第32話 空に舞う値札(前編)
その夜、リオが窓口の帳場に呼ばれると見慣れない客がいた。
いや、正確には客ではない。
奥の間の椅子に、深くフードを被った男が一人座っていた。身なりは町人風だが、背筋の伸び方も、脚の組み方も、どこか町人離れしている。その足元には、革張りの立派な長靴が町人の格好とちぐはぐに覗いていた。
「……お客さん、ですか」
「客じゃねえ」
グラントが珍しく少し疲れた声で言った。
「厄介ごとだ。しかも、飛び切りのな」
フードの男が、ゆっくりと顔を上げた。
年の頃はグラントと同じくらい。品のいい顔立ちに鋭い目。町人の変装が、まるで似合っていない。
「若いのが、噂の坊やか」
「リオです」
「うむ。……私のことは、そうだな。ただの、困った客とでも思ってくれ」
「そうもいかんだろう」
グラントが鼻を鳴らした。
「リオ。――こいつは、この国の、一番偉い奴だ」
リオは一瞬言葉の意味を測りかねた。
この国の、一番偉い奴。
それが指す相手は、一人しかいなかった。国王、エドガー。即位して二十年になる、レニオの王だ。
「……え」
「畏まらなくていい」
国王は――フードの男は、片手を上げてリオの礼を制した。
「今日の私は、ただの、旧友を頼ってきた客だ。……なあ、グラント」
「お前がそう言うなら、そういうことにしといてやるよ」
旧友。
この国の王と裏の窓口の主任が、旧友。
リオの知らないところで、この二人にはずいぶん長い時間があるらしかった。
◇
話は単純で最悪だった。
今日の昼、王城に一通の脅迫状が届いた。
差出人不明。内容はこうである。
――王都の各所に、爆発する魔道具を仕掛けた。数は、十二。期限は、明日の日暮れ。それまでに、指定の額を用意しなければ、仕掛けたものを、一つ残らず起動させる。民が死ぬのは、金を惜しんだ王のせいだ、と。
「十二個……」
「ああ」
グラントが地図を広げた。王都の全域図だ。
「場所は、書いてねえ。『探せるものなら探してみろ』ってことだろうよ。……人質は、王都の民、全部だ」
リオは背筋が寒くなった。
特定の誰かというより、街のどこかで明日も普通に暮らしている、名前も知らない誰か。その全員が人質になっている。
「陛下は、金を払うんですか」
「払わん」
国王の声は静かだが揺るがなかった。
「一度払えば、味を占める。次は、もっと吊り上げてくる。……それに、金で解決したという噂が立てば、真似する者が、後を絶たなくなる。王都は、脅せば金の出る街になる。……それは、民のためにならない」
筋は通っていた。
通っているだけに、残酷でもあった。金を払わない、ということは、期限までに十二個を自力で見つけ出すということだ。
「だが、堂々と兵を動かせば、脅迫の件が民に知れる」
国王は続けた。
「王都に爆弾、と知れ渡れば、それだけで大混乱だ。将棋倒しで、爆発を待たずに死人が出る。……だから、表向きは、何もないことにしたい。静かに、しかし、確実に、片付けたい。――それができるのは」
「うちだけ、ってわけか」
グラントが引き取った。
王が個人的に旧友を頼ってくる理由が、そこにあった。
「引き受けてやるよ、エド。……ただし、だ」
グラントは指を一本立てた。
「うちのやり方には、口を出さんでもらう。誰を使おうと、どう片付けようと、こっちの勝手だ。……それが、条件だ」
「元より」
国王は薄く笑った。
「お前のやり方は、昔から、そうだ。……変わらんな」
「お前こそ、な」
二人の間に、一瞬リオの知らない年月が流れた。
それから、グラントはリオに向き直った。
「――というわけだ、リオ。厄介ごとの説明は、済んだ」
「十二個を、明日の日暮れまでに」
「ああ。……お前に、空を飛んでもらう」
◇
夜が明けてすぐ、動きがあった。
朝一番、東の市場の住人から衛兵の詰所に通報が入ったのだ。
――軒下に、見慣れない木箱が、括りつけてある。誰の物か、誰も知らない、と。
木箱は表向き「落とし物の検分」として回収され、裏で窓口に届けられた。王の根回しは、早かった。
呼ばれたリッツが木箱の仕掛けを読み、慎重に牙を抜いた。
開かれた中身を、テッサが解析した。
「……あの祭りの時の道具と、同じ系統。それは、間違いない」
テッサが、ゴーグルを下ろしたまま言った。作業台の上には、解体された装置と、比べるために持ち出されたあの暴発型の芯の残骸が並べてある。
「でも、作りが、雑。すごく雑。祭りの時のは、恐ろしいけど、丁寧だった。これは、真似して作ったか、粗悪な写しを、そのまま使ってる」
「品質は、低いってことか?」
リオが聞くと、テッサは首を横に振った。
「そこが、怖いの」
彼女は装置の断面を指した。
「この一個は、たぶん、まともには起動しない。不発品。……でも、雑ってことは、当たり外れが激しいってこと。中には、作り手の想定を超えて、暴走するやつもある。威力が、安定してないの。仕掛けた本人ですら、どれがどれだか、分かってないと思う」
リオはその意味を少し遅れて理解した。
「つまり」
リッツが口を開いた。錠前師の彼は、腕を組んで装置を見つめている。
「全部、本物のつもりで、外さなきゃならん、ってことだ。はったりだと決めつけて放置した一個が、当たりだったら――そこで、人が死ぬ」
沈黙が落ちた。
「一つだけ、収穫がある」
テッサが顔を上げた。
「解析で、この道具の魔力の型が分かった。同じ型なら、離れてても、反応で探せる。……見つけるのは、任せて」
「残りは、十一。期限は、今日の日暮れだ」
グラントが、地図をこつと叩いた。
「地道に足で探してたんじゃ、間に合わん。……だから、空だ」
リオは頷いた。
王都の空を一番よく知っている相棒の顔が、頭に浮かんでいた。
「ゼノを、借ります」
◇
建国祭以来の、竜舎だった。
大扉の前で、白髭の老人が待っていた。アルバ竜技団の座長、マキアス翁である。窓口からの申し入れは、財団を通して今朝のうちに届いていた。
「事情は、聞かねえよ」
翁はそれだけ言って、竜舎の奥へ顎をしゃくった。
「窓口の頼みだ。碌でもねえ話に決まってる。……ゼノとの契約は、今朝、俺が解いてきた。いつでも、結べるぞ」
「……ありがとうございます、親方。必ず、無事に返します」
「礼はいらねえ。うちの子らは、あんたに借りがある。――相棒を、任せたぞ」
リオは深く頭を下げて大扉をくぐった。
一番奥の房の前に立つと、古傷だらけの大竜が房の中央で待っていた。
ゼノである。五十年もののベテラン。群れの長。
――いつか空で困ることがあったら、思い出せ。
あの日、糸のほどけ際にもらった言葉に甘えに来たのだった。
リオが手を伸ばすと、ゼノは覚えている、というように低い声で一つ鳴いた。
「久しぶり。……空で、困りました」
触れ糸をそっと繋ぐ。
建国祭の時と同じ、操縦ではない、会話に近い繋がりが戻ってくる。ゼノの意識は相変わらず大きく、静かで、空のように広かった。
――飛ぶのか。
――ああ。王都の空を、端から端まで。探しものなんだ。小さくて、危ないものを。
ゼノが、翼を一度大きく広げた。
やる気は十分らしかった。
リオは太い線を一本撚り上げて――その端を、ゼノの心の前に置いた。
結ばずにである。受けるかどうかは、そちらが決めてくれ。
古傷だらけの大竜は今回は検分もせず、ふんと鼻から息を吐いて自分から線を咥え込んだ。
どん、と胸の奥にあの重さが帰ってきた。山の湖のように深く、静かで、広い、長の心である。
房の外で、低い唸り声がした。
見送りに付いてきていた翁が、白髭を撫でながら首を振っていた。
「……何度見ても、信じられねえ」
「え」
「大型と結ぶってのはな、腕のいいテイマーが、年単位で通い詰めてやることだ。うちの若いのだって、相棒と初めて結ぶまでに、一年かけてる。……それをあんたは、朝の挨拶みてえに結びやがる」
「ゼノが、覚えていてくれたので」
「竜の方が客を覚えてるってのも、大概な話なんだがな」
翁はそれ以上は聞かず、ふんと鼻を鳴らした。詮索しないのが、この親方の流儀である。
リオは覆面を着けて位置を確かめた。鞍は、また翁のものを借りた。使い込まれた革は、今日も体の置き場を革の方から教えてくれた。その後ろには、興行の道具運びに使う副座が据えられていた。三人で乗ると聞いた翁が、付けさせておいてくれたのである。
――一回り、飛べるか。体を、慣らしたい。
――誰に聞いている。
大扉の外へ歩み出たゼノは、朝の光の中で翼を広げ――助走もなしに地を蹴って、翼のひと打ちで空へ抜けた。
◇
試運転は上々だった。
建国祭の時の感触が、すぐに戻ってきた。舵はいらない。行きたい方を、糸で伝えるだけでいい。あとはゼノが、風を選んでくれる。
王都を大きく一回りして、リオは西三番街の裏手にある荷運び用の小さな広場にゼノを降ろした。
路地を挟んだ先が、窓口である。
広場の隅で遊んでいた子供たちが、わっと沸いた。
「ゼノだ! 竜技団のゼノだ!」
「おーい!」
ゼノは慣れたもので、子供たちに向かって愛想よく首を一つ振ってみせた。騒ぎにはならない。この街の空で、一番顔が売れている竜である。
広場には先に二人が待っていた。
工具を満載した背負い籠を担いだテッサと、道具袋を提げたリッツである。
「お待たせ! 準備できた!」
テッサが駆け寄ってくる。
「本当に、乗るのか」
「乗るよ! だって、上から魔力を探すには、私の目が要るんでしょ? 覆面くんは飛ぶのに集中して。私が、下を見る」
テッサはゴーグルをきらりと光らせた。
「魔道具の魔力反応なら、上からでも見つけられる。……たぶん、王都で私にしかできない仕事だよ、これ」
頼もしい言葉だった。実際その通りなのだから、始末に負えない。
「リッツさんは」
「俺も乗る」
リッツが道具袋を軽く叩いた。
「見つけたそばから、降ろしてもらって、その場で外す。地上を走って追いかけてたんじゃ、日暮れまでに、回りきれんからな」
「見つける係、確かめる係、外す係。……役者は、揃ったな」
空に、三人と一頭。
王都のどこかに、残り十一個の値札。
日暮れまでもう半日もなかった。
「――ゼノ。行こう」
三人を背に乗せた飛竜が、広場の空を見上げ、高く、鋭く鳴いた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
【登場人物メモ】
ゼノ……アルバ竜技団の飛竜。五十年もののベテランで、群れの長(第20話)。建国祭でリオと空を舞った。
マキアス翁……アルバ竜技団の座長(第20話)。
リッツ・カーヴァン……十三番窓口の錠前師。第29話の保管庫の扉も手がけた。
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次回、王都の空を飛びます。




