾いた音を立てて千切れた。

 脇に残った切れ端は変色し、寝台の金具には錆が浮いている。黒い画面を晒すモニターにも、厚く埃が積もっていた。


「……なんだ?」

 

上体を起こしても、止める者はいなかった。実験着の胸元には血が黒く乾いているが、その下に痛みはない。腹を探ってみても、切開されたはずの場所に傷は見つからなかった。

 

脚を下ろすと、床の冷たさが足裏に伝わった。長く眠っていたにしては身体が軽く、眩暈もしない。喉はうまく動かないのに、渇きを感じないことも妙だった。

 

寝台の下の簡素な履物に足を入れ、半開きの扉を抜けたところで、和憲は立ち止まった。

 廊下にはガラスと書類が散乱し、壁には黒い血痕と、爪を立てたような傷が残っていた。倒れたストレッチャーが通路を塞ぎ、薬品棚の前には防護マスクが転がっている。人がいた痕跡ばかりで、その持ち主はどこにもいなかった。


「……何があったんだか」

 

答えの代わりに、遠くで硬いものが触れ合う音がした。

 曲がり角の向こうを、白い光が撫でていた。非常灯とは違う、誰かの手で動かされている光だった。

 人がいる。そのことに少しほっとして、和憲は歩き出した。事情を聞こうにも声が出ず、咳払いをしながらストレッチャーの脇を抜けると、足元でガラスが鳴った。


「止まって」

 

 少女の声とともに、光が顔を照らした。

 目を細め、右手をかざす。その向こうに、長い髪を垂らした女性が立っていた。ジャケットの下には白い衣服が覗き、水色の短いスカートが、血と埃ばかりの廊下で鮮やかに見えた。

 ただし、こちらへ向けた両手には黒い銃があった。映画で見る拳銃より大ぶりで、銃身には用途の分からない部品がついている。

 随分と凝った造りだな、と和憲は思った。


「おじさん、そこでストップ! そう、そのまま待っててね!」

 

 二度目の声は場違いなほど明るかったが、銃口は下がらなかった。彼女は片足を後ろへ引き、通路の中央を避けてこちらを見ている。


「ああ……いや、ちょっと聞きたいんだけど」

 

 言葉に掠れた息が絡み、最後は咳になった。

 警戒されるのも無理はない。暗がりから血塗れの男が出てきたのだ。まず何もする気がないと伝えたかったが、肝心の声が出ないのだから困る。

 そう考えた矢先、履物が何かに引っかかった。

 ストレッチャーから垂れたベルトだった。前へ傾いた身体を支えようと反対の足を出すと、脚が予想もしない勢いで床を蹴り、女性との距離が一気に縮まった。


「うへっ」

 

 間の抜けた声を、銃声が掻き消した。

 胸を強く突かれたような衝撃で身体が後ろへ押し戻され、背中が壁へぶつかった。膝が折れ、床についた手のそばに血が滴る。息を詰まらせて俯くと、実験着の胸元が赤く濡れていった。

 通路の向こうで、小之瀬アリナは銃を構えたまま男を見据えていた。

 

 血塗れの実験着に、言葉にならない喉の音。制止の直後、異様な速さで間合いを詰めた動きから、感染者だと判断したのだった。倒れたあとも接近せず、両手と脚の動きを確かめながら照準を据えていた。

 ところが男は襲いかかるどころか、濡れた胸元をつまみ上げた。


「いった〜!……うっわ。これ、穴、開いてるな」

 

 はっきり聞き取れた言葉に、アリナの指が引き金から離れた。


「えっ、ちょっと待って! おじさん、今、普通にしゃべったよね!?」

「そりゃ、まあ……」

 

 答えかけた和憲は、胸を押さえた手の下に奇妙な感触を覚えた。皮膚の内側で何かが寄り集まるようにむず痒く、詰まっていた息も、いつの間にか通るようになっている。


「手はそのまま! しっかり押さえててね、今そっちに行くから!」

 

 アリナは銃口を外し、片手をジャケットのポケットへ伸ばした。声には焦りが滲んでいたが、踏み出す足は床の破片を避け、指は迷わず止血用の包みを探り当てた。


「ごめん! 感染者だと思っちゃったの! すぐ手当てするから、動かないでね!」

「いや、なんか、もう」

 

 和憲は手を離し、穴の開いた実験着の下を覗いた。

 出血は止まっていた。裂けた肉が内側から盛り上がり、赤く濡れた傷の縁が寄り合っていく。身体の奥へ続いていた穴が、数度の呼吸で細い線になり、その線まで消えてしまった。


「おお、塞がった」

 

 自分の身体に向けた呟きに、返事はなかった。

 数歩手前で止まったアリナが、止血用の包みを握ったまま胸元を見つめていた。光が傷のあった場所に留まり、彼女の視線だけが、血のついた手と破れた服の間を行き来した。


「えっ、えっ? おじさん、大丈夫!? 息、苦しくない? くらくらしたりとかは!?」

「別に、ないな」

 

 胸を撫でても、指に血が広がるだけだった。アリナは返事に頷きつつ、顔色や呼吸を確かめ、また胸元へ目を戻した。


「そっか! ……うん? でも、どうなってるの、これ! おじさん、ちょっと服を開けてもらっていい?」

「え?」

「胸のところ! さっきの穴、きゅーって閉じちゃったよね!?」

「ああ。たぶん、なくなった」

「なくなった、って! もうちょっとびっくりしてもいいんだよ!?」

 

 自分に言われても困ると思いながら、和憲は襟元を引き下げた。毛の生えた胸には血が残るばかりで、傷跡さえない。

 アリナは腰を落とし、照明の角度を変えて肌を確かめた。近づいた光に、ようやくその姿がはっきり浮かんだ。

 

 腰を越える亜麻色の髪は淡い金色を含み、斜めに流した前髪が片目を覆っていた。もう一方の瞳は澄んだ青で、整った鼻筋と、表情に合わせてよく動く口元が目を引いた。

 ジャケットの下には豊かな胸元を包む白いタンクトップを着て、水色のミニスカートには黒いスパッツを合わせている。底の厚い靴で身を支える姿勢にも無理がなく、明るい装いとは裏腹に、廃墟を歩き慣れた様子だった。


「わあ……傷跡までない! ここ、さっき撃たれたところだよ!?」

「まあ、治ったんなら、いいんじゃないか?」

「よくないよー! おじさんがよくても、わたしがよくないの! 撃っちゃったの、わたしなんだから!」

 勢いよく言ってから、アリナは口を結んだ。使わずに済んだ包みを見下ろし、ポケットへ戻す指の動きが、少しだけ鈍った。


「本当にごめんね。ちゃんと確かめもしないで……」

「もう塞がったんだし、いいさ」

 

 和憲は服から手を離した。慰めるつもりでも、無理に平気な顔をしているわけでもなかった。傷はなくなり、息もできる。ならば、いつまでも気にしていても仕方がない。

 壁に背中を預け直すと、アリナは目を丸くした。


「……それだけ? わたしに何か言いたいこととかないの?」

「言いたいこと?」

 

 少し考えてから、彼女の銃に目を落とした。


「次は撃たんでくれると助かる」

「撃たないよ! 普通にお話できるって、もう分かったもん!」

「じゃあ問題なしだ」

 

 頷いて実験着の裾を引っ張り、腹を隠す男を前に、アリナは小さく息を漏らした。怒鳴られる覚悟までしていたのに、謝罪を重ねるきっかけすら見つからなかった。


「……おじさんって、のんびりしてるね」

「そうかな?」

「そうだよ。今、わたしの方がずっと慌ててるんだから」

 

 戸惑いながらも、その声から張り詰めた響きが薄れた。座り直した和憲の呼吸を確かめ、ようやく肩の力が抜ける。それでも銃口は床へ向け、彼の両手が見える位置は保っていた。


「ねえ、おじさん! もう少しだけ、お話してもいい?」

 

 顔を覗き込まれ、和憲はわずかに顎を引いた。アリナは気づいて上体を戻したが、青い瞳は逸らさなかった。


「おじさんって、何者なの? ここで何してたの? もしかして、ずっとこの建物にいたとか?」

 

 和憲は、赤い非常灯の点滅する廊下を見渡した。自分がいた寝台も、千切れたベルトも、塞がった胸の傷も、問いへの答えにはなりそうになかった。


「さあ? 自分でもよく分からんくて。さっき目が覚めたばっかりなんだ」

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