第30話 灰の魔女の香(前編)
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新しいお話です。今回は、香りのお話。
その相談は昼休みの中庭で、二人がかりで持ち込まれた。
「アルクスさん。少し、お知恵を貸していただけないかしら」
「折り入って、相談がありますの」
クラリスとエリアナである。
同じクラスの令嬢と、隣に立つ侯爵家の令嬢。廊下を歩けば視線を集める二人が揃ってこちらへ来るだけで、中庭の空気が少しざわついた。目立つ。この上なく、目立つ。
「……俺で分かることなら」
「香りのこと、なんですの」
エリアナが少し声を落とした。
「近く、いくつか夜会がありますでしょう。それで、香りを新しくしたいのだけれど……最近の王都は、どこのお店も、同じような流行りの香ばかり売るんですの。深窓の令嬢は皆、判で押したように同じ香り。……つまらないと、思いませんこと?」
「思う、と言われても、香りは、あんまり」
「そこですのよ」
エリアナの目が、きらりとした。
「わたくしたち、女同士で選ぶと、どうしても『流行っているか』で選んでしまうの。でも、香りって、本当は他の人が、どう感じるかでしょう。……同じ年頃の、殿方の、忌憚のない意見が、聞きたいんですの」
「殿方といっても、周りの貴公子は、これまた同じ流行りの香りばかりで」
クラリスがそっと付け足す。
「その点、アルクスさんは……流行りとは、無縁でいらっしゃるので」
それは褒められているのだろうか。
「率直に言ってくださって、いいの。『これは苦手』と言ってくださる殿方が、一番ありがたいんですのよ」
「……エリアナ様は、いつも周りに、褒める方しかいらっしゃらないから」
クラリスが小さく言った。
「本当のことを仰る方が、貴重ですの。……アルクスさんは、その、嘘が下手でいらっしゃるので」
それは、この二人が一番よく知っていることだった。片や依頼で正体を見抜いた令嬢、片や取り調べのように注ぎ方を見抜いた令嬢である。嘘の下手さの証人としては、これ以上ない布陣だった。
なるほどと思った。同時に面倒だとも思った。
貴族の令嬢二人の、夜会用の香り選び。目立つし、専門外だし、丸一日潰れる予感しかしない。
だが――ふと、一つだけ心当たりがあった。
香りの、玄人。
王都で一番流行りと無縁で、王都で一番香りに正直な人。
「……あてが、一人だけあります」
リオは観念して言った。
「知り合いに、腕のいい調香師がいるんです。……ただし、変わり者です。流行りの香りは、たぶん鼻で笑います」
王都の裏通りに、灰の魔女と呼ばれる調香師がいる。
その正体が窓口の三番であることは、もちろん言わない。リオにとっては煙の苦手な店の主人で、依頼のたびに世話になる相手だった。店の煙が苦手でいつも戸口で用を済ませる、あまり褒められた客ではないのだが。
「まあ!」
エリアナの顔が、ぱっと明るくなった。
「素敵。ぜひ、その方に」
「鼻で笑う調香師なんて、最高ですわ」
クラリスまで乗り気だった。令嬢というのは、時々こういう変化球を喜ぶ。
こうして話は決まった。
週末、リオが令嬢二人を連れて灰の魔女の店を訪ねる。
この時のリオは、まだ知らなかった。
この約束が、別の方角にもしっかり聞かれていたことを。
◇
放課後の獣舎の片付けの最中にその話をすると、セナは藁束を抱えたままふと笑った。
「香り選び。あなたが」
「なんだよ」
「いいえ。……ふふ。想像したら、ちょっと、おかしくて」
セナは、堪えきれないという顔で肩を揺らした。
「だって、あなた、うちの子たちの匂いは嗅ぎ分けるくせに、香水の善し悪しなんて、何も分からないでしょう。それを、あの二人の前で品定めするの? 絶対、あたふたするわよ」
図星である。返す言葉がなかった。
「見てみたいわ、それ。特等席で」
「見物料は取らないぞ」
「あら、いただくわよ。……フワのおやつ代くらいは、ね」
肩のフワが名前を聞いて、期待に満ちた目でこちらを見た。
この余裕である。
悔しいが、たぶん当たっている。
「……ま、頑張ってらっしゃい。香りの、目利きさん」
セナはからかうように言って、藁束を小屋へ運んでいった。
そして戻ってくる途中でふと足を止めて、こちらを見ないまま付け足した。
「……あんまり、遅くならないようにね」
「?」
「――べ、別に。片付けが残るのに、あなたがいないと、困るってだけよ」
早口で言って、セナは残りの藁束を抱え直してさっさと小屋へ歩いていった。
その耳の先が少しだけ赤かったのは夕日のせいだと、リオは思うことにした。
◇
その夜、剣術科の寮の一室。
「――というわけでよ」
カイルは床に転がって干し肉を齧りながら、同室の友人相手にその話を披露していた。剣術科の、いつもつるんでいる連中である。
「リオのやつ、週末、令嬢二人と香り選びだとよ」
「はぁ!? あのアルクスが? あの、いつも寝てる」
「そうそう、あいつ」
「嘘だろ、どういう手品だよ」
同室の連中は、口々に羨望とも野次ともつかない声を上げた。カイルはまあまあと手を振って、干し肉をもう一本抜く。
もっともとカイルは思う。
あいつが令嬢二人にただ振り回されるとは、思えない。理由は言えないが、リオはああ見えてなんかすごいやつなのだ。昔から、なんとなくそう思っている。何がと聞かれると困るのだが。
「カイル」
低い声がした。
いつの間にか部屋の入口に、栗色の髪の少女が立っていた。手には、なぜか変装用らしき地味な外套を二着抱えている。
「な、なんだセナ。男子寮に何しに」
「週末、暇?」
「は? いや、暇だけど」
「決まりね」
セナは、外套の一着をカイルに放って寄越した。
「尾行するわよ」
「はァ!?」
「あなたも来るの。一人で見張るの、退屈だもの」
「いや待て、なんで俺が」
「干し肉、あと二十本あげるわ」
「行く」
交渉は五秒で終わった。
こうして、香りの店を目指す令嬢たちとリオの一行に、もう一組、こっそり後をつける二人組が加わることになった。
週末の天気は、幸か不幸か快晴の予報である。
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