第43話 光る刃(前編)
お読みいただきありがとうございます。
新しいお話です。前・中・後編の三回でお届けします。
その朝、カイルは教室に入ってくるなり宣言した。
「今日こそ、蜥蜴に一本入れる」
「去年も、同じことを言ってたわ」
セナが、黒板を拭きながら返した。
「去年は一年だったからな。今年は違う。踏み込みが、こう、深くなった」
「口で言われても分からないわよ」
「見てりゃ分かる」
カイルは腰の剣を叩いた。二年に上がってから、剣術科の実技は木剣から真剣に変わった。カイルの剣は、入学の時に父親から譲られたものだと聞いている。特別な業物ではない。だが、この一年、毎日磨かれてきた剣だった。
「先輩。今日の合同実技、見学してもいいですか」
戸口から、一年のノアが顔を出した。足元でゼルが尾を揺らしている。
「おう、見てけ。先輩の剣を見せてやる」
「……カイル先輩じゃなくて、リオ先輩に聞いたんですけど」
「なんでだよ!」
教室に笑いが起きた。
リオは机に突っ伏したまま、片手を上げて「いいよ」と答えた。見学は自由である。カイルが一本入れるところを見られるかどうかは、別の話だった。
◇
「――次、レオンハート!」
演習場に教官の声が響いた。
初夏の合同実技だった。剣術科の生徒が、学園の演習用の魔物を相手に実戦の形で技を試す。テイマー科は、その魔物の世話と管理を任されていた。演習の前に餌をやり、間に水を運び、終われば囲いへ戻す。地味な裏方だ。
リオは演習場の縁の柵に寄りかかって、傍目にはさぼっているようにしか見えない姿勢で、細い糸を一本、今日の相手に伸ばしていた。触れるだけの糸だ。機嫌と、疲れと、今どこを見ているか。それだけが分かれば、世話には十分だった。
隣には同じ補助役のセナがいた。肩の上のフワが、演習場の砂埃に迷惑そうに目を細めている。
「……カイル、今日は張り切ってるわね」
「去年、一度も勝ててないからな。この蜥蜴に」
「勝てる相手じゃないでしょう。二年生の剣で」
「本人は、そう思ってない」
演習場の外の柵には、見学の一年生が並んでいた。ノアの姿もある。足元のゼルが、火蜥蜴の匂いに鼻を鳴らしていた。先輩の剣を見に来たらしい。
カイルの前に三人が挑んで、三人とも教官の「そこまで」で下がった。剣が鱗に届かない。それを知るための演習だから、届かないのが正しい。
だが、四人目はそれでは済まない男だった。
今日の相手は、火蜥蜴。
ブレイズリザード。体長は人の背丈ほど。赤銅色の鱗は鍛えた鉄より硬く、体の芯に熱を持つ。演習用に慣らされてはいるが、本気で噛めば骨が折れる。学園がこの蜥蜴を演習に使うのは、剣術科の二年生に「届かない相手」を知らせるためだ。
「行くぞ!」
カイルが木剣ではなく真剣を抜いた。二年から、実技は真剣になる。
最初の一合で、演習場の空気が変わった。
カイルの剣は、速い。二年生の中では飛び抜けている。踏み込みも、返しも去年より一段深くなった。だが、火蜥蜴の鱗に刃が当たるたび、金属の甲高い音がして剣が弾かれる。
二合。三合。
弾かれる。
火蜥蜴は動じない。硬い鱗で受けて、尾で薙ぎ、時々面倒そうに口を開けて熱い息を吐く。カイルは踏み込み、弾かれ、また踏み込む。
「レオンハート、そこまでだ。下がれ」
教官が言った。
「もう一本!」
「届いてない。それが分かれば十分だ」
「まだ、行けます!」
カイルは下がらなかった。
演習場の縁で、リオは糸の先に意識を向けた。火蜥蜴の側は、落ち着いている。いつでも止められる。問題は火蜥蜴ではなかった。
カイルの方だった。
この男は、去年一年人望と勢いで押してきた。人の輪の真ん中にいて、声で列を持ち直させ、剣で新入生に慕われた。正面から「届かない」という経験を、たぶんまだしたことがない。
そういう男が、初めて壁に当たっている。
「――ああ、くそ!」
四合目。
カイルの剣が火蜥蜴の首元へ、今日一番深く踏み込んだ。
その刃が赤かった。
リオは、最初火蜥蜴の熱が刃に映っているのだと思った。
違った。
刃そのものが、赤熱していた。柄から切っ先まで鍛冶の炉から出したばかりのように赤く、その先端から、火が噴いた。
どんと乾いた音がして、火蜥蜴が跳ね退いた。
演習場の砂に、黒い焦げ跡が一筋。
静まり返った。
教官も、剣術科の生徒も、テイマー科の補助役も、誰も声を出さなかった。柵の外で一年生の誰かが「今の、見たか」と言い、誰かが「魔法か?」と言い、ノアの足元でゼルが低く唸って伏せた。
セナがリオの袖を小さく引いた。
「……今の、何」
「分からない」
嘘ではなかった。糸で感じたものはある。だが、それが何なのか、この場で言葉にできる者は、たぶん一人しかいなかった。火蜥蜴だけが赤銅の鱗を光らせて、自分の縄張りを侵した熱に鼻を鳴らしていた。
カイルは剣を握ったまま、自分の手を見ていた。
「……なんだ、今の」
自分の声だと分からない声だった。
刃はもう赤くなかった。代わりに、刃こぼれと焦げ跡と、柄の革の焼けた匂いが残っていた。
◇
リオは糸の先でそれを感じていた。
正確には、火蜥蜴が感じたものを、糸越しに受け取った。
火蜥蜴は、自分より熱いものを知らない生き物だ。その蜥蜴が、跳ね退いた瞬間に「熱い」と思った。人間の剣から来た火を、自分の火より熱い、と。その驚きが、糸を伝ってこちらまで来た。
鞄の中で、あかりが小さく言った。
「……あつい。ひとの、ひ」
人の火。あかりの言葉は片言だが、種類は間違えない。火蜥蜴の火ではなく、人間の側から出た火だ、と言っている。
魔力だ。
この学園で教える通り、魔力の出口は人によって違う。術に変えて現象を起こす者が魔法使いになり、糸に練って魔物と結ぶ者がテイマーになり、体や武器に纏う者が身体系の使い手になる。同じ魔力の、使い道の違いだ。
カイルの魔力は、今剣に出た。
本人の意思とは関係なく、悔しさに押し出されて刃に。
リオは、火が噴いた瞬間に体がこわばったのを自分で分かっていた。火と煙。それはリオの苦手なものだ。理由は自分でも全部は分かっていない。だが今日はこわばりより先に、別のことを思っていた。
――でかい。
糸の先に感じた熱の大きさが、二年生の剣術科の生徒のものとは思えなかった。
演習場の隅の壁にもたれて欠伸をしていた男が、欠伸を途中でやめた。
ガルドだった。
四十半ばの、往来ですれ違えば十人が十人覚えていない顔の男である。今学期も非常勤で、剣術科の実技を気が向いた時だけ見に来る。生徒たちは「教える時は上手いが、大体寝ている変な先生」としか思っていない。熱血なのはマリウス教官の方で、この人はその反対の端にいる。
リオだけがこの人の別の顔を知っていた。夜の街で、二番と呼ばれる人。剣聖を崩した人。そしてリオ自身に、相手の力が乗る前に崩す動きを叩き込んだ人。
その人が今カイルを見ている。
腕組みを解いて、一歩演習場の中へ踏み出して。
何かを見つけた顔で。
リオはその顔を見て何も言えなかった。言えることが、なかった。ガルドが何者かをこの演習場で知っているのはリオだけで、そしてリオはそれを誰にも言えない。
◇
演習は中断になった。
火蜥蜴は学園の係が引き取り、教官はカイルに医務室へ行けと言い、カイルは「どこも怪我してねえよ」と言いながら、剣を鞘に納められずにいた。刃こぼれが、鞘に引っかかる。
柵の外から、ネイトの声が飛んできた。
「カイル! 今の、どうやったんだ!」
「知らねえよ!」
カイルが叫び返した。本当に知らないのだ、と分かる声だった。
トトが隣で図鑑をめくっていた。魔法の項を探しているらしい。見つかるはずがない。図鑑に載っているのは魔物で、今起きたのは人間の側のことだった。
「……お前、大丈夫か」
リオが近づくと、カイルは笑おうとして笑い損ねた。
「大丈夫だ。……いや、分かんねえ。なあリオ、今の見たか」
「見た」
「剣が、燃えた」
「ああ」
「俺、何もしてねえぞ。ただ、届かねえのが悔しくて、思いきり振っただけで」
カイルは刃こぼれした剣をもう一度見た。
「……こんなの、初めてだ」
リオは、それに答えなかった。答えられなかった。糸の先で感じた熱の大きさをどう言えばいいのか分からなかったし、言っていいのかも分からなかった。
そこへ影が落ちた。
ガルドが二人の前に立っていた。
いつの間に、である。さっきまで演習場の反対側にいたはずの男が、足音も気配もなく、そこにいた。
ガルドはカイルの剣を見た。刃こぼれと焦げ跡を。それから、カイルの顔を見た。
そして言った。
「レオンハート」
「は、はい」
「お前、魔法科に行くべきだったな」
カイルの口が、開いた。
「……は?」
ガルドはそれ以上何も言わず、踵を返して演習場を出ていった。
残されたカイルは、開いた口のまましばらく動かなかった。
リオも動かなかった。
動けなかった。今、この演習場で、親友の何かが始まった。それを見つけたのが、リオが夜の側で知っている人だということを、リオは知っていてカイルは知らない。
初夏の風が、演習場の焦げ跡の匂いを少しずつ運んでいった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
【登場人物メモ】
ガルド・レイヴン……十三番窓口の二番「剣聖崩し」。表の顔は学園の非常勤講師。
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次回、中編です。




