第39話 解けるものなら(前編)
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工人展、開幕です。今回は前・中・後編の三回に分けてお届けします。
工人展の朝は、冬晴れだった。
石造りの大展示場の正面に、開場を待つ列が大市場の端まで伸びている。職人、商人、貴族の使い、物見の親子連れ。王都の一年ぶんの腕を見に、王都の一年ぶんの人が押しかけている。
リオは、搬入口の陰でその列を眺めていた。
夜明け前から動いていたので、体はもう昼のように疲れている。だが、眠気は不思議となかった。この広い会場のどこかに、荷を見ないで人を見る男がいるかもしれない――そう思うと、目が勝手に開いているのである。
「リオ! 赤の追加、二つ! 魔道具の間、一番奥!」
「了解」
セナの声が飛んでくる。開幕前の最後の追い込みで、ラティス運送の腕章は朝から一度も止まっていない。
木箱を抱えて、魔道具の間を抜ける。
幕の外された台の上に、王都の一年が並んでいた。
封じの効いた宝箱。音を記憶する小箱。自動で目を覚ます灯り。どの台にも職人が付いて、最後の磨きを入れている。その中で、七番台だけが周りと空気が違った。
人が集まり始めているのである。
まだ開場前だ。集まっているのは、他の出展者たちだった。学生枠、しかも一年生。物珍しさ半分、値踏み半分の目が、台の前を通るたびに一度止まる。
台の上には、対になった二本の筒と、その間を繋ぐ細く長い芯。
テッサはその前で、ゴーグルを額に上げたままじっと動かなかった。
いつもの、滑り込んでくるテッサではない。職人の顔である。
「――テッサさん」
「……あ、リオくん。おはよう」
声だけがいつものテッサだった。
◇
開場の鐘が鳴ると、会場は一気に人で埋まった。
学生枠の三台には、人だかりができた。
金物細工の三年生の台には、精緻な文字盤の懐中時計。織物見習いの台には、光の角度で色の変わる布。そして七番台には――
「聞こえますかー?」
テッサの声が、筒の一方に吸い込まれた。
次の瞬間、その声は会場の反対側の端から聞こえた。
「――聞こえますかー?」
遠くの搬入口で、腕章を付けた運送屋の娘が驚いて振り返るのが見えた。対の筒のもう一方を、セナが持っていたのである。
「聞こえるわ! ……というか、近いわよ! 隣にいるみたい!」
セナの声が今度は七番台の筒から、ひょいと出てきた。
どよめきが起きた。
会場の端から端。学園祭の時の三倍の距離を、雑踏の中で、混線もせずに。
「芯の巻き方なんです!」
テッサが人だかりに向かって早口で語り始めた。
「中継の芯に、二重の巻きを入れると、隣の筒の声を弾くんです。こうやって――」
解説は、また三分続いた。半分も分からないのは、リオだけではなかったらしい。だが、分からない人だかりが分からないまま、感心して頷いていた。
その人だかりの一番後ろで、修理屋の父が腕を組んで立っていた。
店の奥で隠れて泣いた人である。今日は隠れる場所がなかった。だから腕を組んで、顔を上げて、鼻をすすっていた。
「――おおい、テッサ! すげえな、それ!」
人だかりの中から、聞き覚えのある声がした。
カイルと、ネイトとトトである。
隣のクラスのテッサとは、リオを介していつの間にか一緒に昼を食う仲になっていた面々だ。廊下でカイルが工具鞄を目ざとく見つけて話しかけ、ネイトが鍋の輪に引き込み、トトが図鑑の話で意気投合した。教室の壁を越えた、そういう縁である。
「本当にすごいですね……。声が、空間を跳んでいくんですね」
「これで隣の教室の答案が聞こえるな」
「聞こえたところで、ネイトくんの成績は変わらないと思います」
友人たちの雑音が、七番台の周りをいつもの温度に近づけた。
テッサがようやくいつもの顔で笑った。
◇
リオは荷の合間に会場を回っていた。
昨日の男はいなかった。
痩せた中年、印象に残らない服、台の脚を弾く指。開幕から昼までその姿は、どこにもない。
代わりに別のものが目に引っかかった。
七番台の、脇である。
台の裏側、幕の陰に木箱が一つ置いてあった。荷札は赤。魔道具の間の荷である。荷札には「七番台・出品補助部材」とある。
リオは、今朝の搬入を頭の中で一つずつ辿った。
七番台への荷は、テッサの二本の筒と、芯の予備と、工具箱。それだけだった。補助部材の木箱など運んでいない。
「セナ」
搬入口から戻ってきたセナを小声で呼んだ。
「七番台の脇の木箱。あれ、うちの荷か」
セナは帳面をぱらぱらと繰った。それから、眉を寄せた。
「……ないわ。うちの帳面には、そんな荷、載ってない」
指定運送の帳面にない荷が、指定運送しか入れない会場のテッサの台の脇にある。
つまり、この箱は外から運び込まれたものではない。
会場の内側から――開幕前の混乱に紛れて、誰かが置いたのだ。
◇
テッサは自分宛の荷札を見て、少し首を傾げただけで箱を開けた。
自分宛なのだから、開けるのが当たり前である。
開けて動きが止まった。
箱の中には装置が一つ。
掌二つ分ほどの、金属と硝子の塊だった。継ぎ目のない外殻。何層にも重なった封じの刻印。中央に嵌め込まれた砂時計に似た硝子の管の中で、光る砂がゆっくりと下へ落ちている。
精巧だった。
祭りの夜の道具と同じ手だと、素人のリオにも分かるほど精巧だった。
装置の上に紙が一枚載っていた。
署名はない。
一行だけ。
――解けるものなら、解いてみろ。
テッサの指が、装置の外殻をなぞった。
なぞって止まった。
「……線の癖」
呟く声が低かった。
「あの原図と、同じ手。あの祭りの道具と、同じ手。……私が読んだ、あの図面の人」
リオは箱の底を見た。
装置の下部から、細い金属の蔓のようなものが二本伸びていた。木箱の底を貫いて、そのまま七番台の脚に食い込んでいる。
いつの間にだ。
開幕前の、あの混乱の中で。人だかりの目の前で。
テッサが硝子の管を指した。
「これ、刻限。光る砂が落ちきったら、起動する。……日暮れくらい。それまでに封じを全部外さないと」
「外さないと」
「台ごと、弾ける。私の筒も、この辺の台も、その周りの人も」
会場の喧噪が、急に遠くなった。
工人展の最中である。台の周りには、今も人だかりがある。
騒げば、大混乱になる。祭りの夜の、あの理屈と同じだ。爆発より先に、将棋倒しで人が死ぬ。
「……窓口に」
テッサがリオの袖を小さく掴んだ。
運送の腕章を付けた、素顔のリオの袖である。彼女が知っているのは、「窓口の付き添いの人」としてのリオだ。それで十分だった。
「窓口に、繋いで。今すぐ」
「分かった」
リオは荷札の裏に走り書きをして、天窓の梁に糸を投げた。鳩が一羽、紙をくわえて冬の空へ抜けていく。
返事はすぐに来た。
鳩が運んできた、几帳面な字。
――騒がせるな。「展示物の点検」で台の周りを空けろ。錠前と、腕っ節を回す。嬢ちゃんは、読め。
テッサは、紙を一読してゴーグルを下ろした。
職人の顔に戻った。
「主催の人に、点検って言ってくる。……リオくん、それまで、誰も箱に触らせないで」
テッサが人だかりの中へ消えた後、リオは木箱の前に一人で立った。
装置を見る。
見るだけでは、何も分からない。分からないから、いつもの癖で糸をそっと近づけた。獣の網を張る時と同じ、細い触れるだけの糸である。
金属と硝子の塊に、獣の気配があるはずが――
あった。
熱。
小さく、速い鼓動。
リオは糸を引いた。
引いて、それからもう一度、確かめるように伸ばした。
間違いなかった。硝子と金属の何層もの封じの、その一番奥に何かがいる。小さくて、熱くて、怯えている何かが。
戻ってきたテッサが、リオの顔色を見て足を止めた。
「……リオくん?」
「テッサさん」
声が少し掠れた。
「これ……中に、何か、いる」
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次回、中編です。




