第36話 白い花の客(後編)
グラントは、依頼を請けてもすぐには動かなかった。まず、下調べである。
敵の持ってきた話を、敵の言った通りに信じるほど十三番窓口は甘くない。
リオの糸がまず街の獣に聞いて回った。ゾルン商会の裏口に、夜中荷が出入りしていないか。版工房の煙突は、いつ煙を吐くか。屋根の鳩と、路地の猫と、堀のネズミは、人間の見張りより口が堅くなく目は確かである。
ほどなく、絵が揃った。
エルムの話は、癪なことに全部本当だった。ゾルン商会の金庫には夜も番人が付き、版工房は表向き鍋の修理屋で、夜だけ地下の炉が回る。写しと部材は工房、原図は商会の金庫。喋った通りの配置である。
「本当のことしか言わねえ客ってのは、な」
グラントは、地図に二本目の印を打ちながら言った。
「嘘つきの倍、気をつけるもんだ」
◇
決行は月のない夜だった。
二手に分かれる。
版工房にはガルドとテッサ。ゾルン商会の金庫には、リッツとリオ。互いの間を、リオの糸に繋がれた屋根の鳩が一羽で往復する。
工房の方はあっけなかったらしい。
裏口の錠が外れ、地下で炉番をしていた男たちが何かに気づくより早く、ガルドが灯りを消し、気づいた頃には全員、芋俵のように積まれていた。物音は、鍋一つ分もしなかったという。
商会の方はリッツの独壇場だった。
道具袋から出た古いオルゴールの蓋が開き、小さな影が澄んだ声で短い旋律を紡ぐ。リッツの相棒、歌う影のリラである。歌に合わせてリッツの指が空中で錠を編むと、廊下と番人の詰め所の間に音の壁が一枚、立った。
「これで、こっちの音は向こうに聞こえねえ。……さて」
金庫の錠は三重だった。
リッツは、それを鼻歌まじりに順番に外した。錠前師に言わせれば、金のかかった錠ほど作りが素直なのだそうである。
原図は金庫の一番奥の、筒の中にあった。
引き上げ際、リオは商会の帳場の机に糸で運ばせた一枚の紙を置いた。匿名の垂れ込め状である。この商会と工房が何を作って売っていたか、朝には憲兵が知ることになる。派手な摘発はしない。だが、次の商売もさせない。
静かに一夜で。
依頼の条件は、守った。守った上で、それ以外のこともした。
◇
夜明け前の帳場に、回収品が並んだ。
写しが九枚。試作の部材が木箱に二つ。そして、筒に入った原図が、一枚。
検品はテッサの仕事である。
ゴーグルを額に上げたテッサは、原図を作業台に広げてしばらく黙り込んだ。
それから、ぽつりと言った。
「……すごい」
「すごい、って、何が」
「これ描いた人、天才だよ。性格は最悪だと思うけど」
テッサの指が、図面の線をなぞった。
「線の一本一本に、組んだ人の癖が出てるの。力の逃がし方、封の重ね方、数字の丸め方。……指紋みたい。この図面、あの祭りの道具と、同じ手だ」
リオは、覆面の下で息を一つ止めた。
祭りの夜、保管庫を狙ったあの精巧な道具。それと同じ手が描いた原図が、今この作業台の上にある。
「グラントさん。これ、朝までに返すんですよね」
「ああ。全量、耳を揃えてな。……請けた仕事だ」
「じゃあ」
テッサはゴーグルを下ろした。
「朝まで、借りるね」
それからの数刻を、リオは多分忘れない。
テッサは原図を一度も写さなかった。写せば、写した事実が残る。代わりに読んだ。図面の全部を覚えたわけではない。封の順と、弱点の位置と、解きほぐす手順。解くために要るものだけを選んで読み解き、自分の頭に沈めた。時々自分の帳面に書き付けるのは、図ではなく、彼女自身の言葉で書かれた解き方の覚えだけである。
「――終わった」
窓の外が白む頃、テッサはぐっと伸びをした。
「この型の道具はね、もう、怖くない。今度どこかで見つけたら、私、目をつぶってても外せる」
依頼は写しを消すことだった。
そして朝が来る頃には、図面の写しではなく解き方の写しが一枚、テッサの頭の中に残っていた。
◇
エルムは約束の朝に来た。
写し九枚。部材の木箱二つ。原図一枚。
品目と数を彼は丁寧に確かめ、満足そうに頷いた。
「完璧です。一夜で、騒ぎ一つなく。……いや、お見事でした」
「仕事だからな」
「ときに」
為替を差し出しながら、エルムは世間話の調子で言った。
「原図の中身は――ご覧に、なりましたか」
直球だった。
「検品したからな。品目と、数を確かめた」
「品目と、数」
「ああ」
グラントは眉一つ動かさなかった。
「それ以上のことは、しろとも、するなとも、依頼書には書いてなかった。だから、それ以上のことを聞かれても、答える義理もねえな」
短い沈黙があった。
エルムは、原図の筒にちらりと目を落とした。封も、紙も開けられた痕跡ひとつない。中身を読まれたのか読まれていないのか、確かめる術はもうどこにもない。
「……こちらの、落ち度です」
感じのいい微笑が、ほんの少し深くなった。
「次の依頼書では、文言を詰めることにします」
「そうしな」
「ええ。……次が、あれば」
エルムは立ち上がり、戸口で例によって一度だけ振り返った。
「良い仕事でした。この街の水準が、よく分かりましたよ。――では」
客は朝の光の中に消えた。
褒め言葉がこんなに嬉しくない朝も、珍しい。
◇
その日の帳面の品目欄には、几帳面な字でこう載った。
『図面ならびに写し・部材の回収 一式(依頼主・シラード商会)』
敵の名前がうちの帳面に初めて載った。
帳面を閉じながら、グラントは隅で船を漕ぎかけているリオに言った。
「リオ。今回の仕事、何だったと思う」
「……回収、じゃないんですか」
「半分な。もう半分は、値踏みだ。あちらさんは、うちの腕を、金を払って測りに来た」
「じゃあ、損したのは、うちですか」
「どうかな」
グラントは湯呑みを傾けた。
「敵の仕事を請けるってのはな、金をもらって、敵の手の内を覗くってことでもある。……あの原図の中身は、もう、うちの嬢ちゃんの頭ん中だ。勘定は、悪くねえよ」
◇
遠い部屋で、灯りが一つ点いていた。
白い花の隣で、穏やかな声が報告をしていた。
「――回収、完了です。全量、一夜で、騒ぎもなく」
「例の連中は、どうでした」
「いい仕事をしますよ」
穏やかな声は、淀みなく答えた。
「早くて、静かで、確かだ。値切りもしないが、付け込ませもしない。……この目で確かめられただけでも、安い買い物でした」
白い花が一枚散った。
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