第21話 湖底の村(後編)
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第21話の後編です。
その夜、調査団の天幕で、作戦が組まれた。
卓を囲むのは、覆面のリオ、リッツ、ガルド、そして「学生さんには聞かせられない話もある」という建前が三分で崩壊して居座ったテッサである。
「分担だ」
リッツが、卓に略図を描いた。
「俺と嬢ちゃんは、祭殿の扉。千年物の錠と結界の連動なんて代物、片手間にやったら千年物ごと壊す。じっくりやる」
「ガルドさんは」
「俺は暇な顔で見張りだ。……きな臭え先客が、いつ戻ってきてもいいようにな」
そして、残る一つ。
「主への話は、俺が」
リオは、湖の中央を指した。
「一人で行きます。ザンの契約は、朝のうちに一度返します。……千年の主に挨拶をするのに、糸は一本、空けておきたいので」
「一人で平気か」
「大物への挨拶は、小さく、正面から。……荷物が多いほど、疑われます」
ガルドは肩をすくめ、リッツは「あいつはそういう奴だ」と笑い、テッサだけが「え、待って、あの島サイズと話をつけに行くの!? 一人で!?」と一人で仰天していた。
◇
翌朝、リオは夜明けの泥の平原を、一人で歩いた。
手ぶらである。覆面もいつもの装備も置いてきた。武器も、道具も、契約も持たない、ただの子供の姿が、大物への一番の礼装だと思ったからだ。
水際に立つ。
残った水の中央で、島がひとつ、静かに息をしている。
リオは糸を撚った。今朝の一本は、細く、長く、そしてまっすぐに。
結ばず、差し出す。受けるかどうかは、そちらが決める。いつもの作法で、千年の心の前に、糸の端を置いた。
長い、長い間があった。
眷属の魚たちが、水面下でこちらの足元まで来て、値踏みするように回っている。
やがて――糸の先に、山が触れた。
圧し潰されるかと思った。西の主の百年が丘なら、これは山脈だった。深くて、暗くて、静かで、その全部の底に、熾火のような怒りが横たわっている。
主は、すぐには口を開かなかった。
糸越しに、こちらを検分している。丸腰の体を、差し出された糸の細さを、そして、たぶん、心の中身を。大物ほど、返事の前に長く見る。西の主もそうだった。千年の主は、その三倍長く見た。
――……子供が、来た。
声は、地鳴りに似ていた。
――あの忌まわしい道具の、使い手の詫びの使者か。それとも、墓を掘る者どもの、口利きか。
「どちらでも、ありません」
リオは、声に出して答えた。糸に載せる言葉と、口から出す言葉を、揃えるためである。
「あの装置を、止めに来ました」
――止まらぬ。あれは、壊れながら回る、質の悪い水車だ。儂の眷属が三度、殻を試した。歯が立たなんだ。
「止め方を知る者が、います。人間の、道具の医者です。ただ、そのためには、あなたの水に、人間を一人、入れなければならない」
――……。
「それから、村のことも。掘っているのは、墓荒らしではありません。昔を知ろうとしている学者たちです。でも――あなたにとって墓荒らしと同じに見えるなら、掘り方を改めさせます。そして、最後には」
リオは、一番短い本当のことを、置いた。
「水は、戻します。村は、もう一度、湖の底で眠ります。……あなたの水も、あなたの眠りも、元に戻すために来ました」
沈黙が、湖に満ちた。
どれほど経ったか。糸の向こうの山脈が、ゆっくりと、問うた。
――なぜ、人間の言葉を信じられる。
――儂は千年、水の底から人間を見てきた。良い人間も、悪い人間も、境目のない人間も。……言葉は、軽い。水に浮くほどにな。
「信じてもらえるとは、思っていません」
正直に、答えた。
「だから、順番にやります。まず装置を止める。水が減るのが止まったら、次を信じてもらう。……一つずつ、です」
また、長い沈黙。
そして、糸の奥から、思いがけないものが流れてきた。
記憶だった。
水の底から見上げた、千年前の光。石の水路を走る子供ら。祭りの日に、水面へ流される灯籠と、初物の果実。若い甲羅の背を、遠慮なく洗い場に使う女たち。水を均す誰かの歌――
水映しの祭り、と誰かが呼ぶ声がした。年に一度、村中の灯を水面に映して、水に一年の礼を言う祭りらしかった。水の底の主から見れば、それは、空一面の星が降りてくる夜だったのだろう。
主と、村は、共に生きていたのだ。
そして記憶の最後に、闇が来た。
轟音。逆巻く水。一夜で村を呑んだ、あの夜。水の中で、届かなかった、いくつもの手。
――……見ての通りだ。
地鳴りの声は、怒りの下の、もっと深い場所から響いた。
――儂は、守れなんだ。あの夜、一人も。
――だから、せめて眠りを守ってきた。千年。あの子らの村を、儂の水の底で。……それを、また、掻き回されてたまるか。
怒りの正体は、これだった。
水泥棒への怒りの、その底にあるのは――千年前に守れなかった者の、痛みだった。
「……分かりました」
リオは、深く、頭を下げた。
「あなたの千年に、割り込んで、すみませんでした。……必ず、元に戻します。装置を止める者は、俺が連れて行きます。俺の隣にいる間、その人に手を出さないでもらえますか」
――……よかろう。
千年の主は、応えた。
――お前の糸は、まっすぐだ。曲がった糸を、儂は千年ぶん知っている。……子供。名は。
「リオです」
――リオ。月が次に満ちるまでは、待とう。それまでに、水車を止めてみせよ。
糸が離れる、その間際だった。
地鳴りの声が、一段、低くなった。
――それと、一つ。村の真ん中の祠に、近づく者がいるな。
「……祭殿の、扉を調べています。中に何があるのか、確かめるために」
――中の物に、触れるな。
声の底の温度が、変わっていた。怒りではない。もっと冷たい――恐れに、近いものだった。
――あの夜、村を呑んだ水はな、リオ。……あの祠の中の物が、呼んだ水だ。
――目覚めさせるな。二度と。
それだけを言い残して、糸が、静かに離れた。
岸に戻ると、膝から力が抜けて、リオはその場にしばらく座り込んだ。千年と話すというのは、体力のいる仕事だった。
◇
同じ頃、祭殿の前では、別の千年との対話が進んでいた。
「まず妙なのはな、この扉、鍵穴がねえんだ」
リッツは扉の面を撫でながら、半ば楽しそうに言った。
「鍵穴がねえってことは、鍵が『物』じゃねえってことだ。決まった手順で決まった場所に触れる――鍵は形じゃなく、手順。千年前の連中、しゃれたことしやがる」
「その手順が、結界の編みに書いてあるんだ! だから錠と結界が絡めてあるんだよ、片方が説明書で片方が錠前!」
「そういうことだ。……で、嬢ちゃん、三層目の編み目、どう見える」
「外から順に、右巻き、右巻き、で三層目だけ左巻き。あと三層目だけ、糸が二重。……これ、わざとだよね?」
「わざとだ。逆巻きの二重は『開けようとした奴を絡める』網の編み方よ。千年前から、考えることは同じだねえ」
リッツとテッサは、初日から驚くほど噛み合っていた。
リッツが錠の仕掛けを読み、テッサが術式の流れを目で追う。片方は百年前の神様の弟子のような男で、片方は千年前の術式を「見える」目で読む学生である。千年物の扉の検分が、二人がかりで、みるみる進んでいく。
「……なあ、嬢ちゃん。あんた、卒業したらうちの業界に来ねえか。結界と錠の世界だ。あんたの目なら、十年に一人の職人になれるぜ」
「お誘いはどうも! でも私、魔道具一筋なんで! 誰でも使える魔道具を作って世界をちょっと便利にするのが夢なんで!」
「即答かよ。……いい夢だ」
振られた錠前師は、存外うれしそうだった。
夕方、リオが合流した時には、二人は扉の脇の泥を払い、現れたものの前で立ち尽くしていた。
「見て」
テッサが、声を落として指した。
扉の脇の壁面に、彫りが残っていた。
壁画である。
水路の走る村。働く人々。そして村の外れの湖に――大きな大きな亀が一頭、水に半ば身を沈めて、村を見守るように彫られていた。亀の前には、果実を捧げる人々の列。
「……この村の人たち、湖の主と、一緒に暮らしてたんだ」
テッサの言う通りだった。
千年前の彫り師が残した絵は、今朝、糸の向こうで見せてもらった記憶と、寸分違わなかった。
主は、村の守り神で――村は、主の家族だったのだ。
◇
その夜、見張りに立っていたガルドが、天幕に戻ってきた。
欠伸は、していなかった。
「――北の丘の稜線に、明かりが二つ。すぐ消えた」
大剣の男は、酒でも注文するような気軽さで、しかし目だけは笑わずに言った。
「偵察だな。連中、戻ってきやがった。……さあて、忙しくなるぜ」
天幕の中の空気が、一段、引き締まった。
月が満ちるまでに、装置を止める。その約束の時計と、戻ってきた先客の時計が、同時に回り始めたのである。
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