↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一体契約のテイマーと十三番窓口〜眠そうな学園生は、裏で魔物案件を片付ける〜  作者: じぇいじぇい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
96/144

第44話 池の子(後編)

お読みいただきありがとうございます。


第44話の後編です。

 水面が盛り上がった。

 波とは違う。池の残った半分の真ん中が下から押し上げられるように膨らんで、青い光がその膨らみの縁から溢れた。

 そして浮いた。

 最初に見えたのは、背だった。苔のように古い青灰の鱗が、月の下で濡れて光っている。背だけで、岸から岸までの半分がある。次に頭が上がった。長い、水の流れのような首の先に分体の子供と同じ目があった。底の見えない、古い水の色の目。それが二つ、リオとグラントの高さまでゆっくりと下りてきた。

 翼はない。爪もない。角も牙も見えない。

 ただ、大きい。大きくて、静かで水そのものが形を持って浮いているように見えた。

 竜だった。

 鞄の中から、あかりが出てきた。出てきて、竜を見上げて、自分の光を小さくした。灯りを絞るように、そっと。あかりがそうするのを、リオは初めて見た。


「……ふるい。とても、ふるい」


 光の妖精が、それだけ言った。あかりの百年が新しく見えるほどの、古さである。

 興行で舞う飛竜とは、造りが違う。飛竜が竜の形をした獣だとしたら、これは水の形をした古い時間だ。百年に一度、伝説の側に名を残す方の竜。それが、地図にない池の真ん中に静かに浮いていた。

 リオは動けなかった。

 怖くはなかった。怖いという感情が、この大きさの前では形を取らなかった。代わりに胸の引き出しが、開いた。今度は軋まずに、開いた。

 ――りお。

 声が来た。

 子供の声と同じで、子供の声より深い。糸を通さず、水を通して胸の中に直接。

 ――……おおきく、なった。

 リオは口を開いた。

 開いて、何を言えばいいのか分からなかった。分からないまま、口から出たのは自分でも思いがけない言葉だった。


「……水、掛けたのは、お前か」


 夢の話だ。

 誰かと水を掛け合っていた、あの夢の相手。顔の見えなかった相手。

 竜の目が細くなった。

 ――おぼえて、いた。

 ――……夢で、だけど。

 ――ゆめで、いい。

 水面が一度だけ大きく波打った。笑ったのだとリオは思った。


     ◇


 竜は、それからグラントを見た。

 長く、見た。

 リオは隣のグラントの顔を見た。この人は竜を見上げたまま、腕組みを解いていた。解いて、それからゆっくりと頭を下げた。

 グラントが人に頭を下げるところを、リオはほとんど見たことがない。

 竜に頭を下げるところは、初めて見た。

 ――ちょうめん、の、ひと。

 竜の声がグラントを呼んだ。

 帳面の人。あかりが付けたのと同じ呼び名を、この竜も知っていた。いつから知っていたのかは、分からない。

 ――あのこ、そだてた。

 竜の目が一度リオを見て、グラントに戻った。

 ――ありがとう。

 リオは、息を止めた。

 あの子。育てた。この竜は、グラントがリオを拾って育てたことを知っている。知っているということは、拾われる前のリオを知っているということだ。


「……俺のこと、ですか」


 グラントは、答えなかった。


「……久しぶりだな」


 グラントが低く言った。

 久しぶり。

 リオは、その言葉を聞かなかったことにはできなかった。聞かなかったことにするには、はっきりしすぎていた。だが、聞き返さなかった。今夜は聞くな、と言われた夜から、まだ二日しか経っていない。

 竜はグラントに答えなかった。答える代わりに、首を少し傾げた。それだけで、水面が岸まで揺れた。

 ――みず、へる。


「分かってる」


 ――ここが、なくなれば、いくところが、ない。


「分かってる。……止める。人間は、俺が止める」


 グラントは、竜の目を見てはっきりと言った。


「三日だ。三日で、止める。……それまで、出るな。水の中にいろ」


 竜はしばらくグラントを見ていた。

 それから、目を閉じた。

 閉じて、ゆっくりと頭を水面に近づけた。頷いたのだ、と分かるまで少しかかった。


     ◇


「……グラントさん。三日って」

「明日の朝、王都に戻る。会う奴がいる」


 グラントは岸の草に腰を下ろして水筒の水を飲んだ。


「湿地の水利権なんてもんはねえ、とさっきの現場監督は言った。だがな、地図にない池でも、この国の中にある池だ。国の中の水を、無断で他国へ運び出してる。それを止められる人間が、一人だけいる」

「……エドガーさん」

「そう、あいつだ。……革の長靴で、うちに茶を飲みに来る奴だ」


 リオは堤の方を見た。

 日が落ちて人足が引き上げた後の堤に、灯りが三つ動いていた。夜に作業する土工はいない。堤の先端で、三人の男が荷馬車から長い木箱を下ろしていた。樽とは形が違う。細長い、人の背丈ほどの木箱を二人がかりで。月の光が箱の隙間に差して、中の硝子らしいものが一瞬だけ光った。


「……あれ」

「見てる」


 グラントは立ち上がらなかった。


「あの三人は、水を汲みに来てるんじゃねえ。水が減って主が出てくる時のために、何かを沈める準備をしてる。……俺が王都で三日使う間に、あいつらも三日使う」

「あの箱の中身は」

「見当はつく。……うちに、あの手の道具を一晩で読み切った嬢ちゃんがいる。王都に戻ったら、寄越す」

「じゃあ、俺は」

「お前は、ここだ」


 グラントはリオを見た。


「お前の仕事は、王都じゃねえ。この池だ。起きたばかりの主のそばにいて、水から出させないことだ。……あいつは争わねえ。争わねえが、水が減れば、苦しくなる。苦しくなった時、そばに誰がいるかで、出てくるかどうかが変わる」

「……俺で、いいんですか」

「お前しかいねえ」


 即答だった。


「起きたばかりの竜を落ち着かせられる奴は、この国に、お前しかいねえ。……昔から、そうだった」


 昔から。

 グラントは、そこで口を閉じた。閉じてから、自分が言いすぎたことに気づいた顔をした。気づいて水筒の蓋を閉めた。

 リオは聞かなかった。

 聞かない代わりに池を見た。竜はもう水面下に沈んでいた。青い光だけが、底の方で静かに続いている。


「……結ばなくて、いいんですね」

「結ぶな」


 グラントは即座に言った。


「あれは、結ぶ相手じゃねえ。結ぶってのは、こっちが上に立って手綱を持つことだ。あれには手綱がいらねえ。隣に立って、同じ方を向いてりゃいい。それを、並ぶって言うんだ。……必要なら、向こうから来るだろう」


 向こうから来る。帳場で握られた手から水が来た時と、同じことを言っている。

 リオは、糸を撚りかけていた手を止めた。

 止めて、太い線を撚らずにほどいた。

 結ばない。並ぶ。

 それがこの池の主との、正しい距離らしかった。


     ◇


 夜明け前、水際に子供が戻ってきた。

 濡れた髪、古着、深い目。昨夜水の中へ歩いて消えた姿のまま、岸に上がってきてリオの隣に座った。

 竜の分体だ。本体が起きている間も、この姿で岸に来られるらしい。


「……りお」

「ああ」

「あした、ちょうめんのひと、いく。……りお、いる?」

「いる。三日、ここにいる」


 子供はそれを聞いて、足元の泥に両足を浸けた。


「……りお、いった」

「何を」

「むかし。りおが、いった。……ちゃぷ、って」


 リオは、子供を見た。

 ちゃぷ。

 帳場で口が勝手に動きかけた時に、出てこなかった言葉だ。それを、この子供が代わりに言った。


「……ちゃぷ」


 口から、出た。

 名前だった。この子供に、リオが付けた名前だ。いつ付けたのかは、分からない。どこで付けたのかも、分からない。だが、この口はその名前を覚えていた。


「……ちゃぷ」


 もう一度言うと、子供は初めて、声を出して笑った。

 水の跳ねるような、小さな笑い声だった。

 笑って、それから、濡れた手を伸ばした。

 リオの額に、その手が触れた。


「……ひとつ、だけ。かえす」


     ◇


 夏の午後だった。

 池がある。今の池ではない。もっと小さくて、岸に草が茂っていて、その向こうに家の屋根が見える。

 水の中に、小さな子供が二人いる。

 一人はリオで、一人は、濡れた髪の子供だ。二人とも腰まで水に浸かって、両手で水を掬っては掛け合っている。水しぶきが夏の光に散って、笑い声が池の上を渡っていく。

 ――ちゃぷ! ちゃぷ、こっち!

 自分の声だった。今よりずっと高い、子供の声。

 岸に、人がいる。

 女の人が草の上に座って、膝の上で細い糸を撚っている。髪を後ろで結んだ細い体で、水面を見ながら時々こちらを見て笑う。その顔が、見える。はっきりと、見える。

 その隣に、男の人が立っている。肩幅が広くて日に焼けていて、腕を組んで水を掛け合う二人を見ている。口の端が、わずかに上がっている。

 ――リオ。

 女の人が、呼んだ。

 ――リオ、そろそろ上がりなさい。冷えるわよ。

 その声を、リオは知っていた。

 煙の中で、名前を呼んでいた声だ。獣に囲まれて眠る夜に、聞こえる気がしていた声だ。誰の声か分からないまま、あたたかいとだけ思っていた、あの声。

 ――もう少し!

 子供のリオが答える。男の人が笑って、女の人が呆れた顔をして、濡れた髪の子供がまた水を掛ける。

 夏の午後だった。

 それだけの午後だった。


     ◇


 額から、手が離れた。

 岸に朝の光が差し始めていた。池の水面が、白く明るくなっていく。

 リオは、泣いていた。

 声は出さなかった。出そうとも思わなかった。ただ、頬を伝って落ちるものを止められなかった。

 なぜ泣いているのか、全部は分からない。分かっているのは、今見た二人の顔をリオはずっと知らなかった、ということだけだ。顔も、声も、はっきりとは覚えていない。そう言って生きてきた。

 今、見た。

 聞いた。

 名前を呼ぶ声の主を、初めて、顔で知った。


「……ぜんぶは、まだ」


 子供が、静かに言った。


「……かえせない。りお、まだ、こわれる」

「……いい」


 声が、掠れた。


「今は、これでいい。……ありがとう」


 子供は頷いて、泥の中に足を浸けたまま水面を見た。

 背中で、足音がした。

 グラントが、立っていた。いつからそこにいたのか、分からない。水筒を差し出して、何も言わなかった。リオは受け取って、一口飲んだ。飲んで、袖で顔を拭いた。


「……グラントさん。俺、思い出しました」

「そうか」

「全部じゃないです。夏の午後を、一つだけ」

「……そうか」


 グラントは、それ以上何も言わなかった。言わない代わりに隣に腰を下ろした。

 朝の光の中で、池の残った半分が澄んだ青を取り戻していた。

 その青の底に、あの二人を覚えている水が、まだ眠っている。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。


次回、第45話です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。