第28話 怖い返事 〜学園祭と、裏からの手紙〜(前編)
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学園祭編、開幕です。
その夜、リオが呼ばれた帳場机の上には、見たことのない光景が広がっていた。
紙である。
何十枚もの紙が机いっぱいに並べられ、名前と、日付と、品目が書き込まれ、その間を、赤い糸が何本も渡っていた。事件と事件、名前と名前を繋ぐ、調べの糸だ。
窓口の帳面の中身が、一枚の地図になって広げられている。
「……洗い終わったんですか」
「ああ」
グラントは、机の端に腰を預けて、腕を組んだ。
「発掘屋の手下三人の口。空注文の金の流れ。装置の部品の仕入れ筋。夜会の香の卸元。眠り花の畑の地主。……別々に洗った糸が、全部、同じ場所に潜っていきやがった」
太い指が、糸の集まる一点を、こん、と叩いた。
そこには、一つの名前が書かれていた。
「――白庭商会」
グラントは、その名を、初めて口に出した。
「ルヴィナに本店を置く、交易商会だ。表向きは、香料と薬草の大手でな。うちの台所にある香辛料も、たぶん一つや二つ、あそこの船で運ばれてる。それくらい、まっとうで、でかい商会だ」
「……それが」
「ああ。裏で、あちこちに金を撒いてる。シラード商会の新事業。ハスク商会の空注文。発掘屋どもの機材と路銀。眠り花の畑。……全部、辿ると白庭の金だ。出資、融資、先物、寄進。形は行儀がいい。行儀がいいまま、欲しいものの周りにだけ、金が撒かれてる」
リオは、机の上の糸の地図を、端から目で辿った。
夜会の眠り花の香。ギデオンの蔵を狙った発掘屋。ロベリアの空注文。エルムの本物の恩。ミラーレイクの水泥棒。――そのすべてが、ルヴィナに繋がっていた。
この一年、別々の顔で現れた事件たちが、赤い糸の先で、一つの名前に束ねられていた。
思えば、始まりは眠れない子供の一件だった。子供部屋の香炉に仕込まれた、小さな白い花弁。あの夜の小さな細工から、糸はずっと、一本も切れずに続いていたのだ。この机の上の、赤い網になるまで。
「敵さんに、やっと名前がついた」
グラントの声は、静かだった。
「分かってるのは、ここまでだ。目的は分からん。図体の全部も見えてない。頭が誰なのかもな。……だが、名前がついた。名前がつきゃ、帳面に載せられる。帳面に載りゃ、あとは一行ずつ埋めるだけだ」
「……次は、何を埋めるんですか」
「顔だ」
帳の主は、短く言った。
「それと、向こうさんの都合だ。連中、何のためにアーティファクトを集めてる。眠りの研究で何がしたい。水を抜いて、どこに送ってた。……理由が見えりゃ、次にどこへ来るかも見える」
グラントは糸の地図を、慣れた手つきで畳み始めた。
「お前は、変わらず学生をやれ。……ただし、だ。祭りの間は、目を開けとけ」
「祭り?」
「学園祭だよ。うちに警備の口が来てる。表の、まっとうな仕事としてな。……今年は来賓が多い。目玉も多い。人も、荷物も、いつもの何倍も動く」
人も、荷物も、動く。
まっとうな依頼の説明のはずなのに、その言葉は、妙に長く耳に残った。
◇
翌日の教室は、祭りの匂いがしていた。
学園祭まで、あと十日。放課後の教室では、契約術科一年の出し物会議が、三日目の紛糾を迎えていた。
「だから! 魔物レースだって! 校庭一周! 賭けもやる!」
「ネイト、賭博は校則の何ページ目で禁止されてるか言ってみなさい」
「じゃあ魔物相撲!」
「誰の魔物を土俵に上げる気よ」
議長席のセナが、ネイトの案を今日も次々と却下していく。黒板には、生き残った案が三つ。獣の生態展示、契約実演、そして――
「ふれあい獣舎、がいいと思う」
トトが、図鑑ノートを抱えたまま、小さく手を挙げた。
「小さい子とか、魔物に触ったことない人が、安全な子たちと触れ合える場所。……僕、入学前にそういうのがあったら、嬉しかったから」
教室が、少し静かになった。
契約術科の生徒は、みんなどこかで一度、それをやってもらった側なのである。
「……採決を取るわ」
セナの声も、少しだけ柔らかかった。
挙手は圧倒的で、契約術科一年の出し物は「ふれあい獣舎」に決まった。目玉は当然、性格が穏やかで数の揃うセナの十一匹である。当のセナは「うちの子たちを働かせるのね……」と言いながら、まんざらでもない顔で当日の配置図を描き始めていた。
「リオは、何の係やるんだ?」
カイルに聞かれて、リオは少し考えた。
「獣が落ち着く配置を考える係と、当日の世話係」
「地味だな!」
「地味がいいんだ」
目立つ仕事は、命を縮める。それはこの一年で骨身に染みている。
そこへ、廊下から嵐が越境してきた。
「聞いて聞いて! うちの科、発明展示やるから! 私、新作出すから! 絶対見に来てよ!!」
テッサである。魔導具工学科は例年、学園祭の花形だ。学年首席の新作となれば、なおさらだろう。
「新作って、何を」
「それは当日のお楽しみ! ……ふっふっふ、驚くよー」
嫌な予感が三割、本当に楽しみなのが七割だった。この子の作る物は、機構だけは必ず本物なのである。
「そういえば」
セナが配置図から顔を上げた。
「今年、来賓がすごく多いらしいわよ。侯爵家がいくつも来るって。ローウェン侯爵ご夫妻の名前もあるって話。実行委員のクラリスが、招待状の名簿を見て真っ青になってた」
「王都中の偉い人が来るってことだろ? じゃあ警備も大変だな」
カイルが呑気に言う。
その帰り道、廊下で当のクラリスとすれ違った。腕に名簿の束を抱え、実行委員の腕章をつけ、目の下にうっすら影がある。
「ごきげんよう、アルクスさん。……当日は、その」
二つ隣の令嬢は、少しだけ声を落とした。
「どうか、平穏でありますように」
「……お互いに」
挨拶というより、祈りだった。名簿の中身と、リオの中身と、その両方を知っている人の祈りである。
警備も、大変。
リオは、窓の外の秋空を見た。
王都中の目と、王都中の警備が、この学園に集まる日。
……グラントの言葉が、また、耳の奥で鳴った。
◇
数日後、警備の下見を兼ねて、リオは放課後の図書館に寄った。
祭りの間、図書館は休館になる。その最終確認、という名目の、白紙先生への顔出しである。
「祭りは、いいものです」
白い手袋の司書は、返却棚を整えながら、いつもの調子で言った。
「本が、三日間まったく読まれなくなりますが。それも含めて、いいものです」
「……先生は、当日は」
「ここに、おりますよ」
白紙先生は、書架の谷の向こうの、祭りの準備で賑わう中庭へ、ちらりと目をやった。
「学園で一番、静かな場所の番をしています。……今年も、静かだといいのですけれど」
静かだといい。
その言い方が、少しだけ、天気の話に聞こえなかった。
その週の終わり、財団から窓口へ、一通の報せが届いた。
夜の事務所で、グラントはその紙を読み、しばらく黙り、それから、リオに回してよこした。
各地の水位異変の、照会の返事だった。
「……三件」
リオは、紙面の地名を目で追った。
北の山間の湖で、一件。西の大河の支流で、一件。いずれも、この二年で水位が不自然に下がり、財団の調査班が湖底と川底から、あの装置と同じ型を発見。どちらも魔石は焼き付き、既に停止していた。
そして、三件目。
南の地下水脈の上の、古い井戸の底。
見つかった装置は――まだ、動いていなかった。
「据え付けだけ済ませて、魔石を入れる前の状態だ」
グラントの声は、平坦だった。平坦な時ほど、この人は怒っている。
「つまりだ。二つは、もう盗み終わった後。一つは、これから盗む予定だった。……テッサの嬢ちゃんの読み通りだよ。一号機どころか、量産して、あちこちに埋めてやがった」
机の上の王都近郊の地図に、旗が三本、立てられていた。
ミラーレイクを入れれば、四本である。
水を抜いて、どこへ送っていたのか。何のために、これほどの水が要るのか。
問いは増えるばかりで、答えはまだ、地図の外にある。
「……返事が、来ちまったな」
グラントは、地図を睨んだまま、低く言った。
「怖い返事ってのは、来ないのが一番なんだが」
窓の外の夜のどこかから、祭りの設営の槌の音が、微かに届いている。
学園祭まで、あと七日である。
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