第26話 初出勤と答え合わせ(前編)
お読みいただきありがとうございます。
新しいお話です。あの学年首席が、ついに出勤してきます。
その灰色の封筒には、依頼書のほかに、グラントの走り書きが一枚入っていた。
『例の嬢ちゃんの初仕事だ。明日の夕方、事務所に顔を出せ。仕事は護衛と見届け。――覆面でな』
来るべきものが、来た。
リオは封筒を睨み、封筒は何も答えなかった。
テッサ・ロックウェル。学年首席。魔力の視える目。『覆面くん調査記録』二冊目。そして先日、グラント本人の勧誘により、窓口の協力者となった隣のクラスの嵐。
その初仕事の現場に、覆面で同席しろという。
仕事の名目は、護衛と見届けである。現場は財団の地下だと聞いた。協力者とはいえ学生を一人で地下に入れはしないだろうし、初日の働きぶりを見ておくのも分かる。分かるのだが――本音の三割くらいは、別のところにある気がした。
「会える」というのが、あの子を窓口に呼んだ看板なのだ。
看板には、立ってもらう。そういう算段が、あの帳場机から透けて見える。
「……胃が痛い」
誰にともなく呟いて、リオは覆面を鞄に詰めた。
覆面は、いつもの一枚である。
シェラの仕立てたこの覆面は、着けると声が低く、くぐもって変わる。顔と声、両方を隠して初めて覆面と呼べる――というのが、仕立てた本人の弁だ。調査団の現場で何日も一緒にいたテッサが、学園のリオの声と繋げなかったのは、この仕掛けのおかげである。
今日ほど、その仕事に感謝する日もない。
◇
翌日の夕方、リオは裏口から事務所に入り、覆面を着けて奥の間で待った。
今日のリオは、学生ではない。窓口の若いの、である。
やがて、表の受付の方から、聞き慣れた早口が壁越しに響いてきた。
「こんにちは! テッサ・ロックウェルです! 本日からお世話になります! あの、それでですね、早速なんですけど、覆面の人って今日います!?」
「……お約束の方ですね。奥へどうぞ」
初老の事務員の声は、今日も眉一つ動いていない気配だった。
扉が開く。
つなぎの作業服に工具ベルト、背中に工具満載の籠を背負ったドド。完全装備の学年首席は、奥の間に一歩入り――覆面のリオを見つけた瞬間、時が止まった。
「…………」
「……どうも」
「~~っ、いたぁぁぁ!!! 本物!! 出た!! 窓口に通えば会えるって本当だった!!」
テッサは知らない人が見たら泣いているのかと思う顔で駆け寄ってきて、リオの周りを二周した。
「捜したんだよ!? 祭りの日、いつの間にかいなくなってるし! 聞き込みしても正体分かんないし! 瓦版屋には先を越されそうになるし!」
「……その節は、どうも」
「どうも、じゃないよ! あ、ドド! ドドも! 覆面くんだよ、久しぶりだね!」
背中の籠から降ろされた石の犬が、短い腕をぐるぐる回した。湖の現場以来の、再会の挨拶らしい。
「……お久しぶりです」
律儀に返してから、リオは自分が石人形に頭を下げていることに気づいた。この主従は、ペースを乱してくる。
「で! 約束! 覚えてる!? 糸を見せてもらう約束と、あと素顔――」
「――嬢ちゃん」
奥の机から、低い声がかかった。
帳簿を前にしたグラントが、指を一本立てている。
「初日だ。先に、仕事の決まりの話をする。座れ」
「は、はい!」
テッサは椅子に座り、背筋を伸ばした。初日の学生の顔になるのが、少しだけ早い。根は真面目なのである。
「うちの決まりは、難しくねえ。二つだけだ」
グラントは指を二本立てた。
「一つ。現場で見たこと、聞いたことは、外で話すな。友達にも、家族にも、学園の教授にもだ。……これは誓約書を書いてもらう」
「書きます」
「二つ」
グラントの指が、覆面のリオを差した。
「こいつの正体を、詮索するな。素顔も、名前も、素性もだ。前に言ったな。うちは、うちの人間のことを誰にも売らん。それは身内相手でも同じだ。……こいつが自分から明かすなら、それはこいつの勝手だ。だが、お前から剥ぎに行くのは、決まりに反する」
テッサは、覆面のリオを見た。
それから、少しだけ唇を尖らせた。
「……素顔の約束は、なしってことですか」
「約束したのか?」
「一方的にしました」
「なら一方的に流れたな」
グラントは事もなげに言って、誓約書を机に滑らせた。
テッサはしばらく紙を睨み、それでも、ペンを取った。
それから、ふ、と真面目な声になって続けた。
「秘密を守るのは、平気です。うち、町の修理屋なんで。お客さんの家の中で見たものを外で喋らないのは、物心つく前から身についてます。……親父の口癖なんです。『職人が売っていいのは腕だけだ』って」
グラントが、帳簿をめくる手を、一瞬だけ止めた。
職人の家の子は、こういうところで信用を稼ぐ。
「……いい親父さんだ」
「はい! ドドの胴体の廃材くれた人です!」
「話が逸れました。詮索はしません。……その代わり!」
署名を終えたペン先が、びし、と覆面に向く。
「糸の約束は、生きてますよね!? あれは機構の話だから詮索じゃないですよね!?」
「…………」
リオはグラントを見た。グラントは我関せずの顔で帳簿をめくっていた。この人は、面白がっている時ほど、帳簿の頁をめくる速さが上がる。
「……仕事が終わったら」
「よし! 言質取った!」
◇
初仕事の現場は、ヴェイル財団の保管庫だった。
王都の財団本部の地下である。入るまでに詰所を二つ通り、持ち物を検められ、警備の魔道具に全身を三度も舐められた。財団が「保管する」と決めたものの扱いが、よく分かる道のりだった。
厚い石壁の廊下を降りながら、リオは、ふと思う。
あの装置は、敵にとって、回収したい証拠であり、惜しい技術でもあるはずだ。つまり、それが眠るこの保管庫は――いずれ、狙われる側の場所である。
リッツの結界の編みが湖より三層深い理由も、たぶん、そういうことなのだろう。
護衛と見届け、という今日の名目が、地下に降りるほど、名目でなくなっていく。
突き当たりに、大人四人分の幅がある鋼の扉が現れる。
扉の表面には、細かい文様が幾重にも編み込まれ、目を凝らすと、微かに歌うような余韻を放っていた。
「――――」
テッサの足が、止まった。
「……ちょっと待って。待って待って。この扉、リッツさんの仕事だ。歌入りの結界。しかも湖のより編みが三層も深い……何これ、芸術品……」
ゴーグルの下の目が、扉の術式を端から端まで舐めるように追っていく。職人の子は、良い仕事の前で足が止まる生き物である。
「進まねえぞ、嬢ちゃん」
同行のグラントが、呆れ半分で扉の脇の札に手を当てた。何かの照合が走り、鋼の扉が、音もなく開く。
保管庫の中は、静かだった。
等間隔に並ぶ石の棚。札の貼られた箱。布のかかった何か。空気はひやりと乾いていて、埃の匂いすらしない。
その一番奥の台座に、それは据えられていた。
樽ほどの大きさの、水送りの装置。ミラーレイクから回収された、あの水泥棒である。中央の窪みは空で、大魔石は別の箱に収められている。
「今日の仕事だ」
グラントが、装置の前で言った。
「この装置を、隅から隅まで解剖してもらう。作りの癖、術式の流儀、部品の出どころ。分かることを全部だ。……道具ってのはな、嘘をつかねえ。作った奴のことを、作った奴より正直に喋る」
「解剖……」
テッサはゴーグルを下ろし――しかし、すぐには触らなかった。
まず装置の周りを、ゆっくり一周する。目の高さを変え、しゃがみ、覗き込み、視線だけで術式の線を端から端まで辿っていく。ドドが心得た様子で灯りを掲げ、主の見る先を照らして回った。
湖の夜は、止めるための診察だった。今日は、たっぷりと時間のある解剖である。
二周目の途中で、テッサの足が止まり――最初の一言が、こぼれた。
「……うわあ。この人、めちゃくちゃ腕がいい」
その声には、職人が良い仕事に出会った時の、隠しようのない敬意と――それと同じだけの、何かへの引っかかりが、混ざっていた。
「腕がいい、のに?」
リオが水を向けると、テッサは装置を見つめたまま、首を横に振った。
「……ん。まだ、言葉にできない。もうちょっと黙って見るね」
それきり、学年首席は口を閉じた。
この子が黙るのは、よほどのことである。
保管庫の静けさの中で、ゴーグルの奥の目だけが、忙しく動き続けていた。
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