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一体契約のテイマーと十三番窓口〜眠そうな学園生は、裏で魔物案件を片付ける〜  作者: じぇいじぇい


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第41話 休暇の使い方

「休暇をやろう」 


 春の夜の帳場で、グラントは唐突に言った。

 リオは報告書を書く手を止めて、顔を上げた。


「休暇」

「ああ」

「……何をすれば、いいんですか」

「何もしなくていいんだよ。それが、休暇だ」

「何も、って」


 リオは本気で困った顔をした。

 昼は学園、夜は帳場。その二本立て以外の一日を、リオはもう何年も過ごしていない。休暇と言われて、何も思いつかないのである。


「……寝ます」

「寝るのは、いつもだろうが」

「じゃあ、何を」


 グラントは湯呑みを置いて、しばらくリオの顔を見ていた。

 それから、面倒くさそうに言った。


「……分かった。場所は、俺が決める。お前は、そこで、好きにしてろ。明日の朝、竜舎に来い」

「竜舎?」

「飛ぶんだよ。遠いからな」


     ◇


 翌朝の竜舎には、翁とノワールがいた。


「――で、誰が乗るんだ」


 マキアス翁は白髭を撫でながら、グラントとリオを交互に見た。


「俺だ」


 グラントが言った。

 リオは聞き間違いかと思った。


「……グラントさんが」

「若い頃は、乗ってた。財団の使いで、あちこちな。……体は、覚えてる」


 翁が目を細めた。


「お前さん、まだ乗れるのか。……膝は」

「乗ってる間は、痛まねえ。降りてからだ」


 翁はふんと鼻を鳴らして、それ以上聞かなかった。聞かないのがこの人の流儀である。

 ノワールはグラントを見た。

 若い黒竜は、初対面の人間をたっぷり検分する性格である。リオの時も、契約の線を咥えるまで時間をかけた。

 だが、グラントの前では検分は短かった。

 ノワールはグラントの顔を一度だけ見て、それから首をすっと低くした。鞍に乗れ、という姿勢である。

 糸はない。契約もない。グラントはテイマーではないのだ。

 それでも、竜はこの人の言うことを聞く。

 理由は多分、年季だ。竜に乗っていた年月と、それより長い、人間を見てきた年月が、この人の体から竜にも分かる形でにじみ出ているのだろう。


「乗れ」


 リオは副座に乗った。

 グラントは鞍に座ると、手綱を軽く一度だけ引いて、ノワールの首をぽんと叩いた。

 それだけで、黒竜は大扉の外へ歩み出て翼を広げた。

 この人は一体、何者なのだろう。

 リオは副座の上で、去年から数え切れないほど繰り返した問いをもう一度思った。


     ◇


 飛んだのは、王都から北へ山を二つ越えた先だった。

 眼下に森が広がっていた。

 深い、深い森である。人の道は一本もない。地図にも多分、載っていない。


「名前は、ねえ。地図にも、ねえ」


 グラントが風の中で言った。


「お前を、ガキの頃に放り込んだ森だ。火の熾し方も、水の探し方も、逃げ足も。……ここで、覚えさせた」


 リオは眼下の森を見た。

 覚えている、と思った。ぼんやりと、だが。

 あの大きな木の形。あの沢の曲がり方。はっきりとは思い出せない。だが見ているうちに、遠い記憶の底から少しずつ浮かんでくるものがあった。

 ノワールが、森の切れ目の小さな草地に降りた。


「一日、好きに遊んでこい」


 グラントは副座のリオを、鞍の上から見下ろした。


「夕方、迎えに来る。それまで、何をしてもいい。何もしなくてもいい」

「……グラントさんは」

「帳場に戻る。仕事だ」


 それだけ言って、グラントは手綱を引いた。

 黒竜が草地を蹴って空へ抜けた。

 あっという間に、空の点になった。

 リオは一人で草地に立っていた。

 正確には一人ではない。鞄の中で光がもぞもぞしていた。


「……リオ。おわった?」

「終わってない。始まった」

「なにが」

「休暇が」


 あかりが鞄の口から帽子を覗かせた。


「きゅうか、って、なに」

「……分からない」


 リオは正直に答えた。


     ◇


 最初の半刻、リオは何をしていいか分からずに森の縁を歩いた。

 歩いているうちに思い出した。沢はあっちだ。

 沢があった。子供の頃、水を汲んだ沢である。水音を聞いたらはっきり思い出した。ここで桶を落として、拾いに入ってずぶ濡れになったことがある。

 水を飲んだ。うまかった。

 それから火を熾した。熾す必要はなかった。春の昼で寒くはない。だが熾したくなった。この森で初めて火をつけた日のことをぼんやり思い出したからだ。枯れ枝を集めて、石を組んで、火打ちを打つ。子供の頃、嫌になるほど仕込まれたあの順番で。

 火がついた。

 火の前でリオは座った。

 座ると、何もすることがなくなった。

 することがないと、眠くなる。

 眠くなると、思い出した。寝る場所はあそこだ。

 草地の端の大きな木の根元。根が椅子のようにうねって張り出している。

 そこに体を預けた。

 子供の頃、この根元で寝た。何度も。ここがこの森で一番安全な場所だと、誰かに教えられた気がする。誰だったかは思い出せないが。


「リオ。ねる?」

「……休暇だから」


 あかりはリオの膝の上で帽子を直した。


「きゅうかは、ねる、こと?」

「多分」

「わかった。あかりも、ねる」


 膝の上のあかりは、春の日を浴びていた。

 燭台の火とは違う。日の光は体の芯までゆっくりと温める。


「……ぽかぽか」


 覚えたばかりの言葉らしかった。言って、気に入ったらしく、もう一度言った。


「ぽかぽか」


 春の森は静かだった。

 鳥の声。風の音。沢の水。

 リオは眠った。


     ◇


 最初に来たのは大蛇だった。

 木の根元を、太い体がゆっくりと渡っていく。人の胴ほどある灰緑の鱗。眠っている人間の周りを一周して匂いを嗅ぎ、それからゆるくとぐろを巻いた。

 子供の頃、冬の夜に、この蛇は震える子供に巻きついて温めた。蛇は変温の生き物である。温める力はない。だが風を防ぐ壁にはなった。

 覚えていたらしい。

 次に狼の群れが来た。

 灰色の痩せた狼たち。眠っている人間を遠巻きに見て、それから一頭ずつ伏せた。輪になって、外を向いて。見張りの形である。

 梟が頭上の枝に降りた。

 狐の一族が足元に丸くなった。

 森の獣たちである。

 十年ぶりに戻ってきた子供の匂いを覚えていたのは、たぶん大蛇だけだった。蛇は長く生きる。狼も狐も、十年前とは顔ぶれが変わっている。それでも森で一番古い生き物が巻きついた相手を、森は敵と数えなかった。覚えていた者に、倣ったのである。

 あかりが膝の上で目を覚ました。

 獣たちを見回した。獣たちも光を見た。


「……こんにちは」


 大蛇が舌を一度出した。

 返事らしかった。

 あかりは帽子を直して、また光の中で丸くなった。

 リオは眠り続けていた。

 夢を見ていた。何の夢かは、起きた時にはもう覚えていなかった。

 ただ、あたたかい夢だった気がする。誰かの声がしていた気もする。何を言っていたのかは分からない。

 眠っている顔は、帳場にいる時とも教室にいる時とも違った。

 何も守っていない顔だった。


     ◇


 夕方、黒い竜が森の切れ目に降りた。

 グラントは鞍から降りて膝を一度さすり、それから草地を見渡した。

 光が一つ、木の根元にある。あかりの灯りだ。目印にはちょうどいい。

 その光の周りに――

 グラントは足を止めた。

 大蛇がとぐろを巻いている。狼が輪になって伏せている。梟が枝にいる。狐が足元にいる。

 その真ん中で、一人の若者が木の根に体を預けて眠っていた。

 ノワールが背後で低く唸った。若い竜には、この光景がどう見えているのか。


「……静かにしてろ」


 グラントは竜の首をぽんと叩いた。

 それから、ゆっくりと輪に近づいた。

 狼たちが顔を上げた。大蛇が頭をもたげた。

 グラントは止まらなかった。

 止まらずに、輪の外側で立ち止まった。

 獣たちはしばらくこの人間を見ていた。十年前、子供を連れてこの森に来た人間である。大蛇はこちらの匂いも覚えていたらしい。

 狼がまた伏せた。

 大蛇が頭を下ろした。

 グラントは眠っている顔を見た。

 十年前、この森に放り込んだ子供は、火を熾せず、水を見つけられず、それでも泣かずに木の根元で丸くなっていた。あの時も、朝に迎えに来るとこの蛇が巻きついていた。

 ――血筋だな。

 思っただけで、口には出さなかった。あの日と同じである。

 グラントは輪の外に腰を下ろした。

 起こさなかった。

 膝が少し痛んだ。だがしばらく、そのまま待つことにした。


     ◇


 帰りの空は夕焼けだった。

 副座でリオはまだ半分眠っていた。


「……グラントさん」

「なんだ」

「休暇って、何をすればよかったんですか」

「今のでいい」

「寝ただけですけど」

「寝るのが、一番難しいんだよ。お前には」


 リオはその言葉の意味を少し考えた。

 考えているうちに、また眠くなった。

 膝の上であかりが言った。


「リオ。またいく」

「……ああ。また行こう」


 黒い竜が夕焼けの空を王都へ向かって飛んでいく。

 鞍の上で、帳の主は手綱を軽く握ったまま何も言わなかった。

 副座で船を漕ぎ始めた若者が落ちないように、竜の首をもう一度ぽんと叩いただけだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。


次回もよろしくお願いいたします。


【登場人物メモ】

 ノワール……アルバ竜技団の若い黒竜。ゼノの弟子(第35話)。

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