第40話 眠そうな先輩(後編)
お読みいただきありがとうございます。
第40話の後編です。
誘いは金曜の放課後に、不自然な形で来た。
「……うちの子たちが、あなたに会いたがっているの」
セナは、鞄の紐を両手で必要以上に固く握っていた。
「うちの子たち」
「そう。フワとか、ノルとか。……去年、うちに来た時から、ずっと。だから、明日、お昼を食べに来ればいいと思うの。お母さんも、そう言っているわ」
嘘ではないのだろう。だが、獣が人を招待するという話は、テイマー科でもあまり聞かない。
「分かった。行く」
「……そう。なら、いいわ」
セナはそれだけ言って教室を出ていった。出ていく背中が、少し硬かった。
その夜、帳場の隅であかりに話すと光の塊は帽子の位置を直して言った。
「あかりも、いく」
「……鞄の中でな」
「わかった」
わかった、と答える時のあかりの声は、実に素直である。素直に答えて、その通りにするかどうかは別の話だった。
◇
ラティス家は、去年と同じ匂いがした。
獣舎の藁と、荷馬車の革と、台所の湯気。柵の向こうで荷獣が二頭、客の匂いを嗅ぎに顔を出し、庭の真ん中で母屋の窓が開いている。
去年の春、初めてこの家に招かれた日のことをリオは覚えている。セナの父が荷獣を手の合図一つで動かすのを、柵越しに見た日だ。あの日、この家の獣たちはまだこちらを値踏みしていた。
今日は値踏みがなかった。
「――昼を食っていけ。話は、それからだ」
去年と同じ言葉を、ロドガーは言った。言って、それから去年より長くリオの顔を見た。
昼食は去年より賑やかだった。
母の盛り付けは、今年も慈悲がなかった。リオの皿には、肉が三切れどころか五切れ多かった。
「……多くないですか」
「働き盛りでしょう。搬入で、荷を運んだんだから」
「あれは、冬の話で――」
「体は、冬のことを、覚えてるものよ」
理屈になっていない理屈だったが、肉はうまかったので反論しなかった。
兄のロディスは向かいの席で黙々と食べながら、時々妹の方を見て、それからリオの方を見て、また黙々と食べた。
何かを待っている顔である。
家族全員が何かを待っている顔だった。
当のセナだけが、皿の上の芋を必要以上に細かく切っていた。
食べ終わる頃、ロディスが湯呑みを置いてぼそりと言った。
「……セナ。庭、行ってこいよ」
「い、言われなくても行くわ」
「芋、まだ半分残ってるぞ」
「……食べてから行くわ」
父が帳面を抱えたまま天井を見て、誰にともなく言った。
「手の合図一つで動く獣は、育てられる。……娘は、そうはいかん」
母が笑った。慈悲のない、笑い方だった。
◇
昼食の後、セナは「庭に来て」と言って先に外へ出た。
リオが庭に出ると、そこには十一匹がいた。
フワ。ノル。耳の長い子。小さい子たち。去年、庭の真ん中で積み箱の上に集められたあの顔ぶれである。一匹、増えている。十一匹目のノルが、群れの端でしっぽを立てていた。
十一匹は庭の真ん中に輪になっていた。
輪の中央にセナが立っていた。
ガチガチだった。
顔が硬い。肩が上がっている。両手を背中に回して何かを隠している。教室で黒板に字を書く時の彼女とも、搬入口で荷を仕切る時の彼女とも、劇場で泣いた時の彼女とも、違う。
初めて見る、緊張の仕方だった。
「……あの」
セナが口を開いた。開いて閉じた。
「……いい、お天気ね」
「そうだな」
「春だから」
「春だな」
「……皆、元気で」
「元気そうだ」
会話が三度空回りした。十一匹が、輪の中で明らかにじれていた。
フワがセナの肩から飛び上がって、セナの袖をくちばしで引っ張った。
「わ、分かってるわよ、フワ」
ノルがセナの背中に回って、両前足でぐいと押した。
「押さないで、ノル。……押さないでったら」
耳の長い子が、セナの足元でぴょんぴょんと跳ねた。応援している、らしい。小さい子たちが、いつの間にかセナの退路を綺麗に塞いでいた。
テイマー科の一年間でセナが育てた、十一匹である。
十一匹総出で、主を押し出していた。
「……もう」
セナは息を吸って、吐いて、背中に隠していたものを前に出した。
深い、冬の空みたいな青の――手袋だった。
「これ。その」
声が少し上ずった。
「冬に、間に合わなかったの。……だから、来年の分」
リオは手袋を受け取った。
受け取って、少し見た。編み目がところどころ揃っていない。三段解いて編み直した跡が、素人目にも分かる。
分かって、それがいいと思った。
「……ありがとう」
はめてみた。
大きかった。指の先が余る。親指のところが、特にゆるい。
「大きいな」
「大きめが、流行りなの」
即答だった。即答のくせに、セナの耳は真っ赤だった。
「……そうか。流行りなら、仕方ない」
リオは手袋をはめたまま、手を握ったり開いたりした。
親指がゆるい。だが、握るとちょうどいい。荷を持つ手は、親指で握る。そういう作りに、なっているのだ。誰に教わったのかは、知らないが。
「来年まで、待たない」
「……え」
「もう、はめた。……春だけど」
セナはしばらくリオの手を見ていた。
それから、ふと肩の力が抜けた。
「……変な人」
「よく言われる」
十一匹が一斉に輪を解いた。任務完了、という空気だった。フワはセナの肩に戻り、ノルは日向に丸くなり、耳の長い子は跳ねるのをやめた。
母屋の窓から、母と兄がこちらを見ていた。
二人とも笑っていた。何を笑っているのかは、聞かないことにした。
◇
庭の隅で、鞄が光った。
鞄の口から、赤い帽子が覗いた。
「……おわった?」
「終わった。……鞄の中って言ったろ」
「おわるまで、いた」
それはそうである。
あかりが庭に出た。十一匹が一斉にそちらを見た。
最初に動いたのは、フワだった。セナの肩から飛び降りて、あかりの正面にぽてんと降り立った。毛玉と、光の塊が向かい合った。
フワが膨らんだ。
あかりは帽子の位置を直して言った。
「こんにちは」
フワはしばらく膨らんだままで、それから少しずつしぼんだ。しぼんで、あかりの隣に並んで座った。
フワなりに認めたらしかった。
セナがしゃがみ込んで、あかりと目の高さを合わせた。
「……あなた、この人の子?」
「うちのこ」
あかりはリオの言い方を、そのまま覚えていた。
「……そう。なら、うちの子たちと、仲良くしてね」
「する」
テイマーとして、それ以上聞くことはなかったらしい。セナは立ち上がり、それからリオの手袋をもう一度見た。見て、耳をまた赤くして視線を逸らした。
母屋から、母の声が飛んできた。
「お客さんが、増えたわね。……ご飯は、食べるの?」
「灯りを食べるそうです」
「灯りか。……蝋燭を立てとくか」
帳場の料理人と、同じ発想だった。人に食べさせる側の人間は、相手の種族が違っても行き着く先が同じらしい。
◇
その夜、リオは手袋をはめたまま帳場に入った。
春である。帳場の戸は開け放してあった。
グラントは帳面から顔を上げて、リオの手を見た。
見て、それから湯呑みを取った。
「……春だぞ」
「大きめが、流行りだそうです」
「おおきめ」
鞄から出てきたあかりが、復唱した。
グラントはそれ以上何も言わなかった。
帳面の隅に、几帳面な字で一行書き足しただけだった。
『手袋 一双(春・大きめ)』
品目でも勘定でもない。備考の欄である。仕事に関係のないものをこの人が帳面に載せるのは、珍しかった。
リオは手袋をはめたまま、いつもの席に座った。
春の帳場は、暖かかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。
次回もよろしくお願いいたします。




