第38話 白い後援 〜白い花の商会〜(後編)
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第38話の後編です。
修理屋の店先で、菓子折りは上等な茶に化けていた。
「――手前どもの商会は、若い職人の後援を、長くやっております」
エルムは店の椅子に浅く腰かけて、火の匂いのする店内を心地よさそうに見回した。
「工人展の学生枠は、王都の宝です。ですが、宝は磨かなければ光らない。磨くには、道具と、場所と、時間がいる。……そこを、手前どもが持ちます」
テッサの父は、腕を組んで黙っていた。職人の顔である。うまい話を聞く時の、あの顔だ。
テッサはその隣で、膝の上の手を握ったり開いたりしていた。
「具体的には」
「三つ、ご用意しました」
エルムは指を一本ずつ立てた。
「一つ。工房の支援。この店の改装と、最新の設備一式。炉も、旋盤も、封じの検分台も。二つ。技術への接触。ルヴィナに、手前どもの出資する魔道具工房がございます。そこでの研修を、一年。王都では見られない術式が、あちらには、まだ山ほどある」
テッサの喉が、こくと鳴った。
リオがここにいれば、その音を聞いただろう。ルヴィナの術式。彼女がこの一年、噂でしか触れられなかったあの向こう側の技術である。
「三つ目は」
「支度金です。……失礼ながら、お店の帳面を、少し調べさせていただきました。改装の借り入れが、まだ残っておいでだ」
父の眉がぴくりと動いた。
「そのぶんを、支度金として。娘さんの才能への、先行投資だとお考えください。返済の義務は、ございません」
店の中が静かになった。
火の爆ぜる音だけが、しばらく続いた。
「……話が、うますぎる」
父が低く言った。
「ええ。うますぎます」
エルムはあっさり認めた。
「ですから、今日はお返事をいただくつもりで来ておりません。うますぎる話は、疑ってから受けるものです。工人展が終わるまで、じっくり疑ってください。……その上で、宝を磨く気になられたら、お声がけを」
立ち上がり、外套を取り、戸口で一度だけ振り返る。
「良いお店だ。値札の裏に、直した場所を書いておられる。……ああいうのは、真似のできるものじゃない」
雪の中に感じのいい微笑が、消えた。
残されたのは、上等な茶の香りと、父の腕組みと、膝の上でまだ握ったり開いたりしている娘の手だった。
◇
搬入初日の朝は、息が凍るほど寒かった。
工人展の会場は、王都の大市場に隣接する石造りの大展示場である。その裏手の搬入口に、ラティス運送の馬車が夜明け前から列を作っていた。
「――そこ、荷札の色で分けて! 赤は魔道具の間、青は細工の間、黄色は織物! 落としたら弁償じゃ済まないわよ、名工の一年ぶんなんだから!」
セナが帳面を片手に、搬入口の真ん中で仕切っていた。
制服ではなく、運送屋の厚い作業着に腕章。髪は、いつもより高い位置で結んである。教室で見る顔とも、劇場で見た顔とも、また違う。家業の顔である。
「リオ、赤の木箱、三つ。魔道具の間の七番台まで。丁寧に、でも急いで」
「了解」
木箱は見た目より重かった。
石の床を渡り、広い展示場の中を、荷札の番号を頼りに進む。まだ幕の掛かった台が、整然と並んでいた。あの台の一つ一つに、明日王都の一年ぶんの腕が並ぶのだ。
七番台に箱を降ろして戻ると、搬入口の脇でセナの父が御者と何か言い合っていた。
大柄な、日焼けした男である。声は大きいが、荒くはない。娘と同じで言っていることは全部、筋が通っている。
ロドガー・ラティス。いつかセナの家に招かれた日、荷獣の二頭を声も糸もなしに、手の合図ひとつで動かしていた人だ。長い年月だけが作る信頼を、あの時リオは柵越しに見た。ついでに、母親の慈悲のない盛り付けで肉を三切れ多く食わされた記憶も一緒に蘇った。
リオに気づくと、男はひとつ頷いた。
「セナから聞いてる。荷は丁寧に、朝は弱い、だな」
「……その、朝の方は、今日は間に合いました」
「間に合ったなら、上等だ。頼むぞ」
それだけだった。それで、採用らしかった。
昼近く、搬入口の陰で短い休みが来た。
セナが湯気の立つ茶を、二つ持ってきた。搬入口の風は容赦なく、二人とも鼻の頭が赤かった。
「……手が、真っ赤ね」
セナがリオの手元を見て言った。
「手袋は」
「ない。……買う余裕が、なくて」
「……そう」
セナはそれ以上何も言わなかった。
言わない代わりに、自分の茶の杯をリオの手に押し付けるように渡した。もう一杯、持たせるためである。
二人で、湯気を吸った。
口数は要らなかった。荷を運んで、番号を合わせて、また運ぶ。半日それを繰り返すと、息が自然に合ってくる。どちらが箱の左を持つか、どこで曲がるか、いちいち言わなくなる。
劇場で泣いた日から何かが変わったというより、隣にいることに理由が要らなくなっていた。
◇
その夜、帳場にテッサが来た。
リオは覆面と変声を着けて、帳場の隅に控えていた。窓口に出る時の、いつもの姿である。
テッサはいつものように工具鞄を担いでいたが、いつものように滑り込んでは来なかった。戸口で、一度立ち止まった。
「……相談が、あるんだけど」
話は店先での出来事だった。
三つの申し出。ルヴィナの工房。支度金。工人展の後で、返事を。
「シラード商会って、ここのお客さんだよね。この前の、回収の」
テッサはグラントの顔を見た。
「だから、悪い人たちじゃないって、思ってたの。窓口のお客さんなら、って。……でも、お父さんが、うますぎるって言うし。私も、そう思うし。でも、ルヴィナの術式は、本物だと思うし――」
言葉がぐるぐるしていた。
グラントは黙って聞いていた。聞き終えてから、湯呑みを置いて言った。
「嬢ちゃん。一つ、教えとくことがある」
声はいつもより少し静かだった。
「シラード商会に金を出してるのは、白庭商会って大店だ。ルヴィナの。……祭りの夜に、この街の保管庫を狙った連中の、本店だ」
テッサの顔から、色が引いた。
「……え」
「あの連中は、嬢ちゃんの腕を、二度、見てる。祭りの封じを破った腕と、原図を読んだ目だ。だから、来た。話の中身は本物だろうよ。工房も、研修も、金も。……全部本物で、全部、あいつらの側に嬢ちゃんを置くための品だ」
帳場が静かになった。
リオは隅の席で、覆面の下で拳を握っていた。言いたいことは山ほどあった。行くな、と言いたかった。
だがグラントは、そこでこう言ったのである。
「だがな。……止める権利は、うちにはねえ」
「グラントさん」
思わず、声が出た。
「嬢ちゃんの腕は、嬢ちゃんのもんだ。どこで磨くかも、誰に貸すかも、嬢ちゃんが決めることだ。うちが決める話じゃねえ。……ただ、知らねえまま行かせる気も、なかった。それだけだ」
テッサは長い間俯いていた。
それから、顔を上げた。目は赤かったが乾いていた。
「……工人展が、終わるまで」
「ああ」
「終わるまでは、考えさせて。今は、出品のことしか、考えられないから」
「それでいい」
テッサは工具鞄を担ぎ直して帳場を出ていった。
戸口で、一度だけ振り返った。
「教えてくれて、ありがとう。……知らないで行ってたら、多分、私、一生気づかなかった」
戸が閉まってから、グラントはしばらく閉じた戸を見ていた。
「……リオ。言いてえことがあるなら、言え」
「本当に、止めないんですか」
「止めねえ」
グラントは湯呑みを取った。
「受けるかどうかは、そっちが決める。……お前が獣にやってることと、同じだ。こっちが決めた縁は、縁じゃねえ」
リオは返す言葉を持たなかった。
自分の作法を、そのまま返されたのである。
◇
搬入二日目、リオは荷を運びながら目を開けていた。
荷を見ないで、人を見ている奴。
会場には明日の開幕を前に、出展者と関係者がちらほら入り始めている。そのほとんどは、自分の台か隣の台か、天井の高さを見ている。
一人だけ違った。
中年の、痩せた男だった。仕立ては悪くないが、印象に残らない服。会場の入口で立ち止まり、警備の巡り方を目で追い、搬入の経路を目で追い、それからゆっくりと展示場を回った。
鍋も、細工も、織物も、一度も見なかった。
代わりに、魔道具の間の七番台の前で長く立ち止まった。
テッサの、出品台である。
男は幕の掛かった台に触れなかった。ただ幕越しにその形をじっと眺め、それから台の脚を、指の先で一度だけ弾いた。
音を聞いたのだ。
職人の、癖である。
リオは荷を持ち直しながら、糸を細く投げた。屋根の鳩と、路地の猫にあの男の行き先を。
男は、来た時と同じ足取りで会場を出て、大市場の雑踏に入り――
三つ目の角で、鳩も猫も見失った。
消え方があまりに慣れていた。
職人の顔はまだ誰も知らない。
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次回、工人展、開幕です。




