第26話 初出勤と答え合わせ(後編)
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第26話の後編です。
テッサが再び口を開いたのは、半刻近くも経ってからだった。
その間、彼女は装置の周りを都合六周し、ドドに七回工具を持たせ、六回そのまま返した。触ったのは結局、器の縁を指先で二度なぞっただけである。
グラントは、その半刻を、急かしもせず、話しかけもせず、壁際で腕を組んだまま待っていた。職人の見立ての最中に口を挟まないのは、良い依頼主の作法である。リオもそれに倣って、置物に徹した。
「……整理、できた」
ゴーグルを額に上げて、学年首席は振り返った。
「まず、腕の話からするね。この装置を作った人は、本物。術式の線に無駄が一本もない。部品の精度は、王都の一級職人と並ぶか、それ以上。器の設計だって、限界までよく詰めてある。……焼き付いたのは器が悪いんじゃなくて、器の限界を超えた大魔石を積んだ、使い方の問題」
「腕は、一級品」
「うん。で、ここからが引っかかりの話」
テッサは装置の縁を、指の背でこん、と叩いた。
「この装置、直す口が、どこにもないの」
「……直す口?」
「うちの実家みたいな修理屋が開ける場所。良い道具ってね、必ず『壊れた時に開けて直す』ことを考えて作られてるの。蓋のねじ一本、部品の並び一つにそれが出る。長く使ってほしい、って作り手の気持ちがそこに宿るんだよ。親父の受け売りだけど」
彼女は、装置全体を手で示した。
「これには、それが、ない。封は全部埋め殺し。部品は直せない組み方。壊れたら、捨てる前提。使う人への気配りも、ゼロ。……なのに性能だけは、極限まで愛されて詰められてる」
テッサは、少しだけ言葉を探して――結局、一番素直な形で言った。
「こんなに良い腕なのに、道具に心がこもってないの。性能だけ愛して、道具を愛してない。……こういう作り、私、初めて見た。うちの親父が見たら、たぶん怒ると思う」
保管庫の冷えた空気の中で、その言葉は、妙に長く残った。
腕は敬え、心は怒れ。職人の家の子の見立ては、そういう形をしていた。
このところ窓口の帳面に並ぶ名前を、リオはなんとなく思い浮かべた。
夜会の香の若当主。空注文の女主人。祭殿の発掘屋。互いに繋がっているのかどうかは、リオの知るところではない。
ただ、その並びにもう一人――会ったこともない、道具を愛さず性能だけを愛する職人の手つきが、装置越しに、妙にはっきりと想像できた。
「他に、分かったことは」
グラントが静かに促す。
テッサは指を折った。
「二つ。一つ、術式の記法が王都の流儀じゃない。線の巻き方向が逆で、省略の癖も違う。よその国の教本で育った手だと思う。二つ――これ、全部、一人で作ってる」
「一人?」
「分業の跡がないの。術式も、金物も、組みも、全部同じ手癖。ここまでの物を一人で仕上げられる人なんて、王都でも数えるほどしか……」
そこで、テッサは言葉を切った。
何かに気づいた顔で、もう一度、器の縁を覗き込む。
「……三つ目。言いたくないけど、言うね」
ゴーグルの奥の目が、こちらへ向いた。
「この組み方、手が慣れすぎてる。初めて作る物の手つきじゃない。同じ型を、何度も作った手の速さ。……この装置、たぶん一号機じゃないよ」
リオの背中を、冷たいものが走った。
同じ装置が、他にもある。
どこかの湖か、川か、地下水脈の上に。あるいは、まだ蔵の中に。
グラントは、何も言わずに帳面へ書き付けていた。頁をめくる音だけが、いつもより硬かった。
◇
鑑定書が届いたのは、その翌日の夜だった。
事務所の帳場机で、グラントは財団の封を切り、中の一枚に目を走らせ、リオへ回してよこした。
押収した大魔石の、産地鑑定である。
結晶の癖、含まれる魔力の質、不純物の型。並んだ所見の末尾に、結論が一行。
『ルヴィナ産と推定される』
「……また、ですか」
「ああ」
グラントは、帳場机の抽斗から古い帳面を出し、開いた頁を指で叩いた。
「眠り花。白眠花の加工片。刺激薬。夜会の香。装置の部品の記法。で、今度の大魔石。――これで六度目だ」
六つの品目が、同じ産地を指している。
一度なら偶然、二度なら流行り、三度なら道ができている、とはグラントの口癖だが、六度は、もう道どころではない。
「腕のいい職人が一人。ルヴィナの材料。量産の手癖。……絵が、だいぶ濃くなってきたな」
「保管庫、狙われますよね」
「だろうな」
帳の主は、事もなげに頷いた。
「装置は連中の証拠で、連中の技術だ。取り返すか、燃やすか、どっちにしても来る。……財団には、警備を厚くさせる。リッツにも、扉の編みをもう一層足させる」
「量産の件は」
「照会をかけた。ここ数年、水位の妙な下がり方をした湖や川が、他にないかどうかをな。……返事が怖い照会ってのは、久しぶりだ」
「俺は」
「お前は普段通りにしてろ。学生の顔で、学園に行って、飯を食って、寝ろ」
グラントは帳面を閉じた。
「時が来たら、呼ぶ。それまでは、待ってろ」
◇
話は少し戻って――初仕事の帰りである。
財団本部を出て、送りがてら寄った事務所の裏手には、物干し場ほどの小さな中庭がある。人目のない夕闇の中で、テッサは伸びをひとつして、それから、思い出したように覆面へ向き直った。
「――で! 約束!」
忘れてくれてはいなかった。
リオは周囲に人気のないのを確かめ、確かめてから、糸を撚った。
契約はしない。繋ぎもしない。ただ、魔力を練って、糸の形にする。指先から手のひらの上へ、一本。
夕闇の中では、普通の人間の目には何も見えないはずである。
だが、隣の学年首席は、両手で口を押さえた。
「~~!! 見えた!! 見えてる!! うわ、うわあ……!」
テッサはリオの手のひらに、触れる寸前まで顔を近づけた。
「太さが、ぶれてない……根元から先まで、まったく同じ太さ! 普通、魔力って練っても端が絶対ほつれるのに、ほつれが、ない! なにこれ、鍛えた鋼線みたい……これを、心に繋ぐの!? どうやって!?」
「……感覚で」
「一番困る答え!!」
テッサは頭を抱え、それでも目は糸から離さなかった。
「ね、これって、訓練でどうにかなるもの? それとも」
「糸を練るのは、訓練。……太さは、たぶん、生まれつき」
「生まれつき……」
テッサは、しばらく黙って糸を見つめた。
それから、ぽつりと言った。
「……綺麗だね」
機構でも、性能でもない感想が、この子から出るのは珍しかった。
リオは糸をほどいた。夕闇に、名残の淡い燐光が一瞬だけ散って、消える。
テッサはその名残を目で追って、それから、静かな声で言った。
「……決めた」
「何を」
「私、いつか、これを道具で作る。テイマーじゃない人でも、獣と心を繋げる魔道具。……何年かかるか分かんないけど。今日、夢が一個増えた」
誰でも使える魔道具で、世界をちょっと便利にする。
その夢の棚に、今、とんでもない一品が追加されたらしい。
「……できたら、教えてください」
「一号のお客さんになってよ」
「俺には要らない道具ですけど」
「あ、そっか!」
テッサは声を上げて笑った。
「今日、ありがとね。覆面くん」
テッサは籠のドドを背負い直した。
「初めての場所って、緊張するからさ。隣に知ってる人がいて、助かった。……いい職場だね、ここ。私、また来る!」
嵐は満足そうに、夕暮れの道を帰っていった。
時限爆弾が職場に出勤してくる日々の、初日が終わった。
胃は痛い。寿命も縮んだ気がする。……それでも、悪くない初日だったと思ってしまうあたり、我ながら、だいぶ絆されている。
後日、窓口の帳簿にはこう載った。
『押収装置の解剖(初仕事) 一件』
品目欄の隣、備考の欄に、グラントの几帳面な字で、小さく一言。
『合格』
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