第27話 十一匹目(後編)
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第27話の後編です。
夕方は、全員での捜索の訓練だった。
訓練といっても、半分は遊びである。庭のあちこちに母が隠した木札を、十匹が手分けして探し出す、宝探しのような日課で、腕を保つのと親睦を深めるのを兼ねているらしい。
鈴尾鼬のリンとスズが地を走り、綿羽鳥のフワが上から目を配り、苔背亀のゴウが水場の底を検分する。見つけた報せはフワに集まり、フワがセナに伝える。
縁側のリオの目には、糸は見えない。
見えないが、分かる。セナと十匹の間に張られた十本の糸が、休みなく細かく震えて、報せと指示を行き交わせているのが。淀みのない、良い網だった。
そして、その網の五歩外。
積み箱の上に、ノルはいた。
月色の目が、忙しく動いている。木札を探す仲間ではなく、網の方を追っている。誰が先に動くか。誰が誰に譲るか。報せはどの順番でフワへ集まるか。
水場の順番。日向の席次。餌の列の並び。
昼からずっと、あの目が数えていたものの正体を、リオはもう、ほとんど確信していた。
訓練が終わり、十匹が思い思いに散った頃、セナが縁側に来た。
「……どうだった」
「思ったことを、そのまま言っていい? 外れてるかもしれないけど」
「そのために呼んだのよ」
リオは、積み箱の上の月色の目を見ないようにしながら、言った。
「あの子、輪が嫌いなんじゃないと思う。逆だ。ずっと、輪の勉強をしてる」
「……勉強?」
「昼からずっと、あの子が見てるのは、セナでも、十匹でもない。その間にある決まりの方だ。水場の順番。日向の席次。誰がフワの前を横切っていいか。……全部、数えてる。ご飯を最後に食べるのも、たぶん遠慮じゃなくて、列の順番がまだ自分にないのを、知ってるからだ」
セナの目が、ゆっくりと見開かれていく。
「あの子、群れにいたことがないんじゃないか。ずっと一匹で生きてきた子は、輪の入り方の順番を知らない。でも、賢い子ほど、決まりがあることには気づく。……間違えて割り込むのが、怖いんだと思う。だから、覚えようとしてる。ひと月ずっと、真面目に」
入りたくないのではない。
入り方が、分からない。
正しく入りたいから、動けない。
「……そっか」
セナは、長い間、庭を見ていた。
それから、ぽつりと言った。
「待ってたんだ、私。あの子が、自分から入ってくるのを。……でも、席が空くのを行儀よく待ってる子は、いつまでも入れないんだ。だったら――」
顔を上げた時には、もう、いつものセナの目だった。
「席を、作ればいいのよ」
◇
それからのセナは、早かった。
まず、餌の皿である。いつも十枚と、離れた場所に一枚だった皿の並びを、組み直した。十一枚目の皿を、列の中に置く。フワが心得た顔で自分の皿を半歩ずらし、隣を空けた。古参のやることは、粋である。
次に、役割だった。
セナは庭の真ん中に立ち、十匹を集め、それから、積み箱の上へまっすぐに呼びかけた。
「ノル。おいで。……あなたの仕事の話よ」
月色の目が、瞬いた。
いつもの「おいで」と違う言葉に、黒い小さな体が、箱から降りる。五歩の距離まで来て、止まる。
セナは、それ以上は呼ばなかった。代わりに、十匹に向かって、宣言した。
「今日から、夜の目はノルの仕事。日が落ちたら、庭の見張りはこの子が頭。鈴尾鼬の組は報せ役でノルに付く。……そういう決まりに、します」
十匹が、一斉にノルを見た。
じろじろとではない。新しい決まりを聞いた顔で、一度だけ、確かめるように。
そして、日が落ちた。
「夜間想定。母さんの隠した札、あと三枚。――はじめ」
薄闇の庭で、最初に動いたのは、月色の目だった。
昼間は誰も見つけられなかった、板塀の影の一枚。積み藁の隙間の一枚。水桶の裏の一枚。夜の色に沈んだ庭で、ノルの目だけが、それを次々に拾っていく。見つけるたび、鈴尾鼬が走り、報せがフワへ、フワからセナへ。
十本の糸の網に、十一本目が、初めて編み込まれて――回った。
三枚目の札がセナの手に届いた時、庭はもう、すっかり夜だった。
「……ん。全部回収。おしまい」
セナが宣言すると、十匹がわらわらと餌の皿へ向かう。
ノルは、少しだけ迷って――それから、列の中の、十一枚目の皿の前に、そっと座った。
隣の皿のフワが、我関せずの顔で、もしゃもしゃと食べている。
月色の目が、一度だけセナを見た。
セナは、何も言わずに、ただ頷いた。
黒い小さな頭が、初めて、みんなと同じ時間に、皿へ下りた。
◇
「……見た? ねえ、今の見た?」
「見てた」
縁側で、セナは声を潜めて興奮していた。目のふちが、少しだけ光っている。
「食べた。みんなと一緒に。初めて」
「うん」
「席かあ……席、だったのね。私、ずっと、心の距離ばっかり測ってた」
「読みが当たっただけだ。組み直したのは、セナだから」
リオは、本心から言った。
「皿の位置も、役割の宣言も、報せ役を付けたのも、全部セナの組み立てだ。俺は、あんなふうに群れを編めない」
「……あなたでも?」
「十一本の糸を、全部同じ丁寧さで、全部同時に保って、その上で今日、一本増やした。増やす時に、前からいる十匹の網を、一本も緩ませなかった。……俺には、できない。本当に」
一体契約のテイマーには、一生かけても届かない種類の芸である。
セナは、しばらく黙っていた。
それから、フワを抱き上げて、その綿羽に半分顔を埋めた。
「……あなたにできないことが、あったのね」
「たくさんある」
「ふうん。……ちょっと、機嫌が直ったわ」
何の機嫌かは、聞かないでおいた。
母屋の窓から、ロドガーがこちらを見ていた。
いつからいたのか、腕を組んで、夜の庭と、皿の列と、娘の顔を順に眺め――戸口へ引っ込む間際に、一言だけ、置いていった。
「――セナ。今日の糸は、悪くなかった」
糸。
この家では、テイマーの采配のことを、そう呼ぶらしい。糸の見えない家族の間でも、仕事はその名前で通じるのだった。
セナの背筋が、ぴんと伸びた。
「……! ……聞いた? 今の」
「聞いた」
「父さんが糸を褒めるの、兄さんがギルドに受かった時以来よ」
獣のことでは嘘を言わない人の一言は、この家では、そういう重さらしかった。
◇
帰り際、門まで送りに出たセナは、焼き菓子の作り方の紙(母がマルタ宛に書いたもの)をリオに持たせてから、ふと、思い出したように言った。
「今日は、本当にありがとう。……ねえ、リオ」
「ん?」
「あなたの、その一体の子には、いつ会えるの?」
兄に話した、一体しか契約できない体質の話を、セナも覚えていたらしい。
リオは、少しだけ考えて、正直に答えることにした。
「……いない」
「え?」
「決まった相棒は、いない。必要な時に、その場にいる子と契約して、仕事が終わったら――返す。それだけなんだ。だから、連れてない」
セナは、目を丸くした。
テイマーにとって、契約は長い絆の別名である。その場で結んで、その場で返す契約など、彼女の教科書のどこにも載っていない。
「返すって……会ったばかりの子と繋いで、終わったら、さよならってこと?」
「そう」
「…………」
セナは何か言いかけて、やめて、それから、今日一日の庭を思い出すような目をした。
「……ううん。違うわね」
「何が」
「あなた、返すまでの間は、誰よりも深く繋ぐんだわ。今日ずっと隣で見てて、分かった。初対面のノルの、ひと月の中身まで読む人だもの。……ただ」
セナはフワを抱き直して、静かに言った。
「でも、それって……ちょっと、寂しくない?」
寂しい。
考えたことのない言葉だった。仕事の形として、当たり前にやってきたことである。
「……どうかな。考えたこと、なかった」
「そう。……ね、リオ」
門灯の下で、セナは笑った。
「いつか、返さなくていい子が、見つかるといいわね」
「……そういう子が、いるのかは、分からないけど」
「いるわよ。だって」
腕の中の毛玉を、少しだけ持ち上げてみせる。
「うちには、十一匹いるもの」
帰りの街道は、月が明るかった。
返さなくていい子。
並んだ十一枚の皿と、月色の目を思い出しながら、リオは夜道を歩いた。
答えの出ない言葉が一つ増えたのに、足取りは、不思議と軽かった。
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