第23話 覆面くんを探せ(前編)
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大きな依頼の後の、学園のお話です。
試験週間が、来た。
学園の空気は張り詰め、図書室は満席になり、食堂では単語帳を睨みながらパンを齧る生徒が続出する。
「いいか、お前ら! 今回の試験、俺は学年五十番以内に入る! 宣言する!」
「ネイトの宣言、入学式から数えて何個目かしら」
「今回は本気だ! なにせ俺には、トトの図鑑ノートがある!」
「僕のノート、返してくれる気ある……?」
リオはといえば、いつもの調整に頭を悩ませていた。
学科は、真面目にやれば良い。問題は契約術の実技である。全力でやれば目立つ。手を抜きすぎれば推薦生の立場が揺らぐ。「上の下あたりで、印象に残らない及第」という、妙に高度な芸を、毎回の試験で要求されるのだ。
今日の実技は「指定された小型魔物との、模擬契約」だった。相手は試験用に慣らされた角兎で、正直、糸を出すまでもなく懐いてくる子である。リオはわざと一度目を空振りし、二度目で少し手間取った顔を作り、三度目で繋いでみせた。試験官の帳面に「及第・可もなく不可もなし」と書かれるのが、覆面の下ならぬ、素顔の仕事の完成形である。
ある意味、窓口の仕事より疲れる。
「――あーっ!! いたいた!!」
昼の食堂に、聞き覚えのある声が響き渡った。
赤毛にゴーグル、つなぎではなく制服姿のテッサが、隣のクラスの領域からずんずんと越境してきて、リオの向かいの席にどかりと座った。
「この前の、祭りの! えーと、リオくん、だっけ。ほら、あの時会ったのに、ゆっくり話せなかったからさ!」
「……どうも」
クレールの祭りの夜、素顔で捕まった、あの縁である。あれ以来、廊下で会えば手を振られる仲になっていた。手を振り返すたび、心臓に少し悪い。
カイルとセナが、フワごと固まってこちらを見ていた。
「リオ。……誰?」
「隣のクラスの、テッサさん。この前のバイト先で、その、ちょっと」
「テッサ・ロックウェル! 魔導具工学科! よろしく!」
嵐のような自己紹介を済ませると、テッサはリオの袖を、くいくいと引いた。
「ちょっと、いい? 二人に話したいことがあって……あ、違う。リオくんに、二人で話したいことがあって!」
言い直した方が、余計に誤解を呼ぶ言い方だった。
カイルとセナの視線が突き刺さる中、リオは食堂の隅の席へ連行された。
「で、本題なんだけどさ。リオくん、調査団にいた、覆面のテイマーの人、覚えてるでしょ」
リオの背筋が、静かに冷えた。
「……覆面の」
「そう! 覆面くんのこと、ずっと調べてるんだけど――」
「……覆面、くん?」
「だって、背格好と動きの感じ、絶対私たちと同年代だもん。現場で間近で見たから分かるの。だから覆面くん! ……で、ねえ、聞いて。すごいんだよ」
テッサは、鞄から分厚いノートを引っ張り出した。表紙に几帳面な字で『覆面くん調査記録』とある。
嫌な予感しか、しなかった。
「私の実家、魔道具の修理屋なんだけどさ。職人の世界って、裏の噂が集まるんだよね。で、覆面のテイマーの噂を集めてみたの。……いい? いくよ?」
ノートが、めくられる。
「一つ! 建国祭の竜技団の代役! 覆面の騎手が一人で十二頭の竜を舞わせたって、興行の裏じゃ大騒ぎ! 『覆面の竜使い』!」
俺だ。
「二つ! 谷の牧場に時々現れる、伝説の多頭テイマー! 何十匹もの獣を一度に懐かせるとか!」
それも俺だ。しかも尾ひれが付いている。
「三つ! これ好きなんだけど、とある酒蔵の柱に貼ってある請求書! 『熊(就寝中)の搬出』! 寝てる大熊を、覆面の若いのが一人で、樽一つ割らずに運び出したんだって!」
なぜ請求書のことまで知っているのか。蔵人たちは相当方々で自慢したらしい。
「四つ! これは笑ってほしいんだけど、本人、名乗る時は『ただの配送屋です』って言うらしいの! 配送屋なわけないでしょ!? 熊とか竜とか配送する屋があるか!」
あるのである。ここに。
「で、五つ! ミラーレイクの調査団にいた、覆面のテイマー! ……ね、気づかない? 背格好、若い、覆面、テイマー、めちゃくちゃ腕が立つ。――これ全部、同じ人だと思うんだよね!!」
名探偵であった。
リオは、湖の水より冷たい汗を、背中に感じていた。
「……偶然じゃ、ないかな。覆面の人なんて、いっぱいいるだろうし」
「いないよ!? 普通いないよ覆面のテイマー!?」
ごもっともである。
「でさ、業界だと結構な有名人なんだよ、覆面くん。なのに、誰も正体を知らないの。どこの誰なのか、どこに住んでるのか、名前すらも。……ロマンだと思わない? 王都のどこかに、伝説のテイマーが隠れて暮らしてるんだよ?」
「……壮大な人違いだったりして」
「だから確かめるの!」
テッサは、ノートをぱんと閉じた。
「リオくん、今日、学校終わったら暇? ――一緒に探そうよ、覆面くん!」
◇
断る理由が、見つからなかった。
正確には、断る理由なら山ほどあるのだが、口に出せるものが一つもなかった。「俺がその覆面くんなので」が言えない以上、「調査団で一緒だったよね、手がかり持ってるかもだし!」という誘いを断るのは、かえって不自然なのである。
かくして放課後、リオは自分を探す旅に、同行することになった。
道すがら、テッサがふと言った。
「ところでリオくんってさ、獣に好かれるよね。さっきから、犬に三匹、猫に二匹、屋根の鳩に一羽、挨拶されてるんだけど」
「……気のせいだと思う」
「気のせいで犬がお辞儀する?」
王都の獣たちには、今度まとめて「往来では他人のふりをしてほしい」と頼んでおく必要があった。
最初の聞き込み先は、東門前の鹿見まんじゅう屋だった。
「覆面のテイマー? ああ、いたねえ、神鹿様の騒ぎの時に。獣医師会の腕章してた子だろ」
「それです! どんな人でした!?」
「どんなって……覆面だからねえ。眠そうな目だったよ」
「眠そうな目!」
テッサはノートに書き付け――そして、書く手を止めて、じっ、と隣を見た。
リオの、眠そうな目を。
「……リオくんも、眠そうだよね。いつも」
「……よく言われる」
心臓が、嫌な音を立てた。
「…………あはははは、ないない! ないでしょ! 覆面くんは寝てる大熊を一人で運ぶんだよ!? リオくんが!? この、いかにも徹夜が三日続くと倒れそうな感じの!」
「……そうだね」
失礼な言われようだが、命拾いした気分だった。テッサの中の「リオくん」は、ひょろりとした眠そうな学生である。その見立てこそが、今のところ最強の覆面だった。
二軒目は、竜技団の王都事務所である。
「覆面の代役様の連絡先!? 教えられるわけないでしょう、というかこっちが知りたいくらいで……ああでも、座長は妙に気に入ってましてね。『あのバイトだけは辞めるんじゃねえぞ』って、送り出す時に笑ってたから」
「バイト! 覆面くん、バイトなんだ!」
テッサはノートに書き付け、また、手を止めた。
「バイト……そういえばリオくんも、バイト漬けなんだよね? 調査団の雑用も、バイトだったんでしょ」
「……普通の、配達のバイトだよ」
「配達……配送……」
ノートの「ただの配送屋です」の行の上で、テッサの視線が、二拍ほど止まった。
リオは、まんじゅうを買って顔の下半分を隠した。
「――いやいやいや! ないない! うん、ない!」
テッサは自分の頭を振って、ノートを閉じた。
「危ない危ない、探偵ってすぐ身近な人を疑っちゃうんだよね。よくないよくない」
その勘は、よくないどころか、二度も正解を踏んでいた。
三軒目の瓦版屋では、逆に取材を受けそうになった。
「覆面のテイマー!? お嬢ちゃんもあれを追ってるのかい! うちも建国祭からずっと追ってるんだよ。正体を抜けたら一面ものなんだがねえ、これがまあ、尻尾も掴めない」
「同業がいた……!」
「情報交換しないかい、お嬢ちゃん」
「しません! 私が先に見つけるので!」
聞き込みのたびに、情報が増えていく。増えるたびに、リオの寿命が縮んでいく。おまけに、瓦版屋まで自分を追っていると知ってしまった。一面。一面は、まずい。
そして、その一行の後ろを――
物陰から物陰へ、器用に隠れながら付いてくる、二つの影があった。
「……おい、セナ。あれ、昼間のテッサって子だよな。り、リオが、女子と二人で、放課後に、歩いてる」
「落ち着きなさい。声が大きいわ」
セナの腕の中では、フワが呑気に羽づくろいをしている。
「な、なあ、あれって……で、デートってやつなのか?」
「……さあ」
「さあって、尾行しようって言い出したのはお前だろ!?」
「私は、ただ」
セナは前を見たまま、少しだけ早口になった。
「リオが、試験週間に遊び歩くような人だったかしら、って思っただけよ。何か事情があるはずでしょう。だから確かめるの。……調査よ」
「調査ぁ?」
「他意は、ないわ」
他意の有無を聞かれる前に答えるのが、他意である。
その腕の中で、フワが不意に、ぴょこ、と伸び上がった。雑踏の先のリオへ向かって、今にも飛んで行きそうに羽を広げる。
「あなたは黙ってて」
セナは慌てて毛玉を抱え込んだ。尾行の一番の弱点は、正直者の毛玉だった。
他意しかない尾行が、雑踏に紛れて続いていた。
◇
日が傾き始めた頃、三軒の聞き込みを終えたテッサは、往来の隅でノートを睨んでいた。
「うーん……目撃談は増えたけど、肝心の『どこにいるか』が出てこない……」
「ほら、やっぱり幻の人なんだよ。今日はもう――」
「――あ」
テッサが、顔を上げた。
その目が、嫌な輝き方をしていた。何かの機構を解いた時の、あの目である。
「そうだよ。本人を探すから駄目なんだ。……仕事を探せばいいんだ」
「……仕事?」
「覆面くんは、依頼で現れる。竜技団も、湖も、熊も、ぜんぶ『依頼』だった。つまり、覆面くんに仕事を回してる『どこか』がある。……で、うちの実家の常連の錠前屋のおじさんがね、酔うと言うんだよ」
テッサは、声を落とした。
「『王都にはな、どうにもならない困りごとを持ち込む、最後の場所がある』って。――『十三番窓口』っていう屋号、リオくん、聞いたことある?」
錠前屋のおじさん。
どこの誰とは聞くまでもない。じゃらじゃらと鍵束を提げた、あの工房の常連客あたりだろう。職人の世界の噂の網は、リオの想像より、ずっと窓口の近くまで張られていた。
「……さあ。聞いたこと、ないけど」
嘘の下手なリオの、今日一番の大嘘だった。




