第24話 令嬢は沈黙を破る(後編)
お読みいただきありがとうございます。
第24話の後編です。
「――お怪我は、ないですか」
「……あなた、は」
かんざしを構えたまま、金の髪の令嬢は、扉の外の少年をじっと見た。
答える前に、馬車の奥で若い貴族が我に返った。
「な、なんだ貴様は! ここをどこの家の馬車だと――」
「存じません。家紋を隠した馬車に、名乗られても困ります」
リオは静かに応じ、令嬢へ手を差し出した。
「足元、段があります。……外へ。もう、大丈夫なので」
令嬢は一瞬だけ迷い、かんざしを握ったまま、差し出された手を取らずに、自分の足で降りた。
最後まで警戒を解かないのは、正しい。ついさっき連れ去られたばかりの人が、見知らぬ少年をすぐ信じる方がおかしいのである。
そこへ、石畳を鳴らして駆けてくる足音があった。
「エリアナ様!!」
ドレスの裾を両手で掴んだクラリスが、息を切らして橋に駆け込んでくる。その後ろには、報せを受けた衛兵が二人と、ローウェン家の印の入った馬に乗った家令らしき初老の男。手配の早さが、そのままこの令嬢の実務の腕だった。
「クラリス……! ああ、よかった、あなたは無事……」
「わたくしは何も! それより、お怪我は!」
「ありません。……この方が」
エリアナの視線が、こちらへ向く。
その時だった。
「アルクスさん、ありがとうございました……! 本当に、本当に……!」
クラリスが、深々と、頭を下げたのである。
名前が、出た。
エリアナの目が、ゆっくりと瞬いた。
「……アルクス」
鈴の音の声が、その姓を、確かめるように繰り返した。
「クラリス、この方、お知り合い?」
「あ……」
クラリスが、口元を押さえた。守ってきた沈黙の癖が、安堵で緩んだのだと、顔に書いてあった。
もう、遅い。
「……同じクラスの、クラスメイトです」
リオは、観念して言った。
「契約術科一年、リオ・アルクスです」
◇
後始末は、大人たちの領分だった。
衛兵が伸びた私兵を回収し、家令が馬車の中の跡取りへ、氷のような口調で告げる。
「ダンヴィル男爵家には、ローウェン家より正式に申し入れます。……ご子息は、今夜のことを、生涯かけて説明なさることになるでしょう」
醜聞を作りに来た側が、醜聞に呑まれて帰っていく。貴族の世界の決着は、剣より静かで、剣より重いらしい。
クラリスは家令と衛兵の間に立ち、目撃の証言を、時系列で淀みなく並べていた。声の震えは、もうなかった。頼る時は全力で頼み、片付ける段になれば完璧に働く。強い人である。
リオはその間に、二頭の馬に触れ糸で礼を言い、そっと下がろうとして――
「――お待ちになって」
鈴の音に、捕まった。
振り向くと、エリアナ・ローウェンが、まっすぐにこちらを見ていた。髪は手早く直され、かんざしは元の場所に戻っている。乱れた袖だけが、さっきまでの出来事の名残だった。
「お礼を、申し上げていませんわ。……ありがとうございました、アルクスさん」
完璧な角度のお辞儀だった。学園の廊下で、毎日誰かに向けられている、あのお辞儀である。
ただ、上げた顔は、廊下のものと少し違った。
「一つ、伺っても?」
「……どうぞ」
「馬が、止まっていましたわね。御者があれだけ鞭を入れても、石像のように。……あなたが、何かなさったの?」
見ている人は、見ている。
「……馬も、嫌だったんだと思います。今夜の仕事が」
「まあ」
エリアナは、ふ、と笑った。鈴の音の大きさを、初めて少しだけ超えた笑いだった。
「馬の気持ちが、お分かりになるのね」
「なんとなく、ですけど」
「では、なんとなく、覚えておきますわ。――リオ・アルクスさん。契約術科の」
フルネームで覚えられた。それも、学年一の有名人に。
今夜一番の危機は、連れ去りでも私兵でもなく、この瞬間かもしれなかった。
「それと」
リオは、去り際に一つだけ、言っておくことにした。
「あの男の頬の傷……あなたが、つけたんですよね。爪で、三本」
「……あら」
「良い抵抗だったと思います。あの傷のおかげで、車内で何があったかの証言が、あなたの側の言葉だけで通る。……最後まで諦めない人は、強いです」
エリアナは、目を丸くした。
それから――完璧な微笑の、その下から、素の顔が一瞬だけ覗いた。
「……守られるだけのつもりは、ありませんの。昔から」
鈴の音ではない、年相応の声だった。
◇
翌日の教室は、いつも通りだった。
いつも通り、リオは三時限目の途中で船を漕ぎ、二つ隣から小声が飛んだ。
「アルクスさん。また寝ていましたね」
「……すみません」
いつも通りのやり取りの後で、クラリスは、少しだけ声を落とした。
「昨日は……勝手に、あなたを頼りました。あなたの事情を知っていながら、往来で、名前まで」
「頼ってもらえて、よかったです」
リオは、本心から言った。
「間に合ったのは、クラリスさんが呼んでくれたからなので」
「…………」
クラリスは、しばらく黙って、それから、生真面目な顔のまま、ほんの少しだけ微笑んだ。
「誓いは、二つに増えました。昨日のことも、誰にも申しません。ルーメル家の名にかけて」
「二つも抱えさせて、すみません」
「いいえ」
定規のような姿勢のまま、二つ隣の令嬢は言った。
「秘密というのは、少し、重いくらいの方が……預かり甲斐が、ありますから」
◇
事件が伏せられたまま、三日が過ぎた。
そして四日目の昼、契約術科一年の教室に、事件が起きた。
「――ごきげんよう。アルクスさんは、いらっしゃるかしら」
教室の入口に、金の髪の令嬢が立ったのである。
取り巻きの三人は、廊下に行儀よく待たせて、一人で。
教室が、凍った。
魔法科のエリアナ・ローウェンが、契約術科の教室に来る。それは学園において、王都の大通りを竜が歩くくらいの事件である。
「り、リオ……お前、なんで、ローウェン様が……」
カイルが挽き潰されたような声を出し、セナは無言で、入口とリオを二度、三度と見比べた。
エリアナは涼しい顔でリオの席まで歩いてくると、小さな包みを机に置いた。
「先日は、個人的に、大変お世話になりましたので。お礼ですわ。……うちの料理長の焼き菓子です。口に合えばよろしいのだけど」
「……ご丁寧に、どうも」
何があったのかは、言わない。言えば醜聞になるからである。おかげで教室の憶測だけが、音を立てて膨らんでいく。
「それでは、ごきげんよう。――ああ、それと」
去り際、エリアナは扉の前で振り返り、首を少しだけ傾げた。
「不思議ですわね。あなたとお話ししていると……誰かを、思い出しますの。誰かしら」
心当たりなら、ある。あなたが探している、夜会の覆面の給仕である。
「……よく言われます。顔が、地味なので」
「ふふ。では、ごきげんよう」
鈴の音を残して、嵐は去った。
残されたのは、焼き菓子の包みと、蜂の巣をつついたような教室と、質問を目に山積みにした友人二人である。
「説明! 説明を要求する!」
「……ちょっとした、人助けだよ」
「ローウェン様に人助けって何だよ!?」
そこへ、騒ぎを聞きつけた赤毛が隣のクラスから越境してきた。
「ねえ今の何!? 魔法科の有名な人でしょ!? リオくん何したの!?」
質問者が三人に増えた。
二つ隣の席では、すべてを知る令嬢が、我関せずの顔で教科書をめくっている。ただ、その口元だけが、ほんの少し、笑いを堪えていた。
◇
夜の事務所で、グラントは報告を聞き終え、机の上の封書を一通、滑らせてよこした。
「ローウェン家から、窓口宛に礼状だ。……それと、こっちはお前宛」
「俺?」
開くと、上質な紙に、流麗な招待の文字が並んでいた。ローウェン家の茶会への、招待状である。宛名は『リオ・アルクス様』。
「……表の顔に、来てるんですけど」
「学園の恩人サマだからな」
グラントは、実に愉快そうだった。
「今回のは依頼じゃねえ。帳簿にも載らん。……載らん仕事ってのはな、貸しにも借りにもならん、ただの善行ってやつだ。たまには悪くねえだろ」
「招待状が、悪いんですが」
「行ってこい。断る方が角が立つ。……なに、覆面はいらねえ。学生の顔で、茶を飲んでくりゃいい」
簡単に言ってくれる。
探されている覆面と、覚えられた素顔。二つの顔の距離が、また少し、縮まった気がした。
……気のせいだと、思いたい。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。
次回もよろしくお願いいたします。




