第43話 光る刃(後編)
お読みいただきありがとうございます。
第43話、これで完結です。
火口の底で、炎が跳ね回っていた。
――剣! 剣だ! おれ、剣に入ったことない! 燃やすの、おれ得意だぞ!
「……ちょっと、待ってくれ」
リオは煙の中で咳き込みながら、糸の向こうへ言った。
――燃やすのは、剣じゃない。剣が、燃えるんだ。相手を切る時だけ。それ以外は、大人しくしててほしい。
――大人しく?
炎が少しだけ縮んだ。
――……つまらん。
――つまらないか。
――でも、剣は面白そうだ。ここは、つまらん。火口には、おれしかいない。燃やすものもない。百年、同じ岩を焼いてる。
百年。
あかりが帳場の燭台に居着いた理由と少し似ていた。あたたかい場所が欲しかったあかりと、燃やすものが欲しいこの子。欲しがっているものは違う。だが、一人でいるのが嫌なのは同じらしかった。
――友達ってのは、どんなやつだ。
――……剣が好きで、声が大きくて、悔しいと剣が燃える。
――剣が燃える!? 人間なのに!?
――そういう奴なんだ。
炎が火口の縁まで一気に伸びた。
――会う! 会わせろ! おれより熱いか、見てやる!
リオは糸を太く撚った。
太い一本の線。契約の線だ。今日この子を山から連れ出すには、結ぶしかない。あかりの時と違って、この子は姿を消せない。火を鞄には入れられない。
線の端を炎の前に置いた。
結ばない。受けるかどうかは、そちらが決める。
炎は検分しなかった。
線を見た次の瞬間、噛みついていた。
どん、と胸に来た。
熱い。あかりの熱の、十倍。胸の奥で、子供が跳ね回っている。じっとしていない意識だ。上へ、下へ右へ左へ。一瞬も止まらない。
――わ! 人間の中は、せまいな!
――……少し、静かにしてくれ。降りられない。
――分かった!
分かったと言って、跳ね回るのをやめなかった。
◇
下山は登りより楽だった。
理由は精霊にあった。
煙の濃いところに来ると、リオの前を火が一筋走る。煙が火に払われて道が開く。
――けむり、きらい!
精霊は煙が嫌いだった。火の子だから当然だろう、とリオは思った。火は煙を出すが、火そのものは煙の中では燃えにくい。
白い煙が火に払われて視界が戻る。
リオは、初めて煙の山を息を切らさずに降りた。
――お前、煙が駄目なんだろ。おれが払ってやる。
――……ありがとう。
――礼はいい。剣に会わせろ。
麓の岩場で、ノワールが翼をたたんで待っていた。若い竜は、リオの胸で跳ね回る火を鼻で嗅ぎ取ったらしい。首を傾げて一声鳴いた。
――なんだ、これ。
――カイルの剣に、宿る子だ。
――……騒がしいな。
同感だった。
◇
職人街の奥の、看板のない店。
グラントの紹介状を渡すと、店の奥から腕の太い無口な老人が出てきた。財団ご用達の鍛冶師、ハインツ。名乗ったのはそれだけで、あとは折れた剣を見て、リオを見て、リオの胸の火を見た。見えるはずのないものを、見た。
「……火の側のは、そいつか」
「はい」
「入れ」
カイルは鍛冶場の隅で、折れた父親の剣を布から出した。
「先生に、ここへ持ってこいって言われて。……なあリオ、お前、なんで昨日休んでた。それに、なんか熱くないか、お前の周り」
「後で話す」
「後でって」
「後で。……ハインツさん、鉄は」
「火に耐える鉄は、ある。財団の倉庫から、これのために出させた。だが、鉄だけじゃ足りん。火の側が、炉に入らんとな」
老人は炉を顎で示した。
リオは糸の向こうへ言った。
――炉に、入れるか。この剣を打つ間、炉の火になってくれ。
――炉! 火になっていいのか!?
――ああ。
返事より先に、リオの胸から熱が抜けた。
炉の中で、火が爆ぜた。
普通の炭の火ではない。白に近い、澄んだ橙。鍛冶場の温度が、一段上がった。
「うおっ、熱っ!」
カイルが跳び退いた。跳び退いて、それからまた炉に近づいた。
「……なんだ、この火」
「お前の剣を打つ火だ」
ハインツはそれ以上何も言わず、折れた剣と火に耐える鉄を炉に入れた。
鍛冶が始まった。
◇
打つ間、カイルは炉の前を離れなかった。
熱い。近づけば髪が焦げる熱さだ。ハインツが「下がってろ」と言った。カイルは半歩だけ下がって、それ以上は下がらなかった。
自分の剣が打たれるのを見ていたいのだ。
父親の剣の折れた鉄と火に耐える新しい鉄が、炉の火の中で溶け合い、金床の上で一本になっていく。
その火の中から、精霊がカイルを見ていた。
リオには糸越しに分かった。炉の火が、打たれる鉄ではなく鉄を見つめる人間の方を見ている。
――こいつか。
――そうだ。
――……熱いな、こいつ。
火のことではない。カイルのことを言っている。
――おれより熱いかは、分からん。でも、面白い。剣を打たれてる間、ずっと燃えてる目をしてる。
――そういう奴なんだ。
――気に入った。
炉の火がひときわ高く上がった。
ハインツが初めて口の端を上げた。
「……火が、乗ったな」
打ち上がった剣は、見た目は以前とほとんど変わらなかった。飾り気のない、数打ちのような剣。父親の剣の面影が、柄の形に残っている。
だが、刃の芯に橙の筋が一本通っていた。
ハインツはそれをカイルに渡さなかった。
リオに渡した。
「火の側が、決める」
リオは剣を受け取った。
受け取って、糸をほどいた。
契約を、解いた。
炉の火が消えた。
消えた次の瞬間、剣の刃が一瞬、橙に光った。
精霊が自分で刃に入ったのだ。契約ではない。リオが結んだ線は、もうない。この子は自分の意思でこの剣を選んだ。
あかりが帳場の燭台を選んだのと同じ形だった。
リオは剣をカイルに差し出した。
「……お前の剣だ」
カイルは両手で受け取った。
受け取った瞬間、目を丸くした。
「……熱い」
「そいつが、宿ってる」
「そいつって」
「後で話す」
「後でばっかりだな、お前!」
カイルは文句を言いながら、剣をしばらく両手で持っていた。
剣が少しだけ温かかった。
◇
翌日の稽古場で、カイルは新しい剣を初めて振った。
ガルドが壁にもたれて、欠伸をせずに見ていた。
「纏え。紙一枚」
「……はい」
カイルが息を吸った。
刃が赤くなった。
七日目に折れた時と同じ赤さ。だが今度は刃は割れなかった。赤を、芯の橙が内側から受け止めている。
赤が白に近づいた。
そして光った。
刃の輪郭が橙の光を纏って、稽古場の砂の上に細く長い影を落とした。
光る刃。
カイルが藁束を切った。
切り口は焦げていなかった。溶けて、滑らかに鏡のように光っていた。
稽古場が静まった。
見学の一年生が、柵の外で誰も声を出せずにいた。ノアの足元で、ゼルが刃の光に目を細めていた。
ガルドが壁から背中を離した。
「……上等だ」
それだけ言って、欠伸を一つした。
カイルは光る刃をしばらく見ていた。
見てから、剣を下ろして鞘に納めた。納まった。刃こぼれもひび割れもない。
「……なあ、こいつ、名前あるのか」
「ない。お前が付けろ」
カイルは少し考えた。
考えて、鞘の上から刃を叩いて言った。
「ホムラ。……単純でいいだろ、こいつには」
鞘の中で、剣が一度だけ熱を上げた。
気に入ったらしい。
◇
教室で、カイルは机に肘をついてリオを見た。
「なあ」
「なんだ」
「俺、なんかすげえのがあるらしい」
「ああ」
「先生が言うには、魔法科の首席になれたかもしれねえって。で、剣に火を纏えるようになった。で、その剣には、なんか火の奴が入ってる」
「入ってるな」
「……お前、驚かねえのな」
リオは机に突っ伏したまま、片目だけ開けた。
「昔から、知ってた。お前がすげえのは」
カイルが少し黙った。
黙って、それから机を叩いて笑った。
「――そういうこと言うなよ! お前が言うと、本当みたいに聞こえるだろ!」
「本当だから」
窓の外で、初夏の日が稽古場の砂を白く照らしていた。
◇
その夜、帳場にガルドが来た。
帳場に来る時のガルドは、非常勤講師ではない。二番である。
「――グラント」
「なんだ」
「レオンハートの小僧。……あれ、そのうち、こっちの戸を叩くぞ」
グラントは帳面から顔を上げなかった。
「叩かせるかどうかは、そいつ次第だ。……うちは、人を斡旋しねえ」
「勧誘もしねえ、か」
「しねえ。来る奴は、勝手に来る」
ガルドは欠伸をして帳場の隅の席を見た。
リオがいつもの席で船を漕いでいた。
「……こいつも、勝手に来たな」
「こいつは、拾った」
それ以上、二人は話さなかった。
帳場の燭台の隣で、あかりが赤い帽子を直した。
今夜も帳面には私用の一件は載らない。載らなくていいものが、リオの周りに一つ増えた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
三話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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【登場人物メモ】
ハインツ……財団ご用達の鍛冶師。職人街の奥の、看板のない店の主。




