第36話 白い花の客(前編)
灯りは一つだけだった。
広い部屋の中央、円卓の上に置かれた燭台が一つ。その隣に白い花を活けた花器が一つ。
あとは声だけである。
「――報告を」
進行役の、抑揚のない声が言った。本店の名代。庭の主とやらの言葉を預かって運ぶだけの男である。
「例の図面の件です」
別の声が答えた。若くはない、神経質な声。道具方の職人である。
「祭りの夜の失敗の後、資材と書類を移した際に――図面が一枚、荷から消えました。行き先は割れています。ゾルン商会。うちの荷を運んでいた、仲介の小店です。荷の間で図面を抜き、レニオの王都の版工房に持ち込んだ。工房は図面から写しを起こし、部材ごと、裏で売っている」
「先日の、レニオの王都の騒ぎは」
「その末端です。粗悪な写しを掴んだ小悪党が、街に十二個ばら撒いた。……素人が、私の設計を、雑に写して、雑に組んだ。あれは私の仕事ではない。あんな出来損ないに私の図面の名がつくのは、我慢がなりません」
「庭の主は」
名代の声は平坦なままだった。
「体面を、気にしておられる。品の悪い写しが出回るのは、庭の外聞に関わる、と」
「回収は、手配します」
三つ目の声が、初めて言った。
穏やかで、感じがよく、少しの疲れも感じさせない声。
「原図が一枚、写しが起こされた分、試作の部材。そのすべてを、騒ぎにせず、静かに回収するのが条件でしょう。適任の業者に、心当たりがあります」
「業者? 外に出すのですか」
「うちの手で回収して、足がついては元も子もない。それに」
声は微笑んだようだった。
「レニオの王都には、面白い組織があるでしょう。祭りの夜、こちらの仕事に気づいた、あの連中です。……ちょうどいい。ついでに、直接この目で、確かめてきますよ」
白い花が燭台の熱で微かに揺れた。
◇
その客が帳場に現れたのは、二日後の夜だった。
「夜分に失礼します。シラード商会の、エルムと申します」
仕立てのいい上着。柔らかい物腰。年の頃は三十過ぎ。悪い噂というものが一つもない、王都でも指折りの感じのいい商人である。
リオは、帳場の隅で覆面の下の息を一つ整えた。
この顔を知っている。
学園祭の少し前、グラントが帳場机に広げた赤い糸の地図――あちこちの事件から伸びた糸が一つの名前に束ねられた夜のことは、忘れようがない。白庭商会。ルヴィナに本店を置く、香料と薬草の大店。その白庭が金を出している先の一つが、シラード商会だった。
つまり目の前のこの人は、敵さんの表の顔である。
そして、向こうもこちらを知っている。祭りの夜の後、敵さんの側で「面白い網が王都に張ってある」と囁かれたらしいことまで窓口の耳は拾っていた。
知っていて知らない顔をする。
向こうもこちらも。
「これは、ご丁寧に」
グラントはいつも通りの仏頂面で、客用の椅子を勧めた。
「十三番窓口だ。……で、シラード商会さんが、うちに何の用で」
「回収の、ご依頼です」
エルムは椅子に浅く腰かけて、革の書類入れから紙を一枚、机に置いた。
「恥を晒すようですが――手前どもの取引先の荷から、道中、図面が一枚、抜かれました。魔道具の設計図です。それも、あまり、性質のよくない類の」
「性質がよくない、とは」
「暴発する類、とだけ」
エルムは眉を下げて困ったように笑った。
「抜いたのは、ゾルン商会という仲介の小店です。図面は王都の版工房に持ち込まれ、写しが起こされ、部材ごと裏で売られている。……先日の、王都の空の騒ぎ。あれの出所も、恐らくここです」
空の騒ぎ、のところで、リオは覆面の下でまばたきを一つした。
十二個の値札の、あの二日間である。仕掛けた小悪党は捕まえたが、粗悪な写しの仕入れ元までは届いていなかった。その糸の先を、今敵の側から差し出されている。
「原図と、写しと、試作の部材。工房と金庫にあるものを、根こそぎ、回収していただきたい。憲兵沙汰の派手な摘発ではなく、静かに、一夜で。……ああした品が街に出回るのは、誰の得にもなりません。素人が組めば、人が死ぬ。死人は」
エルムは言った。
「誰の商売にとっても、負債ですから」
帳場が少しの間沈黙した。
リオはグラントの横顔を見た。仏頂面は微動だにしない。
「……筋は通ってるな」
グラントは、依頼書を指で一度叩いた。
「だが、妙な話だ。おたくほどの商会なら、憲兵に届けりゃ済む。盗まれた側なんだからな」
「届ければ、図面の中身まで調書に載ります。暴発する魔道具の設計図を運んでいた、と。……取引先の恥は、手前どもの恥です。商いは、外聞でできておりますので」
「なるほどな」
嘘は言っていないのだろう、とリオは思った。この人の言葉は、たぶん最初から最後まで全部本当だ。本当のことだけを並べて、肝心なことを一つも言わない。そういう喋り方だった。
「請けよう」
グラントはあっさり言った。
「ただし、条件が三つ。前金は半分。回収品の検品は、うちのやり方でやる。……そして、うちの仕事のやり方には、一切、口を出さんでもらう」
「結構です。全て」
エルムの返事も、あっさりしていた。
値切りもせず、探りもせず、書類入れから前金の為替を出して話は終わった。商談としては拍子抜けするほど綺麗な商談だった。
立ち上がり、戸口でエルムは一度だけ振り返った。
「……良い帳場だ」
感じのいい微笑のまま、彼は言った。
「灯りの置き方に、年季が出る。ああいうのは、真似のできるものじゃない。――では、良い報せを、お待ちしています」
夜に客は消えた。
しばらく、誰も口を利かなかった。
やがてグラントが、湯呑みの残りを飲み干して言った。
「――リオ。顔は、覚えたな」
「はい」
「あれが、白庭の、表の顔だ。……で、どう見た」
リオは少し考えて答えた。
「良い人に、見えました。最初から最後まで。……それが、一番怖かったです」
「上出来だ」
グラントは依頼書を帳面の脇に置いた。
「敵の金で、王都の掃除ができる。願ってもねえ話だ。……ただしな、リオ。敵が笑って持ってくる仕事にゃ、必ず、笑ってる理由がある」
依頼書の隅で、シラード商会の印が燭台の灯りに鈍く光っていた。
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次回、後編。回収の夜です。




