第29話 祭りの夜に(前編)
学園祭は、二日制である。
初日は在校生とその家族の日。来賓の多く――侯爵家の馬車も、王家の使いも、集まるのは二日目だ。警備の本番も、二日目ということになる。
その初日は、拍子抜けするほど、平和に終わった。
ふれあい獣舎は昼前から行列ができ、セナの十匹は働き者ぶりを遺憾なく発揮し、苔背亀のゴウに至っては子供を三人まで甲羅に乗せる大サービスで、閉門の鐘まで人気者を務め上げた。
何も、起きなかった。
協賛の倉庫も、来賓の席も、門も、塀も、静かなものだった。
閉門の後、名簿の束を抱えて獣舎の前を通ったクラリスと、短い挨拶を交わした。
「……一日、平穏でしたね」
「ええ。……あと一日です」
実行委員の令嬢は、祈るように言って、足早に去っていった。
だから余計に、二日目の朝は、空気が違って感じられた。
今日は、来賓の日である。
正門には馬車が列を作り、儀礼服の警備が倍に増え、講堂の前には侯爵家の紋のついた旗が並ぶ。王都中の目が、今日この学園に集まっている。
――王都中の目が、学園を向く日。
自分で思い浮かべた言葉に、リオは小さく首を振って、獣舎の柵を締め直した。
考えていても、仕方がない。まずは目の前の祭りを、ちゃんと回すのが仕事である。
◇
昼の獣舎は、初日以上の盛況だった。
「はい、触るときは指をグーにして、鼻先からね。……そう、上手」
セナは子供たちの列を捌きながら、十匹の疲れ具合に目を配り、交代の順番を細かく回していく。忙しさの割に、声は弾んでいた。
「リオ、リンとスズを日陰に。次はフワを出すわ」
「了解」
リオの仕事は、裏方である。獣たちの休憩の管理、水の交換、逃げ場の確保。地味な仕事は、性に合っていた。
昼前、獣舎の入口で、小さな事件があった。
五つくらいの男の子が、列に並んだまま、どうしても中に入れなかったのである。魔物が、怖いらしい。母親が謝って列を抜けようとした時、係のトトが屈んで、自分の図鑑ノートを開いて見せた。
「僕も、昔は怖かったよ。……ね、まずは絵から。この子が、あそこにいるフワ」
絵と実物を三往復した男の子は、最後には柵の前まで来て、指をグーにして、フワの鼻先に、そっと触れた。
フワは心得たもので、微動だにせず、極上の綿羽だけを差し出していた。
「さわれた……」
男の子の声に、係一同の胸の中で、何かが満場一致した。この出し物にして、よかったのである。
昼過ぎ、行列の向こうから、ひときわ目立つ一団が来た。
金の髪の令嬢と、初老の家令である。
「ごきげんよう。……まあ、まあ、まあ」
エリアナは獣舎に入るなり、令嬢の顔を半分ほど脱ぎ捨てた。
「なんて可愛らしいの。ね、じい、見て。あの毛玉」
「フワと申すそうです。綿羽鳥の」
「触ってもよろしくて?」
「はい、指をグーにして、鼻先からどうぞ」
セナの案内で、侯爵家の令嬢は綿羽鳥に指を差し出し――フワは匂いを確かめてから、指に頭をすり寄せた。
「……! 柔らかい……!」
素の声が出た。後ろで家令が、咳払いを一つした。
その家令の視線が、ふと、柵の奥のリオを見つけた。
「これは、アルクス様。本日は裏方で」
「……はい。性に合っているので」
「ようございますな。目立たぬ場所から全体を見る者が、一番、物が見えます」
褒め言葉のはずなのに、一番聞かれたくない人に言われると、褒め言葉に聞こえないのだった。
エリアナはひとしきり十匹(と、日陰で午睡中のノル)を愛で、帰り際、セナに完璧な礼をした。
「素晴らしい獣舎でしたわ。……この子たちの主のあなたも、それを支える裏方の方も」
ちらり、と視線がこちらを掠める。
「良い祭りを。ごきげんよう」
嵐のような追撃がないまま、一団は去っていった。
去ってから、セナが小声で言った。
「……ローウェン様って、あなたのこと、ずいぶん買ってるのね」
「……さあ、どうなんだろ」
「お茶会にも、呼ばれてたじゃない」
「あれは、一回だけだし」
「家令の人とまで、顔見知りみたいだったけど」
「……さあ、どうなんだろ」
「二回目ね、それ」
セナはじとりとこちらを見て、それから、列の子供に呼ばれて向き直った。
「……まあ、いいわ。今日は忙しいから」
今日は、の部分に、聞き逃さない、という予約の響きがあった。
◇
午後、交代で休憩をもらい、リオは祭りを回った。
カイルの屋台(剣術科の串焼き屋)は、本人の食欲が最大の宣伝になって繁盛しており、一本おまけしてもらった。
魔導具工学科の展示室は、人だかりができていた。
その中心に、例の布掛けの新作と、得意の絶頂のテッサがいる。
「さあさあ、ご覧あれ! 新作『つたえ筒』!」
布の下から現れたのは、対になった二本の金属の筒だった。片方に話しかけると、離れた場所のもう片方から、その声が聞こえる。
「魔力の糸で声を運ぶの! 筒と筒の間に、目に見えない糸が張ってあると思って! 将来はもっと小さくして、離れた家族とお喋りできるようにするのが目標です!」
客の一人に請われ、テッサは筒の片方を展示室の端まで運ばせ、実演してみせた。筒越しの声は、少しくぐもって、けれど確かに届いた。
拍手が起きる。
リオも、拍手をしながら――ほんの少しだけ、既視感に引っかかった。
糸で、声を運ぶ。
誰かの仕事の話を、聞いているようだった。
「あ、リオくん! 来てくれた!」
「すごい人気だな」
「ふっふっふ。でしょう! ……ね、これ、あの人にも見せたいな。覆面くんに。糸つながりだし、絶対面白がると思うんだよね」
「……機会があれば、伝えとく」
「え? なんでリオくんが伝えられるの?」
「……窓口の、伝言板に書いておく」
「あ、そっか! お願い!」
危ないところだった。祭りの空気は、口を軽くする。
◇
夕方の獣舎に、一羽の鳩が降りた。
王都の獣の網の、顔なじみである。足環も文もないが、触れ糸で聞けば用は足りる。
――窓口の大きい人から。倉庫、動きなし。夜も、気を抜くな。
了解、と豆を一粒握らせて、リオは鳩を飛ばした。祭りの日の窓口の連絡は、今日はこの方式だった。
それから、図書館に寄った。
休館の札の下がった扉を開けると、静まり返った書架の谷の奥、いつもの窓際に、白い手袋の司書がいた。
「差し入れです。カイルの屋台の」
「これはこれは」
白紙先生は串焼きを受け取り、目を細めた。
「祭りの音を聞きながら、静かな場所で食べるものは、大抵おいしいのです」
「……どうですか、そちらは」
「静かです。今のところは」
司書は、窓の外の、提灯に火の入り始めた中庭を見た。
「リオ君。夜の部は、獣舎でしたね」
「はい。ノルの……新入りの当番なので、付いてます」
「そうですか」
白い手袋が、本の背を、意味もなく一冊、撫でた。
「……夜は、耳のいい子の言うことを、よく聞いてあげてください」
それは、獣舎の新入りの話のようでもあり、そうでないようでもあった。
◇
日が落ちて、学園に提灯の火が満ちた。
夜の部の開幕である。
楽団の音が流れ、講堂では来賓の晩餐が始まり、中庭は光と人でいっぱいになる。夜の目玉は、閉幕の花火だという。空の暗さが増すほど、祭りの光は濃くなっていった。
提灯の灯る獣舎では、夜の当番のノルが、月色の目を開いて、静かに闇の見張りについていた。昼の喧騒で疲れた十匹が、奥で丸くなって休んでいる。その眠りの番を、一番新しい仲間が務めているのである。
「……夜の目、頼りになるわね」
セナが、柵越しにノルを見て、目を細めた。
ひと月前、箱の陰から出てこなかった子の、初めての大仕事だった。
祭りは、頂点に向かっていた。
――そして、同じ頃。
祭りの光の届かない、協賛倉庫の一番奥。
雨天用天幕・予備、と送り状の貼られた木箱の中で。
何かが、目を、覚ました。
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次回、祭りの夜、動きます。




