第25話 招かれた学生(前編)
お読みいただきありがとうございます。
お茶会のお話、前編です。
招待状というものは、断れないから招待状と呼ぶのだと思う。
ローウェン侯爵家からの茶会の招きに対し、リオが考えた欠席の理由は十七個あった。急な熱、急な補講、急な親戚、急な雨。
グラントは帳簿もめくらずに、十七個すべてを却下した。
「行ってこい。学生の顔で行って、学生の顔で帰ってくりゃいい。仕事の話は一切するな。聞かれても『ただの学生』で通せ。……それと、茶ぁこぼすなよ」
「こぼしませんよ」
「お前は依頼じゃ絶対こぼさんが、素の時は分からんからな」
余計なお世話である。
かくして当日の朝、リオは眠り鹿の宿の一階で、借り物のような気分で立っていた。
着ているのは、礼服である。
正確には、マルタが古着屋で見立てて、三晩かけて仕立て直した一着だ。濃紺の上着に、控えめな銀の釦。
「……うん。馬子にも衣装ね」
「褒めてます?」
「褒めてるわよ。ほら、じっとして」
マルタは襟を直し、袖の糸くずを払い、最後に少し離れて全体を眺めた。
それから、しみじみと言った。
「うちの居候が、侯爵家のお茶会ねえ」
「仕事じゃないんですけどね」
「仕事じゃないから、いいのよ」
マルタは笑って、リオの背中を軽く叩いた。
「行ってらっしゃい。お茶、こぼすんじゃないわよ」
昨夜、事務所でグラントに言われた注意と、一言一句同じだった。あの二人は、たまに息が合う。
◇
ローウェン侯爵邸は、王都の北の丘にあった。
白い石塀がどこまでも続き、門は城門かと思う大きさで、門番は騎士のような身なりをしている。
その門の前に、見覚えのある亜麻色の髪があった。
「ごきげんよう、アルクスさん」
クラリスである。今日は淡い若草色のドレスで、髪も学園より少しだけ華やかに結い上げていた。
「クラリスさんも、呼ばれてたんですね」
「ええ。……正直に申しますと、あなたが呼ばれたと聞いて、心配で夜も眠れませんでした」
「俺の礼儀作法が、ですか」
「それも三割ほど」
残りの七割は、聞かなくても分かる。エリアナが、どこまで何を知っていて、何を聞くつもりなのか――誓いを二つ抱えた令嬢にとって、今日の茶会は胃の痛い席なのだった。
「大丈夫です。今日は、ただの学生なので」
「その『ただの学生』が一番心配なんです」
もっともな意見だった。
二人は門番に招待状を見せ、開かれた門をくぐった。
玄関で出迎えたのは、初老の家令だった。
見覚えがある。あの古橋の夜、ダンヴィル家の跡取りに氷の宣告をした人である。
「ようこそお越しくださいました。お嬢様がお待ちです」
一分の隙もない礼だった。ただ、上げた顔がリオを見た一瞬だけ、その目に、値踏みに似た色がよぎった気がした。
気のせいかもしれない。気のせいで、あってほしい。
――その一部始終を。
通りの反対側から、目を丸くして見ている二人組がいることに、リオは気づかなかった。
片や、餌問屋の大袋を三つ担いだ剣術科の少年。片や、干し果物の包みを抱えた、栗色の髪の少女。腕の中の白い毛玉だけが、門の向こうへ消えていく背中に向かって、ぴょこぴょこと羽を弾ませていた。
「……り、リオ? と、ルーメルさん……?」
「…………」
「なあ、セナ。今の、リオだよな? 正装の。侯爵家に入ってったよな? ルーメルさんと二人で?」
「…………見間違いよ」
「お前も三度見してたろ!?」
カイルは大袋を担ぎ直し、遠ざかる門を見た。
「……なあ、俺たち、見ちゃまずいもん見たんじゃないか」
「あなたが問屋の前で袋を落として拾ってる間に、さっさと通り過ぎればよかったのよ」
「俺のせいか!? お前が干し果物選びに小一時間かけたからだろ!?」
「うちの子たちは、舌が肥えてるの」
責任を押し付け合う間も、二人の視線は、閉まった門から離れなかった。
休日のセナは、十匹の餌の買い出しと決まっている。荷物持ちのカイルを連れた帰り道が、たまたま北の丘を通った。それだけの、偶然だった。
偶然は、時々、余計な仕事をする。
◇
茶会は、庭園で開かれた。
薔薇の絡む白い東屋に、三人分の席。給仕が二人、離れて控えている。
招かれた客は、リオとクラリスの二人だけだった。取り巻きの三人も、他の令嬢たちもいない。侯爵家の茶会というより、同級生の集まりに近い、私的な席である。
「今日は、来てくださってありがとう。堅苦しいのは抜きにしましょうね」
エリアナは上座で、鈴の音の声で言った。
白いドレスに、金の髪。庭の光の中で見ると、学年一の有名人という肩書きが、飾りではないことがよく分かる。
「先日のお礼を、きちんとした形でしたかったの。……学園の廊下では、ゆっくりお話もできませんし」
「……その、あなたに学園で話しかけられると、注目を集めすぎて身が持たないので。助かります」
「あら。あの日の契約術科の教室、そんなに大事になりまして?」
「三日間、質問攻めでした」
「ふふ。ごめんなさいね」
まったく悪びれていない笑顔だった。
茶が注がれ、菓子が並び、会話は学園のこと、教授たちのこと、近づく学園祭のことへと流れていく。
「そういえば、クラリスったら、教室ではアルクスさんの居眠りを注意する係なんですって?」
「ど……どこでそのお話を」
「ふふ。調べましたの」
エリアナは事もなげに言い、砂糖壺の蓋を上品に戻した。
「二つ隣の席で、授業のたびに小声で起こしてくださるとか。仲がよろしいのね」
「か、係というほどのものでは……見かねているだけです」
クラリスの耳が赤い。リオは茶で口を塞いだ。調べましたの、の一言が、この家では冗談に聞こえないことだけが、少し気になった。
エリアナの話術は、見事なものだった。話の球を投げ、受け、クラリスの緊張を三口目の茶までにほどき、リオの言葉数の少なさまで会話の間として使ってしまう。
これが、社交界で鍛えられた技というものらしい。
そして、リオが油断し始めた頃合いを、彼女は正確に狙っていた。
「アルクスさんも、どうぞ。お代わり」
「あ……すみません。いただきます」
リオは、卓のポットに手を伸ばした。
エリアナのカップが先に空いていたので、そちらへ先に注ぐ。手首を返し、注ぎ口を音もなく傾け、七分目で止め、雫を一滴も垂らさずに引く。
体に染みた仕事は、緊張している時ほど、先に手が動く。しまった、と思った時には、雫はもう綺麗に切れていた。
注ぎ終えてから、気づいた。
エリアナが、カップではなく、リオの手元を見ていた。
「――注ぎ方が、お上手ですのね」
鈴の音が、半音だけ、低くなった。
「それ、給仕の注ぎ方ですわ。手首の返しから、雫の切り方まで。……どこで覚えましたの?」
隣で、クラリスの持つカップが、かちり、と小さく鳴った。
「……宿屋育ちなので。配膳の手伝いは、子供の頃から」
「まあ、宿屋の」
エリアナは微笑んで、それ以上は聞かなかった。
聞かないことが、かえって怖かった。
茶会は和やかに進み、菓子の皿が二巡し、話題が庭の薔薇に移った頃――
エリアナが、ふと立ち上がった。
「アルクスさん。少し、庭を歩きませんこと?」
クラリスが、弾かれたように顔を上げる。
「エ、エリアナ様、わたくしも――」
「クラリスは、お菓子の番をお願い。……ふたりで、お話ししたいことがありますの」
完璧な微笑の下から、あの素の顔が、一瞬だけ覗いた。
席を立つ間際、クラリスと目が合った。
――わたくしは、何も申しておりません。
――分かってます。
音のない会話を一往復だけ交わして、リオは薔薇の庭へ連行されていった。
逃げ道は、なさそうだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
【登場人物メモ】
マルタ……眠り鹿の宿の女将。リオの下宿先のお母さん役。
クラリス・ルーメル……リオと同じクラスの令嬢。とある依頼(第10話)以来、リオの秘密を知っている。
エリアナ・ローウェン……魔法科一年。ローウェン侯爵家の令嬢。連れ去り事件(第24話)でリオに助けられた。
セナ・ラティス……リオの友人。小型魔物十匹のテイマー。
カイル・レオンハート……リオの友人。剣術科。今日は荷物持ち。
【窓口の番号持ち・登場済み】
一番 グラント・ヴェイル……十三番窓口の主任。リオの保護者役。
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