第34話 学生割引
お読みいただきありがとうございます。
今回は、お金の話です。
事の起こりは、昼休みの教室だった。
「リオ! 今日の放課後、鍛錬用のグローブ買いに行くから付き合えよ。革物屋の親父が、いいのが入ったって」
「パス」
「即答かよ。なんでだよ」
「金がない」
リオは財布を逆さにして見せた。
机の上に銅貨が三枚落ちた。
三枚である。それが今週の残りの全財産だった。
「……お前さあ」
カイルが銅貨とリオの顔を交互に見た。
「バイト、しまくってるよな? 夜も、休みの日も。なんで金ないんだよ」
「うちは、薄給だから」
「大変なバイトなんだろ? 危なくはないけど、たまに階段から落ちるやつ」
「危なくはない。……給料も、危なくない。低空で安定してる」
隣の席で聞いていたネイトが、腕を組んで唸った。
「分からんな。労働の対価というものが、正しく支払われていないのではないか?」
「ネイトくん、いいこと言いますね」
トトが図鑑から顔を上げてこくこく頷いた。
リオとしても、返す言葉がない。
実際のところ、家計は毎月綱渡りなのである。宿代と、飯代と教材費。制服の修繕費が、これがまた結構かかる。仕事柄、制服も普段着もよく破れるのだ。先週は靴の底が剥がれ、今週は筆記具が寿命を迎えた。
先日焼き菓子を買ってもらった時は、正直、涙が出るほどうまかった。あの味は、菓子の味というより他人の財布の味だったと思う。
「まあ、飯は職場のまかないがあるから、死にはしない」
「お前の生活、まかないで支えられてんのな……」
◇
その放課後、廊下でテッサに会った。
正確には、テッサの新しい工具鞄に会った。
「よ、テッサ。……ん? お前、その鞄」
カイルが目ざとく気づいた。真鍮の金具の光る、職人向けの上等な革鞄である。腰の工具ベルトも、見たことのない新品だった。
「えへへ、いいでしょ! 念願の十二段ポケット!」
「お前、最近、急に羽振りよくないか? こないだも新しいゴーグル買ってたろ」
「あー、それがさ、聞いてよ」
テッサは鞄を撫でながら、声を弾ませた。
「最近、突発で入るバイトがあるんだけど、それがめちゃくちゃ良くて! 魔道具の目利きとか解析とか、私の専門ど真ん中の仕事でさ。半日入るだけで、工具が一式買えるの!」
「半日で工具一式!? どこのバイトだよ、それ」
「ヴェイル系の派遣! ほら、ヴェイル人材派遣ってあるでしょ、王都の」
「あー……」
カイルとネイトが、顔を見合わせて頷いた。
「聞いたことあるぜ。腕のいい職人ほど囲われるってやつだろ。給料がいいんで有名な」
「王都の三大優良職場、というのを瓦版で読みました」
トトまで知っていた。
リオは廊下の壁を見つめていた。
ヴェイル人材派遣。
王都の、三大優良職場。
給料がいいんで、有名。
「……あのさ」
気づけば、口が動いていた。
「俺のバイト先も、そこなんだけど」
廊下がしんとした。
「……は?」
「ヴェイル人材派遣。俺、そこでバイトしてる。ずっと」
四人の目が一斉にリオを見た。それから机に落ちた銅貨三枚を思い出したのだろう、カイルの顔がゆっくりと歪んでいった。
「――なんでお前だけ、金ねえんだよ!!」
「俺が聞きたい」
心の底から、俺が聞きたい。
「え、待って、リオくんも!? どの部署!? 私、目利きの臨時枠だけど」
「……俺は、その、配達とか、雑用とか」
「雑用でも、あそこなら普通いいはずだよ!? だって私の半日で工具一式――」
「テッサ。それ以上は、俺の心が破れる」
その夜、リオは決意した。
一度、ちゃんと聞いてみよう。
◇
夜の帳場で、リオは主任の机の前に立った。
「グラントさん。話があります」
「金の話か」
「なんで分かるんですか」
「顔に『銅貨三枚』って書いてある」
グラントは帳簿から顔も上げずに言った。この人の目は、たまに本当に怖い。
リオは腹に力を入れて切り出した。
「単刀直入に聞きます。……なんで俺の給料、こんなに安いんですか」
「安くねえだろ。相場通りだ」
「相場って、何のですか」
「学生バイトの相場だ」
「うちが、王都の三大優良職場だって、今日知りました。テッサは半日で工具一式買えるそうです。俺は今週、銅貨三枚です。靴の底が剥がれました」
「嬢ちゃんのは、腕のいい魔道具士としての職人価格だ。専門職ってのは高くつく。……で、お前のは」
グラントはそこで初めて顔を上げ、事もなげに言った。
「学生割引だ」
「割引されてるの、俺の給料の方なんですけど」
「そうとも言う」
言うのか。
リオはめげずに食い下がった。仕事の量なら、テッサに負けていないはずである。夜も出ている。朝帰りもしている。階段からも落ちている。
「俺、結構、働いてると思うんです。その、仕事の中身も……安くない類の、はずで」
「ああ。お前の仕事は、安くねえよ」
グラントはあっさり認めた。
認めた上で、帳簿をぱたりと閉じた。
「だがな、リオ。金ってのは、持てるだけの器がいる。学生の身の丈に、大人の金を載せてみろ。宿を変える。物を変える。付き合いが変わる。そのうち、学園の椅子が、退屈になる」
「……俺は、そんな」
「お前がどうかの話じゃねえ。金がそういう性質だ、って話をしてる」
声は静かだった。
「いいか。お前の同い年どもは、銅貨を数えて、菓子を買うか買わねえかで唸ってる。焼き菓子一つで涙が出る。友達の誘いを、財布と相談して断る。――それが、学生の暮らしだ。高いも安いもねえ。それが、相場なんだ」
グラントは指を一本立てた。
「うちがお前に払ってる一番高い給料はな、金じゃねえ。……学生らしく過ごせる暮らし、そのものだ。分かったら、それを使い潰せ。今しか買えねえ品だぞ」
リオはしばらく黙っていた。
腑に落ちたかと言えば、半分である。銅貨三枚はやはり銅貨三枚なのだ。
だが、言い返す言葉は見つからなかった。
「……せめて」
「あん?」
「まかないの、おかわりの権利を」
「……バルカに言っとく。三杯までだ」
「五杯で」
「四杯。以上、交渉終わり」
その時、厨房の方から鍋をがんと叩く音がした。
「――おい。聞こえてんぞ」
バルカの声である。
「言っとくがな、給料なんぞ上げるんじゃねえぞ。金を持ったガキは、いい店の飯を覚える。そうなったら、あいつ、うちの飯を食いに来なくなるじゃねえか」
「来ますよ!? 給料が上がっても来ますよ!?」
「どうだかな。……ほれ」
仏頂面のバルカが厨房から出てきて、握り飯を二つ押し付けてきた。
「四杯の件は、聞いた。明日から、椀を大きくしとく」
昇給の直談判は、飯のおかわり一杯半分と椀の大型化という勝利に終わった。
他人の飯は、今夜もうまかった。
◇
リオが帰った後の帳場で、グラントは一人棚の奥へ手を伸ばした。
出てきたのは、一冊の帳面である。表紙に名前はない。ただ、頁を開けば几帳面な字が並んでいる。
日付。品目。金額。
池の主の移送。竜の代役。湖の装置。祭りの夜の働き。空の値札、十二枚。
この数年、あの子供がこなしてきた仕事の依頼料が、一行も欠けずに書き付けてある。
断っておくが、勝手に取り上げているわけではない。学費も、怪我の治療も、破れた装備の修理も、窓口が別に出している。給料として渡しているのは、あの子供が今の暮らしで使う分だ。残りは預かる。採用の日に、そう取り決めた。本人は「はい」とだけ言って、中身を聞かなかった。聞かないところが、あの子供らしい。
帳面の一番下には、いつでも出せる分が別に書いてある。困ったと言えば、出す。言わないから、出していないだけだ。
金額の列は頁を追うごとに、積み上がっていく。学生の身の丈どころか、そこらの大人の身の丈もとうに超えた高さまで。
引き出された跡は、一度もない。
入る一方の、帳面である。
給料を上げない理由は、説教で言った通りだ。……だが実を言えば、もう一つある。
いつだったか、一度だけ上げてやろうかと考えた晩があった。その晩のうちに、厨房から苦情が来た。翌朝には薬草棚からも来た。飯を食いに来なくなる。夜食を届ける口実がなくなる。……あの連中の苦情が、存外どれも本気の声だったのである。
グラントは今日の日付を書き、今日の品目を書き、金額を書き入れて筆を置いた。
利子でも付けてやるか、と柄にもないことを考えてやめた。
帳面を閉じ、棚の奥へ戻す。
その隣には角の潰れたもう一冊。
空欄の行のある帳面と満杯の頁の帳面が、棚の奥で並んで眠っている。
どちらも開く日を決めるのは、俺じゃない。
帳場の灯りが、落ちた。
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