第29話 祭りの夜に(後編)
お読みいただきありがとうございます。
保管庫防衛戦です。
財団本部の裏手に着いた時には、覆面の下で息が上がっていた。
夜の建物は表向き静まり返っている。警報も剣戟の音もない。
だが、裏口の陰に見覚えのある大きな背中があった。
「来たか」
グラントである。その足元には、伸びて縛られた黒ずくめが既に三人転がっていた。
十三番窓口の主任にして一番。ナンバーズの、筆頭である。
もっとも、この人が自分の腕を振るうところをリオはほとんど見たことがない。帳場で算盤を弾く人だと、ずっと思ってきた。
「外の見張りは、この三人だ。畳んで、口を割らせた。連中、表の警備を囮ごと眠らせて、裏口から地下に入ってる。……リッツの扉が、今んとこ保ってる」
「中には、入らないんですか」
「一人で突っ込んで、挟み撃ちを食うのは下策だ。リッツの扉は、そう簡単には抜かれん。……それにな」
グラントは太い首を一度回した。
「俺の腕は、長丁場に向かん。決めるところまで、貯めておく主義だ。――で、揃うのを待ってた。お前と、もう一人をな」
「何人ですか、中は」
「八。こいつらの口と、足跡の数だ。うち一人は――発掘屋の頭だ」
バロウ。
湖の祭殿で、ガルドと「また今度」を交わした男である。
「俺たちも降りる。お前の仕事は、目と、搦め手だ。正面はやるな」
「……ガルドさんは」
「学園の来賓警護が、花火で終わった。今頃、屋根の上を飛んでくる」
王都の夜を、剣聖崩しが屋根伝いに走ってくる。想像すると少し愉快な絵だったが、笑っている場合ではなかった。
リオは階段を降りる前に、財団の中庭の暗がりへ糸を三回順に飛ばした。
夜勤の梟に。床下の鼠たちに。塀の上の猫に。一本ずつ丁寧に。
――地下の様子を、教えてほしい。
返ってきた感覚を束ねると、地下の絵が頭の中に描かれていく。
三層の扉の、一層目は破られた。二層目の前に人が六つ。うち一つが扉に張り付いて何かを歌っている。
――歌っている?
「……グラントさん。敵の錠前係、歌ってます。扉に向かって」
「あぁ?」
「低い声で、同じ節を繰り返して……扉の歌と、同じ節を」
グラントの眉間に、深い皺が寄った。
「リッツの結界は、歌で編んである。……節を盗まれると、破られる。道理で一層目が早かったわけだ」
リッツの歌を、敵が歌っている。
それはつまり、敵の錠前係がどこかでリッツの仕事を間近に「聴いた」ことがあるということだ。
湖の、祭殿の再封印。あの夜、現場には発掘屋たちがいた。
「……急ぎましょう」
◇
地下二層目の前は、こうなっていた。
扉に張り付いて歌う、細身の男がひとり。それを守る壁のように、得物を構えた五人。
そして、少し離れた暗がりに腕を組んで、発掘屋の頭――バロウが退屈そうに立っていた。
「……頭ぁ、あとどれくらいだ」
「歌次第だ。急かすな」
そこへ、階段の上から声が降った。
「――よう。待たせたな」
全員が振り向いた。
階段の中程に、痩せた初老の男が肩に木剣を担いで立っていた。息一つ、乱れていない。屋根伝いに王都を横断してきた人の顔ではなかった。
バロウの退屈そうな顔が、初めて動いた。
「……剣聖崩し」
「約束したろ。また今度、ってな」
ガルドは木剣を担いだまま、とんとんと階段を降りてくる。
「今度が来た。……仕事の邪魔はしねえよ。お前の相手は、俺だ。他はうちの若いのと、でかいのがやる」
「はっ」
バロウは短く笑った。
肩を回し、腰の斧をゆっくりと抜く。
「いいぜ。あの夜から、ずっと肩が凝ってた」
それが開戦の合図だった。
五人の壁が動くより早く、グラントが正面から突っ込んだ。巨体に似合わぬ速さで懐に潜り、一人目を壁へ沈める。
リオは正面へは出ない。
暗がりから糸を飛ばし、床下の鼠たちに頼んで敵の足元の砂を走らせる。視界の端を横切る小さな影は、人の集中を確実に削ぐ。体勢の崩れた二人目の膝裏を、グラントの蹴りが正確に払った。
そして階段側では――
剣聖崩しと、発掘屋の頭がぶつかっていた。
斧と木剣である。得物の重さは、比べるまでもない。
なのに、打ち合うたびに押されているのは斧の方だった。ガルドの木剣は、斧の腹を、柄を、握りの指を、最小の動きで正確に打つ。バロウの膂力が、当てる場所を失って空を切り続ける。
「……っ、はは! なんだそりゃあ!」
バロウは笑っていた。
押されながら、心底楽しそうに笑っていた。
「祭殿ん時より、速えじゃねえか!」
「あの時は、仕事の途中だったんでな」
ガルドも薄く笑っていた。
「今夜は、お前が仕事だ。――全部、出せよ。発掘屋」
「言われなくてもよぉ!」
斧が唸る。木剣が受けずに流す。石の床が削れ、火花の代わりに石の粉が散った。
二層の前の攻防は、リオの糸とグラントの拳ですでに四人が沈んでいる。
歌う錠前係の声が焦りで揺れ始めた、その時だった。
錠前係が歌を変えた。
扉を開ける節とは違う、短い、鋭い合図の節。
――退き際の、合図。
瞬間、暗がりの奥から最後の一人が飛び出した。抱えているのは、黒い金属の筒。その先端に、見覚えのある青白い光が渦を巻いて膨らみ始めている。
「頭ァ! 例のやつ、使うぞ! 前に立つな! 扉ごと吹っ飛ばす!」
倉庫で見た芯と、同じ色の光だった。
筒の渦は前にしか吐かない造りらしい。撃ち手は廊下の奥へ退がり、仲間もその背後へ回り込みながら、筒口だけをまっすぐ扉へ――その手前に立つグラントへ向けていた。
小型でも、あの渦の直線上にあるものは、扉も、装置も、人も、まとめて消える。
「――伏せろ!」
グラントが吠えた。
青白い渦が筒の先端で弾け――巨大な魔力の奔流が、まっすぐに扉へ、グラントへ放たれた。
リオの目が、その一瞬を引き伸ばされた時間の中で見ていた。
グラントは避けなかった。
伏せもしなかった。
帳場で算盤を弾く時と同じ面倒くさそうな顔で、半歩だけ踏み込み――
右の拳を真正面から奔流に合わせた。
「――帳消しだ」
音が消し飛んだ。
拳と奔流のぶつかった一点から、魔力の光が来た道を遡るように砕け散り、筒ごと、撃った男ごと、廊下の奥へ吹き飛ばしていく。
放たれた力と寸分違わぬ力が、寸分違わぬ角度で正面から返されたのである。
貸しも、借りも残らない。
収支をその場でゼロに戻す一撃だった。
静まり返った廊下に、グラントの声だけが低く落ちた。
「――これで、勘定は合ったな」
◇
それで、趨勢は決まった。
錠前係は歌う気力を失い、最後の壁も膝をつき、そして――
階段の下では、バロウが大の字に倒れていた。
斧は遠くに転がり、木剣の切っ先がその喉元に静かに突きつけられている。
「……参った」
発掘屋の頭は天井を見上げたまま、言った。
「妙な夜だぜ。負けたってのに、……悪くねえ」
「だろうな」
ガルドは木剣を引き、息を一つ吐いた。
「お前の斧は、いい斧だ。掘るために振ってた頃の癖が、まだ残ってる。……惜しいな、発掘屋」
「……ふん」
バロウは目を閉じた。
それきり、抵抗はしなかった。
夜明け前、財団の地下から縛られた八人が引き立てられていった。三層の扉は、二層目から先ついに一度も開かなかった。装置も解析の記録も、無事である。
リオは覆面の下で長い息を吐いた。
グラントがその頭に大きな手を乗せた。
「……初陣にしちゃ、上出来だ。目も、搦め手も、良く回った」
「初陣じゃないですけど」
「こういう夜のは、初陣って言うんだよ」
帳の主は東の空を見た。
夜の色が端から薄くなり始めている。
「帰れ。……学生は、祭りの後片付けって仕事があるんだろ」
◇
朝の学園に戻ると、祭りの名残の中で片付けが始まっていた。
提灯は外され、屋台は骨組みに戻り、獣舎の柵も半分ほど畳まれている。
その柵の前にセナがいた。
腕にフワを抱いて欠伸を噛み殺しながら、こちらに気づいて――少しだけ目を細めた。
「……おかえり」
「ただいま」
何も聞かれなかった。
代わりに軍手を一組押し付けられた。
「柵の釘抜き、あなたの担当だから」
「……了解」
祭りの終わった朝の光の中で、リオは釘を抜き始めた。
眠い。体は重い。覆面は鞄の底で眠っている。
学園も、保管庫も、十匹と一匹も、友人たちの祭りの記憶も。
何も知らない朝の光が、何も変わらずにそこにあった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
【窓口の番号持ち・これまでの登場】
一番 グラント・ヴェイル……十三番窓口の主任。リオの保護者役。
二番 ガルド・レイヴン……剣聖崩し。学園の非常勤剣術講師。
七番 リッツ・カーヴァン……錠前師。三層の扉の作者。
九番 白紙先生……学園の臨時司書。中編で正体が明らかに。
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次回もよろしくお願いいたします。




