第25話 招かれた学生(後編)
お読みいただきありがとうございます。
お茶会のお話、後編です。
薔薇の庭は、よく手入れされていた。
小径の石は白く、花は盛りで、少し歩けば東屋のクラリスからも給仕たちからも、ちょうど声の届かない距離になる。
この距離まで、計算ずくなのだろう。
「アルクスさん」
エリアナは、薔薇のひとつに指先で触れながら、こちらを見ずに言った。
「うちの家のことを、少しだけお話ししますわね。……ローウェン家は、古い家ですの。古い家というのは、心配性なんです。だから――娘に近づいた方のことを、調べますの」
来た、と思った。
「先日の一件のあと、家の者があなたのことを調べました。学園での成績、お住まいの宿、お人柄の評判。……それから」
エリアナは、そこで初めてこちらを向いた。
「半年ほど前の、とある夜会の、給仕の名簿も」
庭の風が、一拍だけ止まった気がした。
「妙ですのよね。あの夜、わたくしを助けてくださった覆面の給仕さん。歌劇団から派遣された臨時の方、という記録までは辿れたのに、その先が、どうしても霧の中。プロの仕事ですわ、と家の者は悔しがっておりました」
シェラの仕事は、侯爵家の諜報にも破れなかったらしい。それは、朗報である。
朗報なのだが。
「ですから、確かめることにしましたの。……今日、この席で」
「…………」
「注ぎ方。あれで、確信いたしましたわ」
はめられた。
空のカップも、ポットの位置も、お代わりの促しも――全部、仕掛けだったのだ。
リオは、観念して息を吐いた。嘘の下手な自分が、この人の前で言い逃れを重ねても、傷が深くなるだけである。
「……いつから、疑ってたんですか」
「教室にお邪魔した日。あなたとお話しして、誰かを思い出す、と申し上げたでしょう。あのあと屋敷に帰って、気づきましたの。声でも、顔でもなく――立ち方でしたわ。壁際に立つ時の、気配の消し方。給仕さんと、同じでしたの」
人は着ているものと立場しか見ない、と思っていた。
この人は、その先を見ていたらしい。
「アルクスさん。……いえ」
エリアナは、ドレスの裾をつまみ、完璧な礼をした。
夜会の礼法にある、最上級の感謝の形だった。
「あの夜の給仕さん。お礼が、言いたかったの。……ずっと、ずっと」
顔を上げた彼女の目は、学園の有名人のものでも、侯爵家の令嬢のものでもなかった。
「あの夜のわたくし、香のせいで、立っているのがやっとでしたの。周りは誰も気づいてくださらなくて、声も出せなくて。……怖かった。あんなに怖かったのは、初めてでしたわ。そこに、あなたが来てくださった。何も聞かずに、水と、風のある席と、帰りの口実をくださった」
一息に言って、彼女は少しだけ笑った。
「命の恩人に、お礼も言えないままなんて。……侯爵家の名折れですもの」
一年、探し続けた理由は、それだけだった。
それだけのことを、この人は半年、抱えていたのだ。
「……俺は、仕事をしただけです」
「存じております。ですから、余計に」
エリアナはまっすぐにこちらを見た。
「お仕事の分のお礼は、あの夜の主催がお支払いしたのでしょう。これは、わたくし個人の、言いそびれたお礼。――ありがとうございました」
風が薔薇を揺らし、遠くで、クラリスが心配そうにこちらを窺っているのが見えた。
「……一つだけ、お願いがあります」
リオは、頭を下げた。
「今の話、内緒にしてもらえますか。家の人にも、学園でも。……あの仕事は、そういう決まりなので」
「ええ、もちろん」
エリアナは、あっさりと頷いた。
「その代わり、と申し上げてよろしいかしら」
「……交換条件が、あるんですか」
「時々、こうしてお茶に付き合ってくださいな。学園のお友達として。――助けられっぱなしというのは、性に合いませんの。昔から」
完璧な微笑の下の、素の顔だった。
断れる気配は、どこにもなかった。
「……お手柔らかに、お願いします」
「ふふ。考えておきますわ」
◇
東屋に戻ると、クラリスが立ち上がりかけた腰を、そっと戻した。
「お、おかえりなさいませ。……その、お話は」
「ええ。とても実のあるお話でしたわ。ねえ、アルクスさん」
「……はい」
クラリスの視線が、二人の間を三往復した。何があったのかは分からない、しかし何かがあったことだけは分かる、という顔である。
「クラリス。そんなに心配なさらなくて大丈夫よ。……あなたが何も仰らなかったことも、ちゃんと存じておりますわ」
「!」
「お友達の秘密を守れる方、わたくし、好きよ」
クラリスは赤くなったり青くなったりした後、蚊の鳴くような声で「恐れ入ります」と言った。誓いを二つ抱えた令嬢の胃に、今日も新しい負担が増えた。
◇
門を出たのは、日が傾き始めた頃だった。
見送りに立った門の外に――大袋を三つ積んだ手押し車と、見覚えのある二人組がいた。
「よ、よう。リオ。……奇遇だな」
「……その大荷物で、こんなところで何してるの」
「奇遇なんだよ」
カイルの目が泳いでいる。セナは腕を組んで、まっすぐにリオを見た。その肩からフワが飛び立ち、当然の顔でリオの肩に着地する。
「……で。貴族のお茶会? 美女二人と? 正装で?」
カイルが、こらえきれずに聞いた。
「先日、ちょっとした人助けをした縁で。お礼のお茶会に呼ばれただけだよ」
「人助けって、お前この前もローウェン様に焼き菓子もらって……あれと同じやつか?」
「同じやつ」
「詳しく!」
「言えないやつ」
「またそれか!」
騒ぐカイルの隣で、セナは静かだった。
静かなまま、ぽつりと言った。
「……二時間と、四十分」
「え?」
「あなたが門に入ってから、出てくるまで。……ずいぶん、長かったのね」
「……数えて、待ってたの?」
「待ってないわ」
セナは、ぷいと前を向いた。
「数えてただけよ」
「それを待ってたって言うんだぞ、普通は」
「カイルは黙ってて」
帰り道は、餌の大袋を分担して運ぶことになった。リオが二袋、カイルが一袋。手押し車を押すセナの機嫌は、袋を三分の一ほど運んだあたりから、少しずつ直った。
肩の上のフワだけが、最初から最後まで、上機嫌だった。
◇
――同じ頃。ローウェン邸の応接間。
夕陽の差す窓辺で、エリアナは冷めた茶を前に、頬杖という淑女らしからぬ姿勢をしていた。人払いした部屋では、時々こうなる。
「楽しかったわ」
誰にともなく、言う。
「学園というのは、いいところね。肩書きの外で、お友達ができますもの」
「ようございました」
控えていた老家令が、静かに応じた。
それから、一歩進み出る。
「お嬢様。……例の調査の件で、一つ、お耳に入れておきたいことが」
「あら、まだ何か?」
「調べる過程で、妙な噂を拾いました。――近ごろ、王都の裏で『覆面のテイマー』なる者が活躍しているそうで。建国祭の竜技団の代役、ミラーレイクの調査団の凄腕。姿は覆面、素性は一切不明。裏の界隈では、ちょっとした有名人だとか」
「まあ。腕のいい方も、いらっしゃるのね」
エリアナの返事は、他人事だった。
夜会の給仕と、覆面のテイマー。彼女の中で、その二つはまだ、繋がっていない。
老家令は、一拍置いて、続けた。
「……これは、ただの勘なのですが」
「あなたの勘、当たるのよね」
「あのアルクス様という学生は――給仕の技どころではない何かを、まだお隠しのように、わたくしには思えます」
エリアナは、頬杖のまま、窓の外の夕焼けを見た。
それから、鈴の音の大きさを超えない笑いを、一つ。
「……あら。それは」
カップを取り上げ、冷めた茶を一口。
「――ゆっくり、確かめて差し上げませんと」
こうして、リオの知らないところで、次のお茶会の口実が、また一つ増えたのである。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
【登場人物メモ】
ローウェン家の家令……先の事件(第24話)を取り仕切った初老の家令。勘が鋭い。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。
次回もよろしくお願いいたします。




